第30話 未熟同士の恋人達
クレセント村 月の泉 『ツェルト』
ツェルトは、村の外れにある小さな泉の近くに立っていた。
人間としては碌でもないが、ムーンラクトの領主は中々に小さくない度胸やプライドを持っているようだった。
あの後ステラが威圧して脅したのだが、事情を全く喋らなかったからだ。その為、独自の判断で重要事件扱いに分類し、その領主を王宮へ移送するしかなかったのだ。
屋敷の方、建物内部にいた魔物は掃討したのだが、やはり詳しい事情が判明しない以上、この後何が起こるか分からない。
自警団やらに後の事を一旦引き継ぎ、使用人達には「領主が使用していた部屋には近づかないように」という点と、「異変があった場合には村へ避難するよう」という事を言っておいた。
最後にアリアと使用人達が話をしたところで、クレセント村へと再び戻ってきて、夜を明かす事になった(ちなみに今夜ばかりは騎士達が何人か屋敷にいて様子を見てもらっている)。
「この村にこんな場所があったのね」
物思いに沈むこちらの背中に声がかかる。振り向くと、ステラの姿がそこにあった。
やってきた彼女は隣に並んで泉を覗き込む。
自然に出来たそれは、丸い円を描いてできているのだが、その泉の中に大きな石が沈んでいるせいで月の形にも見えた。
この場所は、アリアが教えてくれた場所だ。何でもこの泉に向かって願い事をすると叶うという噂が村にはあるらしい。
ステラは泉に近づいてそっとその水面に触れる。
今日は風がない。
波紋は綺麗に円を描いて広がっていった。
同時に水面に映っていた三日月の姿が眠たげにゆらゆらと揺れる。
「ツェルト、体調はもういいの?」
「ああ、少し休ませてもらったからな。それより何だ? 話って」
そうだ、ステラがここに来たのは偶然ではない。
彼女が話をしたいと言って、ここにツェルトを呼び出したのだ。
その割に自分より遅れて来たのだが、それはシーラを寝かしつけていたからなのかもしれない。
今も、魔物を警戒して村の所々では見張りをしている騎士達がいるが、この場所にはいない。あまり人の前で言えない話しをするにはうってつけの場所だろう。
「あの、ツェルト。その……ごめんなさい」
「どうして謝るんだ?」
できるだけ優しく声を掛けようと思っているのだが、ステラは表情を緊張させたままだ。
はやく元の状態に戻りたいのだが、こればかりは努力ではどうする事も出来ない。
契約の代償を切り替えるのはちょっとした負担なのだ。
「私が貴方の事を怖がってる事、分かってるのよね」
「ああ、そうだな」
胸の痛みを覚えたが、表情が変わらない事に感謝した。
怖くなんてない、そう言い切る事もできたはずだがステラはそうしなかったようだ。
ステラとツェルトがどれだけ一緒にいたかを考えれば、言葉の上面を取り繕っても意味などない。当然だろう。
「ツェルトが頑張っていたこと知ってるはずなのに、私……」
「仕方ないさ。アリアとかクレウスとかにも言われたけど、この俺は怖いらしいからな」
「それも、あるけど……」
「それもあるのか。いや、何か他にも理由があるんじゃないのか? ステラ、何か俺に隠し事してるだろ」
それもあると言われて、無性に鏡を見たくなった。
なんだか、普段の自分と今の自分が紙一重の存在に見えて少し落ち込む。
たまに強気になれない時もあったが、平常時のふざけた態度はあれはあれで役に立っていたらしい。
「……ツェルトは、聞きたいの?」
「ああ、聞いて納得したい。だから話してくれると俺は嬉しいよ」
悩んでいる様子のステラが決断できるように精一杯真剣に、言葉を返せば数秒後に小さく頷きが返って来た。
「そう、分かったわ。実は、フェイスの罠にかかって夢を見せられていた事なんだけど……」
そうして告げられた内容は、ツェルトの予想の遥か先をいく内容だった。
囚人の様な扱いに、閉鎖された環境。何よりも自分の姿を使ってフェイスが言った事とやった事の数々。
それらは驚愕しない方が不思議なものだった。
ツェルトの中で相反する二つの想いが頭の中で湧き上がる。
良く思った方は、そんな事があった後もこのツェルトと気まずい程度の関係でいられるステラの精神力に感嘆した事。悪く思った方は、そんな事を仕出かしたフェイスをあまり愉快ではない方法で何度か殺したくなった事だ。
そう思えば、先ほどのアリアの悩みがすごくよく分かった。
ツェルトは口出ししなくて正解だっただろう。
これまでの中の人生で、ツェルトには嫌いな人間がそれなりにいたが、殺したいほど強烈に憎んだ人間について考えた時間などあまりなかったからだ。
「とりあえず話してくれてありがとな。それは多分当然の反応だと思うぞ。ステラが気に病む必要なんてない」
何と言うか、再びあいつに会うような事があったら自制できる気がしないな。この俺でも。
そんな感情が表情に出てしまったのか、ステラの瞳に少し恐怖の色が混じる。しまった。この俺、怖かったんだ。
「でも、だったら仕方ないよな。……ステラがこんな状態の俺を怖く思えるのも」
そうだ、仕方ない事なのだ。
