第33話 ご褒美にご所望されました
大丈夫です。ぎりぎり大丈夫、かと。
私室
王宮の地下に隠された秘密を知った数日後の夜。
その日は、かねてから約束していたご褒美をツェルトに与える日だった。
それは食堂を(変装して)使わせてもらい、気合を入れて作りあげた手料理だ。
ステラの作れるちゃんとした料理はまだ一品で、仕上げたのは鮮やかなミカン色のスープ。
もらったレシピには何品かあったのだが、その日にスープを選んだのは屋敷で作ってもらっていたステラの好物……料理長のスープを思い出したからだ。
部屋のテーブルに並べた手料理の前には、ツェルトが楽しみ半分戸惑い半分といった表情で座っている。
そして彼は、対面に座るステラへとそんな表情のまま声をかけてきた。
「これ、本当に良いのか? 途中で俺ステラに助けられちゃったんだけどな」
「いいのよ。ツェルトが頑張った事に変わりはないでしょう、私は分かってるもの。少しは労わせなさい」
確かに最後の方は危なかったかもしれないが、彼が頑張らなかったわけはないのだ。
ツェルトはステラとの約束を守ってくれていると信じているし、そうでなくともツェルトの為に何かしてあげたかったのだ。
そう言ってやるとツェルトは、表情を緩めた。
「ステラ、きっといい奥さんになるだろうなあ。あ、今でも十分ステラはいい恋人してるけどな」
「そ、そうかしら」
言われた言葉に、ステラがツェルトにご飯を作っている所を想像する。
彼の好物とか好みの味付けとか把握してて、食べたいと言われた者をステラは鮮やかな手並みで作り出す。
そうして出した料理を、一口食べたツェルトは美味しいと言って笑ってくれる……そんなありふれた幸せな光景を想像した。
とても素敵な光景だった。
料理を作る事は別に嫌ではないし、むしろ最近好きかもと思い始めてきたが、そんな事など関係なしにツェルトが喜んでくれるなら、いくらでも頑張れそうな気がした。
「美味い。文句なしだぜ」
「本当?」
「ああ、ほんとほんと。超本当だ!]
考え事をしている内にツェルトがテーブルに並べられた料理を口に運んでいて、そんな感想がテーブルの向こう側から聞こえて来た。
それなら今度家に帰った時、家族にふるまうのもいいかもしれない。
きっと今も心配をかけているだろうし。
「ステラが俺の為に料理を作ってくれたってだけでも美味いけど、普通に料理としても美味いと思うぜ」
「教えてくれた人が得意だったからね、きっと」
得意どころかそれを専門にして働いている人だったが、そこまでは言えなかった。
話せば、食堂で働く事になった例の一件まで話さなくてはいけなくなる。
ツェルトは一口、二口と食べ進めていくのだが、ふと手を止める。
まさか、変な調味料でも間違って入れてしまったとか。
まったくそんな事をした記憶はないのに訳もなく不安になるステラだったが、ツェルトが手を止めた理由は違った。
「これで、さらにステラにあーんってしてもらえたら、すごく美味しいと思うぜ」
さらなる追加のご褒美をご所望のようだった。
それは私にしてほしいって言っているのよね。
そんな事が分からないほどステラは鈍くない。
というか、したら喜ぶかなと思っていたぐらいだ。
想像の中でもしたこと、ある。
知られたら恥ずかしいが。
「し、仕方ないわ。ツェルトは頑張ったんだもの。それくらい当然よね。はい……、あーん」
「あむ」
思わずツンデレっぽいセリフになってしまったが、食器を手にとって具材を刺し彼の口元へと運ぶ。
スプーンに満たされたミカン色のスープが、腕の震えによってちょっと揺れてしまった。気づかれただろうか。
「ど、どう?」
「ああ、何かいいな」
良かった。頑張ったかいがあった。でもやっぱり恥ずかしい。
いつかアクリの町でデートした時に逆のことをやられた時も思ったけど、こういうベたタな事をするのは本当に恥ずかしかった。嬉しくもあるのが今とは違うところだけれど。
本当にツェルトと私が恋人なのだと思えてきて、今更だが幸福な気持ちになる。
「うわ、何かステラがすごく良い顔してるんだけど、抱きしめていい? 俺が俺してなくなりそうだけど、むしろ率先して放棄していい?」
「よく分からないけど、ご飯はちゃんと食べなきゃ駄目よ」
「だよな。残念だけど何かちょっと安心した」
テンションが急に上がったり下がったりと忙しいツェルトだったが、再び食事に夢中になる。
美味しそうにツェルトが食べてくれる様子をステラは対面から眺め続けた。
これで終わりと言うのも寂しいかと思い、やがて皿を空にしてご馳走様をする彼に、提案を口にしてみる。
「何か、他にしてほしい事はない? 今だったら、もうちょっとくらいやってあげてもいいわよ」
「え……、え……っ、いいのか?」
料理だって最近は作るのが楽しくなってきて、自分の為になっても来たし、こうしてツェルトに食べてもらうだけじゃなくて、もっと彼の喜ぶ顔が見たいと思ったのだ。
