第10話 美味しい料理の作り方
王宮 厨房
相変わらず遺跡の事に関しては何の話も出てこない。
日常は、王都からほど近い場所で、魔物が大量発生しているとは思えないほどのほほんとしたものだった。
ただしそれは他の人間にとってという意味で、もちろんステラには当てはまらない。
その日、ステラは何故か王宮の中の厨房に立っていた。
右手にはナイフ、左手にはジャガイモ。
そして目の前にはまな板。見下ろせばエプロン姿の自分の体。
最後に周囲に視線を向ければ、調理台や洗い物をするためのシンク、食器類などが置かれている棚などの、厨房の内装がある。
「どうしてこうなったのかしら……」
毎回毎回難事に巻き込まれ、なし崩し的に協力してきたステラだが、ここまで意味不明な巻き込まれ方をするのはちょっと珍しい。
私はただ食堂の前を通り過ぎただけなのに……。
ステラは事の始まりを思い起こす。
王宮 空中庭園
その日はからっとした天気の良い日だった。
空中庭園にて剣の鍛錬を行った後は、何となく意識がそちらにむいたので途中から見物していたユリシアに頼んで占いの勉強をしていたのだ。
ステラの運勢は相変わらず良くない事が起こるで固定されていたが、しかし今回は何故か少しばかり違う結果が出た。
それは、いつもと違う事が起こるかも、みたいな結果だ。
良い事が起こる、にならない所がステラの運命の強力さを物語っているが、それでも占いの結果が変わったことは、確かな変化だ。
そしてしばらくすれば、それを裏付けるためにぐったりした様子のニオが現れた。
彼女はこちらを見つけると、いつもより若干高いテンションでこちらに駆け寄って来る。
「スっテラちゃーん、見て見てこれこれこれ!」
やたらとはしゃいだ様子を見たステラは、当然面食らうしかない。
そんな風に駆けよって来るニオの手へと視線を向ければ、そこに紙袋があった。
「ほら!」
まるで探検中に良く光るビー玉でも見つけたかのような、そんな子供の様な表情をしながら。
ニオが満面の笑みで中身を見せると、そこには橙色を基調とした使用人服が入っていた。
「王宮で働いている使用人の服よね……」
こまかい所や色は違うが、それは激しく見覚えのある衣装だ。
身の回りでいつも見慣れているのだからそれもそのはずだろう。
ニオは得意そうに笑む。
だがその瞼にクマの様なものが見えて、ステラはちゃんと寝ているのかちょっと不安になってしまう。
なんだかいつもより顔色が悪いし、動きが少し鈍い様な気がした。ステラは、無理して明るく振舞っているような彼女に対して、何か言葉をかけようとするのだが。
「ニオ・ウレム。貴方眠っていないんじゃないんですの? 仕事が忙しいというのなら体を休める効率的な方法でも考えたらいいのではなくて?」
先にユリシアに尋ねられる。
普段いがみ合ってはいるが、心の底からニオが嫌いというわけではないだろう。
そんな風に心配するユリシアだが、ニオはちらりとそちらを見た後……
「つーん、さあねー終わったんじゃないのー」
と言いながら不機嫌を隠そうともせず顔を背けた。
「エル様が二人っきりでどこかの婚約者なんかと話がしたいって言うから、わざわざ席を外してきたんですー。さっさと行ってこればー」
それは不機嫌にもなるわね。
「まったく、この国の王の婚約者に向ける言葉だとは思えませんわね」
文句を言いつつも、長く待たせてはいけないとユリシアは早々にその場から去っていく。
不機嫌だったニオはユリシアを追い払った後、笑みを浮かべてこちらに向き直る。
笑っているのにどうしてか、ちょっと疲労を感じさせる表情が怖い。
紙袋をステラの方へ差し出しだすニオ。
押し付けられるようにしたそれを思わず受け取ってしまう。
