第25話 誰かの手を借りて生きている
ムーンラクト領 クレセント 『ツェルト』
ステラと別れ王宮を出て、馬を使って移動すること四日目。ツェルト達はムーンラクト領にたどり着いていた。
やる事はもちろん決まっている。
領主のいる屋敷を訪れて、領主の性格に予想通り気力を削がれつつも、任務内容の確認や活動の許可をもらったりして、そのあと近隣の村々で魔物の被害を確かめる。
ムーンラクト領にある村を全部回る事はできないが、今回はそれでもかまわなかった。幸い……と言ってはおかしいが王宮に来た報告の中では、屋敷の近隣にあるいくつかの村にしか被害は出ていないらしいからだ。
そんなわけなので現在、やる事をこなしたツェルト達は近くの村を見回った最後に、再び屋敷の近くに戻った。三日月の名のつく村で、今後の方針を話し合う事になっていたからだ。それぞれの村がばらけて存在していないので手間をかけずに済んだのが幸いだった。
村の人達の好意で提供された集会場で腰を落ち着けながら、それぞれの隊の隊長と副隊長は顔を合わせて話をする。ちなみに他の隊員たちは村の被害の調査を引き続き行わせたり、被害状況にあわせてちょっとした手伝いをしていたりする。
「ええと、分かってましたけど何だか慣れませんね」
アリアが言葉をこぼしたので何か話し合いに対しての意見なのかとツェルトは視線を向けたのだが、本人は慌てた様子ですぐに謝ってきた。
「あ、すみません違うんです。今のは任務の事とかじゃなくて個人的な事で……」
とすると、彼女と地元との関係についての話だろうかと思うのだが、それでもないらしかった。
「ツェルトさんが、その……いつもとは違うので」
恐る恐ると言った風に口にする内容は、貴族然としたツェルトに違和感を抱いているという話だった。
そんな事かと思うのだがアリアは、屋敷で領主と話をして以来ずっと、こちらに慣れる様子を見せない。
今のツェルトは彼女が言うようにいつもの状態とは少し異なっていた。
暴政時代に貴族相手に散々走り回ったあの頃のように、精霊の力によって感情の動きを抑えている状態だからだ。
アリアの話を聞くに、どうにも領主の人格に不安があって仕方がないという事なので、屋敷へ向かう前に一応保険をかけといたのだ。
結果は、言わずもがな。普通のツェルトだったらたぶん揉めていたであろう話だったが、今のツェルトならばを可能な限り短時間で処理する事が出来た。もちろん不快に思っている事は変わらないので、嫌な思いはしているが。
「そんなにおかしいか?」
「おかしいです」
そういうわけで気になったのでアリアに正面から尋ねたのだが、即答された。
というか控えめな表現がとれて、比較的他人に大して丁寧な態度でいるアリアの口からおかしいと言われるとは。
「というより怖いな」
駄目押しに、真顔のクレウスにまでそんな評価を投げつけられる。
時折りアリアを気遣うような視線を送っているのは見て分かっているので、彼女の味方をするクレウスが正確な感想を寄越すかどうかはあやしいが。少しも思っていないのならそもそも口は開かないだろう。
「なまじ元の君の性格が単純なのだから余計にそう見えてしまうのだろう」
「お前は俺のこと馬鹿にしてるのか」
いつものように口に出して返答するのだが、クレウスはそれで得心が言ったというように頷いて、アリアに視線を向ける。
「ほら、冗談に聞こえないだろう?」
「……(こくこく)」
彼女の答えは無言での頷きだった。へこむ。
だが態度にも表情にもでない。それがさらにへこむ。
あの頃は親しい人間とほとんど顔を合わせなかったので分からなかったが、ひょっとしたらステラだけではなく他の者達でも、思わず怯えてしまうような見た目だったのかもしれない。やばい、そう考えたら本気でへこみそうになる。
「まあ、気にする事はないさ。たまにからかってやるくらいで態度はちょうどいい。ツェルトの中身は変わってない、それはアリア……君だって分かってるだろう?」
「そう、ですね。それは私も分かっています。屋敷での事はありがとうございました。本当なら円滑に話を進めるために、私が率先して加わらなければならなかったはずなのに……、お任せしてしまって」
思いがけず先ほど少し前にしたのやりとりに救われたようだった。からかうとか何とか発言したクレウスに一言物申してやりたいが、アリアの話題に移ってしまい追及する機会を失ってしまった。
副隊長や部下達にも「ツェルト・ライダーなんか大して変わらないしおかしいまま」みたいな事を言われていて、よしちょっと後で話し合い……みたいな事をしたくなったが、今は我慢して横に置いておく。
「アリアは気にするな。この集まりで一番立場が上なのは俺らしいからな」
というか、自分の家族の顔も忘れているような人間に仲間と話させるわけにもいかないだろ。
最初に顔を合わせた時に、領主がアリアの事に気が付いていたとしたらまた変わっていたかもしれないが、そうじゃなかったのでそういう役割になるのは仕方のない事だった。
「……と、いう事だ。この任務での面倒事は今後ツェルトに押し付けるといい」
「いや、それはお前の役目だろ」
クレウスの言葉に反論すれば肩をすくめられる。
おそらく空気を軽くする意図もあるのだろうが、頭が良いのなら面白がるのではなく、もっとこちらの負担にならないような形で何とかしてほしい。
