第19話 心霊現象に恐怖しています
退魔騎士学校 教室内
それはさわやかな夏に起こった出来事のことだった。
恐怖は瞬間的なものより後からじわじわやって来る方が怖いと聞いたことがあるが。本当にそうだ。
起きたときはただびっくりしていただけだったが、今ステラはものすごく恐怖していた。
ナニコレ怖い。
魔物を目の前にしても、夜盗を目の前にしても恐怖しなかったこのステラが鳥肌を立てるような事が起きたのだ。
学校の教室にて、ステラはその詳細をニオに語って聞かせた。
「人形が真っ二つに割れた? すごいね不良品?」
「不良品でもいきなり割れたりしないわ。夜中にいきなり音を立てて割れたのよ。怖かったんだから」
それは自室でステラが眠りにつこうとした時の事だ。
誕生日に両親から買ってもらった陶器の人形が特になんの前触れもなく一瞬で粉々に砕けたのだ。
倒れた音も聞こえなかったし、傍には何か置いたわけでもない。
それなのに、何か内側から目に見えない力で砕いたかのように人形は割れていた。(破片は外側にしか飛び散ってなかったから、余計にそうとしか思えない)
実はその人形は、よくトラブルに合うステラを心配して両親が買ってきてくれた品物だ。
魔よけの効果が謳われている品で。傍に置いておけば悪いものを追い払ってくれるとかいう話らしいのだが。それが割れたとは一体どういうことなのか。
何が人形に起こって、どう作用してあのようになったのか。想像すれば、不安にならない方がおかしいだろう。
ステラとしては、一番に考えられる原因はあれしかない。
「ひょっとしたらこの間、夜の学校に行った時におかしな霊を連れてきちゃったせいかもしれないって私は思うんだけど……」
「ええー、そんなのないない。ステラっちゃんって、お化けなんか信じてるの? そんなのいるわけないじゃん」
青ざめた様子のステラに対して、ニオが送る言葉は軽い。
「分からないじゃない。見えないだけで、本当はいるかもしれないし」
「ニオ、見えないものは信じない人だもん」
その言葉を聞いたら、さすがにステラはむっとせざるを得ない。
あの時私は、すごく驚いたのに。
お化けのふりして脅かそうとしたくせに、その本人が信じてないのか。
「ニオ、私あの時すごくすごくすごく……驚いたのよ」
「ごめんねステラちゃん。あんなに驚くなんて思ってなかったから仕方ないよ。許してね。いいよ」
確かに予想はできなかったかもしれないけど、後半のそれは私が言うべきセリフでしょ。
一人で勝手に許されてないで。
「もう、私は真剣に悩んでるのに」
「ステラちゃんてば、こういう事に真剣に悩んじゃうんだ」
いつまでたっても変わらないニオの態度にステラはそっぽを向く。
もう知らない。ほんとに知らない。
何か困ったことがあっても相談しないんだから。
「ステラちゃんがすねてる、かーわいー」
緊張感がないところが彼女らしいところだが、こういう時は本気で受け取ってもらえないからちょっと困る。
一応分からないでもないのだ、心霊現象に対して世間一般が思ってることは。でも、それでも気になってしまうのはステラの性格だろう。
性格はどうやっても簡単に変えられない、仕方ないのだ。いくら努力しようとしても。
頭の隅で気にしつつもステラはできるだけ普段通りに学校生活を送る。
だが難事の知らせを裏付けるかのように、異変は起きた。
時間は経って、数日後の夜の事。
騎士学校の校舎内をおっかなびっくり歩きながら、ステラは頭を抱えていた。
私、呪われちゃったのかもしれない。
「うう……」
あれ以来たまに頭痛が起きるようになったのだ。
原因は分からない。
ステラの体に他の悪いところはないし、それ以外に具合が悪いところはない。
体を悪くするような事をやった覚えはないし、健康には気を使っているつもりだった。
なのに、突然頭痛に悩まされるようになったのだ。
「一体どうしちゃったのかしら」
それだけならまだしも(いや、だいぶステラ的には良くないが)、加えて最近は気がかりな事が発生しているのだ。そのことがさらに慢性化しつつある頭痛を、ひどくさせている気がする。
ツェルトは最近一緒にいることが少ないので相談できない。
ニオには少しだけ相談しているのだが、いまいち危機感が伝わってないようだし……。
後は、他に誰かいないだろうか、と考えて。
気が付けばステラは自然と彼女の顔を思い浮かべていた。
