第5話 シーラの笑顔
いつもと違う任務にひと段落がついた後は、いつも通りの日々が待っていた。
カルネの部屋に寄った後は、シーラの相手をするべく騎士舎の共用区画へと向かう。
シーラと出会ってそれなりの時間が過ぎた
両親と離れてからもう結構な期間が過ぎたはずで、子供にとっては長すぎるくらいだというのに、女子騎士舎に預けられているシーラは、たまに寂しがるだけで驚くほど良い子だった。
いつも変わらぬ笑顔でステラ達を癒してくれる少女の存在は、元気づけるどころかむしろ自分達が彼女に元気づけられている。
無理してないか、我慢してはいないか心配になって仕方がないが、それとなく聞いてもシーラは笑顔でにっこりしながら「だってママとパパがいるから」と言ってくれるのみだ。嬉しい、非常に嬉しい。
が、いつまでも当人でないステラ達が親代わりを務められるわけではないだろう、特に今は父親代わりのツェルトの姿もない。
早急に何とかしてやりたいと思っているのだが、中々うまく進まない。
今度王宮でのごたごたが落ち着いたときに、エルランドにもう一度王都に出せないか話を付けてみようと、ステラはそう思った。
騎士舎 共用区画
そんな風に天使の様な少女について思いをはせながら共用区画へと歩いてきたステラだが、部屋に入らない内に賑やかな声と、動物の鳴き声が聞こえて来た。
動物……?
「わー、ねこちゃんわんちゃんだ。にゃーにゃーが鳴いてる! かわいいね」
扉を開ければ、底には子犬や子猫が数匹いて、元気に走り回っている姿があった。かわいい。
……ではなく。
「えっと、これは……」
いったいどういう事だろうと、近くにいる桃色の髪に赤い瞳をした少女……アリアに視線を向ければ、言葉が返ってきた。
「あ、ステラさん見てください。とっても可愛いですよ」
とても幸せそうな笑みと共に。
それは見て分かる。
だけど、ステラが聞きたかったのはそういう事ではなく、その可愛い動物がどうしてこんな所にいるのか知りたかったのだが。
口を開こうとするのだが、足元にじゃれついてきた子犬を抱き寄せて頬ずりするアリアはとても嬉しそうで、何だか追求して邪魔する気になれなかった。
「半日限定で貸し出してもらったのだよ。先日ステラ達が猛獣の捕縛に協力した曲芸屋を覚えているかい? 彼らのお礼という事だ」
代わりに説明をしてくれたのはクレウスだ。
見張りと一緒に王宮の部屋の中で安静にしているはずではなかったのだろうか。
と、そう聞けば、複雑そうな表情をして彼は言葉を返してくる。
「そうするのが妥当なんだろうけれどね。一度ならず二度までもふがいなく醜態をさらした身では、そうしてもらえた方がありがたいような気もする。……だが、専門家の調べによれば呪術は弱った心に付け入るそうじゃないか。だから過剰にストレスをため込むのは良くないという判断になってね」
それで、見張りをくっつけて数名が部屋の外に出て来た……と、クレウスは隊の数名や見張りらしい兵士を視線で示す。
「そうだったの。でもアリアはきっと安心するわ。部屋で寝ていられると病人を見ているみたいで心配になってくるもの」
「それは確かに同感だ。僕も一応は一部を除いて健康体だからね、ベッドの上にいつまでもいると気が滅入りそうだったよ」
子犬相手にはじゃぐアリアの様子を見れば、いつもより若干テンションが高いようにも見える。
クレウスと普通にしていられるのが嬉しかったのだろう。
その割には彼氏をほったらかしにして動物の相手ばかりのような気もするが。
それからもステラは久々にお見舞いでない形で他の仲間達と会話をした後、子犬や子猫と一緒に遊びまわっているシーラへと近づいた。
「あ、ママ。見てにゃーにゃーとわんわんだよ!」
「そうね、可愛いわね」
小さな動物に囲まれるシーラの無邪気な笑顔が至近距離でダイレクトに視界に入って来て、危うく直視できなくなるところだった。
