第7話 夢のゆりかご
王宮 私室
昼間は色々あった。
フェイスについての情報が入ってきたり、メディックがやってきたり、変な薬を押し付けられたり、シーラを構っている最中にその薬の瓶をうっかり割ってしまったり、その液体から発生した煙で火事騒ぎが起こったり。
割と重要な事をカルネから聞かされたというのに、そんな出来事が霞むような勢いで色々な事があったのだ。
だがそんな一日ももうすぐ終わりだ。
ステラは自分の部屋へと戻っていて、机の前に立ちそこに置かれている紙束を一枚一枚チェックしているく。
「ママ、お話して」
そして部屋の中、ベッドではシーラが布団にもぐって待機しており、今か今かとこちらに物語の披露を催促しているところだ。
「もうちょっと待ってね、シーラ。明日の任務の事、目を通しておかなくちゃいけないから」
普段の昼間は女子の騎士舎で世話になっているシーラなのだが、日中はともかく夜までみんな一緒、と言うわけにはいかないので、眠る時はなついている騎士達が交代で付き添ってやるのだ。それが今日はステラの番だった。
寝間着に着替えて、行儀よく、しかし時にちょっとだけ我がままになりながら待つシーラに気を取られながらも、全ての用紙に目を通し終える。
その後は、ソワソワしてる少女の為、出来るだけ早く就寝用の服に着替えて、ベッドへと向かった。
「おまたせ、シーラ。お話を聞きたいのよね」
「うん! たくさん読んで」
布団の中に足をもぐり込ませて隣りあえば、シーラは嬉しそうにステラに体をくっつけて来て、可愛いかった。
仕草の一つ一つがもういじらしくて、とにかく可愛らしくて、一日の疲労が癒されて言う事を何でも聞いてあげたくなるのだが、ステラは鋼の自制心で我慢した。
「たくさんは無理よ。……そうね、何がいいかしら。勇者の物語はこの間にしたし……。魔女の物語は……、シーラには怖いかしら」
伝わって来る温もりが心地よくて、眠気が徐々にやって来るのを感じながら、ステラは隣で期待の視線を向けてくる少女へ話す物語を考える。
以前アリアに教えてもらったことのある、彼女の母親が考えた話をしようかと思ったが、魔女=悪い人で通っているこの世界の常識を考えれば怖がらせてしまうだけだろう。
と、ステラはそう判断したのだが。
「シーラ、ママの魔女さんの話聞きたい! 魔女さんはほんとは悪い人じゃないんだよね。シーラ知ってる!」
「そうなの?」
まさかアリアの母親と同じように悪い人間とされている魔女の事を思いやって、わざわざ創作話を作るような人が他にもいたというのだろうか。
瞳を輝かせてお話をねだるシーラからは、不安や恐怖などの悪感情は見られなかった。
「ママはね、色んな人とたくさん友達なんだよ。だから、色々なお話知ってるって言ってた」
「そう……素敵な人なのね」
この間から考えている事なのだが、シーラの両親はひょっとしたら想像以上にステラの身近にいる人間なのではないか、とそう思うのだ。
そうでなけれなシーラの口から限られた人間しか知らない情報が出てくるはずがないし、いやそれ以前にこの世界にあるはずのない言葉が出てくるはずがないのだ。
……知らない間に呟いていたのを誰かが聞こえてたとかかしら。でも、シーラの口ぶりからは、大体意味が分かってるみたいな風だったし。
「分かったわ。じゃあ、私の魔女の話でもいい?」
「うん!」
とにかくシーラをあまりまたせるのも可哀そうだろう。
話を教えてくれた友人……アリアの事を思い出しながらも、世間から恐ろしい存在だと言われている魔女についての悲しい話を語り始めた。
……。
いつの間にか眠ってしまったようだ。
眠りに落ちていく寸前の、意識がぼんやりしていく感覚を思いだす。
シーラはどうしただろうか。もう寝ているだろうか。
そもそもステラは話を最後まで語り聞かせてあげられただろうか。
途中で寝てしまったのなら悪い事をしてしまった事になるが、生憎と記憶が定かではなかった。
そんな心配をしながら周囲を見回す。
周囲にはお菓子でできた建物や、草、木がある。
少し先に行った場所は、いつか前世で読んだ絵本に出てくるような小さなお菓子の家もあった。
……たしかあの話って、悪い魔女が出てくるのよね。
寝る前に魔女の話をしていたから、それが影響して関係する他の魔女の話の内容が夢に出てきてしまったのかもしれない。
