第27話 ありえるはずのない再会
ミノタウロスは討伐できた。
しかし、それから急いで他の隊員達の応援に戻ったのだが一足遅かった。あの場にいたあやしい人間達の方は逃がしてしまったようだ。
その後の捜索でも足取りを掴むことはできず仕方なしに、屋敷へ報告しに行こうとしたのだが問題が起きていた。
その途中にあるクレセント村が魔物に襲われた後だったからだ。
「そ、そんな……」
絶句するアリアの肩を支えるクレウスも、目の前の景色を信じられないと言った風に見つめる。
「村を壊滅させるほどの魔物なんて、一体どこにいた……いや、隠れていたと言うんだ」
森から出て、ツェルト達とすれ違ったという線はない。通って来た道には魔物が移動したらしき痕跡が一切残っていなかったからだ。
となると、村を襲った魔物は森以外のどこかにいたとしか考えられなくなるのだが、それしか可能性がないのだとしても容易には信じられなかった。
だが、いつまでも呆然としているわけにもいかない。
村のあちこちからは魔物の気配がまだするのだ。
この魔物達が他の場所を襲わないとも限らない。
なら、騎士としてやるべき事は一つだろう。
「魔物を……」
一匹の残らず、倒す。と、そう言おうとしたところで、
ツェルトは精霊から何となく伝わって来る感情に従って、近くにある建物……話し合いに使った集会所に入る。
以前にもこんな事があったのか、または別の用途で作られたのか、建物の中に隠されるようにあった地下倉庫のような場所。そこには避難していた村の人々が何人か無事でいたようだった。
「使われなくなった食料保存庫です。でも、良かった……。まだ無事だった人がいたんですね……」
「俺達がやるのは、村人の安全を守りながらの、敵の殲滅だ」
避難したその顔の中に村長の顔を見つけて、心の底からほっとした様子のアリアと、それを支えるクレウスの様子を見て、ツェルトは先程の言葉を言い直した。
「俺達は騎士だ、できるよな」
だがしかし、数分後ツェルト達の隊は屋敷へと走る事になった。
まだ村に魔物が残っているにも関わらず。
理由は騎士が必要になったから。
もっと詳しく言えば、屋敷の人間が魔物に襲われているからだった。
事情は屋敷から逃げて来た使用人の話で分かった事だ。
ミノタウロスが暴れているらしい。
「次から次へとどうなってるんだよ」
ひょっとしてステラの運命がとうとう自分達にまで影響してしまったのではないかと思えるぐらいの状況の混迷さだ。
道を走りながら呻くツェルトだが、不意に足元の感覚がおかしくなって、その場に立ち止まってしまう。
気のせいか体が少し熱っぽい様な気がする。
「隊長? どうかしましたか?」
「いや、何でもない。急ぐぞ」
本音を言えば、何でもなくなどなかった。
やけに寒気がして、体が熱い。もしかしたら風邪を引いてしまっているかもしれない。
頑丈が取り柄だというのに、何という時に病気になってしまったのだろう。
精霊使いとしておかしな病気にはかからない自信があったというにもかかわらず。
原因としてはあれだろうか。
先程森での戦いで少し濡れたからだろうか。
それともこの間熱を出してふらついていた隊員の世話をしてしまったせいだろうか。
だからといって、ツェルトは隊長なのだから、心配しないわけにはいかなかった。
ステラでもきっとそうする。
ステラ、今頃何やってるんだろうな。
はあ、こっちは長引きそうだし、あと何日かかるのか。
そんなことを最近よく考えてるから、風邪なんて引いたのかもしれないな。
ツェルトが体の不調を自覚している間にも、足はしっかり仕事をしてくれたようで、ほどなく屋敷へと辿り着いた。
本来なら許可をとってから入る所だが、非常時だしそもそも出入り口付近に人がいなかったのでそのまま押し入る。
そうして屋敷の内部を進んで少しの所に、怪我人達が寄り集まっていた。
どうやら、これからどうするか話し合っているようだった。
この場にいない屋敷の主人をどうするかとか、村に逃げるべきかとか。
領主は話した時は嫌な人間にしか思えなかったが、ここに勤める使用人達はこんな状況でも己の職務をまっとうしようとしているようだった。正直意外だ。
