短編 ツェルトと悩みの仮面
騎士になって少し経った頃の話です。
王宮 廊下 『+++』
海の底を思わせる様な青の髪に琥珀の瞳をした十歳ほどの一人の少女が廊下に立ち、向かいにいる人物を見つめる。その表情は、視界に入れるのも苦痛だと言わんばかりのもので、相手を見つめる眼光は射抜かんばかりのものだった。
少女は自らが呼び止めた向かいのその人物を見て、胸をはって姿勢を正し、己こそが正義だと言わんばかりの態度で、罵詈雑言の嵐を浴びせかけた。
「どこの家の者か知りませんけど、私のシルベール様に近づかないでください。貴方みたいな泥臭い平民が一体どんな顔をして貴族の前に姿を現しているのですか。財産目当てですか? それとも権力? いずれにしても住む世界が違うのでもう金輪際関わらないでくださいませんか」
小さな少女が相対する者、向かいに立つその女性は思いもしなかったのか、少女の言葉を聞いても目を見開くばかりで、碌に反応が返せないようだった。
「貴方は……」
金色の髪に橙の瞳の騎士服を着た女性。少女の前に立つその者は、突然の暴言を放った主に視線を向け、ようやく困惑気味に言葉をかけるのだが、そんな出だしの一言はすぐに封じられる。
「知っているんですよ。貴方、魔法も使えないくせに、貴族に成りすましていたんですってね。なんて汚らわしい。そんな汚い人間をシルベール様に近づけさせるわけにはいきませんので、本日は忠告しに来ました。理解できますわよね、この言葉の意味。今後は私たちに関わるな、と言ったんです」
「……」
畳みかけるように言葉を放つ少女に、女性は狼狽の気配を保ち、瞳にある光を揺らしながらも、かろうじて、言葉を紡ぎ出した。
「私が、ツェルトの迷惑……」
「ええ、ですから、もう彼の前に姿を見せないでくださいません? そうでないのなら……。忠告はしましたので、これで失礼します。後はどうぞ勝手に」
踵を返して去っていく少女、相手の事に着いて考えるよりも前に、その場に取り残された女性は、悲し気な表情になって呟いた。
「ツェルト、貴族になったのよね。迷惑なのかしら、私の事」
王宮 敷地内 『ツェルト』
『今度から、シルベール様って呼んだ方が良い……?』
「あぁ…………」
少し前にかけられたある言葉が頭から離れない。
ツェルトは、記憶の中で再生されたステラ・ウティレシアの言葉に死にそうになっていた。
協会の裏手にある廃小屋の中。
埃っぽい匂いのする、クモの巣が張っていたり、ゴミが散乱している小屋の中で、ツェルトは重力に押し潰されそうになっている人間の様な声で呻いていた。
「一体、何が原因なんだ」
騎士学校を卒業すると同時クーデターが発生。この国に君臨した暴君の指示によって両親を人質に取られたツェルトは、同じように実力があり、なおかつ近しい人を人質にとられた友人達と共に、騎士として働かされる事になったのだが……。
リートの提案で彼女の家の養子になり、貴族になったところで、友人達……アリアやクレウス、特に幼なじみのステラと、距離が生まれてしまったのだ。
やる事が忙しくてとか、距離が空いてしまう理由は探せば色々あるのだが、分からないのは何故か何もしていないのに、ステラから距離を取られる(言葉を飾らなければ避けられる)事だ。
王宮内でたまに顔を合わせると、ステラはこちらに怯える様な様子になって、距離を取って逃げてしまうのだ。
具体的に言えば、視線を向けてくれなかったり、近づいたら近づいた分だけ離れられたり、声を掛ければびくりと肩をはねさせられたり……。
それだけならまだ良い。
いや、全然良くなんてないのだが、良いとして。
それで、今までみたいに名前呼びじゃなくて、姓名呼びになるとはどういう事だ。
しかも様づけとか……。
さらに、「良いかしら?」ではなく「良い?」だ。これはまずい。ステラが取り繕わずにそんな風に喋る時はまずかった。ちょっと天然で、だけど臆病な、そして隠れ弱虫で泣き虫っぽい彼女の地が丸見えだった。
「冗談だったらいいのにな……」
あるいは夢とか。
だけど、ステラは冗談を言うような人間ではないし、どれだけ待ってもツェルトに目覚めの気配はやってこない。紛れもなく現実だった。
「はあー」
「何を、人が一人潰れそうなため息をついているんですか。隊長。心理的に空気が三割ほど重くなります」
「ああ、悪い」
そんなツェルトに声を掛けるのは、自分の隊の副隊長。
イリンダ・マティクスだ。
同級生で同じ教室の女性。……かつツェルトが隊長を務める隊の仲間であり、補佐的な位置になる副隊長。
実務系に弱いツェルトの有能な補佐役で、いつも世話になっている。
