第17話 待ち望んだはずの場で
隠れ家 資材置き場
……やっぱりさっきのユリシア達の話で、こっちの方の問題はうやむやにできる様な話じゃなかったのね。
ステラとツヴァイは、ユリシアやエルランド達の話が終わった後、隠れ家の奥……元は資材置き場だったらしい広い空間に移動していた。
手を加えたと言っても限度があったのだろう、内部は柱がむき出しになっていて武骨な印象を受ける。
仲間達にはとりあえず剣の稽古だと伝えておいたが、決闘だと言ったツヴァンは本気で戦う様子だった。
立会人や見物人の姿は当然ない。ツヴァンが鬼の様な形相を見せて、面倒臭そうと言うより邪魔臭そうに片っ端から断ったからだ。
殺気の様な物を滲ませて立つ元教師を前に、ステラは装備や状況を確かめている。
地面がない事や、ステラの体質ゆえ互いに魔法は扱えない。
そして屋内という事もあり、こちらは勇者の剣を使えない。
準備期間もなかった事から小細工を仕組む余裕は互いになかった。
戦いの勝者は純粋に剣の腕で決まりそうだ。
だが……。
「本当にやるんですか?」
「たりめぇだろ、これを過ぎたらまとまった時間がとれなくなっちまうじゃねぇか」
気乗りしなかった。
確かに決闘はステラも望んでいた事だが、こんな事になるとは思っていなかったのに。
ステラはただ、自分達が成長したという事を見せて、駄目な所もあったがツヴァンはちゃんと教師だったと言いたかっただけなのだ。
こんな方法でなくともいいだろう。
なぜ戦わなければならないのだろう、とさえ思っている。
「戦って俺はお前の人生を否定する、間違いだって言ってやる。そんで救ってやるよ、おかしな人生からお前をな」
「否定って……私は人からけなされる様な人生を歩んできたつもりはないわ」
「ああ、ご立派だな、崇めたくなるくらいによ。でも間違ってんだよ」
「わけが分からないわよ。だいたい、こんな事して私が勝っても意味ないんじゃありませんか」
支離滅裂の暴論、と言ってもいい相手の言葉。
ステラは思わず敬語を忘れて素の物言いで言葉を返してしまう。
そう、こんなものは本末転倒だ。
自分の願いを相手に強いる為に戦うなどは、本来考えていた決闘の形とは遠すぎる。
ステラは勝ち負けを決めるとか願いを叶えるとかそんな事よりも、自分の伝えたい事を伝えて理解して欲しかったというのに。
「先生が勝っても、私……大人しく自分の生き方を変えるつもりはありません」
「お前、何か勘違いしてねぇか。勝って負けてそれで俺が終わらすわけねぇだろ」
「え?」
「俺は取り返しのつかない失敗をお前に経験させてぇんだ、そんな俺がする事なんて決まってんだろ」
……失敗させたいだなんて、そんな事聞いていない。
「お前に足りないもんは失敗だ。なんせお前は未来が分かるし、人の痛みが分かっちまう。だから、致命的な失敗をしないように、そんなになってまで頑張って来たんだからな。足りてねぇんだよ、その失敗の経験が。普通の人間として生きてく為には……」
「普通の人間って、先生が何を言ってるのか分かりません。でも、それで私に決闘を挑んで勝とうと……」
「ああ、勝つってぇより、負けさせんのが大事だがな」
「取り返しのつかないって一体何をする気なんですか」
ツヴァンは、身に着けた三つの装備品の内一つの武器を抜いてこちらに見せる。
咎華の剣。
卒業試験の時も、使用した剣だ。
傷一つでも相手に着ければ、それが致命傷となる剣。
そんな危険な物を今この瞬間に、持ちだすという事はまさか……。
「負かして、殺すんだよ。そんで分からせる」
「――っ! 本気なんですか?」
ありえないと思った。
「冗談でこんな事言うかよ」
「……」
だが、返って来たのはそんな平然とした答えだ。
本気だ。ツヴァンは本気でステラを殺してやろうと思ている。目がそう言っている。
見た事が無い。
フェイスでもそんな目をしていなかった。
憎くて憎くて仕方がないと言った、ひたすら暗い憎悪を宿した人間の瞳など、殺意など。
その目は一体誰を見ているのだろう。
まさか本当にステラを見ているとでも言うのか。
肌が泡立つような、すっと全身から血の気が引いていくような感覚。
知らずにステラは己の腕を抱いていた。
「そんなの……本当に無茶苦茶よ」
「よく言うだろ、殺してでもって。あれと同じだと思っときゃいい」
一瞬で膨れ上がった負の感情に浸されたステラは呼吸を忘れそうになる。
