第14話 手は二つあるから
『ニオ』
「よーし!」
気合の掛け声とともに、ニオが行動を始めたのは、朝と昼の間だ。
賑やかしい朝食が終わって、これからの活動方針を話し合った後の事。
ニオは適当な用事を仲間に伝えて変装、隠れ家の外に出ていった。
手にしているのは、ライドからの手紙と地図。
一体どこからと思ったが、思い当たる節はあった。
ここに来る前に、アクリの町で通行人とぶつかった事があったのだ。おそらく手紙はその時に、まぎれこまされたものなのだろう。
こういう呼び出しの手紙にはあまり良い思い出は無いのだが、無視するわけにはいかない。
「仕方なし!」と気持ちを切りかえて書かれている場所へと向かい、しばらく待つ。
待ち時間を暇しててしばらくすれば、想像通りの人物がその場に姿を現した。
「よ、ニオちゃん、久しぶり」
ライド・クリックスターツ。
同じ学び舎に通っていた学生。よくケンカをしていた友達。
そして立場を異にする敵同士だ。
久しぶりに会った友人を前に緊張するのだが、ライドは本題に入りたいニオをのらりくらりと躱していく。
彼は「まずはゆっくり散歩でも」と呑気にのたまってきた。正直、そんな用件は拒否したかったのだが、下手に機嫌をそこねて会話ができなくなるのが怖かった。
渋々承諾し、ライド共ににゆっくりと町を歩く。
見かけ上だけのんびりした時間が過ぎていった。
「ニオちゃんとこうして並んで町を歩くのなんて久しぶりだな。いつ以来だっけか」
「罰ゲームでステラちゃん達を尾行してた時」
「あー、そうだったね。というかニオちゃん元気がないじゃないの。どうしたの」
「ほっといて」
それは隣にいるライドのせいだ。
ただ思い出に花を咲かせたいがためにニオを呼び出したわけではあるまい。
何がしたいのか何がしたかったのか。
分からないままで焦らされると、ニオの機嫌は非常に悪くなるばかりなのだが、そんな事は三年間同じ学び舎に通っていたライドも分かっているはずだ。
きっと分かってて、あえてやっているのだろう。そうやって自分のペースで物事を進めたがる性格だと分かっていたから、ニオは他のどの人間と接する時よりも、ライドに接する時は我がままで通してきた。
町を歩いている途中、見慣れた鳥がニオの方に寄ってきた。
親しげな様子で肩に止まるのは鳩だ。
「ニオちゃん、何その絵本のお姫様みたいな特技」
「特技なんかじゃないよ、仲良くなっただけ。この子は怪我してたのを拾って治してあげた事があるから。この町に来ると、こうやってニオの所に遊びに来るんだよ」
「ほー、猫っぽいのに鳥に好かれてんのね、どれ」
「やだ、触んないで」
「鳥なのに!?」
仲良しの鳩に馴れ馴れしく触って来るライドをあしらったり、あしらいきれなかったりしていると、ふと足が止まる場所があった。
そこは小さな店だ。
もしかしてただの散歩ではなく、目的地があったのだろうか。
その店は、全体的に古びている建物で、殴り書きの文字の看板を掲げた、荒々しい雰囲気を醸し出す……料理店の様だった。
「こんなとこ、あるんだ」
隠れ住んでいた時に、一通りアクリの町は見て周って来たつもりだったが、こんな店があったなどとは知らなかった。ここに来るまでの道自体もかなり入り組んでいて、分かりにくかったせいもあるだろう。
「ここの主人が死んでから店がいったん休業になったらしんだけどな、また再開したらしいんだよ。ここで出される料理は美味しいのよ。メニューはあんまりない代わりに、一つの品にかける気合が尋常じゃ無くてな」
「それがどうかしたの?」
まさか本当にニオとただ楽しむために誘ったのか。そうだったらどれほどいいかと思うが。
「俺、実はここの二代目マスターと知り合いなのよ。けど、いまこの店に入って顔を見せても店長はこういうだろうな「お前は誰だ」って」
ライドの表情を窺うが学生だった時と何も変わらなくて、内心が読めない。
声の調子もそのままで、気を抜けば敵対している事など忘れそうだった。
「俺はメニューも味も常連の顔だって知ってるのに、入ったら店長ともそのお客にも、知らない子扱いされるわけ。これって結構悲しいよな」