その彼女が呆れたような様子で、決めつけたような感じになって言葉をかけてきた。
「どうせ、ステラさんに顔が怖いと言われて傷ついたり、振る舞いが怖いと言われて傷ついたりしたんでしょう。分かってました。百パーセント」
「……そうじゃないって。……って、ちょっと待ってくれ。俺……怖いのか」
「はい」
何やら聞き捨てならない言葉が聞こえた、と彼女が述べた内容に反応しすれば、まったく躊躇なく肯定の頷きが返ってきた。
当然狼狽える。
そんなの初耳だ。信じられない。
大体今まで一緒に過ごしてきて、ウザいとかおかしいとかは言われたことはあっても、そんな事など一言も言われた事ないのに。
「シルベール様として活動している時は、例の力を使っているのですよね。なら、それが原因なのではないかと考えるのですが」
「ああ、アレか……、感情の動きを抑制するみたいな。ひょっとして表情動いてないのか」
「いま、睨んでますか」
「本気なのか……」
俺、いま滅茶苦茶狼狽えてるよ。
真顔で睨んでるかなんて言われたら信じないわけにはいかないではないか。
何という事だ。
そんなだったら、ステラに怯えられるのもおかしくないだろう。
すると打ちのめされたツェルトを、さらに打ちのめそうと鏡を差し出す副隊長イリンダ。ひどい。
けれど、確かめる為にも見ないわけにはいかなかった。
鏡を受け取って覗き込む。
「どうですか……」
結果。
「…………」
ツェルトの心は打ちのめされるどころか、打ち下かれる寸前だった。
落ち込むツェルトに気を利かせたつもりなのか副隊長が飲み物をくれた。
今度はちゃんとひどくない方だった。
「間接ですか」
「っ……」
あ、危なっ。
全然気を聞かせてないし、さらに打ちのめしに来た。もはや鬼だ。鬼である。
そう言えば東の方の国に血も涙もない存在……鬼がいるとか話に聞いたな。まさにそれじゃん。イリンダ鬼。
飲む前に気づいて良かった。
そうだ、これいつもイリンダが使っている水筒じゃんか。
彼女はいつもこうだ。
優しいステラとは大違いでこうやって、ことあるごとにツェルトの欠点をえぐって来る。分類で言えばリートよりの人間だろう。
助かっている所もあるのだが、学生時代に同じ教室で学んだ仲とは言え、ツェルトはどうにもこの副隊長との距離を測りかねていた。
ひょっとしていつも苦労かけてる分の嫌がらせなのだろうか。
そうだとしたら……別にどうもできないし、大人しくやられるしかなくなるので嫌なのだが。
「そういう所があるから、ステラさんにシルベール様なんて呼ばれるんですよ。シルベール様」
「やめろ。その呼び名」
再び、ひどくなった副隊長に抗議するが取り合ってもらえない。容赦がない。
「いいですか、シルベール様。いかにシルベール様がリートさんに協力する形で、貴族の社交界に引っ張りだこになって仕事をしていると言っても、それはシルベール様の中だけの事実です。他の人から見えれば、権力やら立場やらに目が眩んで、上手く取り入ったようにしか見えないんですよシルベール様」
「まあ、それは知ってる」
実際陰口を言われるのを何度か聞いた事があるし、ツェルトも覚悟していた事なのだから。
だが、副隊長の攻撃はまだ止まらない。
「リートさんにくっついて、意味ありげに振る舞ったり貴族のお嬢様を骨抜きにしてるのを客観的に見たらステラさんはどう思うか分からないんですか、シルベール様。浮気者ですか、シルベール様」
「……なあ、とりあえずその呼び方は止めてくれないか? いや本当に」
一単語連呼されるたびに、砕け散る寸前のツェルトの心にヒビが入ってくから。
それ以上やられると、修復できなくなりそうだから。
「だけど、骨抜きって何だよ。俺は別にステラ以外に特別親切した覚えはないんだけどな」
「色々言いたい事はともかく、ミューネ様になつかれているのはどう釈明するつもりで……」
「ああ、そういえば」
顔を出す社交界で、そんな名前の貴族の少女がいる。同じ貴族にいじめられていたのを助けてやったのがきっかけで、顔を合わせればやたらとこちらに絡んで来るようになった子だ。
年は十を過ぎたくらいで。知り合いにいる女性、カルネのものよりも濃い青の髪で、そして琥珀色の瞳というちょっと珍しい容姿をしているので簡単に思い出せた。
髪色も考えれば珍しいのだが、カルネもいるしそれほどではない。
だが、その少女の瞳の琥珀色は滅多にない色合いなのだ。
黄や橙、赤や紫を一般的として、東の国では黒や茶などもあるが、琥珀は本当に見ない色だ。
遡れば大昔、東の国出身だった勇者の従者が、鬼の血だか何だか特別な血統を持つ者がいて、初めは勇者を付け狙う面倒な盗賊の頭だった……なんて話を聞いた事などがあるが。