ついさっきまでこちらの身を心配していた人間がどうしてそうなるのか分からない。
どうしてこちらを殺そうとなんてするのか。
見知った誰かからもう一度、殺されそうになる状況になるなんて……。
「俺は狂ってるんだと、そう思やぁいい。殺してでも救うんだとお前もそう思ってればいい。本気の剣で俺を殺してくれりゃあ、そんだけの価値が俺にあったんだって、教師やってたんだって認めてやるよ。死ぬ前にな」
「嫌です、そんなやり方。こんな事しなくたって、解決する方法ならいくらでも他にあるじゃないですか。それに……」
「んな悠長な事やってたら、お前が死んじまうだろうが」
向かい合うツヴァンが表情を歪めて吐き捨てる。
呻く様に、苦しみの感情を表情に刻みながら。
それは傷跡から血を流すような言葉だった。
傷つきながらも、傷つく事を厭わずにもがき続けているような、そんな人間の言葉。
痛々しいと思った。
ステラの態度を拒絶する様に、ツヴァンは剣を構える。
駄目だ。
止められない。
ツヴァンは本気で、戦うつもりだ。
「やるぞ。俺は、元王宮騎士隊所属兼、明ける空の担い手兼、半端者のツヴァン・カルマエディ。お前の覚悟を見せてもらう」
本気の剣が襲い掛かって来る。
『ツヴァン』
それはツヴァンが王宮をウロウロしていた時の事だ。
動物捕縛の任務で王都を奔走しているステラの姿を眺めた時、その際に感じた違和感を探る為に、ステラの周囲の人間と話して、一つの可能性に思い至り本格的に調べ始めていた時の事。
「よろしいでしょうか、貴方にお願いしたい事があるのですが」
話しかけてくる者がいた。
前線に出れないかも知れない自分の代わりに、助けてやって欲しいと、そう言いながら。
そのカルネ・コルレイトとか言ったステラの友人が、神妙な顔でツヴァンにとんでもない事を打ち明けてきたのだった。
「十士の中にフェイスの問題を解決する為、強硬策を唱える者がいるのですが、その者達がステラが彼と繋がっている事を理由にして、危険な行動に出ようとする可能性があるのです」
何だそれ、と思った。
「あいつは勇者で、国の救世主だろうが」と、「そんな事しなくて良い様にその犯罪者を探して動いてるのが今だろうが」と、そう口にした。
だが、カルネと名乗ったステラの友人は表情を変えることなく続ける。
「ステラはああいう性格をしているので、彼女が輝けばそれだけ悪辣な企みが暴かれた事になります。恨みを抱いている者も、少なくはないので……」
特に、ラシャガル・イーストとかいう元十士の息子、コモン・イーストらとその取り巻きが、怪しい行動をとっているのだと、そう述べてくる。
「仲間に紛れてこの期に行動しなければ良いのですが……、ステラは味方にあまり危機感を働かせないので、心配なのです」
普段ならばリート……病院で会った黒髪の女が露払いに奔走するらしいが、王宮の相次ぐごたごたに奔走して手が回らないらしい。
カルネと言う女は、ツヴァンをステラの周囲で信用できる大人だと判断し、頼ろうと考えたと言って来た。
もっと他にいるだろ、と思った。立派な人間ならごまんといるはずだ。なぜ自分なのか。
「学生時代、あの頃楽しそうにしていたステラの事を、ツェルトの次に一番よく見て理解しているだろう人間だからですよ。私の観察眼は正確です」
……冗談よせ。
だが……。
想い人が敵になって剣を向けて来て、そいつが性悪な事ばっかしてる奴で、なおかつステラ本人は精神的に子供で弱い。
……死ぬのかよ、お前。
そう思わずには言われない状況だった。
学生だった時からずっと死にそうだったのに、騎士になっても死にそうで、今もまただ。
手にした幸せはちゃんと機能してるのか、それはちゃんとステラを守ってるのか。そう言いたくなる。
リーゼに似て、けれどりーぜより完璧に全てを助けられると思っていた。
アイツの理想を体現したようなそんな人間だと思ってたのに、結局アイツと同じように死ぬのか。
ここで何もしなかったら後悔するのは分かり切った事だった。
「ぜりゃあぁぁぁっ」
咎華と、そして普通の剣、二つを手にして、ツヴァンは姿勢を低く保ったままステラに突進する。
血染めの剣はまだ使わない。
流派も何もない攻撃、地を這うように移動し続け、足元から救い上げる様に繰り出すこちらの攻撃に、ステラは反応良く回避を選択し続けていく。
