第9話 それぞれが前を向いて、
王宮 協会裏の小屋 『カルネ』
そこは建物の陰になるような目立たない場所だった。
王宮の敷地内にある協会裏にあるさびれた建物。
おそらく付近を通りがかる人間の誰も気が付かないし、目を向けようとも思わない。
室内は埃っぽくて、手入れは全く行き届いていない。
カルネは、その暗い雰囲気のあるその部屋へ、立ち寄って物思いにふけっていた。休憩がてら王宮の敷地を散歩に出ていたついでにだ。
最近あまり家に帰っておらず、呪術の研究にかかりきりでいたので、たまには気分転換に普段足を向けないような場所に向けてみようと思ったのだ。だが、どういうわけか表に立つ協会ではなく、こんな古びた建物の方へと来てしまっていた。
「……ツェルトも、ステラも戦っているのです、私も頑張らねばなりません」
選んだのはなぜかとしばらく疑問に思っていたが、そう言えばここはツェルトの事を認めた場所でもあったと思い出す。
普段はうるさい男性だが、いなくなったらなったで寂しいものがあるのだろう。
無意識に関連する場所を選んでしまったらしい。
「精霊の契約によるステラ達の繋がりを消せない以上、ヨシュア君に精霊使いになってもらい新たに繋がりを上書きしようかと思ったのですが、方法が分かりませんし、どうしたらよいでしょう」
呪術の研究は進んでいる。
それらは全てヨルダンのおかげだ。
数日前、メディックと言う怪しい研究者に薬の効果について尋ねて、夢でヨルダンに会えるかもしれないと思い、少々手を借りていたのだ。
結果は成功だ。ヨルダンとの話自体はできた。呪術の研究も進んだのだが……。
思ってもいない問題が出て来たのも事実だった
それは友人の、ステラの状態だ。
彼女は、幼い頃に精霊の力を使ってツェルトと精神を繋げてしまっているらしく、それが災いして、フェイスに憑りつかれたツェルトの精神状態が悪い影響を及ぼしているらしかった。
最近妙に怒りっぽくなっていたり、素直になっているのはその影響らしい。
今はまだ可愛らしいと言えなくもない変化だが、この状態が続けばどうなるか分からない。早めに何とかしてやりたいとは思っているのだが、最近判明した問題だけあって、有効な解決策が得られていなかった。
「これでは、気分転換にはなりませんね」
休憩しに来たというのに、何故か悩みに頭を疲れさせる事になっている己の状況について、色々思う所がなくは無い。けれど考えてしまうのが自分なのだから仕方がないだろう。
そんな風に本末転倒気味になっているカルネなのだが、ふと建物の扉が開いて声がかかった。
「あれ、珍しいね。カルネちゃんこんな所に。何か用あるの?」
エルランドの護衛に精を出す人物。カルネの友人の一人のニオ・ウレムだった。
「ええ、時間が空いたので気分転換に少々」
「その割には、何だかすごい思い悩んでたような感じだったけど……」
部屋に入って来て、中を見まわしながら、時折りくしゃみしそうな挙動を見せる。
人が動いた事で、埃が舞い上がってしまったのだろう。掃除したくなった。
先程の悩んでいるカルネの姿をしっかりと見ていたらしいニオは、不思議そうに首を傾げていたのだが、すぐに別の疑問をぶつけてくる。
「ここってツェルト君がえーと、グレイアンがいた時に利用してたって話の場所だよね」
「ええ、その通りです。彼が拠点としていた場所だと聞きました」
「さっびれてるー。趣味悪いよ。でもここしかなかったのかな。目立たなさそうな所にあるもんね」
部屋の中をしげしげと見つめるニオは、室内の様子に不満そうだ。
積もっている埃や、隅の方にクモの巣が張っているのを見て、嫌そうな表情になっている。
「それでカルネちゃんは、ツェルト君大丈夫かなーって心配してたとこ?」
「いいえ。呪術の研究についてと、ステラの身を案じていただけですよ。ツェルトの分はありません」
「あー、そうなんだ。ちょっとかわいそ。カルネちゃんてツェルト君に厳しいね」
「私は彼に特別厳しくしているわけではありませんよ。規則を守る事が出来ず、礼儀のなっていない人間に厳しいだけですので」