悲しいが、たとえ夢の中であろうとも、自分を辛い目に合わせた人間と同じ顔をした人間をそう簡単に受け入れられるものではないはずだ。
ツェルトだって、ステラの顔をした人間が、例えば仲間のアリアやクレウスにひどい事をしていたら複雑な気持ちにならざるを得ないだろうし。
「……ツェルト、だからごめんなさい」
「ステラ?」
ステラはそう謝ってってこちらへ距離を詰めてくる。
いつもこちらからする事はあっても、彼女からは初めてかもしれない。
気が付くとツェルトは、力いっぱいに抱きしめられていた。
「だから、何でステラが謝るんだよ。何も悪い事なんてないだろ?」
「それだったらツェルトだって悪くないじゃない。なのに、こんなの私は嫌だわ」
「……」
そう言われてもこっちは困ってしまう。
ツェルトにはステラの心の不安の取り除いてやる方法が分からないし、できるのは少しでも早く怖い自分が彼女の前から消えてやる事だけなのだから。
ステラの背中へと腕を回し、その背中を優しく叩いてやる。
「俺の事は良いんだ。ステラの事が好きでやってるんだから」
「そんなの駄目。貴方の好意に甘えるだけなんて。……私、弱いのはもう嫌なの。強くなりたい。ツェルトに無茶をさせないように、ツェルトを助けられるように。ううん、強くなるのよ。ツェルトが……貴方が好きだから」
このままでも構わないのに。
誰かを好きになるという事は見返りを求める様なものではない。
ツェルトはそう思っている。
だから学生だった頃も、暴政時代に貴族たち相手に駆け回っていた頃も、ステラには知らせなかったし助力を求めなかった。
「貴方と一緒に強くなりたいの……」
だがこの頃は、それは本当に正しかったのかと疑問に思うようにもなっている。
ツェルトは思うのだ、今までの自分の行動は、孤独だと思い込んで戦って来たステラと同じような状況にいたのではないのだろうか、と。
相手の事を大切だと言う言葉の裏で、侮っているのではないだろうか。
弱いから、精神的に未熟だから、ステラを守ってやらなければならないと思って、そう下に見ていたのではないか。
それは、相手の事を信じていない事になるのではないのか。
ツェルトは、手を差し伸べるべきだったのかもしれない。
そして、一緒に強くなるために二人で努力して、もっと頼るべきだったのかもしれない。
ある意味ツェルトは、好きな相手に……弱いステラという人物像を、知らぬ間に押し付けていたのだろう。
「ツェルト、私……時間がかかるかもしれないけど、貴方の事も好きになるから。だって、貴方だってツェルトなんだもの。だから待ってて。今は無理でもきちんと貴方にも向きなおれるようになってみせるから」
ステラもツェルトも、違うように見えて案外、未熟者の似た者どうしなのかもしれない。
「ツェルト、好き。大好き。私の一番の……大切な人。それは絶対、何があっても変わらないから」
「……ああ、俺もだよ」
月の泉に二人分の願いをかけた後、ツェルトはステラの手を引きながら野営場所へと戻っていく。村の集会所を利用するにはさすがに人数が多すぎたからだ。
その途中で、どこかの建物の前で話をしているアリアとクレウスの姿を見つけた。
ほっとした。昼間の事が嘘のように二人は楽しそうにしていたからだ。
「向こうもちゃんとうまくやってるみたいね」
「ああ、そうだな。良かった。今回は色々アリアには世話になったからな」
「…………そう、アリアに。何かあったの?」
大して深く考えることなくした発言なのだが、思わぬ反応が返って来た事に、彼女の表情をまじまじと見つめてしまった。
いつもよりステラの言葉の間が、若干長かったような気がしたのだ。
「ひょっとして、いま焼きもち焼いたか?」
「えっ?」
「いや、何となくいつもの反応と違うような気がして」
「そうかしら?」
ステラはどこが違うのか分からなかったらしく、不思議そうにしている。
無意識だったのかもしれない。
「そういう事をしてくれると俺は嬉しいな」
「嫉妬なんて、面倒にならないかしら」
「まあ、度を越したのは正直困るけど、ステラのだったら嬉しいよ。何て言えばいいのか、ステラに大切に思われてるって実感できるしな」
「……」
「どうしたんだ?」
無言になってしまった彼女の様子を窺うのだが、視線を下げている為顔が見えない。
「怖い。別の意味で怖いわね。今の貴方」
何やら、元気になった様で嬉しいが、ステラはたまによく分からない言葉を発明したり言ってくるから反応に困る。
そう彼女に言えば、それはツェルトの方だと返されるのだろうが。
顔を上げたステラの頬が若干赤いような気がするが、それに対して言葉を言うより前に、彼女が何かに気が付いたようだ。
ツェルトの顔の向こうに何かを見たらしい。
「あ」
「何だ?」
視線を追いかけると、クレウスとアリアが良い雰囲気になっていた。
アリアがクレウスに甘えるように、腕を組んで……。
これは邪魔しては行けない類いのものだろう。
さすがに分かった。
「見ちゃ駄目。行くわよ」
顔を赤くして、自分の事ではないのに恥ずかしそうにするステラ。彼女に強引に引っ張られ、その場を離れていく。
「ステラもたまにはああやって俺に甘えてくれると嬉しいんだけどな」