短編 カルネと感謝の花贈り
時間が少し戻って、大体ステラが十歳くらいの時の話です。
『カルネ』
花贈りの日。
春に設けられたその祝いの日は。
それは日ごろの感謝を、花自体や花にまつわる品をプレゼントする事で友人や知人に伝えるという日だった。
そういうわけなのでカルネは、それなりに親交が深まってきただろうと自負する友人へ、感謝の気持ちを込めて花を贈りたいと思った。
現在は、母であるカナリアに相談している所だ。
目の前には深い海を思わせる青い髪に、薄い水色の瞳をした華奢な体格の女性がベッドに横たわっている。
「……と、いう事なのですが。お母様、私はどのような花を贈るのがよいのでしょう」
ベッドの上から動けぬ身である母親に、お見舞いのついでに無理をさせないようにと軽く尋ねれば、返ってきたのは花が咲くような笑みだった。
「カルネが一生懸命選んだ花なら、きっと何でもその子は喜んでくれると思うわ」
「そうでしょうか。私は花についてそれほど知識があるわけではないので、失礼な物を選んでしまわないか心配なのですが」
「大丈夫よ、自信を持って。それに貴方はそれくらいの事で怒ったりするような子と、友達になったりはしないでしょう?」
「それは、ええ。そんな人間はこちらから願い下げですが……」
あまり、話を長引かせたくないと思いつつも、不安が口をついてしまう。
いつも、お見舞いの時には心配をかけまいと思い、そういう心労をかけるような話題は避けて来たのだが……今回はどうしても気になったのだ。
カルネの母は、もともと細身の体だったがそれでも以前に比べてかなり痩せてきている様に見える。
原因は体を蝕む病のせいでもあるだろうし、運動も滅多にしない影響で筋肉が落ちているのもあるだろう。
しかし、満足に動けぬ身となっても、カルネの母は常に笑顔を絶やさぬ人だ。
カルネにとって母は、いつも変わぬ笑顔を浮かべ続ける、安らぎや安息の象徴の様な人であった。
穏やかに笑いながら、いつもよりほんの少しだけ嬉しそうにカナリアはこちらへと話かけてくる。
「それにしても、カルネに花を贈るような友達ができたのね、本当に良かった」
「母様、もうその話は……ステラと友人になってから何度も聞きました」
「心配していたのよ、貴方はあまり友達の話をしないから」
「す、すみません」
そうだ、いくらカルネが心配をかけまいと振舞っていても、結局は心配をかけてしまうのだ。
カルネとしてはもっとしっかりせねばと思うのだが、いくら気を引き締めても全く母の心配症が治らないのはどういう事だろうと、最近は首を傾げる事もしばしばだ。
「ううん、顔を上げて。怒ってるんじゃないの。私はとっても嬉しいのよ。お友達の話をする貴方の姿はとっても楽しそうで、好きよ。良いお友達ができて本当に、良かったわねカルネ」
「はい。それは私もそう思います」
最初は口喧嘩ばかりして、仲が悪かったが今では衝突する回数も減ってきている。
それは、時間が経て互いの事をよく理解するようになったこともあるし、相手との適度な距離感を掴めてきた事もある。
これまで自分の意見を絶対とし、押し付けるだけで相手の事情を考えてこなかったカルネには、彼女と付き合う時間は良い経験となった。
「母親らしいことができて嬉しいわ、いつも悩みなんて相談してくれないもの」
「悩みだなんて、そんな大げさです」
「そうね」
楽しそうにくすくすと小さな声を上げて笑うカナリアは、とても調子が良さそうだ。
取りあえずは母の負担になっていないようだと、ほっとしてその後の時間は二人で、贈る花に着いてああだこうだと言い合いながら話を進めていく。
カナリアは野山や平原に咲く花や樹木、鳥や昆虫の名によく詳しい。
貴族のお嬢様として蝶よ花よと育てられてきたと言われる母親が、なぜ野外のものについて詳しいのかは色々と聞きたいところだが、興味をこらえてそれは母が自ら話したいと思った時を待つ事にした。
一通り、話し終わった後にカナリアはこちらに尋ねる。
心配げな表情をして、こちらを見つめながら。
「ねぇ、カルネ。お父さんの後を継ぐ事が重荷だというのならいつでもやめて良いのよ」
「そんな、重荷だなんて。私は国を支える父の後を継ぐ事を誇りに思っています」
カルネの父アルネは十士だ。
国の政治に関わる人間。
ゆえに厳しい顔を絶やさない人であるが、聡明で博識であり素晴らしい人間であった。
子供であるカルネが、政治の何たるかが完全に把握して切れているとは言えないが。それでも父の役目は立派であると思うし、その後を継ぐ事に否定の意を唱える事はなかった。
「忘れないでね。私達は……カナリア・コルレイトもアルネ・コルレイトも、貴方がどんな意見を出してもそれを尊重するわ。もし、政治より大事な事が見つかったら、今の話をもう一度考えてみて」