幽霊に取り憑かれている(かもしれない)ステラが、その幽霊に取り憑かれた(かもしれない)場所を歩くなど、普段だったら考えられない行動だが、どうにも落ち着かない心境だったのだ。
「はぁぁぁ……」
「どうしましたか? 顔色が悪いですよ」
そういうわけで、秘密の調理所に顔を出したステラは疲れたような顔を彼女に向けていた。
「聞いてくれる? 最近ニオにも相談してることなんだけど」
「構いません。ニオというのはあなたの教室の生徒ですね。確か女生徒であったはず……」
向かい合うのはカルネだ。夜、ステラは未だ調理室であれこれやっている彼女の下を気分転換がてら尋ねていた。ちなみに今夜世話になるのはニオではない、彼女の部屋だ。彼女らしい、くっきりかっちりした部屋だったのを覚えている。
だけど、部屋を訪ねてからずっと彼女の姿がなかったので、こっちにいるのだろうと思って来たのだ。
「率直に尋ねますが彼には相談できない繊細な問題なのですか」
「違うわよ。ツェルトは今忙しいみたいなの、最近はほとんど話をしてないわ」
「そう、なのですか。しかし、貴方がそんな顔をして、夜の校舎を歩いてここまで来るほどの何かがあったのですね……」
何やら神妙な顔をしたカルネの様子が不安になってくる。
何に大しても重く考えがちな彼女の事だ、放っておいたら彼女の脳内で深刻な事になりそうな気がしたので慌ててフォローを入れておく。
「初めに言っておくけれど、ツェルトの事じゃないわ。幼なじみって言っても、いつも一緒にいるわけじゃないもの。彼にも優先すべきことが他にもあるはずなんだから、そういう事があるのは当然でしょ?」
「そう、なのですね……」
さっきから返事に妙な間があるのだが大丈夫だろうか。
非常に気になる。
もしや、何か心配事でも抱えてるのだろうか。
「カルネ? 何か、困ってる事があるのなら力になるわよ」
「え? いいえ、私ではありません」
「そう?」
それは困っているのは自分ではない、という事なのだろうが。誰か知り合いの悩みの相談でも受けて、考えていたのかもしれない。
だとしたら自分が今夜ここに押しかけてあれこれ言うのは、良くないのではないだろうか。
するとそんなステラの表情を読み取ったカルネが首を振る。
「いえ、気にせずとも良いことです。というより貴方は自分が今どんな顔をしているのか自覚がないようですし」
「え、どんな顔してるの?」
「本当に気がついてないようですね。それより何か私に話があったのではありませんか?」
「ええ、まあ……とにかくちょっと色々あって、愚痴らせてもらってもいいかしら……」
ステラは自分でも意外に思うほど、色々溜まっていたらしい。
一度口を開けば、押し込められていた鬱憤が爆発するような形でしゃべり続けた。
しかし、その内容は最近気にしてる幽霊話……ではなく、やっかいな人間関係の話の方だ。
ストーカーって言うのがあるんだけど、カルネは知ってる? 知らないわよね。あのね、ストーカーっていうのはね、同じ人間に何度も何度もしつこくつきまとってくる人間のことなの。私、同じ教室の人からそれっぽい事されてる気がすると思うのだけど、これってストーカーよね。ああ、うんそうよね。話してみないと分からないわよね。
最初は本当になんでもない感じだったのよ、たまに一言話してそれで終わり。今日はいい天気ですね、そうね。みたいな感じだったの。廊下ですれ違えば、「やあ」とか「おはよう」とか、そんな感じの挨拶をする程度。
でも、いつからだったかしら、やたらこっちに構ってくるようになったのよね。確か、目上の人に対する礼儀の勉強の時だったかしらね、いつもはツェルトかニオと組むんだけど、その日はその人と組むことになって、それからやけに視線が粘っこくなったような気がするのよね。遊びに行かないかって誘われたんだけど、断ったが原因だったかしら。殺気とはまた違う……、何かこうねっとりとした感じの視線を感じるの。あ、カルネもそういう経験あるのね。良かった、ニオに話してもピンとこないみたいだったから。……って良かったなんて、悪いわよね。ごめんなさい。
それからもう事あるごとに話かけてきて、その口調がまた馴れ馴れしいのよ。あと、恩着せがまし感じがするというか……、君の為に言ってるんだとか、僕の言う事は聞いておいた方がいとか、後は……何か困っていることがあるなら相談してほしい、って感じで。貴方の事で困っているのよ。
