第26話 どこにもいない貴方
時間は決して戻らず、立ち止まらずに進んでいく。
混乱するステラ一人を置き去りにして、囚人生活は淡々と過ぎていった。
こんな状況になる前に会ったヨルダンという男は、ステラが夢に捕らわれていると言っていた。
いきなりとんでもない状況に追い込まれているというこの脈絡のない現状、それは夢である事の証明に一役買ってはいるのだが、こうして実際に経験してみてもステラはまだ信じきれないでいる。
だって、何か行動を起こせば感覚もあるし、意識もはっきりしているのだ。
夢というものは、もう少し薄ぼんやりとしたものではなかったのかと思う。
だが現在自分が置かれている状況が、良くないものだという事ぐらいはステラにも分かっている。どうにかしてここから出る方法を探さねばならない。
一刻も早く脱出を。
方針は決まっているものの、現状はそれだけだ。ただ本当に決まっているだけ。
ステラは中々良い方法は見つけられないでいる。
「一体どうすればいいの……? 現実ではどれくらいの時間が経ってるのかしら。まさか同じって事はないわよね」
もう夢の世界の中では丸一日経っている。
同じように現実の方も時間が進んでいるのなら、自分の体の事が心配だった。
フェイスの罠にかかったとすれば、ステラの体は現在彼の元にあるはず。
このままここでの時間が長引けばどんな目に合わされるか分かったものではない。
彼の操り人形と化して、罪もない人を傷つけたり、大切な誰かを傷つけたりしていたとしたら……。
あるいはあの一年の時の洞窟の中であったことみたいな事が……。
ぞくりと肌が震えたが、努めて考えないように意識の外へと追いやる。
もしもなんて。考えたらキリがない。今はここから出る事だけを考えるべきだ。
「とにかく、もっと情報を集めなきゃいけないわ」
そんな風に呟くステラ。
しかし、周囲を意識を向ければ自分を見る囚人達の視線の色が気になった。哀れみの色だ。
頭がおかしくなったとでも思われてるのだろう。
現実を飲み込めていないんだろう、見たくないものを見ないでいたいのだろう、そんな言葉が聞こえてきそうな目で見られ、ステラが貴族であることを知っているのか高みから落ちてきた者への嘲るような笑みや、同情の色を含んだ視線などが感じられる。
こんな所、一日どころか数秒だっていたくない。
幻であるはずなのに、やけにリアルに感じる他者からの感情。
戸惑わない方がおかしい。
気にするだけ無駄な事だと思っていても、ステラはどうしても気になってしまう。
普段の自分なら、だからどうしたと開き直ることもできるが。
普通ではない状況に放り込まれている今の自分には難しい事だった。
考え込むステラの前に看守がやって来る。
それはフェイスだ。
「飯の時間だ。手間をかけさせるな囚人共、早く外に出ろ」
そう言って鍵を使い牢屋を開ける。
囚人達はそれまで話していた会話を止めて、無言で外へと出ていく。
部屋から出るなり、ステラは彼に詰め寄った。
「いい加減にここから出しなさい!」
「何の事だ、訳のわからない事を言うな。さっさと、食堂に移動しろ」
「貴方はフェイスなんでしょ!」
「煩い、だまれ。それ以上喚くと魔物の餌にするぞ……」
剣も武器もない、そもそも目の前の相手は本物かどうか分からない。
初日に彼が目の前にやって来た時は、剣も武器もないまま(問答無用ではなく、一応言うべき言葉を尽くした後)殴り掛かったが、彼は煙のように消えるだけで、まったく攻撃が通用しなかったのだ。