しかし、普段見ている時は夢だとは気が付かないというのに、今回のこれはどういう事だろうか。
何気なく目の前に経っているお菓子の家に近づいて行って、その壁にくっついている飾りをとり、口に入れてみる。カラフルな色をしていたが、チョコだった。美味しい。
自分でも驚くような警戒心のなさだったが、何故か今は大して気にならなかった。
どこか心の中がフワフワしているような感じで、何か考えていても、細かい事がどうでもよくなってくるのだ。
「甘い物がこんなにたくさん……素敵な場所ね」
夢の中だから体重を心配しなくてもいい所がさらに素敵だ。
アンヌのクッキーが一番だが、甘い物全般が好きなステラにとってここは天国かもしれない。
「ずっと夢の中で、ここに住めたりしないかしら」
「それは困る。ステラはちゃんと起きてもらわないと俺が特に困……ん?」
ふと浮かんだ願望を口にすれば、近くから声がかかった。
ツェルトだ。
ステラのツェルト。
大切な人で、大事な人で、とにかく失いたくない大好きな人。
その彼が立っている、ステラの目の前で。
「これは夢よね」
「まあ、夢だよな。ステラと会えるわけないし」
現実だったらもうちょっと驚いていたかもしれないが夢だというのなら納得だ。
夢なら夢で良いのだ、あんなに会いたかったツェルトに会えたのだから。
きっと本物には遠く及ばないだろうがそれでも構わない。
会えない期間の分だけ、久しぶりに見る彼の姿を目に焼き付けておこうステラは思ったのだが……。
視線を向けた先の、彼のその表情が奇妙だった。
まるで、何かあり得ないものを見たような表情。
というか、とステラは見上げて気がつく。
ツェルトの身長が高く見えるような気がするのだが……。
まさか。
「……わたし、小さくなってる?」
自分の姿を見下ろすと、未発達である小さな体と、短い手足があった。
たぶん五歳くらいの体だ。
「どうしてこんなことに……、あ、でも夢なのよね。ならおかしくない?」
何でもありなのだから、小さくなるぐらいはわけないだろう。そう納得しかけるのだが。
胸の内にわだかまっていた恐怖が膨らんでくる。
夢と言えばステラは学生時代に嫌な目に遭った事があったのだ。
「また、じゅじゅつとかじゃ……」
だとしたら、このツェルトは、私の目の前にいるのは誰かが作り上げた偽物の存在なのではないのだろうか。
また誰かが、フェイスがステラを罠にかけるために用意した幻なのではないか。
また、あの時みたいにステラの心をえぐる為に、こちらを騙す為に。
そう思うと、とても彼の傍になど寄り付けなくなってしまう。
「ステラ……」
ツェルトと視線が合う。
目があって、たぶんこちらが抱えている不安を感じ取るような仕草をされる。
夢を見ているにすぎないのに。そんな本物みたいな事をされると、どうしていいか分からないではないか。
そのまま、沈黙が満ちるのだが……。
「あーっ、あんな所にステラ隊長がいる」
突如大きな声が聞こえて来て、思わず肩が跳ねた。
声がする方を見れば、ステラの隊の部下の女性騎士達がやって来る所だった。
「本当。だけど、ツェルトさんもいるわね」
「なら、やっぱり夢なのよ。こんな不思議な景色あるわけないもの」
「それより隊長、何だか小さくないですか? 可愛い!」
喋っているのを聞いていれば、彼女らはステラ達と同じように眠ったと思ったらここにいたらしく、お菓子の世界に興奮したり感動したりしながらこの不思議な場所を歩き回っていたらしい。
「隊長って、今は綺麗ですけど、小っちゃい頃はこんなに可愛かったんですねー」
「時々悪役みたいな言動してるけど、その影が子供の姿からは全然ない」
「シーラちゃんと並べて愛でたいわね」
ステラの事を夢の登場人物だとでも思っているのか、彼女達は遠慮なしに色々な事を言ってくれる。
登場人物ではあるが、ちょっと遠慮がなさすぎるのではないだろうか。
しかし現在進行形で、目を輝かせつつにじり寄って来る女性達の脅威は馬鹿にはできない。
捕まってなるものかと、距離を取る様にツェルトの所へ避難するのだが、身長が足りないので服の裾あたりにしがみつく形になった。
「おう、これはちょっと俺やばいかも。小さい頃には分からなかった小さいステラの魅力再発見で、俺おかしくなりそう」
……何言ってるのか半分以上分からないけど、ツェルトは元からずっとおかしいわよ?
