第34話 ライド・クリックスターツ
王宮 廊下 『ニオ』
ステラやツェルト、カルネが一通り騒動を繰り広げたのを見届けた後、ニオは仕事へ戻る所だった。
「はぁー、いいなぁ。ニオもエル様と色々な事したいのにぃ」
恋の話をする仲間が欲しかった。
ステラは友人であるし、幸せになるのは良い事だと思うのだが、こうも見せつけられると嫉妬の感情を抱きそうになってくる。
「今は仕事頑張ろうって決めてるのに、もうやんなっちゃうよ……」
任務中に他の事を考えるなど、あってはならない事だろう。
他の人間ならともかく、大事な人間の安全がかかっているというのに。
もしもの何か、なんてあってはならない事だ。
日常生活その他は適当にこなしているニオだが、エルランドの事に関してだけはしっかりこなしていたというのに、最近は少しだけ集中力が薄れてきていた。
王宮の、廊下で、庭園で、ふとした瞬間に恋人同士である者達が視界に入ると、嫌な考えが頭に浮かんできてそこから抜け出せなくなってしまうのだ。
何とかしなければならない。
そう思っていても、有効な方法など何も思い浮かばなかった。
「今じゃなかったら、ステラちゃんにも相談できたんだけどな」
ようやく仲が進展しそうなステラ達の足を引っ張りたくはなかったし、何より一生懸命成長しようと頑張っている友人に余計な気苦労をかけたくはなかったのだ。
「カルネちゃんは、そういうの無理そうだし。リートさんは性格的に無理かなぁ。アリアちゃんは、うーんどうかな……仲良くなってきてる気はするけどクレウス君とステラちゃん達以外には、ちょっと壁を作ってるように感じるんだけど……、うーん」
まったく晴れる事のなさそうな憂鬱の空気を纏いながら歩いていたニオは、目の前に人が立つ気配に気が付いた。
「よ、活発ちゃん。国王なんて放っておいて俺に乗り換えちゃったりしない?」
「ライド君!」
手を上げて自然に挨拶してくる人物は、ライドだった。
先程、ステラの部屋の鍵を開けて、通りかかったこちらを適当に丸め込んで部屋に突撃させた張本人だ。
ニオは当然ライドに詰め寄っていく。
「ちょっともう、ライド君ってば何やってくれたの! もうっ、いけない事ばっかりして! 親友の恋路邪魔するとか、友達失格だよ! 馬に蹴られて死んじゃえば良いんだ!」
「はは、会うたびに活発ちゃんに怒られてるな。悪かったって。俺だってさすがにまずかったかなって思ってるんだからさ」
「嘘! ライド君ぜんっぜん、反省してないでしょ。笑ってないでちゃんとしてよ!」
「ちゃんとしてるって」
こちらは真剣に怒っているというのに、ライドはまるでこちらの言葉に取り合わないい様子で笑っている。
それどころか詰め寄って来たニオの肩に手を置いて、からかい交じりの言葉をかけてきた。
「相変わらず感情表現が情熱的なのな。そんな風に好きでもない男に無警戒に接近しちゃだめだろ? 不意を突かれていたずらされても知らないぜ?」
「こっちは真剣に話してるのに、もーっ!」
肩に置かれた手を払い、ライドを睨みつけながら一歩どころか五歩分くらい距離を空ける。さっきカルネにやったやつだ。友人と同じというのが癪だったので、もう一歩空ける。
「ありゃりゃ、相変わらず警戒されてんのな、俺」
肩を怒らせるニオに対して、向かい合うライドはまったく態度を変える事なく肩をすくめてみせるのみだ。
「ユリシアなら、騎士舎の方でシーラちゃんに遊ばれてるよ。会いに来たんでしょ。何か用事があるんでしょ? ライド君なんて、早くどっか行っちゃえば良いんだ」
「つれないのな、久々に会った友人が目の前にいるってのに」
「人をからかったりおちょくったりするような友達なんて、ニオにはいないもん」
「こりゃ、本格的に、嫌われちゃったかねぇ」
目的にしているだろう人物の居場所を教えてやったというのに、ライドは相変わらずその場から動き出す気配もなく、こちらと雑談に興じ続けている。
「……何か、ニオに話でもあるの?」
睨みつけるのは忘れないが、ひょっとしてこの間の事で謝りにでも来たのかもしれないとそう思って口を開くのだが……。
「何ってそりゃ、そんなの決まってるじゃないの。活発ちゃんを口説きに来たの」
