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短篇 ツェルトと大切な女性



 ミューネは難敵だった。

 あれから何度か顔を合わせたのだが、その度に少女のペースに巻き込まれてしまう。碌に伝えたい事も伝えられていない。

 

 シルベールの名を名乗っている内は機会はいくらでもある。いつか伝えられる時が来るだろうとそう楽観的に思っていたのだが、その考えをまさか数日経たぬうちに改める事になるとは思っても見なかった。


「シルベール様、お相手をしてください!」

「シルベール様、お話しましょう」

「シルベール様! 呼んでみただけです。ごめんなさい」


 どういった理由か分からないが、王宮に滞在する様になったミューネが、ことある事にツェルトの前に姿を現すようになったのだ。


 これには参った。


 ただ話しかけられるだけならまだいい。

 だがそうじゃないのだ。


 休憩している時や、訓練をしているとき、部下達と打ち合わせをしている時でもお構いなしに絡んでくる。さすがに部屋まで尋ねて来ないだろうと思っていたが、尋ねてこられて驚いた。男子騎士舎に貴族の少女が、だ。おかげであらぬ噂が立って、とうとうステラが「シルベール様」呼びになってしまった。相変わらず怯えられて、距離をとられながら。……なんて事をしてくれる。


 これは一度強く言ってやれねばならないと、遅まきながら決意するがそれは本当に遅すぎた。

 けれど、それは自分が今まで言いだせなかったのも原因であるので、ツェルトはできるだけ言い方がキツくならない様に気をつけた。


「ねぇ、シルベール様」

「頼むから、いい加減にしてくれないか。いや、……いい加減にしてくれ」

「え……?」


 言い方!


 そうだった。この自分の時は、普段のとりつくろっている愛想がはがれてるんだった。

 感情の動きを抑制してくれるのなら、目に見える表層的な感情だけでなく、どうせなら奥深くの内心も沈めてくれれば良かったのに。

 だが、ないものねだりしても仕方ない。


 無邪気な少女の笑顔を壊すのは気が引けるがこれ以上やられたら、ツェルト色々限界になりそうだった。

 可哀想に思いつつも続ける。


「悪いけど、はっきり言って迷惑なんだ。君の境遇には同情するし、イジメてた奴の事は良くないと思う。けどな、それで俺ばかり相手にしてたら、君自身の為にならないだろ? 俺だって平民だからとか精霊使いだからとか、たまに言われた事があるけど、それでもちゃんと見てくれる人はいたんだ」


 だから、ミューネも周囲にもっと目を向けて他の者達と……と、続ける前に一度言葉を区切って相手の様子を窺う。


「……」


 答えは返ってこない。

 ミューネは俯いたままだ。

 罪悪感が湧いてきたが、これで良かったのだと言い聞かせて言葉の続きを紡ごうとするのだが……。


 次の瞬間に、鬼の様な形相で顔を上げられた時は驚いた。

 いつかステラに言われた般若とはこういう物だなと思った瞬間だ。カルネもたまに似たようなものを浮かべているが、これに比べればまだいい。


「ヘイミン?」


 少女の心の奥底にある、決して触れてはいけない場所に、ツェルトはそれと知らずに触れてしまったらしい。


「この、平民風情が……。平民の分際で、私を騙して、間抜けな私をっ……陰で嘲笑っていたのかっ」

「……っ」


 突如詰め寄られ、襟首を掴まれ、全く容赦もためらいもなく殴られる。

 俺、人生の中で女性に殴られ過ぎ。


 少女は、信じられないような罵声を吐きながら、人が変わったような様子で、それこそ東の国に言い伝えられている鬼にでもなったかのような様子で、睨み続ける。


「ミューネ?」

「平民なんて、貴族様の為に働いてこそだろう、貴族様の為に犠牲になってこその価値だろう。ラシャガル様も言っておられた、平民など取るに足らない虫けらどもだと。私をいじめた貴族なんて可愛いものだ。お前達平民のせいで、私がどれだけ苦しんだと思っている!」


 憎悪そのもののような言葉をぶつけられる。

 何て言うか、年端も行かない少女に殴られたりする事以上に衝撃を受けた。


 ラシャガルの名前が出た事とか、辛い過去の片鱗をうかがわせる言葉の中身とかに。


 この子は一体どんなひどい目にあって、今まで一人でいたのだろうか。


 周囲の大人によって誤った価値観を植え付けられて信じてきた少女は、貴族であるという事実に依存し、考え方がねじ曲がってしまっている。そのままの自分を愛する事ができなくて、他人の間違った価値観を自分の物としてしまっているのだ。


