第31話 ヨルダン・シェイザー
『ヨルダン』
ウティレシア領の中、小さな村の中にヨルダン・シェイザ―という少年がいた。
彼は、気弱な印象を他人に抱かせる見た目の少年で、取り柄と言えば少々容姿に優れている所しか取り柄のない子供だった。
性格は印象を裏切らず極めて臆病。夜の道も一人で歩けないような気の弱さ。
幼いながら数年分生きたが、村にいる子供達からも意気地がないと散々馬鹿にされて育ってきた。
実際その通りという事もあったため、ヨルダン自身に反論するだけの勇気はない。
少年にできる事と言ったら、ただ周囲に言われるがままそれらの言葉を受け入れ、情けない己の表情を晒すだけだった。
少年を含めて家族の人数は三人。
父と母とで暮らしている。
家は小さいが、周囲と比べて貧しくも裕福でもない、ごく普通の家庭で育った。
しかし、ヨルダンはその現状に不満を抱いていた。
子供心ながらに、気が弱い事を気にしていたヨルダンは、どうにかしたい、どうにかする方法はないかといつも悩んでいた。
他の者達にできない事を、何か一つでもやり遂げる事ができれば変われるはず、と。
そこで、彼が思い付いたのは肝試しだった。
ヨルダンは、近くにある迷いの森へ行って帰って来るという計画を立てた。
その場所は誰もが恐れる場所であり、誰もが言って帰ってきた事のない場所だった。
普通であればまず選択肢にも上がらない場所であるのだが、ヨルダンはあえてそれを選んだ。
臆病である自分が変わるには普通の事をしていては駄目だ、と思ったからだ。
なので彼は一生に一度の勇気を出すつもりで、普段の気弱な性格をねじ伏せ、村の子供たちに約束して退路を塞いでから、行動へ臨んだのだった。
奥まで行くわけではない。そこそこの場所まで足を踏み入れて戻ってくるくらいだ。入った人間が必ず迷うなどというのは迷信。だから問題など起きるはずがない。……と、自分に何度でも言い聞かせた。
数週間かけ慎重に計画を立てたヨルダンは、そういう成り行きがあって自分の運命を変えてしまう場所へと向かってしまったのだった。
恐怖に怯えつつも森のへと入るヨルダン。
しかし案の条、迷いの森と言われる場所の事は迷信ではなかった。彼は数分としない内に迷子になってしまった。
そうして泣く泣く森の中を進んで行く少年は、どうした事か森のかなり深い所に辿り着いてしまう。
その奥でヨルダンは見つけてしまうのだ。
古代に生きた大罪人、フェイスが残した遺物を。
遺物を手にしたヨルダンは、成す術も抗う事も出来ず、当然フェイスに憑りつかれてしまった。
だが、初めの内は少年は自分がどういう状態にあるのか気づいていなかった。
森から出た時は大いに喜び、これで自分の弱さを克服できたのだと単純に考え胸を撫で下ろしたくらいだ。
迷いの森の悪深くまで行き、生きて帰る事などヨルダン自身が知る限り誰にもできなかった。
そんな事を他の誰でもない自分が成し遂げたのだと思えば、小さな少年が喜ばない方がおかしいだろう。
しかし異変はあった、村へと無事に帰ったヨルダンは、何故か呪術の知識を身に着けていたのだ。
不思議に思いつつも、数日もしない間に興味に負けてその力に手を出してしまう。
初めは単純な事から、次第に大きな事へと。
呪術は代償こそ必要なものの、ヨルダンの様な魔法の素質がない物でも扱う事が出来て、また効果も強力だった。
迷いの森で知らぬ間に持ち帰った魔物の骨を使って、試しにと始めた実験が十を超え、五十を超え、百を超える頃には、彼はすっかり呪術の魅力の虜となっていた。
そして次第に、強力な恩恵をもたらしてくれる呪術の力に依存するようになり、少しづつ人の道を踏みはずしていくようになる。
初めは村で悪さを働いた人間に正義の罰をくだすつもりで呪術の実験に利用し、その次はたまたま村にやって来た旅人を使った。顔見知りの隣人、友人、そして家族と手を広げていけば、後には何も残らなくなった。
無意識にフェイスと名乗るようになる事には、元の性格とはまるで逆の……プライドが高く自己中心的な考えをする人間になってしまい、自分にできない事はないのだと思い上がるようになっていた。
