第17話 乙女ゲームのBGMを提供します
退魔騎士学校 校舎内
「ふんふんふーん……」
学校の廊下を歩いて行く。
移動教室の為に、目的の部屋へ向かう途中だった。
珍しくその日のステラは、鼻歌を歌っていた。
滅多にない事だが、ステラでも鼻歌の一つや二つ歌いながら行動する事はあるのだ。
いつも己に厳しく行動しているわけではない。
良い事があれば気分も良くなるし、悪い事があればその逆にもなる。
一人の人間なのだから、気分が変わるのはおかしい事ではないだろう。
おかしい事でない。
……のだが
そんな風に気分が良くなっている時でも容赦なくトラブルという物は舞い込んでくるものだった。
通り過ぎる人間の一人が、ステラの鼻歌を聞きつけ注目しているとも気がつかずに、廊下を歩いて行く。
口ずさむ音楽。リズムに乗って、記憶の中に存在するメロディーを拾い上げ音にのせるそれは、自分が前世でやっていたゲーム『勇者に恋する乙女』のBGMだ。
そのゲームは乙女ゲームとして、恋し恋され恋愛を楽しむゲームなのだが、同時に繊細で素敵な曲が評価されている事で有名なゲームでもあった。
ゲームの特集ページでは、攻略対象の情報や、ルート紹介などとともに楽曲の紹介も載るくらい。
その当時有名だった有名ピアニストが楽曲を手掛けるということもあり、業界を飛び越えて話題になった事もあった。
ステラも、そのピアニストのファンでもあった理由から、数あるゲームの中から『勇者に恋する乙女』のゲームを手に取ったのだ。
そんな経緯で実際にやって聞いてみた曲だが、どれもとても素晴らしかった。
オープニングシーンで流れる「始まりの鐘」は、澄んだ空気の満ちる早朝を良く表していたし、自然と多くなる学校内シーンで流れる「学び舎」や「研鑽」などは文字の堅苦しいイメージとは裏腹に、情熱や熱意を表現するような聞きごたえのあるものだった。
その中でも特にステラが気に入ってるのは「夜空の調べ」だ。
どちらとも、ピアノのメロディーがすごく綺麗で、ゲームをクリアした後はしばらくメニュー画面に追加されたギャラリーの項目から、毎日のように曲を聞いていたのを覚えている。
「ふんふふふーん……」
ちなみに今歌っているのは、「夜空の調べ」だ。
暗くしっとりとした夜の旋律の中に、空に点在する星々を現すような軽やかな音が連なる。まるで、瞼の裏に星空が浮かぶような曲だ。
ゲームの事など、日常ではあまり思い出す事もないし、出す必要もなかったステラなのだが音楽だけは別だった。
そんな風に気分よく歩いていると、ステラの前に何者かが立った。この学校の男性生徒だ。
「あ、あの……っ」
真っ赤な顔になって何かを言いかけるのだが、どうにも声をかけたもののかける言葉をあまり考えていなかったようで、口を開閉したりしながら必死な表情を見せている。
そんな少年の手に持っていた紙束がバラバラとこぼれ落ちる。
視線を落とすとそれは楽譜のようだった。
「貴方、落ちたわよ」
ステラは声をかけるがその生徒は反応しない。
大丈夫だろうか、と思って近づくと、ステラの手を勢いよく握られる。
今まで微動だにしなかった男性生徒がこちらを見て、真剣な声音で声をかける。
周囲で歩いていた人間達が、ぎょっとした顔になってどよめいていたが、ステラにはよく分からない反応だった。
「すいません、貴方のその歌を僕にください」
放課後、人のいない空き教室を借りてステラは気弱そうな先輩と向き合う。
その人物の名前はタクト・ミュレル。同学年で別の教室の生徒だ。
栗色の髪に赤い瞳の少年で、気弱そうな表情がデフォルトの人物。
彼は先ほどの行動を思い返しながら、申し訳なさそうな顔でこう理由を説明してくれた。
「僕は音楽を趣味にしてるんですけど、最近曲の制作に行き詰まっていたんです……」
貴族出身で家のある彼は、楽器の演奏を趣味にしてたらしい。その腕は(本人は否定しているが)なかなかのものだとか。そんな彼は、最近行われるらしい学校のイベント……星見の集い(校舎の屋上で星を見るイベント)にて、演奏の依頼をされたという。