そんな風に話の前半で、これまでの旅の疲労や、領主とのやり取りで負った気疲れの様な物を払い落とした後、本題に入った。
話題はもちろん任務の事について。
状況を整理し、見て周った情報を伝えあう。だがその過程で、疑問が湧いていた。
「やっぱり、おかしいな」
ツェルトが言う言葉に反応を示す二人……クレウスやアリアも心境は同じようで、それぞれ訝しげな表情や不安げな表情をしている。
そう、おかしいのだ。
表面上にはただの強力な魔物討伐の話として依頼されたこの件だが、おそらく今までの物とは少し違うものになる、そんな予感があった。
そのそも依頼に関して屋敷で聞くに、領主は乗り気ではない様子だったのがまずおかしい。近隣に住む人々の声や使用人の声を聞いて統治の悪影響にならないように本当に仕方なく、といった感じだった。
「対策がほとんど取られていない事もあるけどな、問題なのは魔物の行動の奇妙さもだ」
「ふむ、同意だ。魔物の被害と言えば、普通は森の近くや自然の近くにある場所が受ける物だが、今回の場合は異なっている。何故か屋敷周辺、人が多い所に集中しているようだ」
そうなのだ。
通常こういった任務は魔物が住み着いたり発生しやすい森の近くに被害が集中するというのに、今回はその例から大きく外れている。
普通に考えれば、魔物が人の多い場所をめざして、近くにある人間や町を避けて向かったという事になるのだろうが、そんな事があり得るのだろうか。
「効率のいい考え方、というものは魔物にはないはずなんですけど」
アリアの言う通り、魔物はただ目の前にある人間を襲ったりするだけの、狂暴な生物だ。人間のように難しい事を考えたり知恵を巡らせるとなれば、かなり強力で強い個体でなければならない。のだが……、それがありえている。前にステラが魔物の巣で戦った個体はそういう思考もあったようだが、そんな物に出会う事はめったにない。
被害状況を調査するに、強力と言われていてもそれもほどの魔物ではなかったはずだし、巣もない状況でそこまで育つのも考えられないのだが……。
「一体、どうなっているんだ……」
ツェルトは意味もなく天井を仰ぐ。
こういう頭を使う作業は向いていないので、匙を投げたいところだが……任務だし、仕事だし、何より被害を受けている人間がいるのでそういうわけにもいかない。
ここにステラがいれば……いや、無理か。小さい頃はともかくステラも最近は物理的な方に偏ってきてるしな。
「あのー、騎士様……どうぞこれを。この村は、大丈夫なんでしょうか。村の者達はみんな恐ろしい思いをして、夜も眠れない毎日を過ごしとるんで……」
差し入れらしいお茶を差し出しながら声をかけてきたのは、集会所を提供してくれた村長だった。
にこやかな笑顔を顔に浮かべる中年の女性で、アリアの小さい頃の知り合いでもあるらしい。
その女性は、集まった面々を見まわしたのち、不安げな様子で話しかけてくる。
「早めに何とかしてくださるとありがたいんですが……。あたしらは剣の腕どころか荒事にも縁がない、しがない村人ですからね……何とかしたくとも、もう何とも」
この場にいる責任者はツェルトの様な物だが、声を掛ける役目はアリアに譲る事にした。というかそれ以外にいない。
「大丈夫です、安心してくださいマリーおばさん。私達がきっとなんとかしてみますから」
「そうかい? アリアちゃんはずいぶん立派になったねぇ。小さい頃は、おばちゃんおばちゃん言って、あたし達の腰辺りにしがみついてきてたのにねぇ。頼もしくなって……」
「わ、そんな昔の事覚えていたんですか。……恥ずかしいのでそれ以上は言わないでくださいっ」
長い年月の隔たりを感じさせない様子で話すアリアと女性。
その会話からは、小さい頃からお世話をしてお世話をされて、という親しげな関係が窺える。
過去の話をされて恥ずかしそうにしているアリアだが、見ている限りでは楽しそうでもあった。
時折クレウスも交ざっては、良い旦那様についての話を展開させてさらに他の部隊の者達も巻き込んで話に花を咲かせている。
アリアにとって辛い事しかないように思えた故郷帰りだが、こうしてきてみるとそれだけでもないというのが救いになるだろう。
特に最近は例の男子会以降、色々と部屋に集まっては互いの相手についてあれやこれや言い合っているものだから、気になっていたのかもしれない。
ツェルトの一番はステラであり、不動で絶対の地位で、まったくもってこゆるぎもしない。それ以外の人間は二の次にする事もあったが、最近は幸せでいてもらいたいと強く思うようになってきた。
それはたぶん、様々な苦難を経験し、乗り越えて、共に成長してきて、深く互いの事を理解し合えるようになってきたからだろう。
「……これじゃ、ステラの事言えないな」
自分の居場所の為に孤独だと信じて戦って来たステラの、その身を心配してきた時もあったが、案外自分も一人で生きて来たつもりだったのかもしれない。
巻き込まないように、余計な苦労をかけないようにと、リートという特例がいつつも一人でできる事は一人でこなしてきたのだが……。
これからは必要なら、誰かの手を借りてもいいかもしれない。
今日の事みたいに、人は日々を誰かの手を借りて生きているのだから。
そんな風に思えた。