久しぶりに王宮でゆっくりしたので、少しだけ贅沢になっているのかもしれない。
「ステラがなんか、すごく俺に都合がいい言葉をかけてくれるんだけど、これ現実なのか」
夢じゃないから。正真正銘現実よ。
「そんな事疑わなくたっていいわよ。あんまり、変な事言ってるとなしにするわよ」
「しまったそれは困る。なしはいやだから早く決めなきゃな。うーん……」
真剣な顔をして本格的に悩み始めたツェルト。
テスト勉強の予行練習していた時みたいだ。そんなに考える事だろうか。
「……よし、ここは冒険心で」
やがてまとまったらしく、ツェルトは小さく頷いてこちらを見つめてくる。
「じゃあ、どんな事したら俺が喜ぶと思うか。やってみて当てっこしようぜ」
なるほど、ステラにゲームをしてほしいらしい。ツェルトらしい提案だ。
「分かったわ。何であれ、負けないわよツェルト」
「……なんか、考えたのと違う伝わり方してるような気がする! でも、まあいいか」
肩を落とすツェルトに首を傾げつつも、ステラは考える。
彼が喜びそうな事とは何だろうか。
「手を握る、とかかしら」
「そんな選択肢が真っ先に出てくるんだな。ちくしょう、過去の初心な俺の所業め。すごく情けなくなるな! けど嬉しいからやっぱ握ってくれ」
落ちんだり、憤ったり、喜んだりして忙しいツェルトは最終的に期待するような表情で落ち着いて手を差し出してくる。
ステラはその手に自分の手を重ね、そっと握った。
大きくて、ちょっと固い男の人の手だ。
「ど、どう……?」
「外れだ」
外してしまった。嬉しそうに見えるのに。
ならば他にはなんだろう。
「こ、こうかしら……」
ステラは身を乗り出して手を伸ばし、テーブル越しにツェルトの頭部へ。
鳶色の髪に触れて撫でる。
ふわふわだ。
「くすぐったいな。ちょっと気持ちいい。でも、外れだ」
「そう……」
ツェルト嬉しそうなのに。
これで駄目なら後は何があるのか。
ツェルトの顔を見ながら考える。
ならば、やはりあれしかないのだろうか。
男性と女性が愛を示す動作というか、唇と唇を接近させる作業というか。
端的に言えば、き……。
「え、えっと…………」
いや、でも。本当にそうだろうか。
違っていたら恥ずかしいではないか。
それにそんな事して、ステラがいつもツェルトにキスしたいだなんて思ってるのがばれたら……。
なんてツェルトの顔のある一点の部分を見つめて悩んで、悩んで、悩んで時間を使っていたら……。
笑い声が聞こえて来た。
「はは、やっぱちょと意地悪だったかもな」
「あ、からかったわね」
初めから当たりなどかなかったのではないのだろうか。
「いや、本気も本気超本気だったぜ。ちゃんと当たってたら降参してたし」
「本当でしょうね」
「怒ってるステラも可愛いなぁ」
「もうっ」
最近ツェルトが何だか意地悪になってきてるのは気のせいだろうか。
元から困らされるような性格だったが、最近になって何か質が変化してきたというか。
クレウスの性格がうつったとかで無ければいいけど。
彼は真面目で優秀だが、たまにアリアを意地悪そうにからかってる時があるのだ。
今のツェルトはそんな顔をしている。
「何だステラ、俺の顔に何かついてるか? 食べ残しとか? 恥ずかしいな、いや待て……ここはステラにご飯粒ついてるわよ、ひょいぱく……ってやってもらう機会なんじゃ」
「ついてないわよ。ツェルトの事なんか知らない」
「悪かったって、機嫌治してくれよ」
しばらく、ステラの機嫌取りに必死になるツェルトだが、ステラが意地悪をし返して取り合わずにいると席を立って不意に接近してきた。
「ステラ、そう言えば俺、デザートも食べてみたいな」
「デザート……? 甘いものはちょっと難しいけど、食べてみたいの?」
「うん、やっぱりステラだ、通じてないんだよなあ……」
「?」
どういう事かと首を傾げていれば、身をかがめたツェルトに体を引き寄せられてキスされた。
あ、料理、ちゃんと美味しく作れたみたい。
場違いにも間接的に味わった料理の感想が浮かんできた。
「ステラ……」
「ん、ツェルト?」
少しだけ彼が身を離す。今更ながら激しく鼓動を刻み始めた心臓の音がうるさい
こちらの体を引き寄せたツェルトの手に力がこもった。
「ステラ……」
「んっ……」
そして二回目の接近だ。
積極的なのはステラだけじゃないらしい。
そして、息次ぐ暇もなく三回目。
……の、のぼせそう。
「……ツェ、ルト……」
そろそろ解放してほしいという意味をこめて視線を送るのだが、ツェルトはなぜだかこちらを一層強く抱きしめた。離さない気なのか。
「あー、駄目かも。いいよな? いいだろ? ステラ……」
「なに?」
「俺にくれないか? ステラの全部を」
ツェルトはこちらの体をより一層強い力で抱きしめてくる。
一瞬何を言われたのか分からなかった。
えっと、それって……。
これは、もしやアレか。アレなのだろうか。男女の仲になったら夫婦になる時にやるという…………?
