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第13話 穏やかな朝



『ニオ』


 霞がかった景色のなかで再生される景色がある。

 エルランドは意識のふちで、もう聞かなくなったなじみの少女の鳴き声を耳にしていた。


「ぐすっ、……エルぅ……」


 それは今はもう戻れない遠い日……昔の思い出だった。

 エルランドが王になる前、自分の立場を自覚する前、ただの一人の人間としてお互いと接する事の出来た貴重な時間。


 エルランドには幼なじみの女の子がいた。

 我が儘で、自分に正直で、よく笑うけど、それでいてよく泣く女の子が。


「ひっく、えぐ……ニオがおっきくなったらエルの花嫁さんになってあげる」

「え、いきなりどうしたんですかニオ」


 当時はただの遊び相手として、エルランドの部屋によく訪れていた茶髪の少女。


「だって、ニオ……エルの事大好きだし、ずっと一緒にいたいもん、だから花嫁さん」


 その時はまだ、王様と護衛という関係になって、守られたり守ったりするような関係になるなどとは思えていなかった。

 なぜなら、ニオは泣き虫で、その当時は本当によく泣いていたから。


 その日も暗殺者に命を狙われて大人達に守ってもらった後に、ニオが大泣きしていたのだった。


 そんな日常茶飯事の、けれど大変な出来事の直後にもたらされた幼なじみからの脈絡のない言葉に、その時自分が目を丸くした事は、今でもはっきりと思い出せる。


 エルランドはなじみの少女へと、その時に抱いた疑問を言葉にして尋ねた。


「うーん、僕もニオとは一緒に居たいですけど、だからって花嫁になるのはちょっと……」

「ぐすっ……エルは、ニオが花嫁になるの嫌なの?」


 だが、こちらの言葉を聞いたニオは大泣きの状態からさらに泣きだしそうな雰囲気になってしまったので、自分は慌てて続きを話したのだ。


「あ、違います。そうじゃないんです。一緒にいるだけなら、友達でもきっと大丈夫ですよ。花嫁はニオがいつか大事な人が現れた時の為に、とっておかなくちゃいけませんから」


 ニオよりはほんの少しだけ未来の事が見えていたエルランドは、将来の伴侶はそんな風に軽々しく決めて良い物ではないと知っていた。何より一人の人間として駄目な行為だと。


 だが、その言葉を聞いたニオは不満そうだった。


「大事な人はエルだよ。ニオはエルの花嫁が良いの。他の人はやだもん」

「ニオ、今はそうかもしれないけど将来はどうなるかなんて誰にも分からないんですよ」

「やだ、エルの花嫁になる」

「困ったな……」


 エルランドは少しだけ頭を抱えてしまう。

 自分の心に正直なニオは怖い事にはすぐ泣きだすし、嫌な事ははっきり拒絶する。

 彼女が一度口にしたら自分の意見を中々曲げないのは分かっていたからだ。


「じゃあ、約束をしましょう」

「約束?」


 だからエルランドは彼女の理解が追いつくまで待とうとそう決めたのだ。

 泣き止ませようと思い、評判が良い店で売って石を、彼女にお守り代わりに持たせながら。


 成長して、大人になって、エルランドのそばを離れて、理解した時まで。

 ニオが心の底から隣にいたいと思う誰か見つかる時まで。

 その時まで、待とうと。


「いつかニオに大切な人ができるまで、ニオは僕の花嫁です。ちゃんと約束します。その時までちゃんと、花嫁でいられますから寂しい思いなんてしなくていいんですよ」

「やった! でもニオ寂しがり屋じゃないもん、エルの馬鹿」

「え、そうなんですか? わ、いたた、ニオごめんなさい、怒らないで……」


 懐かしい思い出だ。

 今とは違う形で接していたエルランド達の、大切な過去の一幕。


「……おっと、懐かしんでばかりではいけませんね」


 知らずの内に脳裏に巡らせていた、そんな過去の回想から戻ったエルランドは、意識を引き戻して己の手が止まっている事に気が付いた。

 筆記具を手に書斎で書類相手に文字を綴っていたはずなのだが、忙しさのあまり現実逃避してしまっていた様だ。


「いけませんね。仕事の途中で考え事なんて」


 代わりにやって来た護衛が呟いた言葉に、何かあったのかと反応して尋ねてくるが、何でもないと言って己の執務に戻る。


 ぼうっとしている場合ではない。先日のフェイスの件でやる事は山積みなのだから。


 けれども、駄目だと思いつつも思考が脇道へとそれていってしまう。


「……」


 最近、元気がなかった幼なじみの彼女について、どうしても考えずにはいられないのだ。

 小さい頃は何でも話して話される関係だった。

 だが、成長するにしたがって、互いに言えない事や隠し事が増えてしまった。触れようと思えばいくらでも触れられる距離にいるのに、心の距離はずいぶんと空いてしまっていた。