「ねぇ、ステラ隊長がこんなになっちゃったら、ツェルトさんは困るんじゃない?」
「そしたら、きっとひそかに狙っている女性達が、殺到しますよねっ!」
「ツェルトさん恰好良いし、優しいものね。そしたら隊長どうするのかしら」
気が付けば、女子騎士達は話題の種をステラからツェルトへと話の矛先を変え、不穏な会話をしていら。
ステラがずっとこのままだったら……?
ツェルトは他の女の人の所に行ってしまう?
夢から覚めても?
あり得ない、と思う前に、そんなの困るとか、嫌だとか考えていた。
「ツェルト、だめよ。ツェルトはわたしのなんだから」
「おおっ、ステラ!? ステラだよな!? この感触!! いや、でもこれ嬉しいけど、何だ。何が起こってるんだ? とにかく俺超嬉しい!」
ステラは大切な恋人を取られないため、ひしっと彼のうでにしがみついた。
そうするとツェルトが本物みたいな反応をして、勢いよく抱きしめてきたり、手早くこちらの頭を撫でたりしてくる。
「ああ、もうっ。いちいち可愛いなー。ステラはー。そんな事俺がするわけないだろ」
「ほんとうに?」
「ああ、ほんとだって」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとのほんとだ」
頬を膨らませてむくれて見せるものの、ツェルトは嬉しそうな表情のままで、言葉の内容が本当かどうかなど全く分からなかった。信じてないわけではないが、しっかりそういう事は言って欲しい時もあるのだ。
現実ではステラは勇者で騎士。そして部下を率いる隊長なのだからこんな面を見せる訳にはいかない。だが、夢なら大丈夫だ、きっと何も問題ない。その代わり相手も本物でないのだが、それでも良いのだ。本当の本当は良くないが、今はまだこれで我慢できるから。
「ツェルト、だめよ。ほかの女の子なんかかまってちゃ。私だけ見てなきゃゆるさないんだから」
「……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。俺ちょっと昇天してたかも。ここに住めないかな」
無言になってしまったツェルトに問いかければ、そんな先程とは矛盾した言葉が返って来る。
「やだ、ステラ隊長が焼きもち焼いてる」
「かわいー」
「抱きしめて頬ずりしたいっ!」
そう言えばメディックが昼間に見たい夢が見れるなんて言っていたけれど、まさか本当に彼の薬の影響でこんな夢を見ているわけでは無いだろう。
そんな事があったから、それっぽい事を夢に見てしまっているだけだ。
つらつらと考え事をしている間にも、ステラ達は女子達にかこまれて色々言われたりにじり寄られたりするのだが、そうしていると新しい人物がやって来た。
「あ、カルネさんよ」
「やだ、こっちもちっちゃい」
「そして可愛い。拾って帰りたいわ」
そうカルネだ。だけど、身長が小さかった。多分同じくらいの歳でおそろいだ。
「ステラ、良かった。無事だったのですね。随分と探しましたよ」
「カルネ、あなたも小さくなっちゃったの?」
「ええ、……貴方の方こそ初めて会った時よりも背が低いのですね」
「ごさいごろだと思うわ」
「それに何故でしょう、全体的な雰囲気も幼……若返っているような気がするのですが」
彼女の言葉に改めて自分の体を見下ろしていると、カルネがしがみついて来た。そして隣に立っていたツェルトを追い払おうとする。
「ああ、うん。カルネがいたらこうなるだろうな。何で俺こんなに嫌われてるんだ?」
「嘆かわしい、実に嘆かわしいです。過去をどうにかして変えられたりはしないでしょうか。納得はしてますが後悔しない事とはまた別なのですよ」