「はい」
正直そんな日が来るとは思わなかったが、カルネは頷いておいた。
父や母は自分より長い年月を生きている。
そんな彼らがそう言うのなら、その言葉は一考するに値する言葉なのだろう。
そんなやり取りを最後にして、カルネの思ったより長くなったお見舞い兼花相談のひとときが終わった。
そして数日後、例によって例の日を迎えたカルネは、穏やかな春の陽気の中、ステラの住まう屋敷の扉を叩いていた。
使用人に案内されたのは中庭だ。
花を贈る相手……友人であるステラは散歩でもしているのかと思ったが、そう言えば彼女は普通の貴族とはかなり違うのだったと思い出した。
大方木刀でも振り回して、鍛えているのだろう。
数年の付き合いになるが、ステラが強さを得る事に貪欲なのは相変わらずだ。
何となくその理由を察することのあるカルネだが、こればかりは友人であれども簡単に解決できる問題ではなくてもどかしい。
「よし、俺の勝ちだな」
「ああ、また負けちゃったわ。ツェルトってどうしてそんなに強いのよ。その強さ、分けて欲しいくらいね」
何不自由なく暮らせる身分でありながら、剣を振りまわすような娘ステラの向かいには、彼女の幼なじみのツェルトがいる。
ステラが絶体絶命の危機に瀕した時にその命を助けた少年で、それがきっかけて知り合ったらしい。
普段を見るに彼女は、それはもうとてもとてもツェルトと言う少年の事を気に入っているようなのだが、カルネは正直あまり好きではなかった。平民で礼儀知らずなところが原因なのもあるが、何となくこの場からさっさと追い出してしまいたくなると言うか……あまり上品な言い方ではないが、目障りに感じる事があった。たまに屋敷で見かけると、何で彼がこんな所にいるのだろうと、思う時もちらほらあったりだ。とにかく存在自体が気に入らなかったし、許しがたかった。
そんな事を以前一度だけ母に話せば、可愛い嫉妬だと言われてしまったが。
カルネが抱いている感情はそんな風に可愛いと言われる様な物ではないだろう。
「口尖らせてるステラもいいな。っと、そんな事言ったって、強さなんてどうすればいいか分かんないしな。分けられるもんなら分けてあげたいけど……。いや、できるかも」
「え、本当?」
ツェルトの口車に載せられたステラが無邪気にも彼に駆け寄っていく。疑いすら抱いていないようだ。
他に人間に対してはそうでないのに、彼女はツェルトにだけはいつもこうだ。
……やはり嫉妬だろうか?
「それで、どうすればいいの。教えて。方法があるのよね」
「凄い積極的になったなステラ! ち、近い近い。俺の顔が嬉し恥ずかしそしてちょっぴり照れで火を噴いちゃうからちょっと離れてくんね?」
無警戒に近寄るステラにデレデレとした様子でツェルトが困った顔になる。カルネはそれを見てイラっとした。……やはり嫉妬かも知れない。
「何言ってるのよ。人の顔から火なんて出ないわよ」
「だよな! 知ってる! けど出ちゃいそうな時もあるんだよ」
「それで、ちゃんと教えてくれるんでしょうね」
「もちろんだって」
これ以上見守っていたら悪戯心を発露させたツェルトが何かを仕出かしそうだと判断し、カルネはさっさと声を掛ける事にした。
「ステラ・ウティレシア。来客に気づかず剣技に夢中になるとはいい度胸で……」
「それはな……こうやって……」
だが、全ては遅すぎだ。
ステラの背後に回ったツェルトが、ステラのスカートに手を回して、その愚行を起こしてしまったからだ。
「きゃっ、もうっ。なにするのよ!」
「じゃーん悪戯成功だ!」
「……」
成されてしまった蛮行を前にカルネは無言だ。
ただひたすら無言のままに、言い争う二人に近づいて、そして少年の方の襟首をひねり上げ……ではなく掴んで拳を造り、制裁を加える事にした。
「カルネ。いつから、……、あっ」
「反省しなさい、この不届き者っ!」
「おごっ」
そんな事があったせいもあってか、ツェルトに制裁を、ステラには厳重注意を施した後、素直に感謝を告げる事も出来ずに半ば押し付けるようにして、勢いまかせに渡してしまったのだった。母に相談してまで用意していたせっかくの花を。
カルネはただ友人として、日ごろの感謝を言いたくて、そして頑張っている彼女をそっと労いたかっただけなのに。
用事を済ませた帰り、屋敷の玄関に向かいながらカルネは頭を抱えたい衝動に襲われていた。
いつもは馬車の近くまで見送りに来るステラなのだが、生憎と彼女の剣の指南役であるレットの手ほどきの時間が迫っていたので、カルネは一人で帰ると言って離れたのだ。
「どうしてこうなってしまったのでしょうか」
ただ日ごろの感謝の気持ちを伝えたかった、それだけなのに。