極めつけはこの間のことなんだけど、わざわざ手紙で呼び出して、あんまり良くない感じの先輩使って私を襲わせようとしたみたいなのよね、あからさまにあやしいタイミングで出てきて。ねぇ、カルネ、これってどう思う? ストーカーよね。それもかなり悪質な。
形のない(というかあるかどうかも分からない)呪いもかなり怖いが、人間のよく分からない感情を向けられるのも怖い。
「…………」
途切れることなく続けたステラの言葉を全て聞いた相手。
意見を求めた相手であるカルネは、息を一つ吐いたあと言葉を返した
「まず、ストーカーというのが耳にしたことがないのでよく分かりませんが。明らかに度を超した行為だというのは判断できますね」
「そう、そうよね」
こちらの顔色を改めて窺ったカルネは、続きを口にする。
彼女はステラが抱いている危機感を正しく認識してくれているようだった。
些細なことかもしれないが、それが嬉しかった。
「友好を深めたいという域を越しているように思えますし、見ようによってはあなたに何か恨みでも抱いて危害を加えようとしているのではないかと思えます」
「そう、そうなのよ」
頷きを返す。
何だか、自分の意見を肯定してくれただけだが、心が軽くなっていくのを感じる。
「こうして相談をしにきたということは私にできる事があるということでしょう。他ならぬ貴方の頼みです力になりましょう」
「えっ?」
しかし、その言葉にはステラは慌てふためいた。
そういうつもりで言ったわけではないのだ。
「そんなの別にいいわ。力を貸してほしいとかそういうつもりで言ったわけじゃなくて、ただの愚痴なんだから」
「ですが……」
「貴方に聞いてもらったおかげで、ちょっとだけすっきりしたわ。それだけで十分よ、ありがとう」
流されるままで混乱するばかりだったステラだが、気持ちを受け止めてもらったことで心の整理がついた。
これ以上人を頼ることはステラの望みではない。
他人の力に甘えることは、自分の力を伸ばす機会にならない事でもある。
自分に何とかできる範囲なら自分でなんとかするべきだろう。
ステラは小さく伸びをしてその場から立ち上がる。
これで話はお終いだ。
しかしカルネは煮え切らない様子で座ったままこちらを見上げていた。
「良いのですか?」
「ええ、すっきりしたもの。貴方は十分私の力になってくれたわ。できるだけ自分の力で解決したいの」
「そう、ですか……」
カルネの事だ、こちらが助けを求めない限りは当人の意思を尊重して見守っていてくれるだろう。
話題の最後にカルネは尋ねた。
「その、一つ聞いても良いですか。なぜ、私の所に来られたのですか……」
「何でかしらね。でも、カルネが良いって思ったのよ」
貴方ならちゃんと聞いてくれるって思ったから、とそう言ってステラは使用された調理器具が置かれた調理台の片づけを手伝う為にその場を離れた。
『カルネ』
その後ろ姿を見届けたカルネは、しばらくイスに座ったまま考え事をしていた。
愚痴なら軽く聞き流すくらいの人間の方が良かったのでは、と思う。
だが、彼女はカルネの性格を知ったうえで真剣に聞いてほしいと言った。
それはとても重要な事のように思えて……。
「ステラ・ウティレシア……、私は貴方に対してあのような態度で良かったのでしょうか」
何かまずいことはしていないか、するべきことは他にあったのではないか。
考え始めればきりはない。
片付けに手を動かしながらもカルネは重い頭を抱えていた。
こういう機会に恵まれなかった自分は、友人たる彼女に対して完璧な態度を示せなかっただろう。
回答のない問題だ。
忙しさを理由に人付き合いを避け、規則やしきたり、身分や立場を重視して行動するカルネはそれらに甘えてきた。そのツケが今まわってきたのかもしれない。だとすればそれは自業自得ともいえるが……。
「っ……」
痛みにうめく声。食器を片付けていたステラが頭をかかえた。
「ステラ・ウティレシア? 大丈夫ですか」
声をかけ、そちらの方へ向かうカルネだが、彼女の手の甲にあるべきではないものを見つけてしまい我が目を疑うことになった。
「――っっ! なぜ…………」
それは今の時代では、おとぎ話が描かれた絵本や寝物語に語られる空想の中でしか存在するはずのないものだ。
子供向けに言えば悪い魔法。
専門用語で言えば呪術。
その証である魔法陣がどうして彼女の体に刻まれているのか。
「どうしてこのような物が……」
カルネ自身が人付き合いに困るのは自業自得だ。
だが、それで困るのはせめて自分だけにしてほしいと思った。