が、気が弱く場慣れしてない彼は、いきなりの人前で行う演奏について大いに戸惑った。そして、緊張に緊張が重なってしまって、メロディーが浮かばないというスランプになってしまったのだ。
「そう、それは大変ね」
命を賭けないそういう緊張はステラには分からない感覚なのだが、話の腰を折るのも何なので同意しておく。
ちなみに一応最初は年上だということもあり敬語で話していたのだが、本人の意向で今は普通に話している。
なんでも丁寧に話しかけられると緊張してしまうということで。
日常でさえそんな様子では、人前での演奏などかなり難しいだろう。
「そんな時にステラさんの曲を聞いて、いいなと思ったんです。このままでは一から曲を作っている時間がありません。だからどうかその曲を僕に譲っていただけませんか」
真剣な表情のタクトにステラはどうすべきか考えた後、頷いた。
「別に構わないわよ。なんだったら他の曲も教えてあげるわ」
これが前世生きていた世界だったら話は違うだろうが、生憎この世界には曲の事を知っている人間はステラ以外に存在しない。
全部教えろと言われてるわけでもないし、やむを得ない事情もあるみたいなので良しとする。
「あっ、ありがとうございますっ」
ばっ、っと音がしそうな動きでステラの腕を掴むタクト。
とても嬉しそうだ。
良かったわね、とステラはそう言いかけるが、何者かの気配が近づいてくるのを感じた。
その人物は横からステラの腕を掴むタクトの腕を、「がっ」と音でもしそうな勢いで掴んだ。
「何だよ。楽しそうな話、してみたいじゃん。俺もまぜてくれよ、な?」
ツェルトだ。
非常に楽しそうに笑顔を浮かべる彼。
だが、ステラに向かった内容にも関わらずツェルトの瞳は完全にタクトを向いている。
「人前でステラを口説いたんだってな、聞いたぜ? 俺お前とはすっごく仲良くなれそう。いいよな、な?」
「は、はひ。その方がよろしいのでは、ないかと」
そして何故かタクトもツェルトに向かって、こくこくと頷いている。
そんなこんなでその日から放課後の食堂で、タクトの音楽制作に付きあう事になったのだ。
放課後ステラ達は、いつも礼儀マナーの勉強でダンスなどを習っている小さいホールに集まっていた。
机の上に譜面やメモ帳をのせて、ペンを手にするタクト。
そして、壁にもたれながら耳を傾けているツェルト。
そんな二人の前でステラは、
「鼻歌を人に真剣に聞かれるのって恥ずかしいわね」
何とも言い表しようのない羞恥に身もだえていた。
音を譜面に残す技術のないステラが人にメロディーを伝えるためには、直接歌うしかない。
だが、大して上手くもない歌声でうろ覚えの曲を人に聞かれるのは、抵抗感があった。
これが歌を生業とする人間や、声に自身のある者ならまた違っただろうが、ステラは剣の腕を磨くことに傾倒してきた人間だ。
自分がとんでもなく間抜けな姿をさらしているのではないのか、不安になるのは当然の事だった。
うっすらと頬に赤みが差してきたステラを見て、ツェルトが声をかける。
「恥ずかしがらなくても大丈夫だって、全然変じゃないし」
「変じゃないの? それ本当?」
「恥ずかしがってるステラもいいから、意地悪したくなるけど本当だって」
本当に大丈夫、だろうか。
ツェルトの事だから公平な意見としては参考にならないだろうし、そもそも身内の評価だし……。
「ステラの声だったらなんでもいいよ、なぁ」
「え、いや僕に言われても…。僕は、ただ曲が作れれば他のことはどうでも……あ、いや感謝はしますけど」
「馬鹿お前、曲さえ作ればステラに用はないとか、タコ殴るぞ」
「ひっ、そんな事言ってませんよ……っ!」
本心がもれかけたタクトに、ツェルトが襟首掴んで抗議したりしているがステラの意識に彼らのやり取りは入ってこない。
考えるのは自分の声についてだ。
普通は録音して聞くなりすればいのだが、そんな技術はこの世界には存在しない。
通常なら自分で自分の声を客観的に判断するなど不可能なはずなのだが。
それでも一応ステラには一つ方法があるはずだった……。
ゲームの知識だ。
あのゲームは、セリフのある部分は全部声優のボイス付きだった。
