短編 クレシアの子育て日記
救世主令嬢編の最後ら辺の時期の、ステラの母親の話です。
ウティレシア領 屋敷 『クレシア』
ステラの母親であるクレシア・ウティレシアは手にしていた遠話機が切れるのを待って、ため息をついた。
王宮で色々あった事で、数日前に勇者の遺物を使って転移するヨシュアやレットを見送ったばかりだ。
自分も娘のステラには会いたかったが、行っても足手まといになる事は分かりきっていたので我慢するしかなかった。
それでなくても領主の妻としての仕事があるし、そもそも時間を作ること自体が難しい。
そうして一瞬の内に胸の中を巡る様々な思いを整理したクレシアは、持っていた遠話機を置いた後、私室へと向かいながら小さく呟く。
「あの子も、立派になったわね」
最初にステラを生んだ時は、取り上げた助産師が他の子供よりも小さい体を心配していたというのに。
本当に立派にたくましく成長したものだ。
貴族にもかかわらず魔法が使えなくなってしまった時は、どうなる事かと思ったが、話を聞く限りでは良くやっているようで、姿が見れないながらに安心した。
ステラは、良い仲間に囲まれ大きな怪我などもなく騎士として己の職務を全うしているらしい。
もっとも、今でこそ国を救った英雄だ勇者だなどと言われているが、昔はそれほど体力がある子供ではなかった。
剣を振るどころか、棒切れ一つだって振るうことなどできなかったし、体力などは一般的な少女のものよりなかったはずだ。
『お母様、お母様。私もうそろそろ外を見に行きたいわ。ね、いいでしょう? 村には私と同じくらいの年の子が大勢いるのよね。友達というものを作ってみたいの』
友達を作ると言う些細な事に、ごく普通にけれど楽しそうに胸を躍らせていた幼い頃の娘。
そんな事をこちらに述べてきたのは確か五歳くらいの頃だったはずだ。
あの頃は弟のヨシュアができて、その世話にかかりきりになっていたから面倒を見られずに寂しい思いをさせてしまった。
ラシャガルの訪問があるという事で、ちょうど良いきっかけだと思い避難場所の代わりに村へ寄越したのをついこの間の様に思い出せる。
『私、こんなにちっちゃな子と仲良くなったのよ。でも名前を聞きそびれてしまったの。また会えるかしら』
そうだ。その時は熱が出て、色々大変な目にあったと言うのに、ステラはまるで何事もなかったかのようにまた村へ行きたがるので少し困ったのだった。
思えばそのあたりから、今のステラにつながる行動力が形成されていったような気がする。
初めての場所で抱いた好奇心や楽しみが、ステラの成長を大きく促すのに一役買ったのだろう。
しかし、しばらくしてステラが七歳になり、再び訪れた村で人質にされた時は、そんな事件の災難に村への出入りを禁止しようかと悩んだ。
そうしなかったのは、領主の娘として勉強させねばならない事情があるのと、これ以上不自由な思いをさせたく無いという思いがあったから。
ステラは普通の貴族と違って魔法が使えない。
そのせいで、血が繋がっていないなど陰で囁かれていた。クレシア達は、そんな話をまだ幼い自分の娘の耳に入れたくないばかりに、ついついステラを屋敷に閉じ込めてしまいがちになっていたのだ。領主の後を継ぐのというのなら、そんな事ではいけないと、思いつつも。
ステラが人質にされた事件からしばらくして、ツェルトが屋敷に遊びに来るようになると、ステラは屋敷で大人しく振舞っていたのが嘘の様に良く笑い、遊ぶようになった。
領主の娘として、しっかり教養を身につけよう、精力的に勉学に励み、身分にあった振る舞いを練習する。そんな娘は、他の年頃の子供と比べて良く言えばしっかりしていて、悪く言えば我がままも言わない、あまり自分の欲を表に出さない子供だった。
いつでも厳しい目を自分に向け続け、己を高める事に意識を向ける娘。そんなステラの姿を見つめ、これで良いのだろうかと思わない日はなかった。
それをツェルトが解決してくれたのだ。
ツェルトは平民であるが、そんな事は関係なかった。娘の友人として毎日のように屋敷に遊びに来る少年の存在をクレシアは歓迎していた。
『あの子の事、よろしくお願いするわね。ツェルト君』
『おう、任せとけ……じゃなくてください。ステラは俺の大事な……友達だからな』
大事な、の後に何やら間があったような気がするがそれは置いておく。実際ツェルトはステラに本当に良くしてくれた。
ステラが木刀を振り回す様になっても、怪我をしないように注意してくれていたようだし。いつの日かラシャガルに良くない事を言われたらしい時でも、ステラの心に配慮してくれていたのだから。
「ツェルト君には感謝してもしきれないわね」
笑みをこぼしながらクレシアは、自室の扉を開けて部屋へと戻ってくる。そして、日課であるささやかな作業をこなす為に机に向かって座り、ノートを開く。本日分の日記をつけるのだ。
娘の友達である少年……ツェルトに関しては、迷いの森にステラを連れて入った件については、思う所がないわけでもないが、それでもステラから聞いた話を聞けば、あまり大きな声では怒れないし、娘を守ろうとしてくれた感謝の方が大きい。
そうやって過去の回想に耽りながらもクレシアは慣れた様子で手を動かし、記録を綴り終える。今日の分を書き終えれば、何となく以前の分を読み返したくなり過去に綴った日記を取り出していた。
遡る事に古くなっていくそれらのノートの束は、何度読み返したのが一目で分かる様になっている。
ページをめくる癖がついたページを開けば、そこは子供たちの成長がよく書かれている場所だ。