今、この目の前にいるフェイスは本物なのか、偽物なのか。
確かめる術は今のステラにはない。
戦闘能力のない彼なので、殴る蹴るなどすればたやすく正体は見破れるが……、それはできればの話だ。
「さっさと言うとおりに動けと言っている」
「嫌よ」
「ふん、生意気な小娘だな」
フェイスは、こちらに向かって手を挙げようとするがステラは当然それを避ける。
「お前にできることは俺の言う通りに動くことだけだ」
彼がこちらにそう言って、忌々しそうに睨みつけた瞬間……
「……っっ!」
「お前はもうすでに俺の手の中にいるんだ。そのことを忘れるなよ」
一瞬、首が締まるような感覚があった。
フェイスは動いてない。
彼は一体何をやったのか、ステラには理解できなかった。
だが一つ分かったのは、ここでは彼に表立って逆らうことはできない、という事だ。
自分の体を人質に取られている以上、明確な脱出の糸口が見えるまでステラは大人しくしている他ないのだった。
食堂へと移動していく中、これからの事に思いをはせながらステラは珍しく弱音を吐いた。
「もう、一体どうしたらいいのよ」
状況が悪すぎる。
捕らわれの身であるステラが、彼の呪縛を打ち破るイメージが全く思いつかない。
心を弱らせてはいけない。そう思いつつも、弱らずにはいられない状況だろう。
そんな中、ステラは彼と出会ったのだ。
食堂にいる他の囚人達の中、見知った顔が交ざっているのを発見した。
鳶色の髪に紫の瞳。彼だ。
「ツェルト!」
「ステラ! 無事で良かった。大丈夫か、酷い事されてないか、頭撫でてもいい?」
「大丈夫よ、平気だから。でも頭は撫でないでこんな時に」
断ったのに、頭を撫でてくるツェルト。だけど振り払う気は起きなかった。
たった一日だけなのに、もう何年も会ってないような気持ちになる。
こうして顔を合わせるだけで、先程まで抱いていた暗い気持ちの数々が吹き飛んでしまう。
どんなに状況が困難でも二人で力を合わせればきっとどうにかできる。
根拠もない自信。だけどそう思えてくるの。
ステラは、ツェルトがいてくれないと駄目なのかもしれない。
「よしよし、よく頑張ったな」
やさしく頭を撫でられてその一言で。
涙腺が緩みかけ、ステラはあわてて顔を俯かせた。
だが、
「……貴方は幻じゃないの?」
ふとそんな可能性が頭をよぎる。
フェイスが作った幻にそんな事を聞いても正直に答えるわけないのに、ステラはそう聞いていた。
「幻だよ」
「……っ」
その言葉に慌てて彼から離れようとするが、抱きすくめられる。
ステラはその行動を拒絶できなかった。
「だって夢の世界だし。究極的には実体じゃないだろ。……なんて冗談はさすがにひどかったか。ごめんな。でももう大丈夫だから。助けにきたぜ」
「……ツェルトっ!」
彼の体に顔を押し付けて泣かないように我慢するのがとても大変だった。
ステラは今まで、まさか自分がこんな風になるなどとは、思っていなかった。
たったこれだけの事で、これしきの状況に置かれたくらいで、こんなみっともない事になるなんて思いもしなかったのだ。
だが現実、ステラはこんな風にフェイスの呪術に屈しかけていた。
どうして、と思う?
いつもと違う状況に放り込まれたから?
味方が誰一人いないから?
ツェルトが、彼が傍にいてくれないから?