 ニオが時折何か言いたそうにしているのは分かっていたが、エルランドはそれを聞けていない。

 忙しさもあったが、向き合うのが怖かったのだ。

 何を言われるのか、言われてしまうのか、と。


 特に最近はユリシアの事を気にかけなければいけなかったし、ニオの頭の中には親しかったらしい学生時代の生徒がいる。

 全然関係ない事で悩んでいるのかもしれないが、もし考えた通りの言葉をニオが言い出したらと、怖くてたまらなかったのだ。


 怖い事など、ニオが死んでしまう事以外、ニオを守れなくなってしまうこと以外ないと思っていたはずなのに。


 泣き虫だったニオが成長して、泣くのを我慢するようになってからどれだけの時間が経っただろうか。いっそ彼女が強引に、胸の内をこちらへとぶちまけてくれればいいのに、と何度思った事か。


 彼女は、幼い頃の約束をまだ覚えているだろうか。

 確かにあれは実際にあった事だが、彼女の心があの時のまま同じである保証はどこにもない。


 心が変わらなければニオはエルランドの花嫁。

 その事に幼かった自分が、ひそかに胸を躍らせていた事に彼女は気づいていただろうか。


 ……今のニオは僕の事どう思ってるんだろう。


 思い悩みつつも、エルランドはまったく集中できない執務へと取り掛かっていく。








 アクリの町 裏路地の一画


 まだ、虫や鳥達も目覚めない早朝。

 うっすら霧が漂う町並みの中、ステラ達は立っていた。

 中継地で数日滞在した後、準備を整えて、遺物の力を使って無事アクリの町へとたどり着いたのがたった今だ。


 現在地は人目の少ない場所、細い裏路地を通って行き来する町の一角。

 目の前には、グレイアンが王として国に君臨していた時にニオ達が隠れていたという、隠れ家が建っている。


「家……って言うにはちょっと大きすぎるような気がするけど」

「ああ、うん。だよね。ニオも最初にそんな事思った。元々あった何かの工場の廃墟にちょっと手を加えて改造したみたいだから」


 隠れ家と言う割には規模が少し違うような目の前の光景に言葉を呟けば、ニオが応じて分かる分かると同意してくれた。おそらく彼女も最初に見た時は同じような事を思ったのだろう。


「中は、ちゃんとしてるのよね?」

「隠れ家だから当然住まなきゃだしね。あれ、ステラちゃんちょっと顔青くない?」

「そ、そんな事ないわよ」


 こちらの顔色を見て、首を傾げるニオに否定の言葉を放つがその声がもう震えていて、取り繕いが失敗している事が分かってしまった。

 たったそれだけの事だが、ニオはもうこちらが何を懸念しているのか分かってしまったらしい。


「あー、そっか、ステラちゃんお化けとか苦手だもんね。出ちゃうかもね?」

「っっ、出るの!?」


 納得と言う顔を見せてすぐに意地の悪そうな、それでいて楽しそうな表情になったニオに恐怖の一言を告げられれば、ステラとしてはそこから後ずさらずにはいられない。

 昔からそういうのだけは駄目だと言っているのに、どうして意地悪ばかりしてくるのだろうか。

 それがニオだと分かってはいるのだが……。 

 

 恐怖心のままにステラは一歩、二歩、三歩くらいまで建物から距離を取ろうとしたのだが、そこまで下がって背中に誰かがぶつかる。


「あ、ごめんなさ……、って、貴方なの」


 謝ろうと振り返ってそこにレイダスの顔があって、また笑われて馬鹿にでもされるのかと身構えるのだが、その様子が少しおかしかった。いつも集団で行動している時は大抵不機嫌そうにしているのだが、その表情の中に少しだけ、違うものがまざっている様に感じられたのだ。