代償は必要なものの、望めば呪術でどんな事でも叶えることができた少年は、次第に自分の元々の目的ではない事をしているのに気がつかなくなった。知らぬ内に己の心をフェイスに蝕まれている事が分からなかったのだ。
けれどある時、そんなヨルダンの前に想い通りにならないものが現れる。
それは、フェイスとして器を探す目的で入学した退魔騎士学校に通う、女生徒……ステラウティレシアだった。
初めて見た時は綺麗で、高貴、そして力強い人間だとヨルダンは感嘆した。
フェイスに憑りつかれてはいたものの、未だ元の性格も残っていたヨルダンには、美しい物に感動する心もあったし、他人を尊敬する感情もあったのだ。
だがそれでじっとしていられるままの人間ではなく、彼はすぐにその人物を手に入れたくなった。
あの強い光を灯す瞳を自分に向けさせ、一心に前に進むその真っすぐな思いで自分を追いかけさせたい、と。
だが、ステラ・ウティレシアは微笑めば簡単になびく他の人間達とは違い、様々なアプローチをして見せるヨルダンにはまるで心を寄せる気配をみせなかった。
普通の家の子供であり、普通の少年だったヨルダンだが、それなりに容姿は良い方であり、声をかければ悪い顔をされないのは当たり前の事実ですらあった。
それを証明するように学校の女生徒に接すれば、簡単に心を虜にする事ができた
なのにステラだけは、全く心を揺れさせる気配がない。
そんな事実が、ヨルダンのここまでへし折れることなく増長してきたプライドに触れてしまい、そのままでいる事を許せなくなった。
彼は、思いつく限りの手を尽くしてステラという少女を自分の物にしようとした。
だが、ステラの意思は強く固く、ことごとく失敗してしまう。どんな事をしても振り向かせることができない。
唯一良い所まで行った事例は、ステラの友人を人質に取った時だが、それも幼なじみだというツェルト・ライダーに阻止されてしまう始末。
ならばその人物さえ排除すればいいと思い、方針を変更するのだがこれも上手くいかない。
手を打つものの、厄介な黒髪の女性に勘づかれて事前に対処されてしまうのだ。
何もかもが上手くいかない。
そこまで失敗が続けば、ステラという女生徒には初めの頃のような感情ではなく、大きな憎悪と、そして嫉妬の感情を覚えるようになっていた。
何故その強さが元々の自分になかったのか。
なぜ、持つ者と持たざる者は分かれているのか。
魔法の素質はないらしかったが、貴族であり、人間としての資質にも恵まれているステラ・ウティレシアが妬ましくて仕方がなくなっていた。
そうして、準備に準備を重ねて、ステラを罠にかけて夢の中へととらえる事になったのだが……。
その行動がヨルダンに思いもよらない事実を叩きつけた。
記憶を覗いて夢に取り込んでみた少女は、普通の少女よりも弱い人間だった。
悩み、恐怖し、自分の価値を守る為に一生懸命な、それでも自分の弱さを克服しようと足掻く一人の人間だったのだ。
それを見た時、彼は目が覚めたのだ。
強くなろうとする努力をしないでいては、本当の強さを得る事などできないのだと。
借り物の力で強くなった気でいるヨルダンは、強い人間ではない。真に強い人間はステラ・ウティレシアのように、己の弱さに立ち向かっていこうと足掻いている人間の事なのだ……、と。
夢の中で追い詰められ、心に深い傷を負ってしまった彼女に、ヨルダンは罪滅ぼしとしてできる限りの事をした。けれど、それは遅すぎる行いだった。
完全に、事態を打破する事ができなかった彼の一手は焼け石に水でしかない。
最後の力を使ったヨルダンの意識は暗く深い場所に沈んでいってしまい、フェイスに完全に乗っ取られてしまう。
もう何かをする事は出来ない。
何年も何年もずっとヨルダンの意識は暗闇をさまよっていた。
自分が消えてないのが不思議な事だと思えるくらいに。
けれど、そんな状態でも願いの様な物があったから、ヨルダンの精神は消滅から守られているのかもしれなかった。
願わくば、あの少女が無事である様に、と。
そう思いながら彼はいつ終わるとも知れない時間の中を過ごしていた。