「なにそれ、イジメられてるの……?」
そうとしか思えないと、ニオがそう言葉をこぼすと、率直過ぎた物言いらしくライドに苦笑された。
何かあってそういう仲違いみたいな状況になってしまったのかとそう思ったのだが、首を振って否定され、続きを語られる。
「いいや、違うよニオちゃん。正解は俺がここではないどこか……こことは違うもしもの世界にある、そっちの店の客だからだ」
「もしもの世界って…………」
「まあ、すぐには信じられないだろうな。分かってる分かってる。だから力抜いて戯言だって思って聞いてくれていい。……おっとごめんな、入ろうか。はいはい、ご来店様なの俺達。大人二名よろしく」
促されて店の中へ。ちょうど近くにいた店員に声を掛ければ、ライドは慣れた足取りで店の中を進んで行く。
その後を追いかけて、店へ。
適当な位置のテーブルの前まで来て、ニオに着席を勧めるライド。
一秒だけ考えて大人しく座ると、ライドが対面に腰かけ、続きが始まった。
もしもの世界。
その、ここではない世界では、この店の一代目、最初店の主人は死んでいないとライドは言う。ステラ達が助けて、いずれ二代目となるらしい人と一緒に店を盛り立てているらしいのだと。王都に住んでるライドや彼女らはたまにこの町に遊びに来ては、この店に寄って食事の世話になっていたらしい。
突拍子もない事だが、余計な口は挟まない。
無言で耳を傾けるこちらに淀みなく語られる話は、嘘やごまかしが通用するような類いのものではなかった。
たまにライドの性格からか、語られる話が時々脱線して、店の鳩時計が壊れたとかいう事や、皿を新調した際の事やどうでもいい事まで語られていったが、それでも店から出された美味しい料理を食べ終わるくらいには大体の話は聞く事ができきた。
もしもの世界で生きていたライドは、ステラ達と知り合ったり王宮にいる者達と知り合ったりしてその世界での日々を過ごしていた。
グレイアンのクーデターが成功し、エルランドが王座を取り戻すところやフェイスが怪しい動きをしているところは大体こちらと同じ歴史だと言う。
だがライド達は、ある日彼女達と共にアクリの町に来た時に、何が起きたのか分からないがこちらの世界へ来てしまったと言う。
「俺は数年前に来た。ユリシアは最近よりちょっと前、そんでシーラちゃんはごく最近だな。それぞれ期間にズレみたいなものがあるらしいのよ。始まりは同じでも、落下地点が違たって言えばいいのか。お互いこっちの世界にはバラバラな時期に、バラバラな場所に来た。まあ、そのおかげであの子は剣士ちゃんに保護されたみたいで良かったけど」
そんなとんでもない内容の話を、ライドは常と変わらぬ態度で述べるものだから、それらを全部まとめて否定したくなる。
だが、そんな事をしてしまえば、もう二度とライドが話を聞いてくれなくなる可能性があったし、そう思うと容易に軽はずみな発言をする事はできなかった。
ニオは一度拒絶されているのだ、ここで下手な事は言えない。
例え嘘でも、信じる気持ちで話を聞かねば、その態度をきっとライドは見ているのだから……。
「だから、そういう理由ならシーラちゃんの家がないのも納得できるよな。だって、シーラちゃんの本当の両親……この世界のツヴァン・カルマエディとリーゼ・フィゼットはくっつかずにいて、家だって買わなかったんだし。だから家は人が住まないまま王都の高台で放置されていた、ってわけ」
「ふぇ……? 何でそこで、ツヴァン先生の名前が出てくるの?」
しかし、信じようにも限度がある。
意外なとこから来た、意外な人間の恋バナ(?)を聞かされてニオは混乱してしまった。
「何でって言われても、それは、そのまま事実だからなの。あ、シーラちゃんの生まれてからのご両親さんはちゃんと剣士ちゃんとツェルトだ。あの家で暮らしてたんだよ二人は。ツヴァン先生たちは色々あっていなくなちゃったわけだから、代わりの保護者として」
「えぇぇっ……。ステラちゃんがえっ……ほんとにママ!? ……でツェルト君がパパ!? ……う、嘘でしょーっ!!」