えっと、えっと、えっと……、本当に?
遅れて先程のツェルトの言葉を理解し始めたステラは、顔が火照って来るのを感じる。
い、嫌じゃない。嫌じゃないけど。むしろ、ちょっと嬉しいくらいだけど。でも、そんな風にいきなりなんて、ちょっと予想できなかったというか、心の準備をさせて欲しいと言うか。えっと、あのその、ええと、だから……。
「……俺さ、もうステラや俺が死んじゃうようなこと早々起きないって思ってたんだ」
だが、沈んだ様子のツェルトの表情を見て、ステラは落ち着きを取り戻した。
「だから、ステラにはもうちょっと騎士のステラでいて欲しいって思ってたし、こういうのはゆっくりでいいって思ってたんだ。だけど、人間って簡単に死んじゃえるもんなんだって、最近気づいた」
「ツェルト……」
「卒業試験にも先生に確か似た様なこと言われてたんだけどな、忘れてたんだ。あんまりにも平和なもんだから」
確かにあの時ステラが駆けつけなかったらツェルトは危なかった。
脳裏にその時の光景を思い出す、傷ついたツェルトを見て怒りを抱いて、敵は全部息の根を止めてもいいとすら一瞬思った。
そしてすべてが終わって、彼が無事なのを見たら安堵で泣きそうになってしまい、シーラに慰められたのを覚えている。
ツェルトは、あの時絶対そうだとは言えないけど、死んでしまっていたとしてもおかしくなかったのだ。
そうだと考えると、ステラも背筋が冷たくなる。
大好きな人。ツェルトがいない世界。そんな世界に一人で取り残されるのは嫌だった。
彼を失うなんて考えられない。
でもツェルトは人間だ。どうやっても生きている以上、絶対に死なないなんて事はありえないのだ。
「だから、我が儘になっちゃったのかもしんないな。ステラはこんな俺は嫌か?」
「そんな事、ないわ」
嫌いになるなんてありえない。それにステラだって、きっとツェルトと同じだ。あの数日前の出来事のせいで、いつもよりちょっとだけ積極的になっている。
大好きな人が変わらずにここにいてくれることが嬉しくて、何かをしてあげられるという事が嬉しくて。
それで、今こんな状況になってしまっているのだから。
「少なくとも私は嫌じゃないわ。互いの事をよく理解したいし、もっと仲良くなりたいって思うのは当然の事でしょう?」
「仲良くって可愛い言い方だよな。そっか、そう言ってくれると嬉しいけどな」
肩に顎を乗せられて彼の口から吐息がもれた。
「今まで我慢してたんだけどな、一回死にそうになったくらいでこんなになるなんて、ちょっと俺、情けなくね? 思いが伝わった時点で、それで満足してたつもりなんだけどな。俺はステラが幸せでいてくれればそれでいいんだ。邪魔はしたくない」
「邪魔なんて思うわけないじゃない。……ツェルト、今まで私の為に我慢してきてたの? もう馬鹿。私ちょっと不安になっちゃったじゃない。魅力ないかもとか思ったりして」
「そんなまさか、ステラは俺の一番だし、一番以外あり得ない。絶対だ」
どうしようかと迷いはしたがステラは腕を上げて、ツェルトの頭を撫でてみた。
何となくだが理由は、ステラを騎士のままでいさせたいから……あたりだろう。
「ツェルトが私を好きだって言ってくれる思いが、私の迷惑になるわけないわ」
「そうか?」
「そうなの。それによく考えて見なさい。えっと、貴方が心配してる事……ちゃんと合っているか心配だけど、子供がいたからって騎士でいられなくなるなんて思ってるのなら、それは間違いよ。できなくなるなんて誰が決めたのよ。それに、私達は一人じゃないんだから」
困った時は皆に頼ればいいのだと、そう言ってやれば彼は、ステラからそんな言葉を聞く事になるなんて、と驚いた。
「成長したよな、ステラ」
「そうかしら?」
「はは、立派になったよ。隠れ泣き虫のステラを知ってる俺はびっくりしたぜ」
「そんな事思ってたの? その通りだけど……」