とにかく、その珍しい瞳色のせいで話題に上った少女……ミューネはよく貴族達からイジメられてしまうらしかった。
「人と違うって事は、そんなにおかしな事なのかな」
ツェルトも少女と同じ、珍しい方の人間だ。
あまり見ない精霊使いであるツェルトは、幼い頃聞こえるはずのない声や気配を聞いたりして、それを誰とも共有できない事に孤独感を味わったりした事もある。
自分の場合は、ミューネの様に誰かから害を被ったりするような事にはならなかったが、それでも本当の自分を見てもらえない、理解されないという辛さは少しだけ分かっていた。
「おかしくはないと思いますよ。まあ、助けなかったら、それはそれで人でなしだと隊長をなじってましたから」
「どっちも地獄だな」
助けた事に関しては副隊長も文句はないらしい。ともすればその後の付き合い方だろう、問題は。
「問題な事してるのか?」
「してます。だから、もっと厳しく接してください」
「年端も行かない少女にそんな事するのは気が引けるけどな」
だが、まあ仲良くなりすぎてツェルト自身が心労を患っていては意味が無いだろう。
「貴族の少女に手を出している、なんて噂が流れない内に対処をお願いします」
「……分かった」
渋々ながら頷くツェルトは、今度会った時の対処の考えにその後の時間を費やした。
と、いうわけなのだが何事も向き不向きがある様に、上手く行く事と行かない事があるのだ。
「シルベール様、ごきげんよう。今日も話し相手になって下さいませんか?」
「それは良いけど、言わなきゃいけない事が……」
「あっ、実はですね。この間シルベール様に言われた通り、私に言いがかりを付けて来た女子たちに言い返したんです。そしたら、もう彼女達ったら驚いて驚いて。やっぱりシルベール様の言った通り勇気を出して正解でした。シルベール様ありがとうございます」
決意したとたんに、屈託のない笑顔で迎えられてさっそく怯んでしまった。
純粋な行為と感謝を前にすれば、誰だってこれからその表情を曇らせるような事は言いたくなくなってしまう。
しかし、ツェルトは別に報復される事を考えて、言い返せとまでは言わなかったはずなのだが、この少女、意外に行動力がある。そんなところも想い人に似ていて、ますます放っておけなくなってしまった。
「やっぱり何の能もない平民ならともかく、貴族は貴族らしく堂々としてないといけませんよね。自らの血の事なんて気になどしてはいけなかったんです」
「まあ、ミューネがそれでやっていけてるのなら良いんだけどな、それよりも……」
話が一区切りつきそうな頃合いを見計らい、自分ともうちょっと距離を置く様に言おうとするのだが、これもまたあえなく失敗した。
「そういえば最近貴族の令嬢たちの間ではやっているお洒落をしてきたんですけど、お気づきになられます?」
「そんな事より……」
「そんな事、そんな事とおっしゃられましたか? そうですよね、シルベール様にとって、私の身に起きる変化なんて、些末な事でわよね」
「いや、そうじゃなくて」
「まあ、やっぱりシルベール様はお優しいですわね。嬉しいです。けれど、私はぜんぜん辛くありません。平気です。シルベール様が私の味方でいてくれるんですから」
「……」
話をさせると恐ろしい奴がたまにいるよな。
こう次片次へと話題が出て行って、色々話題の種が変わると言うか。ペースが掴めないと言うか、ついて行ききれないというか、いつの間にか主導権を握られていると言うか。そう言う奴。ミューネは全部だな。
これが悪意のなる人間や、もっと年齢が上の者ならば他にやりようはあるのだが、さすがに年端もいかない少女にきつく言うわけにもいかずに困ってしまう。
それに、自分から強く言えば、またミューネを一人にさせてしまうのではないかと思えば心配で、言葉が出なくなってしまうのだ。
「どうすればいいんだろうな」
本当に、どうすればいいのだろうと思う。
ステラ以外の事で他人についてここまで悩むのは初めてかもしれない。
「何か言いましたかシルベール様」
「いや、何でもない」
「シルベール様はいつも固い顔ばかりされてますね」
「そう見えるか、やっぱり」
「あ、でもその……恰好良いと思いますよ」
「別に、気を使ってくれなくてもいいぞ」
さんざんイリンダに言われて思い知ってるから。
小さな子供にも怖い顔に見えているのなら、ステラにだってそう見えてもおかしくない。
それからも続くミューネとの会話に生返事をしつつも、ツェルトの頭はこれからどうしようかという事で悩みが尽きなかった。