「ウティレシアお前、これからもそうやっていけると思うなよ」
「え……?」
「起こる災難から全部すくいとろうとするお前の行動についてだ、関わる人間を全員助けようとすんな」
相手は回避。回避。回避だ。
反撃してこようとしない。
それなら……。
「ぅ、らあぁぁぁっっ!」
「……っ」
距離を詰めて、読んだ回避先に、剣を叩き込んで行く。
危機感を煽る。
余裕を気取っていると死ぬぞ、と。そう伝える。
「こんな事になる前に、誰でもいいからこの馬鹿を叱ってやれよ。馬鹿共ばっかだ俺の周りはっ! 心配するより他にやる事あんだろうが、誉めるよりも先に言う事があんだろ!」
反撃しろ。
俺を殺してみせろ。
余裕を崩す、退路を塞ぐ、思考させない。
追い詰めて、追い詰めて、そしてひたすら追い詰めていけ。
「お前も、あいつも……何で自分の身を第一に考えて行動しねぇんだよ。おおよそ守れそうにねぇもんばっか、守ろうとしやがって。自分の命と他人の命を同じように扱ってんじゃねぇよ。おかしいだろ」
ステラが口を開く。
「……同じように……扱って何が悪いんですか、大事にして何が悪いんですか」
反撃が来た。
一撃、二撃、交わして、三激目でさすがに距離をとった。
……そうだやればできんじゃねぇか。
「我がままに生きろよ。テメェを一番に考えて自分勝手にやって生きろ。お前は一度それができたから、ライダーの奴を殺せなかったんだろ……」
「関係ねぇ人間がいくら死んだところで、気にすんな。馬鹿みたいにテメェの身を危険に曝してまで助けんじゃねぇ」
「そもそもそんな弱い精神してるくせに剣なんて握ってんじゃねぇよ。貴族のお嬢様らしく大人しくすっこんでられなかったのかよ、このじゃじゃ馬娘が」
挑発する様に、こちらの激高を誘うように、続けられる言葉にステラは攻撃を続けてくる。自制が効かなくなっているようだ。
悪い事ではない。
フェイスだ何だか知らないが、この際利用してやればいい。
本音を引き出すために。子供の時からずっと押し込めてきただろうステラの思いを引き出すためにも。
「隠れる事の何が嫌なんだよ、逃げる事のない何が駄目なんだ。弱ぇくせに前に出てくんな! 馬鹿みたいに変な人生歩いてきやがって」
ステラは矢継ぎ早に繰り出される攻撃の嵐を前進してきた。回避を捨てて、防御も考えずに闇雲に向かってくる。傷だらけになって、血が流れるのも構わずに。そんな事よりも大事な物があるのだと、想いを瞳の中で燃やしながら。
「貴方に何が分かるのよ……」
「はっ、やりやがった」
そして、状況に変化が生じる。
今までと比べ物にならない一撃が降りぬかれた後、ツヴァンはそれを見た。
ステラの手には、今まで振っていた普通の剣の代わりに勇者の剣がある。
隠れなければならない事情やら何やらかが頭から吹っ飛んでいるらしい。
だが、構わない。以前はそれ事倒すつもりでいたのだから、ツヴァンのやる事は変わらない。
「私の生き方を、人生を否定しないで! 貴方に何が分かるの!」
触れたら死ぬような一撃がバカスカやって来て、阿保かと言いたくなる。
壊れた壁や天井が吹き飛ぶは落ちてくるわでやりにくい。
最低限の理性が働いているおかげで、隠れ家を突き破るなんてことはなさそうだが、それでも一気に難易度が上がった。
「私だって、最初から皆助けてあげようなんてそんな事考えてなかった。自分の身を守れて、ついでに大切な人達を守れていればそれで良かったのよ。でも、そうはならなかった。そうさせてもらえなかった。人は死んだら生き返らないのよ。これからももっと生きたかったって思いながら、やりたい事だってたくさんあったって思いながら、死にたくないって絶望しながら、そんな風に死んでいく人の気持ちが分かるんだから、分かってしまうから、目の前にいたなら助けないわけにはいかないじゃない!」
吠える様に、叫ぶように、今まで誰にもぶちまけた事のない、心の底にある感情を剣と共に叩きつけられる。
「剣を持つ時だって怖かった、戦いたくないって思ったわ。本音ではずっと隠れて安全な所で守られていたいってそう思ってた、でも、そんな事許してもらえなかった。未来で貴方は死にます、何て言われたら死ぬ気で頑張るしかないじゃない、死ぬ気でそんな運命に抗うしかないじゃない。生きたかったら前に進むしかないじゃない!!」