くっついていた体が離れる。ツェルトが力が抜けたように笑い声をあげた。
「一人じゃない、か。やっぱり俺たち似た者同士だよな。俺、ステラの事言えないよ」
「私とツェルトが? 似てるかしら……?」
似てる所なんて、そろって剣の道に進んでるところとか一緒の職場で働いているとかそう言う所ぐらいしかないと思うけれど。
「ステラはちょっと地味に、俺への評価高そうだよな。俺、そんな立派じゃないぞ」
「私だって、そんなに立派じゃないわよ」
「なら、似た者同士だ」
「確かにそうね」
意見が一致し、二人で笑い合う。
ひとしきりそうした後は、てっきりこのまま何事もなかったことになる事になるのかと思いきや、それを無視するのが彼だ。忘れてた。
ツェルトは突き進んできた。
「ということで、ステラ。つづき」
ステラを引き続きご所望のようだった。
「え……? あ、ぅ……、し、したいの?」
「そりゃもう」
そう言う以外ないでしょ、みたいな迷いのない言葉だった。
何で、今日に限ってそんなにも積極的なのよ。
「俺はステラと仲良くなりたいって思ってるぜ、ステラもだよな?」
その通りだ。確かにそう言った。
自分で言った手前、取り下げるなどできるわけがない。
「わ、私も、ツェルトとはその……親密にはなりたいと思ってるけど、ぁ…ぅ……」
普段の様子が嘘のように声を弱くしながら言葉を発し、ツェルトの服の裾を掴む。
「あ、あのえっとその、お……お手柔らかに、お……お願い……」
その言葉にツェルトが何らかの反応を返してくる……その前に、扉が勢いよく開かれた。
「ステラちゃーん、どう? 仲良くしてるー? 料理作ったんだよね」
「ニオ・ウレム。貴方、一体どこからこの話を聞きつけたのですか? 私はステラからの相談に乗ったので知っているというのに」
やって来たのはニオとカルネだった。
部屋、施錠していなかっただろうか。
「ねぇねぇ、聞いてよさっきそこでライド君がカギを、…………って? どうしたの? 何かステラちゃん泣いてるけど、ツェルト君に意地悪でもされたの?」
「まさか、またツェルト・ライダーがおかしなことを仕出かしたのですか? いいえ、彼はいつもおかしい態度ですが」
何というタイミングだろう。
ニオの言葉に、ちょっぴり自分が涙目になっていた事に気が付いた。
それはそうだ。ちょっと未経験の領域に足を踏み入れようとしていたのだから、いくら好きでも不安がないわけじゃない。
涙のちょっとくらいは許してほしい。
それに加えて、そんなステラに強気な態度で迫っているツェルトの構図。
これは分かる、誰がどう見ても事件だろう。
「ち、違うのよ。これは。ツェルトは悪くないのよ。ちょっと私の方が混乱しちゃっただけなの。いきなり色々あったりしたから、その驚いただけというか。仲良くしてたのよ。それで仲良くなろうって話になって……」
「ステラ、それはアレだぜ。俺にフラグ……? みたいなのが立っちゃうぜ」
確かに。自分でも言っていてその説明ではちょっとまずいのではないかと思った。
「それで、ステラを泣かせて迫っていたというわけですね。了解しました。ええ、分かりましたとも……、ええ……、ええ…………」
「わ、カルネちゃんちょっと怖ーい。ニオ、避難してよーっと」
隣にいたニオは一歩どころか五歩ぐらい距離を取っている。
表面上的にはカルネは何一つ変わっていないはずなのに、何故か彼女からステラの技……威圧にも似た空気が彼女から漂ってきた。
「ステラを不幸にする人間はこのカルネ・コルレイトが許しません。最後に一言、言い残す事はないですか、無いですね。ツェルト・ライダー」
「俺、悪くない」
「問答無用!」
どうして二人はいつもこうなってしまうのだろう。なぜにいちいち間の悪い場所で出くわしてしまうのか。
一瞬後カルネは、般若の様な形相を表情にだぶらせながら、部屋の中に突撃してきた。