第19話 もう一度前を向いて
……、私どうすればいいの?
「ツェルト……、わたし……」
悲嘆にくれている間にも状況は動いていた。
部屋の扉が開かれていて、いつのまにか入って来ていた大勢の騎士達にステラは囲まれていた。
レイダスはフェイスと戦闘をしている。
「もーっ! 大きな音がするから部屋に入ろうと思たっら取引だとか言ってレイダスに邪魔されるし、かと思えばいきなり自分から入っていくし、しかもフェイスいるし。ツヴァン先生がピンチだし。一体、何がどうなってるの! ……って、ステラちゃん?」
一番に駆け寄って来たニオが、急転する場に対しての感想を矢継ぎ早に言葉にしていたが、こちらを見て急に心配してきた。
顔をのぞき込まれて、びっくりされ、そして今までにないくらいオロオロされる。
「な、泣いてるの? どうしたの? えっと、どうしよう……」
ニオに言われて初めてステラは自分が泣いている事に気が付いた。
こんな大勢の前で、そう思うのに止められない。
「ニオ、先生が……私、どうしたらいいのか」
「お、落ち着いて。大丈夫だよ。えっとえっと……」
今までに見た事が無いくらい狼狽しているニオの代わりに、アリアが前に出て来て治癒魔法をかけ始める。
「呼吸が止まってます、心臓も。ごめんなさいニオさん、もうちょっと離れていてください」
しばらくそれを眺めてしまってから、ステラは首を振ってその治療行為を止める。
咎華の剣で傷をつけられた人間は、一撃でも死に至ってしまう。だから無駄なのだ。
その傷は、そういう剣でつけられたものだ。
アリアは説明を聞いて、信じられないと言った表情を見せる。当然の反応だろう。しかしそれでも彼女の、立ち直りは早かった。一つの隊の隊長を任されるだけはある。
「そんな……、でも確かに魔法が効果を発揮している様には見えません。呼吸も戻らないし、心臓も。傷も普通の人より塞がりにくいです。以前見た事のある血染めの剣が存在するなら、そのような効果の剣もありえるはず……」
ステラはどうするべきなのだろうか。
何かすべきだと、そうは思っていても気力が湧いてこない。
「アリアちゃん、今度はニオに。剣の効果だって言うなら……」
今度はニオが前に出て、ツヴァンの腹の傷口に手を当てて、魔法解除の魔法を発動する。
「だめ、効かない。死に至った時点で力が途切れてる……」
が、いずれにしても死者を呼び戻す事などできなかった。
動かない亡骸を前に、沈黙が一瞬満ちるが、そこで声を上げる者がいた。
「いや、蘇生させる方法が必ずあるはずだ。ツヴァン教師はステラにこの剣を向けるつもりだった、当人の話が本当なら、何か方法があるはずなのだ」
リートだ。
神妙な顔つきで、ツヴァンの装備品を漁り始めるリート。しかしニオはフェイスの方もちゃんと気にしていた。
「けど、レイダスの方も何とかしないと……。ここでフェイスを好きにさせたら、また厄介な事になっちゃ……って、あれ……」
対策を考えようとしていたらしいニオだが、その言葉が途中で止まり、近くをうろついていた生物に気が付いた。
それは鳩だ。
どこにでもいる様な鳩で、変わったところなどは見られない、ごく普通の生物だったのだが、何故かその鳩は近くに落ちていた咎華の剣に近づいていき、胴体に紐を巻き付けられ、ぶら下げられている網の袋にそれを、くちばしでつついて回収しようとしていた。
「へ、え……?」
殺伐とした状況の中に存在するあり得ない光景。
「えっと、あの鳩さんだよね……」
間抜けな声を漏らすニオの目の前で鳩は一度羽を見せる様にばたつかせ、その場を舞い上がって屋根上に上がって行ってしまう。思わず見送ってしまった一瞬後、姿が光に包まれた、その場に現れたのはライドの姿だった。
「え、え……あぁーっ。嘘でしょーっ!」
「驚いた? ニオちゃん。これ俺の特技なの」
「ひょっとしてフェイスが現れたのも、空から見てたのっ!?」