よく分からないがステラはカルネの頭を撫でてやりながら宥めてやる。過去を変えるなんて無理だし、そんな事されたらステラが困ってしまうので、出来たとしても止めて欲しい所だ。
そうやって若干取り乱した彼女の姿に困惑していれば、カルネがこちらを離すまいと腕に力を込めてくる。苦しい。
「ですが友人の幸せを望むのもまた私。堪能しました。ステラ、絶対にあの方から……彼からできるだけ情報を聞き出して来ますので、応援していてください。それでは失礼します」
「えっと、よく分からないけど、がんばって」
何か自分に気合を入れたらしいが、ステラからは事情が見えないのでそう言うしかない。
遠ざかっていくカルネの背中に従って、今まで周囲にいた女性騎士達も、他の場所を探検しようという意見になったらしく、それぞれが去っていく。
急に人気がなくなって寂しくなってしまったが、それに合わせる様にお菓子に満ちていた周囲の景色が変わり始めた。
「おかし、なくなっちゃったわね」
「いや、それどころじゃないと思うぜ? この変化」
代わりに変化した景色は絵本の中に出てくるようなお城だった。
普段王宮にいるので、特に珍しいという感じはしないのだが、その中には少しだけ見慣れないもの交ざっていた。
ウエディングドレスを来たニオと貴族用のドレスを来たユリシアが立っていて、正装した一人の男性……エルランドを前に言い争っていた。
「エル様はニオのなんだから、ユリシアなんか相手にしちゃ駄目って言ったでしょ! そもそも……エル様! そろそろ自分の気持ちにはっきりしてくれてもいいんだよ。こうやってニオ、すぅぅぅっごく困ってるんだかから」
「我が儘をいう物ではありません、ニオ。エルランド様が困っていらっしゃいますわ。例えお嫁さんになれたとしても、そんな態度を取るようではすぐに愛想を突かされますわよ。こういう時に、寛容な所を示すのが女性という物ではありませんの?」
「そんなこと言って、ニオが大人しくなって好きにエル様にアタックしようって魂胆でしょー? そうはいかないんだから、あっち行ってよ」
恰好は少し変だったが、そこにあるのは見慣れたいつもの風景だった。
ニオが若干いつもと違って自分に素直なように見えるし、ユリシアが何だか寛容なようにも見えるが、現実でやってる事とほとんど変わらない。
「えっと、あの……ケンカは駄目だよ。二人共、とりあえず落ち着いて」
そんなやり取りを近くで見守る事になったエルランドは、案の条可哀そうなくらいオロオロしている。
ステラとしては、長い付き合いのあるニオを応援してやりたいが、ユリシアだって良い人間だし友人だ。
どちらの肩も持てなかったので、放置しておくしかないだろう。
その後も、ステラは色々な景色中を歩いた。
小さな村の中でアリアやクレウスが、貴族らしい女生や男性を交えて村人と楽しそうにしているのを見たり、学校の同級生たちが彼氏彼女を募集しながら集団お見合いしているのを見たりと、かなり一貫性がなく混沌としている。
けれど、そこにあったのは紛れもないみんなの笑顔で、フェイスの見せる様なおどろおどろしい夢の痕跡などはどこにも存在しなかった。
あるのはただ、母に見守られ揺りかごに揺られて眠る、何にも悩まされなくて悲しむ必要も不安に思う必要もない、幼子の見る様な幸せな夢のみ。
「皆すごく楽しそうで、幸せな夢ね」
「ああ、そうだな」
ツェルトと手をつなぎながらそう言えば、ツェルトが賛同してくれる。
そこにあるのはただただ優しいだけの、皆が笑顔になれる幸福な景色だった。