「ちょっと改造してあるんだ。えっへへー、このあいだアンヌさんが来てねー、その時裁縫とか教えてもらったんだよ」
「アンヌが王宮に来てたの?」
友人を心配していたのもつかの間、唐突な話題にステラは耳を疑った。
屋敷でもないこんな場所で、小さい頃から世話になっている使用人の名前が出れば驚くしかないだろう。
自分が知らない間に、良く知った人物が知らせもなく近くに来て、身近にいる友人と交流していたのだから驚かない方が無理だ。
ニオが言うには何でも、まとまった休暇をもらって、王都にいる古い顔なじみに会いに来ていたようだが。
アンヌって王宮に知り合いの人がいたのかしら。全然聞いた事ないけど。
そもそもステラは彼女について、屋敷で働いている間の事以外は何も知らない。
耳が早くて情報を集めるのが得意だという彼女は一体王都に何の用事があったのだろう。
ニオと会ったという事は王宮にも来ていたのだろうし。
「それでね、驚いたんだけどアンヌさん、ライド君に案内されてたよ。ステラちゃん覚えてるでしょ? 学校に通ってたときに同じ教室にいた軽そうな男の子」
「ライドって、あのツェルトの友達のライドよね。どうして彼が?」
というか王都にいるの?
ライド。
ライド・クリックスターツという男性は、ツェルトの友達であり対魔騎士学校に通っていた時の同級生だ。
彼は飄々とした雰囲気でつかみどころのない性格の人物でもあり、面白い物が好きでおかしいツェルトの友人をやっていたような人物だった。そんな彼の名前をまた聞くとは。
卒業してからまったく耳に入らなくなったので、思い返さなくなっていたが、まさかこんなところで耳にすることになろうとは。
「それで、ニオ当てに手紙とかアンヌさんからもらったんだよ。ライド君が手紙なんて似合わないよねー。内容はライド君らしくてふざけてたけど」
「どんな内容だったの?」
「こくはく」
「え……」
それって好きとか、添い遂げるとか、愛とか、ツェルトとステラみたいなそういう……?
自分の事でもないのにそういう話にあまりかかってこなかったステラは動揺するのだが、ニオの態度はあっけらかんとしたものだ。
「本気にしないでよステラちゃん、どーせいつもの悪ふざけなんだから。真面目に考えるだけ損だよ」
「悪ふざけ、そうなのかしら」
「だってライド君だよ」
ニオは良くライドと話していたし、ライドもニオの事を気にかけていたと思う。
やってる事は悪ふざけみたいな事だったけど、仲が良かったのは事実だろう。
ライドはツェルトとよく一緒にいたけど、その次くらいにニオとも一緒にいたと思うし。
「でもどうしてアンヌさんと一緒にいたんだろうね。またふざけたり冗談言ったりして迷惑かけてないと良いけど。ステラちゃんは分かる?」
だから、そんなライドが自分のお世話になった使用人と一緒にいる理由など、まったく想像つかないのだが……。
「ニオに分からないなら私には分からないわよ。ニオって私より仲が良かったでしょう? よく話もしてたし」
「えーっ、ニオとライド君がー? 全然っ、仲良くなんか、絶対ないよっ!」
大きくのけぞって、声を大にするニオ。
そんな全力で否定しなくても。
卒業試験だって息ぴったりだったし、それ以外だって結構喋ってたじゃない。
ステラはその時の事を思い出す。
教師との一対一となったステラとツェルトとは別に、クラスメイト達は他のクラスと集団戦闘で競う試験だった。
その時、ニオは先陣をきって陽動をこなす役割で、フォローするライドと息の合った活躍をしていたのだ。
「あれはお喋りじゃなくてケンカだよ。ニオ、ライド君の不真面目な態度見ると激おこぷんすかするんだから」
ステラ語を使いこなして反論するニオは肩を怒らせる。
最近は自分なりのアレンジもくわえて、妙な感じのものになってきてるのもあったりするが。