自慢げに話すライドは屋根上で楽しそうな様子で腕を広げて、舞台上の役者がするように一礼して見せた。
その下にいるニオは、一度だけ、悔しそうに床を足で叩いて睨みつける。
「そんなのずるい! ニオの友達の皮を被るなんて、しかも動物なのに! 人以外でもできたの!?」
「そうそう。ってありゃりゃ……俺の能力については、もう事情聞いちゃってんのね。それより、俺なんかに構ってる暇あるの? これから町が大変な事になるってのにさ」
何が、と尋ねる間もなく異変が起こる。
また後手だ。
ステラ達は仕掛けられてしまったらしい。敵に先手をとられた。
あちこちから破砕音やら爆発音やらが聞こえて来て、町中で騒動の音が響いている。明らかに何か尋常ではない事が起こっている様子だった。
「で、どうするニオちゃん」
悔し気な表情をしていたニオは、けれど瞬時に思考を切り替えて見せた。
その場に集まった者達に、的確に指示を出していく。
「フェイスはレイダスに任せる。エルランド様はユリシアをつれて王宮へ避難して下さい。皆は町に行って騒動の対処。ヨシュア君、精霊達と協力よろしくね。アリアちゃんはできたら、負傷者の手当てに連れていきたいところだけど……」
ニオの言葉を引き取る様にエルランドが強く頷き、発言。
「それなら、リートが私の護衛に付くので問題ない」
それからも打ち合わせが行われて迅速に各々が行動していくのだが、人の気配が離れていくのを感じていてもステラは動けない。
「ステラちゃん。しっかりして、ツェルト君を助けるんでしょ! 元気出さなきゃ! 悲しいかも知れないけど、ここで頑張らなきゃきっと後悔しちゃうよ」
皆を導く役を担っているはずなのに、ここに未だに残っているニオ。
彼女が言葉を掛けてくれるのは分かっていても、ステラはいつもの様に立ち上がる事が出来なかった。
取り返しがつかない失敗。
もう二度と、取り戻せなくなってしまったもの。
それらはこんなにも、人を打ちのめすものなのか。
こんなの、乗り越える事なんてできない。
乗り越えて、前を向くなんて……。
「ステラ! 何をやっているのですか、挫けていないで立ちなさい」
けれど、そんな状態のステラの耳を打つ声があった。
なつかしい声だった。もうしばらく聞いていない。
重たく頭に伸し掛かっていた思考を瞬時にかき消すような、凛とした力強い声の持ち主を見る。
カルネに似たような言い方であるけれど、友人である彼女の姿はそこにはなくて……。
「私達の娘はそれくらいで躓くような人間ではないでしょう? 貴方は立ち上がる事の出来ない人間でないわ。そうでしょう、ステラ!」
「お、かあ……さま……!」
どうしてここに、と思う。
いるはずのない人間がいるのだろうか。
そう思っていればステラの母親はこちらへと近づいて、ニオに己の役目を果たす様に促した。
友人が去って行った後には、その場に残されたクレシアはステラの手を取って握ってきた。
そしてもう一つの手で治癒魔法をツヴァンにかける。
血色は戻らないし、呼吸も戻らない。けれどアリアでも出来なかった傷の回復が進んで行く。
アリアより魔法の力が強いという事ではないのだろう、おそらく経験の差だ。
そこにどんな風に力を生かせばいいのか、それが分かっているからできる事なのだ。
「ステラ、ここで立ち止まるのは間違いよ。私の娘なら、やるべき事ぐらいわかるでしょう? 貴方の腕はもう駄目? 足は、目は、頭は、心は? 駄目だと思ったら、本当に駄目になってしまうのよ。一番大事な人を、その人といる未来を助けてあげなければ駄目ではないの」
叱るような、励ますような、そんな厳しい言葉を掛けてもらった事は今まで一度もなかった。
それなのに、母はどうして今になってそんな言葉をかけるのだろう。
疑問に思っていると、母から二人分の意思を手渡される。それは数時間前にリートに手渡された物と同じ形状の石、最後の二つだ。