「話して聞かせたら、あの子は驚くわね」
その時に綴った日記のページを読み返せば、木登りができるようになったとか、木刀の素振りをこなせるようになったとか。かけっこが速くなったとか、そんな成長がことこまかに記載されていた。
この目で見た物もあるが、領主である夫の仕事の補助などもこなさなければならなかったので、大半は使用人達から聞いた話となる。
自慢の子供だからというのもあるが、本の数は数冊では治まらず、その量はかなりのものになるだろう。ヨシュアはともかく、何故か色々な事に巻き込まれる娘の体質もあるので猶更多い。
「でも、そんな記録もあの子の抱えた問題に正面から向き合えない事の裏返しだったのかもしれないわね」
領主の仕事の手伝いが合って忙しくてと、そう言うのはきっと言い訳だろう。
血がつながっていないかもしれない、その事をステラが気にしている事はうすうす分かっていた。
けれど、クレシア達はその事について話し合う事を避けていたのだ。
ずっと、娘と向き合う事から逃げ続けて来た。
話し合う事で家族の間にもしも溝が入ってしまったら、今の幸せな生活が消えてしまったら。そんな恐れがクレシアの口を固く縫い閉ざしてしまった。
それは元はと言えば若い頃、自分達が辿って来た歴史に原因がある。
クレシアや、自分の夫でありウティレシア領の領主であるラルスは、優秀とは言えないがそこそこは腕の良い治癒魔法の使い手だ。
二人の出会いは偶然。騎士団の任務がらみで起きた事件の応援として、駆けつけたのがきっかけだった。
貴族至上主義に囲まれて育ってきた若い頃のクレシア。
出会ったばかりの頃。最初の方こそは、平民に寛容なラルスを嫌って遠巻きにしていたのが、任務の手伝いを通して、ラルスのその人柄に惹かれていった。
それで、時間をかけてゆっくりと互いを理解しあった後に、共に道を歩む事に決めたのだが、クレシア達は多くの困難に見舞われた。
人柄の良い領主。平民も貴族も差別せずに接する事ができる人。
そんなラルスが、その出来た性格ゆえに困った者達を放っておけなかったからだ。
今でこそ暮らしが落ち着いてはいるが、一緒になると決めたクレシアはその事で何度悩んだか数えきれない。
ステラやヨシュアには話してはいないが、二十年以上も前の自分達はこうして家族がそろって屋敷で過ごせるのが奇跡の様な日々を過ごしてきたりもしたのだ。
だから、様々な苦労の末に得た平穏、幸福な時間を下手な事をして壊したくなかったのだ。
「けれどその考えは、きっと間違いだったわね」
ページをめくる。
そんな自分の考えの末に、自分の価値を求め、強くなることに邁進するようになった娘を騎士の学校へ通わせる事になり、クレシアは激しく後悔する事になったのだ。
取り返しがつかない傷を負わせてしまった。幼なじみの記憶を失わせ、不安な思いをさせてしまったのだ。担任教師のツヴァンから知らされた夜の校舎の話を聞けば、なお胸が痛んだ。
それだけならばまだしも、さらに状況は悪くなる。ステラはそんな状態のまま、状況が変わった国の言いなりとならざるを得なくなってしまうのだ。
グレイアンという国の暴君の指示によって、人質となってしまった自分達を守る為に。
どれだけ後悔したか分からない。
毎日のように自分の愚かさを責めた、せめて娘と話がしたかったがそれすら自分達には許されなくて、どうにかなりそうだった。
いっそ自分達など見捨てて逃げてくれたらとそう思うことさえあった。そんな事ステラができるはずがないと分かっていても。
なにも出来ぬまま時間が過ぎて、けれど、落ち込む自分達を励ましたのは強く成長したヨシュアだった。
『父様と母様、それに屋敷の使用人さん達も僕が絶対に守ります。だから安心してください。姉様だって僕達がきっと助けてみせますから』
ステラに全般的な能力は劣ってしまうものの、細やかな気配りのできる数多の良い息子はクレシア達が気が付かない間にずいぶんと強くなっていた。
剣技の才能がないにもかかわらず、ステラ達と同じ舞台に立って行動したヨシュアは、この国を暴君の手から解放するという偉業を成し遂げたのだ。
それはステラも同じだった。
数年の月日経て再会したステラは自分たちの知る姿よりも、一回りも二回りも大きく成長して立派になっていた。国を救い、失った記憶すら取り戻して、自分達の前に再び現れたのだ。
そんな子供の姿を見れば、嬉しく思わない親などいない。
「貴方達は私たちの誇りよ」
兄弟そろって国を救うなど、中々ないどころか規奇跡的な出来事と言ってもいい。
二人はクレシア達のとっての誇りそのものだった。
けれど、だからこそ余計に、本当に必要な時に大した事をしてやれなかった自分達が許せなかった。
だから……、とクレシアはこれまでの自分達の子供の事を思い返して決心する。
親として、大人年てできる事をしなければ、と。
日々綴る日記とは別に取り出したのは一つの封筒。
差出人の名前はステラの担任教師のツヴァンだった。
それは出されるはずのなかった手紙で、クレシアが受け取るはずのなかったもの。
王宮の片隅で捨てられていたそれを、休暇を取って出かけていた屋敷の使用人が見つけなければおそらく永久に見る事がなかったであろうもの。
「私達も、貴方達に誇れる親でないといけないわね」
いい加減そろそろ親である自分達も前に進むべきだ。
向き合えなかった解決を、結局子ども自身にさせてしまったその、変えようがなくて代わりようがない過去の分まで。
クレシア・ウティレシアは胸にひそかな決意を秘めて、夫のラルスがいるであろう書斎へと足を向ける事にした。