「いてて、殴んないでニオちゃん。テーブル越しに座ってる姿勢の俺殴んないで、逃げらんないから」
信じられなかった。ちょっと疑いそうになる。いや疑った。
で、そんな感じで混乱で埋め尽くされた頭の中を納得させるために、向かいにいるライドをちょっと殴ってみたりした。普通に自分の手が痛い。現実だった。耳は仕事していたらしい。
幻聴でないと言うのなら、真実だと考えて受け入れなければならないだろう。
……信じられないけど。……ものすごく信じられないけど。
「ま、そういうわけなの。長い話になっちゃったけど、俺の境遇分かってくれた?」
「友達補正で」
「ありゃりゃ、手厳しい」
思う所はある。色々突っ込んで聞きたい事も。
だが、ニオが来たのはそんな事の為ではない。
出来の悪い友人を、今いる場所から引っ張り出す為にいるのだ。
「どうしてニオに話す気になったの? 今までそんな事、一言も言わなかったのに」
「まあ、色々あったからだよ。それに、他の連中はともかくニオちゃんには俺の気持ち分かって欲しかったんだ」
「何それ、ニオの事口説いてるの?」
「その通りだ」
「……」
ニオが好きなのはエルランドだ。
それはライドでも、分かっているはずだというのに。
なぜそんな事を言ってくるのだろう。
「ごめんね、実はそれはもう前から気が付いてたかな。ニオ、ステラちゃん程鈍感じゃないし。だからライド君の事、適当にあしらってたのもあったかな」
「あー、やっぱりなあ。じゃあ嫌われてたとかは……」
「それもある」
「あるのね……」
好きでもない人間から好かれる面倒を避けていたと言うよりは、多分理由の大部分はライドの性格だ。
人の個人情報を侵害しようと覗き見していたり、色恋のお邪魔虫になってたり、そういう所が純粋に許せなかったのだ。
ただ、それでも本気で困らせようとする意志がなかったから、嫌いになんてなれはしなかったが。
ライドはまっ過ぐにこちらを見て、己の恋心について説明してくる。
「このニオちゃんの事は、一目ぼれだよ。出会った時、最初から好きだった。この世界で生きていく楽しみや希望、そんなになってた。今日ニオちゃんに会ったのは、告白の返事を聞く為なんだ。ニオちゃんが俺の事好きだって言ってくれるなら、俺は奴を裏切るし、もう悪い事に関わらない。それどころか、アイツの情報なら何だって喋るし、ツェルトの問題だってできる限り何とかする。だから俺を選んでくれないか」
「……」
真剣な表情と、真剣な瞳。
ライドは今までにないくらいの真面目な顔をしてニオを見つめてきた。
胸を打たれる所がないわけではなかったが、そこまでされてもニオの意思は変わらなかた。
「ニオは、エル様の事が好き。大好きだから」
きっとライドにとってもこれが最後だったのだろう。
引き返せる最後の場所。
けれど、その彼が差し伸べた手をニオがとる事は出来ない。
ニオの手は、大切な人を助けるために使うと、とっくの昔に決めてしまったのだから。
……ごめんね、ステラちゃん。ライド君。やっぱりニオの一番はエル様だよ。
だが、それでも。
「あんな王様のどこか良いんだよ、ニオちゃんが苦しんでいる事に気づけてないのに」
浮かんだ思いを言葉にするより前に、低くなったライドの声が聞こえて来た。
表情を歪め、瞳の中には様々な苦悩や葛藤の光が満ちては消えての作業を繰り返す。
「いっぱい悩んでたんじゃないのかよ。窮屈じゃないのか。それでいいのかよ。ニオちゃんが俺の傍に来てくれれば、俺はニオちゃん達の味方でずっと……」
「ライド君はニオ達の味方でいたいって思ってくれてるんだね。それを聞けてちょっと安心かな」
「……っ」
イスを蹴って立ち上がるライド、視線はニオに向けられたままだが、見ているのはこちらではなくきっとどこか遠くだった。
その手が、こちらに伸びてくる。
「やっぱりどうやったって居場所を作るなんてできなかったんだろ。受け入れてくれないのなら……。俺は……っ、向こうの世界でニオちゃんを守る為に呪術のせいで、死ねなくなったのに……。違う……見返りなんか求めてなかった!」
「ライド君……?」
ニオは急変したその態度に狼狽しつつも、向かいに立つ友人の様子を見つめる。