「……チッ、廃墟かよ」

「貴方、ここに来た事でもあるの」

「んなわけねぇだろ、俺様の育ちは王都だ」


 そういえばとステラは記憶を引っ張り出す。

 彼は前に、貧民街がどうとか言っていた。あれは王都のその場所で育ったという事なのだろう。


 しかし、彼はあまり自分の事を話している印象が無いのに、ぽろっとこぼした雰囲気でもそういう事を言うのは珍しい事だった。


 先頭ではニオが鍵を使って隠れ家の扉を開け、中へと入っていく。

 家とは言えない広さのその建物のその中は、掃除がよく行き届いていて埃が積もっているような事はなかった。


「管理人さんがいてねー、その人にいつでも使えるように整えてもらっているんだ。またしっかり必要になるなんて思ってなかったけど、騎士の宿泊場所なんかに良いかなって。あ、ちょっと開けるから、喋っても良いけど、あんまり変な事言わないでね。どこから情報洩れるか分からないし」


 説明しながら、ニオは慣れた様子で窓を開けたりして換気をしていき、騎士達に休憩を言い渡していく。


 それぞれの騎士達は、前もって言われた通りに内部の構造を把握しているので、迷いない足取りで奥にある別の部屋へと持ち物を置き言ったりしていっている。


「幽霊、出るのかしら……。ニオの冗談よね。元廃墟って雰囲気がしないのが救いだけど……」

「お前、いつまでそこでびびってんだ。夜の校舎ふらふら歩きまわってたくせに」


 入り口付近で用心深く建物の中の様子を窺っていたステラに、呆れながらツヴァンが声を掛けてくる。

 怖い物は怖いのだからしかたがないではないか。こればかりは成長してもどうにかできるようになる自信がないのだ。


「怖ぇからって勝手にまたふらふら出歩くなよ。後でお前に話がある、逃げたら承知しねぇ」

「え? それは良いですけど。後半は私の方が言いたいくらいです……」


 散々レイダスからも決闘からも逃げ続けて来た人間が言える台詞ではないと思うのだが。

 そう思えば隠れ家の中に入って来たツヴァンは、面倒そうにしながらニオを捕まえて王宮の状況や援軍のの有無などについて聞いている。

 あの教師は最近珍しい事ばかりだ。


 とにかく自分も荷物を置いて少し休憩を取るべきだろう。


 移動していった騎士達の流れに沿うように建物の中を歩きながら、ここには今いない仲間達の事を思う。


 王宮には現在、アリアやクレウス、リート、それにやる事があったらしいレットと、何故かアンヌが待機している。

 そして、唯一の呪術研究者であるカルネも。


 遺物を使って王宮と行き来する伝令役の騎士から聞いた話では……。


 カルネは、メディックの薬で得た情報を元に研究を大分進めることができていて、もうまもなくクレウス達の呪術を取り除けるところまできているらしい。


 本来手にする事の出来なかった情報を得られた事や、ステラ達の任務の事情もあってか、完全に十士(じゅうし)の勉強がおろそかになってしまっている様なのが、本人は物凄くやる気をみなぎらせていると聞いた。ステラとしてはほどほどにと言いたいのだが、そんなのが効かないくらいだとか。


 エルランドの方は、変わらず王宮の立て直しに力を入れているらしいが、引き続きフェイスの動向に目を光らせ、情報収集していく方針だ。

 それ以外にも、フェイスへの強硬策を唱える者達の相手や応対に手を焼いているという話だ。そこらへんは騎士であるステラが気をもんでも仕方のない話だろう。


 ユリシアは相変わらずらしいが、エルランドからは距離をおいているらしい。


 そして一番気になるシーラだが……、時折寂しそうにしているものの、ちゃんとお留守番ができているらしい。とても良い子だ。帰ったらたくさん誉めてあげなくてはいけないだろう。


「姉様、そんなに心配そうにしなくても大丈夫ですよ。精霊達が教えてくれましたけど、幽霊なんていませんから。ニオさんの冗談だと思います」


 その顔色を読み間違えたヨシュアが、騎士から遅れて移動するステラを気遣ってくれる。

 一体どれだけ幽霊を怖がってると周囲に思われてるのだろう。その通りかもしれないが。

 歩いている時も部下達に声をかけられたりしたし。皆ちょっと態度がオープンすぎないだろうか。


 これも、フェイスと繋がっている影響なのだろうか。いつもよりステラの感情が表に出やすくなっているのかもしれない。


 またあの時みたいに恥ずかしい思いをする可能性がある、というのは嫌だったがそれでも繋がりを立とうと言う気にはなれなかった。離れた所で頑張っているだろうツェルトに、せめてステラとのつながりが力に、支えになればと思うからだ。