「確かに、ニオ達の中じゃそういうの気にしないのってレイダス除いたら、ツェルト君ぐらいだもんね」
そうだ。貴族の養子になったと言うのに、ツェルトは未だにエルランド王への態度が砕けたままだった。それは問題だろう。目に余る行為だと思っている。
レイダスという人間の事はあまり知らないので、彼について何かを述べる事は少ない。ステラから怒らせないように言われているので、我慢ならない事しか言っていないが。
「けれど、ツェルトのステラに対する気持ちは認めているつもりですよ。いつも……ではなかったでしょうけれど、彼はステラを助けていましたし。こんな場所で長い間、私達の手を借りずに戦っていたのですから」
「呼び捨てだもんねー」
その認めてあげたという事は本人に言葉にしないが、その代わりに名前で呼んであげているのだから多分彼も察してくれているとは思う。ステラは鈍い所があるが、彼ならそこら辺の事は分かるだろう。
「あ、玩具発見。ツェルト君が置いてった物かな」
「落とし物とは、自己管理がなっていませんね」
ニオが声を上げた事で視線を向ければ、床に落ちていたものが目に入る。
かしゃがみ込んだ彼女が拾ったその手の中には、手作りらしい人形があった。
大変荒っぽい見た目で、どうやら作りかけらしいが、何となくステラに似ている様にも見える。
そんな人形を見て、何かしらの琴線に触れたらしいニオは大仰に何度も頷いた。
「うん、分かる分かる。会えない日々は、何かそっくりな人形が欲しくなっちゃったりして、夜にぎゅーっとしたくなるもんね」
「そういうものなのですか」
「そういうもの! ニオだってエル様に会えない時はそうしてたもん」
そういえば、目の前にいる女性も長い間想い人に会えずにいたと聞いた。
三年もの間、王都を離れ、湖水の対魔騎士学校に通っていた事があるのだから、彼女にはツェルトの気持ちがよく分かるのだろう。
……今までは適当に無難な物を送っていましたが、今度の誕生日くらいはしっかり考え方が良いでしょうか。
「偉いね、ツェルト君。ニオも、エル様の為なら、きっと頑張れるよ」
手の中にある人形を見つめながら話しかけるニオの瞳は、カルネには眩しく輝いて見えた。
「素敵ですね。今の私には無縁の話ですが。いつかしてみたいと言う憧れはあります」
「へえ、意外カルネちゃん恋に興味持つんだ」
「私とて一人の女性ですので、興味くらいは持ちます。男性の影がないので魅力のない人間だと思われているのでしょうが」
「えーそんな事ないよ。カルネちゃんはとっても可愛いし、魅力的だと思うんだけどな。うーん、やっぱり性格かなあ。真面目すぎるんだよね。それでいて、頭が良いから。釣り合わないって感じちゃうのかなあ」
親しげに交わすそんな内容に、カルネは少しだけ心の内が温かくなる。
ニオ・ウレムとは最近まで話をする機会があまりなかったので、調子があうのかどうかと思っていたのだが、話してみればなんていう事はなかった。
ステラという共通の知人がいる事が、会話の潤滑油である大きな要素である事には間違いが無いだろう。だが、それでも、政治の事やこれからの事を気にせず話せる仲というものも、悪くないように思えた。
十士になれば、立場がある。そんな時間はきっと容易には得られないだろう。
だがだからと言って別の道へ進む事をすぐに決断できるほど、カルネの夢は軽くはない。
父の期待を裏切ってしまうのは、心苦しいままだった。
……父から聞いてきたあの内容。本気であのような事がなされるとはさすがに思ってはいませんが、けれどもしまた……どちらかを選ばなくならなければいけなくなったら……。
「いいえ、答えはもしかしたらもう出ているのかもしれません。後はきっと、気持ちを確かめるだけ……」
「カルネちゃん、何かニオが部屋に来たときみたいな……ううん、それよりもちょっと違うけど、真剣な顔になっちゃったけど、色々大丈夫?」
顔を覗き込むニオに、心配ないと声をかけつつ、カルネはもう少しだけこの時間を過ごしていたいと思った。