ニオにたまに本物の親の様に親馬鹿になる時があるなどと言われるが、自分でもだんだんそうかもしれないと思えてくる。
これで、ツェルトとの間に子供ができたら、賑やかで凄く楽しいだろうきっと。
シーラとの縁が切れてなかったら、自分たちの子供と一緒に仲良く遊んでいる所もいつか見て見たいと、そう思った。
「ふんふんふん、ふーん……」
そんな事を考えていると、意識の隅にある音が引っ掛かった。それは、とても聞き覚えのあるフレーズであり、自分も口ずさんだ事のある物だ。
発生源は視線の下。
自分の近くにいるシーラからだった。
「シーラ、その曲……」
「あのね、ママに教えてもらったシーラの好きなお歌なの。『よぞらのしらべ』っていうんだよ」
「夜空の調べ……?」
聞こえてくるのは曖昧なうろ覚えのメロディではなくしっかりしたものだ。
そんなまさか、と思う。
あの曲を完璧に知っているのはステラしか知らないはずだ。同じ世界からの転生者はリートもいるが彼女は元となったゲームについては何も知らないようだったし。
その歌を歌えるのはステラしかいないはずなのだ。
「そうだわ、カルネよ。シーラ、その歌はカルネに教えてもらったの? それとももしかしてツェルト? タクトって言う人かしら」
学生時代のイベントにて、ツェルト、カルネ、そしてタクトがその曲を身近に聞いていたのだからひょっとして、そのいずれかの人間に教えてもらったのではないかと、そう思うのだが……。
「ううん、ママに教えてもらったの。お気に入りのびーじーえむって言ってたよ」
ビージーエムって、まさかBGM……?
その発言が本当なら、ステラやリート以外にも転生者がいる事にならないだろうか。
いや、そもそもそんなややこしい事ではなくて、シーラの母親とは……。
「やほー、シーラちゃん、遊びに来たよー。ってわあ、何これすっごい、そしてかわいー」
ステラが導き出しかけた一つの答えをかき消す様に、突如大きめのドアの開閉音がして、聞きなれた声が聞こえて来た。ニオだ。護衛の仕事がひと段落着いたのだろう。部屋の中を走り回ている動物達に目を丸くしながらこちらに近づいてくる。
「シーラちゃんといるといつも元気出るけど、今日は動物達も一緒なんて! 予想以上に息抜きできそうでニオびっくりだよ。何が起こっちゃったの、この部屋!? どういう事ステラちゃん」
混乱しつつも嬉しそうな様子のニオに、ステラがクレウスから聞かされた事情を話してやると、ニオは足元で遊んでいる猫達を嬉々として捕まえ始めた。
「なーるほどー。曲芸屋の人達に感謝しなくちゃだよね。ほらほらおいでおいで、ニオちゃんだよ。仲間だよー」
捕まえ方が上手いのか、誘い方が上手いのか、みるみるうちにニオが猫まみれになっていく。
普段の言動が猫っぽい所があるから、寄り付きやすいのかもしれない。
ちょっとうらやましい。
ステラもあんな風に構ってみたいのだが、他の人の目がある所でああなるのはちょっとまずいだろう。
非情にもどかしい思いをしつつも、たまに寄って来る子猫子犬の相手をしているとと、しゃがんだ姿勢のステラの髪を、やけに人懐っこい子犬が噛んできた。
「あ、ちょっと駄目よ。これは食べ物じゃないんだから」
綱引きならぬ髪引きをしながら叱るのだが、子犬は構ってもらっているとでも思っているのか非常に楽しそうにはしゃぐのみで、中々髪を離してくれない。
「もう、困ったわ。駄目って言ってるじゃないの。こらっ……」
ちょっとだけ殺気を乗せて注意をすれば子犬は途端に、物悲しげに鳴き始めてつぶらな瞳を伏せ始めた。
そんな態度をとられてはそれ以上怒るなんてできない。
ややあって、機嫌を取ろうとでもしているのか、ステラの手をなめ始めてから再びじゃれついてくる子犬を見ていると、無性に構ってあげたくなってきてしまう。
「髪じゃなかったら、遊んであげても良いわ……」