剣を振りながら、涙も流さずに泣きながら、声を上げるその姿はまるで迷子の幼子だ。
「今更、それを抉ると言うのなら。どうしてもっと早く何とかしてくれなかったの? どうしてあの頃の私を誰かが助けてくれなかったの? 頑張らなくて良いって言って、肩を抱いて、慰めて、守ってくれなかったの? 世界も、皆も、全然優しくなかったじゃない! 皆が私をこうしたんじゃない、凄いって誉めて、尊敬してくれて、友達になってくれて、強いからって憧れてくれて、それなのに……嫌い、大っ嫌い!」
攻撃の手はいつからかやんでいた。
滅茶苦茶になった室内の中、向かい合うツヴァンとステラは動かずに、埃だけが静かに舞っている。
「進んで、守って、頑張って……でも、休んだら、後ろを向いたらすぐに足元をすくわれてしまう。不幸になる、運命に殺されそうになるのよ。だったらもう、何が何でも前を向いてそのまま進み続けるしか……ないじゃない」
泣きたいのに、泣かないステラは、膝を屈する事もなく、そのままただそこに佇んでいる。
衝撃を受けていないわけはないだろう。
運命に振り回されて、やっとの事で向き合えたと思ったら、そこをツヴァンがまた突き落としたのだ。
冷静に顧みなくてもかなりひどい事をしている。
「悪かったな」
「え……?」
「ガキが間違ってたら、そいつを叱るのは大人の役目だ。その辺お前は複雑な家庭環境だったから疎かになっちまったんだろうな。お前の周りには、そいつが間違ってると叱ってやれる奴がいなかった。だから、お前をこうやって追い詰めるのは、酷な事なのかもしれねぇ」
「……」
救いを求める様な視線が返って来るが、それには答えてやれない。
ツェルトがいなくなったけど、元気で頑張っている……なんて嘘っぱちだ。
あるいは、本当に前を向くという資質がステラに備わっていて、本来の行動通りの事をしているなんて事も、考えられなくはなかったが。それを証明する事は今はできない。……そうだと良いと、願いたくはあるが。
「お前は一度殺されたな、そんで自分が殺されるかもしれない事を知っていた。そうだろ。これは聞いたんじゃねぇよ。俺が見たんだ。便利な道具を使ってな」
軽く、ツヴァンがここにない装備品、悲嘆の件について話す。
相手の未来を知る事ができる以外大した使い道のない剣、そんな物がなければこんな事にもなってなかっただろうに。
「お前は、本当は、王都の騎士学校でアリアとかいう女生徒達に殺されるはずだった。それをお前はきっとガキの頃から知ってたんだろ」
「……っ」
ステラの反応は分かりやすい。
隠し事などあまりした事が無いのだろう。
馬鹿みたいに真っすぐ生きて来たのだから。
「そりゃ、こじれるのも当然だわな。おまけに死んでどうにかして生き返ったのか、死んだと同じくらいの目にあったかって話だし」
シーラとかいう子供には人は死んで生き返らないとそう言ったし、正直未だに信じ切れていないのだが、百パーセントありえない事はないと思っている。そうだと考えればステラの今の状態は自然なのだから。
死にそうな目に遭った人間だとしか、身近な人間をなくした人間だとしか、今のステラの行動は考えられなかった。
「お前は前を向いてるんじゃなくて、強制的に向かざるを得ない状況にいただけだ。それでもお前が元々前を向ける人間なんだってんなら負けてから証明しやがれ。それが自分だったんだと俺に見せろよ。だからいい加減失敗しろよ、狂剣士」
一息。
いい具合に体から力が抜けたのを見計らってツヴァンは突撃する。
虚を突かれたステラは一手も、二手も行動が遅れる。
息もつけない攻防、繰り出される攻撃に反応できす、ステラは振りまわされるばかり。
加えて、そっちが勇者の剣を使うならと、ツヴァンが今まで磨いてきた大技を連発して畳みかける。
気を押し出す要領で、剣を薙げば暴風が湧き起こり深い斬撃を生み出していく。
「おい、ライダー! 一応華ぁ持たせてやる、聞こえてっかよ。お前の惚れた女が、泣きもせずに泣き喚いてんぞ。手ぇ貸せよ。好きなんだろ!? 救ってやりてぇだろ!? 俺とこいつ、テメェの意見はどっちだ!!」
「ぁ……」
ステラの動きが一瞬止まる。
投げた賽の目が出たようだ。
躊躇わない。ツヴァンは正真正銘相手を全力で殺しにかかった。
「いい加減負けて、失敗しやがれ。勇者でも英雄でも、騎士でも、何物でもないただのステラに戻っとけ。歩くんならそっからだ」