 荷物を置いて休憩した後は、伝令訳と一緒に王宮からくっ付いてきたユリシアとリートが昼ご飯を作ってくれた。

 何でもレイダスがちゃんとしているか心配だったらしい。

 リートは監視役、ユリシアは胃袋役(?)として参じるべく、エルランドの許可を取ったという。


 ついでに運んできてもらった食料で、ユリシアが中心となって作ったいい匂いのする朝ごはんが、ステラ達に振る舞われていく。

 朝一番で移動してきたのでまだ食事をとっていないのだ。


 王宮の方、取りあえず向こうの方は少しだけつ落ち着いてきているらしい。

 カルネが呪術の解呪を頑張ってくれたおかげで、王宮に待機しているアリアや、クレウス、リート達も必要に応じて援軍として要請する事にできるようになったばかりだとも。


 二方向から同時に責められる心配さえなければ、全力で臨める状況に整ったのはありがたい事だ。


「どうです、レイダス。(わたくし)の料理の腕は上がっていまして?」

「はん、まだまだだな。味付けが安定してねぇじゃねぇか」

「要研究ですわね」


 一人離れた所でご飯を食べているレイダスに、ユリシアが近づいて楽しそうに会話している光景を見たニオが、ステラの隣で食事をしながらしきりに首をひねってる。


「うーん、おかしいなあ。ユリシアはエル様狙ってるはずなのに。でもエル様はエル様でも、たまに違うエル様を見てるような事もあるし、レイダス見てる時も何か変なんだよね……」


 そんなニオとは反対に、空腹でないのか何も口に付けることなく家の入口の方に立っているリートは、ツヴァンを呼び止めて何かを話している。時折りステラの方に視線を向けたりしながら、少し申し訳なさそうに。


「ニオの感じるおかしさは分からないけど、あっちはあっちで、おかしいのよね」


 ニオもレイダスも、今ステラの周囲にいる人間は揃いも揃って最近は少しだけおかしいらしい。

 皆、難しい様子で考え込んでいるようで、原因があるのなら力になってやりたいと思うのだが……。


「聞いてもちゃんと答えてくれないし」


 分からないので、力になりようがないと言ったところだ。


 ステラはニオがいる方とは反対側を見る。

 そこには精霊使いになったと言えど、いつもと全く変わらないヨシュアの姿がある。

 いつでもブレない弟の姿に、ステラは大いに安心できた。


「ヨシュアはやっぱり癒しだわ」

「どうしたんですか、姉様」

「何でもないわ。こうしている間にも周囲に精霊が浮かんでいるのが不思議だと思っただけなの」


 話題をそらすために、最近変化した事に着いて考えているのだと言えば、ヨシュアは納得したように首を振る。


「そうですね。精霊達もこんなふうに人間の傍に近寄るのは「ふしぎなここち」だと言ってますよ。皆僕達の事を知りたがってるみたいです」


 気配を感じるらしいヨシュアは何もない空間に手を伸ばして、何かを撫でる仕草をする。

「見てみますか」と言われルーペを渡されれば、確かにそこに精霊が浮かんでいる姿があった。


 白い綿毛が十匹……いや、何だか前見たときよりちょっと増えて十二、三匹になって浮いている。


 契約するのは一匹だけなのだが、皆ヨシュアになついてしまったらしく。王都から離れる事になってもこうしてついてきている様なのだ。


「にんげん、いろいろ」「おなじ、おもった」「でも、ちがう。ほんと、いろいろ」


 精霊達は人の違いについて学んだらしく、興奮した様子で視線のあったステラに語りかけて来た。

 そんな様子に気づいたニオが、興味津々で寄って来て自己紹介をこなしつつコミュニケーションをとりだす。


「ニオの事はニオって呼んでね! ちょうど良いから名前つけてあげようよ。あ、でもこれ皆同じっぽくて見分けがつかないや。せめて色が違ってたら、分かりやすいんだけどなー」

「いろ!」「かみのけ、めのいろ!」「せいれい、いろ、かえる?」

「わ、すごーい」


 ポンポンポンッ、とリズミカルに綿(体)の色を代えて見せる精霊に、ニオが大はしゃぎししだした。

 ステラも驚きだ、精霊がそんな事ができるなんて。


 とてものどかで微笑ましい光景なのだが、これはひょっとして辞典の説明文に載るようなとんでもない事なのではないだろうか……。


 それからも他の騎士達を巻き込んで精霊達との会話は盛り上がりを見せた。


 騒がしいと言えなくもない朝食の場だが、悪くはない賑やかさだと思う。

 ステラ達だけではどうしてもそんな風に空気を明るくするような事は出来なかったし。


 ニオには集団を統率する能力があるが、エルランドはそこの所も評価して今回のメンバーに加えたのかもしれない。



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