小さな頭を優しくなでてやれば甘えるようにこちらに子犬はこちらにすり寄って来て、その仕草にやられそうになった。理性とか色々が。
「わー、ステラちゃんなつかれてるね」
「そうね。でもツェルトと似てて、落ち着きがないから困ってもいるんだけど……」
ステラの腕にとびついたり登ろうとしている子犬を見ていると、何だか彼を相手にしているみたいな気になってくるのだ。
ここにはいない、ステラの大事な人を。
そんな風に言えば、先程までの浮かれた表情を決して、ニオは沈んだ表情を見せる。
「……ニオ?」
「ごめんね、ステラちゃん」
「どうして謝るのよ?」
「ニオ、大変な事になる前に王宮の中でライド君の姿見つけたんだけど。危ない事企んでたなんて全然気づけなかった。その前も、よく分かんなかったけど、ライド君と話しててケンカみたいな事になっちゃったから……。もっとニオがちゃんとしてれば、あんな風にならなかったんじゃないかなって、ツェルト君も……」
ここの所ニオの元気が無いのは分っかていたが、そんな事で悩んでいたとは。
ただでさえエルランドの護衛で大変なはずなのだし、あまり気を煩わせたくはなかった。
「そんな事……、ニオは悪くないわよ。予想できなかったのだし、仕方のない事じゃない」
「そうなのかな。ニオ、エル様の事ばかりで、一番だからって一番にエル様のこと大切にしようってそう思ってるけど、でも……だけど、ステラちゃん達に友達としてしてあげられてる事あるのかな」
それこそ、そんな事だ。
ちゃんと力になてくれているし、ニオのおかげで助けられた事なんて、たくさんあるのに。
「ニオはちゃんと、私の力になってくれているし、助けてくれてるわよ」と、そう言おうとしたのだが言葉を発する前にシーラが気づいてこちらに駆け寄って来た。
「ニオお姉ちゃん大丈夫、具合わるいの?」
「ん、シーラちゃん、ごめんね。ちょっと考え事してただけだよ。ニオはだいじょーぶ!」
「ほんと?」
「もちろん。ほんとのほんと」
拳を作って笑顔を装うニオだが、やはりどこか無理をして言うように見えてしまう。
「えっとね、ニオお姉ちゃんにシーラがおまじないしてあげる」
「おまじない? シーラちゃん占いとか出来ちゃったり、詳しかったりするの? ニオ初耳だよ」
ステラちゃんは知ってた? と視線を寄越されるが首を振る。
シーラがそんな様な話をしていた事は今までに一度もなかったはずだが……。
「えっとね、笑顔! シーラが笑って笑顔でいるとね。皆が嬉しくなって元気になるんだよって、ママとパパが言ってたの」
「あーなるほど、そういう事かー。うん、確かに間違ってはいないよね。ニオもシーラちゃんの笑顔好きだし、凄く元気になるもん」
まあ、確かにそういう解釈でも「笑顔」もおまじないと言っても良いのかもしれない。
むしろそこらの物より効果が確かに保証されるのだから、胸を張って良い代物だろう。
「シーラの笑顔はね、皆が笑顔になって、明日もまた明日も頑張れる笑顔なんだって。だから笑顔はシーラのおまじないで『しんじょー』なの。ママとパパは皆に尊敬されるすごいママとパパだから、シーラも一緒になる為に、いつも笑顔で楽しくいようって思ってるの」
シンジョー。
信条……。
子供だと思っていたが、シーラはしっかりとした強い芯を持っていて、立派な思いを胸の内に秘めていたらしい。
「偉いっ、偉いぞーシーラちゃん。ニオ感動しちゃったよー。えいえいこのこの、ご褒美にニオがぎゅっとしてあげちゃうぞー」
「わ、ニオお姉ちゃん苦しいよー」
シーラの健気な思いが心の琴線に触れたらしいニオは、感極まった様子で、まとわりついている猫ごとシーラに抱き着いている。
「そうだよね、ニオも元気もらったから頑張れそうな気がする、シーラちゃんありがとね。ぎゅーっ、このこの」
「ママー……」
とにかくニオの元気が出たようで良かったが、助けをも止めるシーラの為にももうちょっ手加減させなければならないだろう。