答えなどすでに分かりきっている。
ずっと不安で仕方なかったステラの心の中は、彼が現れた途端に光で照らし出されたのだ。
あたたかくて大きくて強い光、希望と言っても良いかも知れない。
そうだ、ツェルトはステラにとっての希望だったのだ。
どんな状況でも必ずステラの元に来て助けてくれる、魔物の被害に困る人々を助ける勇者の様な存在。
ステラの勇者様。
そんな彼の事をステラは、ひょっとしたら……。
疑念はある。だけど、今目の前にいる彼を信じたかった。
数日経った。
あんなにここでの生活は苦しかったのに、ツェルトがいるだけで全然違う。
その変化がステラにはとても嬉しかった。
ステラは、いま牢屋ではない別の場所にいる。
そこで行われるのは命を賭けた戦い。
この囚人の収容所では囚人は見世物になって日々、魔物と戦わせられているのだ。
牢屋を出されて連れてこられたその部屋は大きくて広い。
天井はかなり高く、数十人が一斉に動き回るだけの広さも十分にあるだろう。
視線を部屋の上の方へ向けると、壁の一部がガラスになっていた。
あの向こうには貴族達がいる設定らしく、ステラ達は命がけの戦いの見世物になっているらしかった。
どうしてそんな下らない事を考えるのに、労力が割けるんだろう。
ものすごく不思議だ。
趣味の悪い夢だという評価はもちろん変わらないままだが。
「ま、運動が出来て気分転換ができるって考えればいいじゃん」
ステラと違って、ツェルトは前向きだった。
まあ、今更ただの魔物に後れをとるような自分ではないので、鬱屈とした牢屋の中にいるよりは、こうやって動き回っている方が良いというのは賛成だが。
用意された武器を手に、ステラは彼と共に魔物と戦う。
互いが互いの動きを把握していて、足りないところをカバーしたり、時には協力して相手を倒していく。
この場にいる何よりも、誰よりも、ステラ達は強かった。
その事にステラは得意げになりそうな感情の変化に気が付く。
自分たちに敵う者はいない、どんな敵でも自分たちには敵わない、そんな傲慢ともいえる感情が己のうちに湧き上がってくるのを感じた。
慢心で己の目を曇らせている人間はこれまでも何人か見てきた。
そうも自分の力に過剰な自信を抱けるものなのかと思っていたが、ステラは今だけは彼らの気持ちが少し分かるような気がした。
周囲の誰もが追いつけない高みにいて、実際に見る限り誰も追いつくことができない。なおかつ隣には自分のすべてを預けられる心強い人がいてくれる。
これで増長するなという方が無理なのかもしれない。
人は、自分の上にいる存在に目がいかなくなったらそういう事を思う生き物なのかもしれない。
そんな事を考えながらステラは驚異的なスピードで魔物を倒していく。
だが、
その集中が突然途切れた。
「――っっ!」
頭痛だ。
ここ最近の事、主にフェイスの夢に捕らわれてからだが、また頭がよく痛くなるのだ。
フェイスの呪術の影響を受けてそうなってるのか、だんだんと痛みが増しているように思える。
もし、そうであるなら、早くここから出なければいけない。
ツェルトが脱出方法を調べているようで、ステラにも何か手伝える事があればいいと思うのだが、彼は頑なにステラの助力を拒むのだ。
不思議に思うが、何か理由があるのかもしれない。あの時みたいに。
だけど、私に黙って危険なことはなるべくしないでほしい。
あの時だって、どうして私に言ってくれなかったのだろうと怒っているのに。
私の力は必要ない?
それとも……。
『俺がステラの事が好きだから」
脳裏に彼の言葉が浮かんでくる。
けれど、その言葉を覆い隠すように別の言葉が聞こえてきた。
『ステラ……、お前は俺の言う通りに動いていればいいんだ』
『俺の言う通りに動いていればお前の望みは必ず叶う』
それに重なる様に別の人の声。女性だ。聞き覚えのある声。この声は……。
『違う、私の望み……、本当は……』
『使えない奴め、自分の役割すら満足にこなせないとは……』
『次はちゃんとするから……だから、お願い。……さないで。……ルト』
「ステラ!!」
響く声に意識を占領されていた。
現実から響くツェルトの声にステラは気づく。
背後に魔物の気配だ。慌てて剣を振るうが、間に合わない。
「らぁっ……!」
だが幸運にも彼に助けられた。
「大丈夫か、ステラ」
「ごめんなさい、これからは気を付けるわ」
謝って、剣を握る手に力を入れ、目の前の敵に集中する。
「……足手まといになるなよ」
「えっ」
聞こえた声に、耳を疑う。
今のツェルトの言葉?
それとも、意識の中に響くあのおかしな声だろうか。
『……見捨てないで……』
その声の残滓が聞こえてきて、やはりツェルトではないだろうとステラは結論付ける。
ほどなくして魔物達は、二人の手によって殲滅された。