「うん、分かったありがとうね。頬を張られるなら右と左どっちがいい?」
「わーお、本気にされてない」
当たり前でしょ。
告白するならもっとちゃんと時、場所、場合を考えなよ。
ニオにはエルランドという心に決めた相手がいるのだから、そんな本気でないやり方で告白されても迷惑なだけだ。
それにニオは、恋に不真面目な人間は好きじゃないのだ。
「ライド君のその性格って治らないの?」
「何かすごい重度の患者みたいなこの言われ様」
そんな様なものだよ。ライド君ってほんっとに重度の困ったさんなんだから。
そんな事を考えてると、相手が一歩距離を詰めてくる。
ニオはもちろん一歩下がった。
「な、なに」
「いやー、何かすっごい活発ちゃんが疲れてそうだし辛そうだからさ。ここで俺が攫ってもいいかなーかんて、思っちゃったりもして」
「はー?」
さらに一歩。
もちろんこちらも同じだけの距離を下がる。
「お、久々にそれ聞いたね」
「何言ってるのか、ニオ全然分からないんだけど」
「実らない恋より手短な恋にしとかない? ……って事。その方が全部解決じゃないの。活発ちゃん、王様の事が好きなんでしょ。あんな王様のどこがいいの? 活発ちゃんの気持ちなんて全然考えてなさそうじゃないの。傍に婚約者なんてこれ見よがしに置いちゃってさ、振り回されて辛くないの?」
辛くないわけない。
全部分かってる。
だが、それでも傍にいる事を選んだのはニオだ。
全部承知で、この場所に立つ事を選んでいるのだ。
そりゃ、色々あって最近は悩んだりへこんだりすることもあるのだが、それでもこの場所から逃げようなどとは思わない。
「ニオが好きなのはいつまでもずーっとエル様なんだから。楽しくないからとか構ってくれないからとか、そんなことで好きをやめちゃう様な簡単な気持ちじゃないんだよ。ニオは嫌われてたって邪魔にされたっていい! だって好きなんだもん!」
「そんな事言って、結構堪えてるみたいじゃないの。王宮の中で護衛の活発ちゃんがそんな事大声で叫んじゃってさ」
思わぬ指摘に頭が一瞬真っ白になる、ライドとやり取りをしていて気が緩んでしまったのかもしれない。
慌てて口を塞ぎ周囲を見回す。
見る限りは人の姿はないようだが……。
護衛である自分が王に好意を寄せている事を、口外して歩き回っていた……なんて噂が立ったら、エルランドの傍にいられなくなるかもしれない。
いや、それだけならまだしも、役目を外された後でもしエルランドの身に何かが起こるような事があったら……。
「もうっ、この間から意地悪ばっかり! ライド君は一体何がしたいの! 学生の時はそんなに嫌な人間じゃなかったのに」
不真面目なのも、人をおちょくるような態度も変わらないけれど、それでもあの頃は今みたいに誰かの大事な人の事を悪く言ったり、遠回りな手紙の内容みたいに人を心配させるような事をしたりする、なんて事はなかったはずなのだ。
そう思ってニオは言ったのだが、返って来たのは固い声だった。
「……活発ちゃん、それは間違いだ」
「え?」
「俺は最初から、こういう人間だよ」
「……ライド君?」
先程までとはまるで別人に見える相手の様子に、なぜだがニオは困惑する。
「何にも本気にならないし、誰の味方もしない。自分が楽しいと思った事にだけ労力を注ぎ込むような、そんなどうしようもない人間だ。ニオちゃんが知ったような口で喋る俺は、まやかしの俺さ」
そう言ってライドは背を向けて、歩き出す。
「ちょっと待ってよ、それ……どういう事なの?」
先程とは全く逆だ。
離れていくライドを今度はニオが追いかける。
「ライド君は……」
一体何を言ってるの?
「この世界に俺の居場所何て初めからないんだよ。だったら、本気に何てならなくてもいいだろ? 味方なんて作らなくてもいいだろ? 居場所がある人間に俺の気持ちはどうやったって分からないさ」
「そんな事……」
「来るな」
静かな声だった。
けれど、今まで聞いた事のない冷たい声でニオは口を閉じてしまう。
追いかけていた足も、止まってしまう。
「ライド・クリックスターツなんて人間、そもそも存在しないんだ」
そうして、それ以上何も聞く事が出来ないまま、ライドの背中はニオの視界から消えさってしまった。