だが客観的に判断しようにも、ゲームの中の悪役令嬢ステラの声の記憶はないのだ。
未だに思い出せないでいる。
ゲームの知識は何か関連性のある出来事が起きないと思いだせないようになっているが、自分の声など生まれてからずっと聞いているはずなのに、一体どういう事なのか全く思い出せないのだ。
仕方なしに言い合いを続けている二人の男性に向けて尋ねた。
「ねぇ、私の声ってどんな風に聞こえる? 主観は極力除いて、一般論として聞かせて」
二人は顔を見合わせて、考えこむ。
最初に話すのはタクトだ。
「まず、おかしいという事はないと思います。これは断言できます。自分のと比べてるからかもしれませんがよく響きますし、耳に入れて不快だと思う人はいないと思います」
次はツェルトだ。
「俺はずっとその声聞いてるからなぁ。でも可愛い声だと思うぜ。音楽とか詳しくないけど、それなりに良い声だと思う」
とりあえず、二人の意見を総括してみると、平均よりは上の評価らしい。
取り立てておかしなところはないようで、少し安心できた。
悪役の声だから、もうちょっとこうお高くとまっているような感じがしたらどうしようかと、気になったのだ。
「でも俺が一番いいと思うのは、ツェルト……って呼んでくれる時の声だな。二番目は貴方、だ」
「いつもいっつも困ったことばっかりしてるせいよ。ちゃんと聞こえるようにって、しっかり発声した影響とかかしらね」
しっかり怒ってますって表現しないと真面目に聞いてくれないんだから。
「うーん、そこはもうちょっと違う反応期待してたんだけどなぁ」
「とにかく、先を続けましょう。いつまでもお話してるわけにもいかないわ。中断してごめんなさい」
協力している身とはいえ、これ以上自分のせいで時間をとらせるのも悪いので、さっさと曲作りを再開することにする。
タクトが手元に楽譜やメモ帳などを用意するのを見て、ステラは歌い始めた。
「ふんふんふーん……」
しばらくはそうやって、ステラの鼻歌と筆記具が紙の上を走る音が響く。
時折ツェルトが奇行に走るが、おそらく構ってほしいだけなので無視だ。
覚えてる限りのフレーズを歌いきった後、タクトの様子を伺う。
「どうかしら?」
「ありがとうございます。素晴らしいです、これなら良い曲が作れそうですよ」
「そう、良かった」
力になれたようで何よりだ。
しかし何か気になる事があるのか、タクトはじっと譜面を見つめている。
数秒程そうした後、彼は意外なことを口にした。
「貴方が提供してくださったこの曲、歌ってみるというのはどうでしょう」
「それって、つまり歌詞をつけるという事?」
「はい、その……。これだけ良い音楽なのですから、僕が曲を作るだけではもったいないなと思いまして」
メモ張の一枚を見せる。そこには歌詞らしき文字列がびっしりと書かれていた。
信じられないことに、タクトは夜空の調べにこの短期間で歌詞を作ったらしいのだ。
ひょっとしたら彼は、作曲だけでなく作詞の才能もあるのかもしれない。
「嫌なら、良いんですけど。無理にはお願いしません」
「別に良いわよ」
ステラはその行動に彼の音楽への情熱を感じ取った。
そこまでやるなら応援してやりたいと、そう自然と思える。
許可を出すことくらい、喜んでやるつもりだ。
「本当ですか」
「でも、歌う人を探さないといけないわね。本番まで時間がないのに困らない?」
「それは……、ステラさんにお願いできたら、というつもりで言ったのですが」
「えっ、私?」
まさか自分に歌わせるつもりで話を進めていたのがと驚く。
ステラとしてはそんな気はないので、ちょっと困ってしまうのだが。
「私、人前でちゃんと歌を歌った事なんてないし、無理よ。だから他の人を当たってほしいのだけど」
「そうですか、ステラさんさえ良ければ僕は良かったんですけど」
残念そうにいうが、こればかりは困っているからといって譲歩することはできない。ステラのように中途半端な素人に歌われてはせっかくの曲がもったいないだろうし。
「代わりに私からも、心当たりのありそうな人物がいないか探してみるわね」
ステラにできるのは人を探すことぐらいだ。
(※4/24一部内容を修正しました)