「ある人に言われて私達は気が付いたのよ、大人がまず一番最初に子供にやるべき事は、叱る事なのだと。恐れずに叱って、間違いを正して、堂々とした態度で子供を導かなければならなかったのに、私達は我が身可愛さに嫌われる事を恐れてしまっていた。本当にごめんなさい、ステラ……」
「そんな、私は……」
言葉を失くしているステラに、母クレシア・ウティレシアは沈痛な面持ちになるが、しかしステラの手を握る己の手に力を込めて、今まで見た事が無いくらい厳しい表情と作った。
「だから、立ちなさい。立って、出来る事を。後悔しないようにやりなさい。そこで挫けるのは間違いよ、ステラ。できるでしょう。やりなさい。ステラ・ウティレシアは、私たちの娘なのだから。そして、頑張った後はちゃんと休みなさい、絶対に。親に心配をかけてはいけません」
叱られる事は駄目な事だと思っていた。
ずっと、良くない事だと。
きっとその通りだと思うし、意見は変わったりはしないだろうけれど、でもそれだけではないのと、その瞬間ステラは気が付いた。
なぜなら、かけられる言葉はどれも厳しくはあるものの、心に染み入る温かさを秘めていて、同時にこちらを包んでくれるような優しさがたくさん含めれていたから。
「ありがとうございます、お母様。そしてここにはいないお父様も」
一度、胸元を掴んで心臓が鼓動を刻むの音を聞き、気合を入れる。
大丈夫、まだ立てる。生きているから。
悲しいし、辛いけど。私には助けなければならない人がいるのだ。
へこたれて何ていられないのだ。前を向かなくては。
ツェルトと一緒にいる未来を諦めたくない。
また、彼と一緒に行きたいから。
そう思い、立ち上がろうとして、ステラは気が付いた。
ツヴァンが装備の件は三つあるのに、ツヴァンはずっと二つの剣しか使っていなかった。
残りの一つの剣は一体何のために持ってきたのだろうかと。
途中までリートが装備品の事を気にしていたようだけれど……。
「お母様、少しごめんなさい」
集中力を乱すのを承知で近づき、それを鞘から抜き出してみると、それは赤と白の色合いの武器で、咎華とよく似た形をした剣だった。
「先生は絶対途中まで私を殺すつもりで戦ってたわ」
最期こそ、自分で死んでしまったものの、ぶつけられた殺気は紛れもなく本物だった。正真正銘ステラを殺そうというそう言う目だった、そのはずなのだ。
リートもそうだと言っていたからそれは間違いではない。
「死んででも救う。なんて先生には似合わない言葉よね……」
意外に意地が悪くて、予想以上に駄目人間であるのが分かったのは最近の事だが。そもそもヤンデレなんて属性は、今まで片鱗すら見た事が無いのに。
常識的には考えられない『ステラが死んだ事がある』と言う話を、ツヴァンは信じているようだった。ならその元となる事をツヴァンは経験しているか知っているはず。
「あらあら、どんな立派な教師さんかと思えば、世話が焼ける大人みたいね。やっぱりツェルト君以外に娘は渡せないわ。明ける空の担い手だと言うのなら、治癒魔法をつぎ込んで、彼の力を引き出せは蘇生は可能かしら……、久しぶりに行うけれど勘が鈍ってないといいわ」
何やら母親であるクレシアがステラが聞いた事もない様な言葉を呟いて気になる事を言っているが、とにかく後だ。
「咎華とよく似た剣、それにもし意味があるのなら……もしかすると、お母様、少し下がっていてください」
きっとよく似た効果か、同じようで違う……反対の効果があるはずだ。
賭けの要素が大きいかも知れないが、ここでいつまでも治癒魔法を行使し続けているわけにはいかない。町では何かが起こっているらしいし、きっと母の力も必要なはずなのだから。
「ツェルトを助けなきゃいけないのに、こんな所で足をひっぱらないで。それに……まだ貴方は先生だって言って認めさせてないのに、死んだら許さない……」
ステラは名前も分からぬ剣をその手に握りしめた。