後でアリアに聞けば、屋敷に住むほとんどの者は、アリアの両親が直々に選んだ信用できる者達だという。だから仕事に誠実だったのだろう。なるほど納得だった。
ツェルトはそこにいた者達に事情を聴いて、隊員を怪我の手当てに数人つけ、村へと向かうように促してから屋敷の内部を周って行く。
聞いた内容ではどうにも屋敷の中に突然ミノタウロスらしき存在が現れたという事らしいが、にわかに信じがたい話だった。
魔物の知識がない一般人が何かの見間違い、または情報の伝え間違いをしているのだと思いたいが、ツェルトの予感はそう簡単にいかない事を訴えていた。
どこかにいるはずの領主や魔物を探して歩く。
「仮にも領主という人間がそこらの部屋で隠れているわけはないでしょう」
「やっぱりそれっぽい部屋にいるんだろうな」
副隊長と相談しながら、ツェルトが思うそれっぽい部屋に目星をつけてあたっていく。
ああいう人間は、自分の格を下げる様な行いを激しく嫌うからな。
そうして幸いにも魔物と出くわすことなくその部屋へと辿り着いた。
使用人達から聞いた領主が使っている部屋だ。
ただ、正しく幸いかどうかは分からないが。
「やっぱり隠れてたんだな」
「嘆かわしいですね」
有事の際には、先頭に立って領民を導くのが領主の仕事だというのに。
しかし、呆れこそすれそこに怒りはあまりない。
それは契約の効果でもあるし、そのような輩はグレイアンの暴政時代に飽きるほど見て来たからだ。
だが、なまじそんじょそこらの領主では比ならないくらい立派な領主(その予定だった)を幼なじみとして見てきただけに、失望を抑えきれないのは当然だろう。
そういう人間はどうしてもステラと比較してしまうのだ。
アリアは凄いよな。
そんな人間が血のつながった家族にいて、なおかつ任務とはいえその人間がいる領地まできて仕事を全うしているのだから。
任務が無事に終わったら当然クレウスが何か労うのだろうが、ツェルトからも何か気を回した方が良いかも知れない。ついでにクレウスにも。上手くやればそれを口実にステラと長話できそうだ。
そんな事を思ったりして、下がりそうになる気力を上げた後、部下に「いい加減部屋の中に入ってください」とせっつかれてツェルトは扉を開ける。
「何だ、これは」
だが、室内の光景の異様さに息を呑む。
部屋には赤い染料で魔法陣が書かれていた。
いや、それは染料などではなく、血だった。
誰のかは分からないが、鉄錆びの匂いが鼻についた。
反射的にフェイスの事を思い出す。
まさか、領主が呪術を?
ツェルトは知っている民を導き守るべき人間にありながら、その力に手を染めた人間を一人。
ムーンラクト領主もラシャガルと同じなのか。
「隊長。これは、魔物と関係があるのでしょうか?」
迂闊に踏み込むわけにもいかず、その場で考えていると、奥の方から人が出てきた。
壁の一部が開いている。隠し通路みたいなものだ。
もしもの時の為に、移動するための仕掛け。
そこから領主と数人の使用人が出てくる。そして、見た目だけは夜盗のような集団も。だが動きから分かる。あれは森の中で出会った人間達と同類だ。
「見られてしまっては仕方がない、殺せ」
そして、当然のように目撃者であるこちらを始末しようとしている。
こいつらが何かヤバいことに関わっているのは間違いないだろう。
応戦するために剣を抜いた。
だが、敵は人間だけではなかった。
「魔物まで……!」
そこに、使用人達が目撃したらしいミノタウロスが姿を現したのだ。
「いったん外に出るぞ」
狭い室内で戦闘になるのは避けたい。
ツェルトは部下達と共に後退しようとするが、相手はそんな時間を与えてくれる暇もなく突っ込んできた。
まっすぐ下がる事が出来れば廊下に出れたものを、その突撃を避ける為とっさに左右に散ってしまった。
ミノタウロスは、人間達の指示に従って行動しているようだ。だが動きはぎこちない。
その巨躯の手には、大きな斧がある。
森の時は木の棒だったのと比べれば、凶悪さが桁違いだ。