 貴族だから、偉い。

 貴族だから、より下である自分をイジメた平民よりも絶対的に偉い。

 ……と。


 自分は貴族である。そんな事実を頑なと言っていい態度で大切にしている少女。

 その姿が、長い間共にいた幼なじみの……ツェルトの大切な女性、価値を求め強さを追い求め続けるステラに似て見えて……。


 思いのままに、何か言葉を掛けようとしたのだが、その瞬間。


「ツェルト!」


 降り注いでいた暴力が離れて、懐かしい声で懐かしい名前を呼ばれた。

 視線を向ければ、金の髪に橙の瞳をした騎士服の女性が、ミューネと取り押さえているのが見えた。


 ツェルトの最愛にして唯一、絶対にして一番の場所にいるステラ・ウティレシアその人だった。

 彼女は他に駆けつけて来た騎士にミューネを任せて、こちらに近づいてくる。

 普段はあんなに距離を開けていると言うのに、まるでそんな事などなかったかのように、心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「しっかりしてツェルト、大丈夫? 急いで手当てしないと。額から血が出てる、頬が腫れてるわ」


 久しぶりに手の届く距離に来た彼女に、ツェルトはもう今までにあった色々な衝撃や驚きが瞬時に吹き飛んでいってしまった。


「平気だ、ステラ。助かったよ、本当に」


 そのままこちらに向けて伸ばされた手を掴んで引けば、ステラは戸惑いながらも逃れようとはしないでくれる。


 彼女の手を己の両手で包み込むと、温もりが伝わってくる。

 今はただそれだけで満足だ。


「手当、した方が良いんじゃ……」

「そうだな。でも……」


 もう少しだけそのままで、いさせてほしかった。


 やはりミューネに強く言い過ぎたかもしれない。

 ステラと似ているあの少女の心根は、本来は普段見るように明るくて、そしてもっと優しいはずなのだから。

 もう少しちゃんと考えて喋るべきだったかもしれないな、と思った。


「ステラ、ステラがいるから俺はまだ頑張れるんだ」

「ツェルト?」

「ん、何でもないよ」

 

 その時ツェルトは気が付かなかった。

 ステラの様子をじっと見つめている、一人の少女の暗い光を宿す瞳には。






 廃小屋


「色々苦労しているようだな。こちらの方は、まあ進展はあった。準備は滞りなく進んでいるが、例のアクリの施設の建設はとん挫したようだぞ、観光名所として名をはせたいのは分かるが湖の上に建物を建てるとか、こんな時に何を考えているんだ。それより、ウレム達の状況を何とかする方が先だろう。まったく」


 ミューネの変貌を目の当たりにした翌日。

 ツェルトを共犯者の道に誘い込んだ人間、リートが廃小屋にやって愚痴まじりにそう声をかけてきた。


「俺はステラ不足で今にも死にそうだ」

「この前補充したんじゃないのか」

「幸運にもな、凄い嬉しかったし、当分生きていけそうな気がしてきたけど。でももうちょっと欲しい」


 珍しく調子の良いツェルトがそう言えば、リートに表情をしかめられる。

 そこで優しい言葉を掛けてくれるような人間ではないことぐらいは分かっているが、言いたかったのだ仕方がない。


「それを連中に見せたら死ぬぞ」


 しかし、そんなツェルトを勇めるように低い声が返って来る。

 何やらものすごく意味ありげな事を、真実味の在りそうな真顔で言われて脅された。


 やめてくれと言いたい。


 ツェルトとて分かっている。貴族に弱みを見せればどうなるかぐらい。

 ステラやアリアのような人間の方が稀だ。貴族会の社交場に出てきて、愛想を振りまいたている人間達は、腹に一物抱えていると思っているくらいだ。平時ならそんな性格も逞しいの一言で済むが、今は暴君の統治の下。

 自分の身の周囲を自分で取り繕わねば、どんな恐ろしい物に目を付けられるか分かった物ではなかった。


「分かってるよ。でもいいだろ、たまには。はあ、俺恐ろしい世界に来ちゃったなあ……」

「今更だろう」


 もちろん、分かってる。でも言いたくなった。軽口を叩きたい気分なのだ。


 しかし、どう考えても精霊使いの力がなければ向いていない所の話ではない役割を押し付けてくれたリートには、言ってやりたい事がある。もうちょっと自分が動かなくても良い様にできなかったのか、と。


 後にそう言えば、リートは「話題性」やら「見た目」やらでツェルトがものすごく適任だったと、自信ありげに言ってくれる事になるのだが、今はまだ知らない事だった。


「そうだ、そう言えば、そのステラから誕生日プレゼントなるものをお前に託された。時期は早いが、渡しておいてくれとな。こちらも色々動いたおかげでようやく反抗の準備が整いそうだ」