大切な人がいたとしても、放ってはおけなかった。
追い詰められた様子で、肩を震わせる彼に手を伸ばそうとして腰を浮かせたとき、店の扉が勢いよく開く音がした。
視線を向ければそこに立っていたのは、エルランドとそしてアリアだった。
「ニオ! 良かった。ここにいたんですね」
「ふぇ、その声? エルさ……エル!?」
この場にあるはずのない姿に仰天しつつも、普段通りに名前を呼ぶのを慌てて自制し押しとどめる。
離れた場所にいるはずの人間がやって来る事自体はおかしな事ではない。
勇者の遺物があるのだから、理屈の上では可能なのだ。
だが、王宮にいなければならないはずの彼がどうして……。
「あ、えっと……」
視線を彷徨わせて、それでも先程見た友人の様子が気にかかり席の対面を見るのだが……。
「ライド君……」
そこに今に砕けそうな様子で肩を震わせていた人間の姿はなかった。
また、手の届かない所に行ってしまったらしい。
「大丈夫ですか、ニオ。アンヌさんに言われて、ニオが危ないって教えてもらって、いてもたってもいられなくて、アリアさんに言って急いできたんですけど、僕……」
「お、落ち着いてエル、ニオは大丈夫だから……」
今更ながらに店内にいる他の人達の視線が気になって来て、慌てて勘定を済ませて建物の外に出る。
落ち着くのを見計らってから、エルランドから事情を聞き出すのだが、それは予想の斜め上をいく回答だった。
どうやってやったのか本当に分からないが、エルランドはステラの家の使用人アンヌのもたらした情報で……フェイスの仲間が取り乱し、ニオに害を振るうかもしれない……という事を伝えられたらしい。
それで、護衛に我がままを言い、たまたま居合わせた治癒魔法が使えるアリアを連れて、仕事を全て投げ出たあげく、ここまで来てしまったらしい。
「こんなのエル様らしくないよ。今まで頑張ってやって来たのに。どうしちゃったの……?」
心配してくれたのは嬉しいが、それでエルランドの努力が駄目になってしまうようではニオは喜べない。
そんな風に考えていれば、エルランドがいきなりこちらに頭を下げて来た。
「ごめんなさいっっ!」
「え、えぇぇっ!! ちょっとまってエルさ……エル、頭上げてよ」
「ユリシアにも言われて、僕。ニオが悩んでる事に気がついてたけど、黙ってたんです。いつもは相談にのってあげるのに、仕事が忙しいからって言い訳して。だって、ニオには僕を選んで欲しかったから。友達なんかよりも僕を一番に見てほしかったから、意地悪してたんです」
「え、え……そうだったの? ニオの事どうでもいいとかそういう事思ってたんじゃなかったの?」
驚きの事実を立て続けに言ってくるエルランドの頭を上げさせれば、涙で潤んだ気弱な瞳と目があった。
子供の頃によく見た顔だ。
成長していくにつれて、そんな風に泣く事顔なんてめったに見なかったのに。
「でも、ニオが友達を大事にしてたのは知ってたから、だから僕の事ばかりで他の人を遠ざけて、一人ぼっちになってしまうのが嫌だったんです。それで任務でアクリの町に詳しいからって言って遠ざけてしまって、本当にごめんなさい」
「そんな理由があったんだ……」
蔑ろにされているわけでも、ただの護衛として思われているわけでもなかった。
その事に、心の内が温かくなってくると同時に、自分の事でいっぱいだった事が恥ずかしくなってくる。
彼の思いに報いる為にも、これまで悩んできた時間に報いる為にも、そして手をとれなかった友人を、今手を取り合っている友人達を助ける為にも、ニオはここで答えを出さなければならないだろう。
「エル、ありがとう。そしてごめんね」
……大好きだよ。
一番大事な思いだけはしまって、今伝えなければいけない大切な思いを二つ言葉にした。
「ニオの一番はエル様。それはきっと変わらないね」
きっと、ずっと一生。
ニオの手はその一番の彼の為にあるのだ。
けれど……。
ニオとエルが立派になれば、つなぐ手はきっと一つずつで足りるはず。だから余った分は……。
「助けたいな……」
そうできればいいと、強く思った。