この前だって、本題に入る前にツェルトがふざけ始めて制裁の拳を炸裂させてしまったし、ちょっと前は、無意識無自覚に恋人同士がするような会話をし始めたステラやツェルト達に破廉恥だと説教を一時間も続けてしまったし。
この屋敷は何故か訪問するたびに、カルネにひどすぎる。
自分が一体、何をやったと言うのか。
「カルネさん、待ってください」
そんな風に嘆いていると、後ろから追いかけて来た少年の声に呼び止められる。
ステラの弟のヨシュアだ。
「ヨシュア君ではありませんか、何か御用でしょうか」
「ちょっと玄関の近くに用事があるので、一緒にどうですか」
「ええ、構いませんよ」
用事にと言われたが本当の所はステラに頼まれて見送りに来たのだろう。
中々、よくできた弟だと思う。
領主の娘として、後継を任されているステラであるが彼女はもういっそ騎士にでもなって(心配だが)、領主の後を継ぐのはヨシュアでいいんじゃないかとこの頃思ってしまう。
「カルネさんの感謝はちゃんと姉様に伝わってると思いますよ」
「そうでしょうか」
さっそく花贈りの日で花をもらった事をヨシュアは知ったらしい。
「だって姉様、凄く嬉しそうにしながら僕に花見せてくれましたから「カルネがこんなに可愛い花をくれたのよ」って」
知ったのではなく、教えられた方だったか。
「それと、この間カルネさんと姉様が共同制作されていた「もふもふねこみみ」の時の事ですけど、姉様がたぶん……頭に「もふもふねこみみ」をつけて独り言を言ってるのを、聞いちゃったんです。部屋の前を通りがかった時に。「カルネとおそろいね」って」
フワフワの猫耳を付けたステラが、嬉しそうな様子で「おそろいね」といいながら、部屋にある姿見でも覗き込んでいる姿を思わず想像してしまう。
何だかキュンとした。
「キュン」の意味はよく分からないが、ステラが以前とてつもなく可愛い物を目にしたときに述べた言葉なので大体は合ってるはずだ。
「もふもふねこみみ」はステラの知ってる「ひろいん」とか言う人物の「着せ替えおぷしょん」だとか聞いたアレだ。
どうしても再現したいと聞いたので、雨で外に出られない日にカルネが手伝って二つ作ったのだ。とてももふもふして手触りが良かった。
「そ、そのような事があったのですか。意外にステラ・ウティレシアは可愛い所もあるのですね」
「そうです。姉様は可愛いんです。たまに予想外の事が起きて驚く所とか、ツェルト兄様に怒っている所とか凄く楽しそうで、素敵だと思います。カルネさんもそう思いませんか」
「気が合いますね、私も時々そう思いますよ」
意外な仲間の存在を知って意見に同意しつつも、姉を誉める事に躊躇のない弟に少しだけ戦慄した。
気が利いて、なおかつそんな風にストレートな物言いを成長させたら将来はきっと、色々と女性関係で大変になるだろう。
「僕、カルネさんには姉様とずっと仲良くして欲しいって思ってるんです。姉様にはツェルト兄様がいますけど、カルネさんは姉様のお姉さんみたいで、姉様と一緒にいてくださるとても安心するんです」
何気にステラの弟がものすごく心配しているような事を聞いてしまったが、無理もないだろう。
なにせステラは貴族であるにも関わらず、魔法が使えない人間なのだから。
その特殊な立場の彼女を心配して、周囲にいる人間が困らないわけがないのだ。
カルネもその一人だからだよく分かる。
ステラは立派だ。気高い心を持っているし、優しくて公平でもある。
けれど、しっかりしているように見えても、時々見ていると不安になるのだ。
だから、カルネはステラと友人になった後も、その近くで友人でい続けようと思えるのだ。
「仲良くだなんて、お気持ちは嬉しいですけれど、それは過大評価でしょう。私は説教ばかりしていますし、彼女に不快な思いをさせてしまっているのではないか心配なくらいなのですから」
「そんな事ありませんよ。本当にそう思っているのなら、花を受け取ったりしないはずです」
「……なら、良いのですが」
辿り着いた屋敷の玄関を前にしてヨシュアは励ます様に力強くこちらへ言葉を述べる。
「そうなんです。だから自信をもってこれからも姉様の友達でいてくださると、嬉しいです」
「……ありがとうございます、ヨシュア君。ええ、そのつもりですよ。カルネ・コルレイトはそう簡単に友人の縁を切るような人間ではありませんので」
屋敷を出て馬車へ乗り込む時、母から言われた言葉が蘇った。
いつか自分が、父の後を継ぐ事よりも大事だと思うような事を見つける日もくるのだろうか。
そうそう変わる事があるとは思えないが、もし、そのきっかけがあるとして原因がステラであるのならば……。
「それも悪くないですね」
何となくそう思えた。
カミツレ
逆境に耐える 逆境に負けない力