協会内 『リート』
カルネやニオ達がツェルトが使っていた小屋の中で会話をしている頃。
付近では、リートが表の方……人影のない協会の中をうろついていた。
元は、リートも小屋の方に寄ろうとしたのだが、そちらには先客がいたのでこの場所へと流れて来たのだ。
ステンドグラス越しに入って来る日の光を受けて眩しさに目を細めながら、並べられた椅子の一つに腰かけて物思いにふける。
リート・シルベールは転生者である。
前世の記憶を持った人間であり、生まれる前は別の世界で生きていた。
目を閉じて記憶を手繰り寄せれば、多くの物が思い出せる。
リートは久々にかつてあった、思い出やら経験やらを引っ張り出して、脳裏に思い描いていった。
事故に遭って、ステラの後を追うようにこの世界に転生してくる前の事。
生まれる前の彼女は大学生で、神社の家の娘だった。
祖母が不思議な力を持っている事もあり、一般的な生活よりは少しだけ違う生活を送っていたが、この世界で歩んできた程に変わった人生を送ってきたわけではない。
十数年生きた後、大学生の時に不慮の事故で命を落とす事になるが、その人生の中で彼女は医療を学ぶ学生の身だった。
いつか役に立つと思いながら、顔も知らない誰かを救う将来を思い描きながら、命を救うすべを身に着け、自分なりに懸命に勉強に励んでいた。
けれど、その人生で彼女が救った命は一つもなかった。
自らの体に流れる血に助けられて、特別な力を振るい、妥協するような形で少女を一人助けはしたが、それも本当に助けられたのか分からない。彼女の人生は一度終わってしまって、生まれ変わってしまったのだから。
そして、その影響で前世を思い出すなどというありえない事が起き、彼女には背負わなくてもいい物を背負わせてしまっている。
だからリートは自分の生き方を定めたのだ。
自分が助けたいものを、自分が助けたいままに助ける。
世の中一般から見たら理解できない、間違っているだろう己の信条を。
それは、
間違いを間違いで終わらせてはならないと言う思いがあるからだ。
投げ出してはならない。中途半端であってはいけない。諦めるなど持っての他、という思い。
助けたいと思ったなら、最後まで助ける。
それが大切だと、思うからだった。
たとえ始まりが過ちだとしても。
リートはその心情を貫く。
自分にあった方法で、自分勝手に人を助けて、助けられるだけ助けていく。
後ろを向いて、戒めを胸にして、己の心の有り様を代える事もできただろう。
そうしようかと思った事も一時期はあった。
だが、結局はこの道を選んだ。
リートは自分らしさを失いたくなかったのだ。
らしさを失ってしまえば、それはリートではなくなってしまうし、今まで信じて来たもの全てを一度否定してしまう事になるのだから。
だから、助けたいと思った過去の自分を活かし、過去のその思いを活かし、なおかつ前を向いて、これからも人を助けていく為には、目をそらさずに変わらずに歩いて行くのだ。
「ふむ、……らしくなかったが、たまにはじっくり考えるのも面白いものだな」
記憶の底に浸らせていた己の意識を浮上させた、リートはゆっくりと目を開けて協会内に満ち溢れる変わらない光に目を細めた。
「さて、そろそろユリシアに例の魔法の手ほどきをしてもらわないといけない時間だな」
腰かけていた椅子から立ち上がったリートは、先ほどまで考えていた事を記憶の底へ遠いやり、これからやるべき事のリストを頭の中に組み上げていく。
フェイスの件で準備もしなければならないし、また大変になるのはきっと間違いない。
だがきっと、迷いはしないだろう。リートがリートとして生きている限りは。目の前に助けるべき人間が、助けたい者達がいる限りは。
教会を出て、未だにカルネ達が話し込んでいるらしい裏の小屋を一瞥する。
応急で練り上げられている作戦が整い、内容が伝えられるまで、それぞれが納得できるよう。存分に考えを尽くせばいい。答えを得るのに、近道などない。地道に探し続けるしかないのだから。