 ツェルトは、もう言葉の途中から内容がどうでも良かったし、リートが出したそれを目で見て確認するようりも前に、奪い取っていた。

 そんなこちらの勢いに、わずかにリートがうろたえる様な素振りを見せたような気がするが、気にしている場合ではない。


 何せプレゼントだ。

 他の誰でもないステラからの。

 ツェルトがそんな風になるのは当然の事だろう。いやむしろ必然だ。


「ステラが俺に。そっか、そっか……。今年はくれないかなとか思ってたけど、そっか」


 手の中にある物体、それは小さな小箱だった。

 施されていたのはステラらしい星柄の包装紙で、それを破かないように丁寧に外して中身を取り出す。


 きっとあれこれ、考えてくれたのだろう。

 中身は、王都の小物屋などで買い集めただろう木の細工物のおもちゃだった。

 いつか、王都の病院で出会った子供に渡してしまった駒と似たようなものもあった。


「覚えててくれたんだな、ああ俺、あと一年くらい頑張れそう」

「その顔はムカつくが、まあ良かったなツェルト」


 珍しく、暴言を吐くのを自重したらしいリートが、用事は終わったとばかりに部屋から出て行く。


 数時間立って、副隊長が呼びに来るまで喜びに浸っていた事を後に話せば、リートに呆れられてそして珍しく引かれたりしたが。






 それからしばらくは、ミューネに絡まれる事がなくなって活動しやすくなったのだが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。

 ミューネが何をしようとしていたか知る事が出来ればツェルトは何としてでも、その行いを止めたのだろうが、生憎とそうではなかった。


 事の次第が判明したのは、ステラや友人たちが、勇者の形見でもある剣を回収する為に、信じられないほど少ない戦力で、魔物がはびこる地へと向かわされた後の事だった。


 話を聞きつけて、王宮の廊下を急いでいたツェルトの前に、歪んだ笑みを浮かべるミューネが経っている。


「……今、何て言ったんだ」

「ですから、私がこの王宮に滞在していたのはラシャガル様の命で反抗勢力へ情報を流していた裏切り者を探し出す目的があったです」

「そうじゃない。その後の話だ」


 ミューネはわざとらしく「ああ」、と納得したような様子を見せる。


「国王様にラシャガル様から進言してもらって、内通者と言う濡れ衣を被せた、あのステラとかいう平民の女を死地へと追いやった事ですか? 回りくどいですよね、牢屋に入れて始末してしまえばいいものを。そうしなかったのは、それなりに人望があったから城の兵士へ影響するのを恐れたんだと思いますよ」


 詳しく解説してくれと言ったわけじゃない。


 そこにいたのは、少し前までの社交場で無邪気にツェルトに向かって語りかけていた少女とはまるで別人だった。

 暗い笑みを張り付けた少女はツェルトの様子をみて、一層口の端を吊り上げ、笑い声を上げた。


「あは……、平民のくせに貴族なんかになろうとするから貴方達に罰が当たるんですよ。どうですか? 思い知りましたか貴族の恐ろしさを。今更急いでももう絶対に間に合いません。シルベール様、自分の行いを反省でもしてみます? 貴族は寛大です、心を入れ替えると言うのならそれなりの安全と引き換えに仕えさせてあげてもいいんですよ」


 自分より低い位置に立つ者であるにもかかわらず、その少女がこちらを遥かな高みから見下ろすかのように見つめてくる。


 ツェルトがさんざん嫌な思いを味わった、大人の貴族連中と同じような態度と目をしながら。


「冗談だよな」


 けれど、ミューネは否定しない。

 それは、向かい合って立つツェルトも分かっていた事だ。

 

 放たれた言葉が虚言妄言ではない事を。

 目の前の少女が、少女らしからぬ態度でこちらを見つめる態度が何よりも雄弁に、残酷な真相を物語っていた。


「ミューネ……っ!」


 詰め寄って剣を抜く。


 だが少女は嘲る様に笑い出して、まるで自分は何物にも脅かされていないのだと言わんばかりに、凶器の存在には気にもとめない。


 貴族だから。


「あははは、まさか平民風情のくせに私に害をなそうとでもいうのですか。護衛もいますわ、国王様のお情けで使われていると言うのに、歯向かうつもりなのですか?」


 本気でそんな事を信じているらしい少女だが、ツェルトはそんな少女の言葉があったからまだその場所で踏みとどまれた。


 哀れ、と言う感情をまさか子供に向ける事になるとは思わなかったが、ともかくツェルトは抱いたその感情に従い剣をしまった。


「……ステラが死んだら、その時はいくら子供でも容赦しないからな」


 そうして、気が変わらない内に、その場から離れていく。

 背中から響いてくる幼い笑い声が、軋んだ少女の心の悲鳴のようにも聞こえた。



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