いいのか、これ。ただでさえ巨体なのに、そんな武器を魔物にもたせてみろ。部屋が滅茶苦茶になるぞ。
だが、そんな事はお構いなしに魔物も人間もこちらに牙を剥き始めて、乱戦になった。
ただでさえ、森の一件に続いて村でも戦って消耗しているというのに、しかもこちらは病気だ。
そう時間がかからない内に、不利な状況へ追い込まれていく。
「っ!」
「隊長、大丈夫ですか」
一瞬、反応が遅れそうになって、斧がぎりぎりのところを通過していった。
「ああ、大丈夫だ。だけど……」
はっきり言って、手が足りないしで、体力が限界だしで、泣きたくなるような状況だった。
だが部下がいる手前そんな事を言うわけにもいかない。
そもそもその程度の事で諦められるような人間にはできていないのだ。
「うっ、りゃあぁぁ!」
なけなしの気力を集めて相手へ突進していく。
長期戦になるだけこちらの不利だ。
少々危ない賭けに出る事になっても、できるだけ早く決着をつけたい。
役割的に、部下に人間達の方を任せ、ツェルトはミノタウロスの方を引き受ける事になっている。
狭い屋内という環境の中で若干窮屈そうにしている相手だ。今はそれを利用させてもらうくらいの気概でいかなければ。
「恨むなよっ!」
ツェルトは手近にあった、高級っぽい置物を手に掴んで悪いと思いつつも魔物へと放り投げる。
ちなみに思った対象は領主ではなく職人に対してだ。
思ったような身動きはできないが、部屋のあちこちにある障害物を利用し相手の気を引いたりそらしたりしながら戦いを続ける。
やがて、そんな攻防が相手の機嫌を損ねたのか、血が上ったような様子で後先考えずこちらへと攻撃してくるようになった。そうなればこちらのものだ。
「今更、魔物なんかに負けるか!」
今までどんな強敵と戦ってきたと思ってるんだ。
アレだぞ、聞いたらびっくりするぞ。
当時は分からなかったが元勇者の仲間だというステラの剣の師匠と労働時間外にやったことあるし、元勇者とだって王宮で見かけた時に模擬戦をふっかけたし、現勇者だって幼なじみだから何度も試合を行った事がある。純粋な強さで言ったら一番強いだろうレイダスや真面目で優秀な同級生とかも、とにかくちょっと自分で言ってて軽く引くぐらいだ。
それに加えて物理攻撃が効かない類いの魔物と戦った事もあったりするし、まったくどうなってるんだこの世界。
そんな風に、短気になったミノタウロスを相手にして剣技を繰り出すのだが、その時のツェルトは忘れていた。
やはり体調がいつもと違うということで、考えがいつもより甘くなっていたのだろう。敵はそれだけではなかったという事に。
「この下賤な連中どもめが!」
部屋の中に上がった叫び声、直後、何かがツェルトの脇腹に刺さった。ナイフだ。
「……な、くそっ」
遅れてやって来る激痛に顔をしかめる。
先程の声は領主だ。
すっかり存在を忘れていた。
非戦闘員であった為、完全に思考の外に置いてしまっていた。そのツケが回ってきたのだろう。
ミノタウロスが雄たけびを上げながら斧を振り回す。
まずい。
ツェルとは急いでそれを避けようとしたが、しかし屋敷に来る時に感じためまいの様なものが来てふらついてしまう。
「隊長!」
部下達の声。
目前にせまってくる凶器。
色々考えている暇なんてなかった。
陰謀なんてものも関係なく、強敵などでの戦闘でもなく。
人間ってこんなあっけない事で死んじゃえるんだな。
思ったのはそれぐらいの事だ。
振り下ろされる斧が、ツェルトの体を裁断する……その寸前。
彼女は現れた。
淡い燐光を纏った少女は、こちらに背を向けた状況で魔物を腕を斬り飛ばし、目にも見えないほどの神速の突きを相手の胸部へと見舞った。
その動きはほれぼれとするほど真っすぐで、洗練されていて、鮮やかだった。
倒れる魔物を前にして彼女は口を開く。
幾度も手に触れた金髪の髪がふわりとまった。
「覚悟しなさい。私のツェルトに手を出そうとした罪は――――」
部屋中にいる敵に聞こえるように、威圧の感情すら込めて。
「万死に値するわよ」
ツェルト・ライダーの危機に駆けつけたのはここにいるはずのない人間、ステラ・ウティレシアだった。