ケンカもコミュニケーションの一種だと思うけど。ニオは断固否定の姿勢だ。
「うう、ニオにはエル様がいるんだよ? 余計な誤解は広めないでほしいよー」
そういえば、そうだったわよね。
ステラとしてはただ単に思った事を言っただけのつもりだったが。
「というわけで最初に戻るけど、ステラちゃんにはこの服を着てほしいんだけど。いいいよね? いいよ!」
ニオはステラに渡した紙袋の中身を示す。
許可もなにも、私まだ何も言ってないわよ。
「だって、最近仕事ばかりで大変だったんだもん。ちょっとユリシアとエル様の話が終わったらまた激務が待ってるから外にも出られないし。だから、ね? お願いステラちゃーん」
「仕方ないわね」
泣き出しそうな様子で懇願されれば、受けないわけにもいかなくなる。言葉を返せばすぐにニオがガツポーズ。
普段よりちょっとテンションが高めなのも無理しているように見えるし、なにより友人の頼みだ。
できる事がステラにあるなら、協力してやりたい。
「でも人に見せようとか言わないでね」
王宮 厨房
そして、回想は終わって、ステラはこんな現状だ。
厨房にて食べ物を切り刻んで器に放り込む。
周囲では何人もの調理任が慌ただしく動き回っていた。
「あの……ちょっといいかし」
「おや、できたみたいだね。じゃあ次はこっちをお願いするよ」
「いえ、えっと……」
事情を説明しようとするが、近くにいた女性に新たな仕事を追加されて脱力しそうになる。
次も刻み作業らしい。
生野菜の入ったボウルがどんと置かれる。
基本的な事は教わった。だからできないわけではない。
花嫁修業で練習しといて良かった、というべきなのだろうか。
いや、そのせいで言い出す機会を逃してしまったのかもしれないし。
少し説明を飛ばしてしまったが、実はもう少し間に話がある。
初めはニオの部屋で着せ替え人形にされるだけだった。
あれこれ改造の使用人服だけでなく他の服も着せられた。
そうしているうちに女の子はおしゃれしなきゃ損、みたいな話になって、ステラちゃんは普段着飾らないからーとかニオに説教された。
やっぱり疲れが溜まってたのだろうと、大人しく聞いて付き合っていたのだが、何がどうなって話がそれたのか、最初に着た使用人服と変装用のウィッグなどを着せられ、つけさせられ、部屋から連れ出された。(ウィッグは以前、エルランドと城を抜け出すときに使っていたようだ。サイズが少し小さい)
そしてなぜか、そのまま坂道を転げ落ちるかのように状況がおかしくなっていった。
確かツェルトが喜ぶからとか言われてそのまま引っ張られちゃったのよね。
それで悩んでたらあれよあれよという間にぐいぐい引っ張られていってしまい……。
ユリシアの姿を見かけたとか言ってニオがふらっと離れてしまったのが良くなかった。
そこを通りかかった厨房の人に、臨時のお手伝いだと勘違いされてしまったのだ。
前にアリアが流れに流されるままに王都の町の手伝いをしたことがあると言っていたけど、まさか自分がそんな事になるとは思わなかった。
難事は難事であるが、いつもの傾向から考えると最近は違うものに巻き込まれるようになってきている気がする。
良い事なのか。悪い事なのか分からないが。
いや、大変な目に遭ってる事を考えれば悪い方かもしれない。
「ほらほら、急がないと日が暮れちゃうだろう。きびきびやっとくれ」
「ええと、私は……いえ、頑張ります」
手を止めていたのを注意されて、自分の身分を明かしかけるが躊躇う。
そんな事したら、色んな意味で騒動になるのではないだろうか。
いや、考えなくても分かる。
他の騎士ならともかく勇者を間違えて厨房で働かせたなんて、そんな事が知られたら、色々大変な事になるに決まっていた。
「仕方ないわ、手早く片付けてしまうしかないわね」
ステラはため息をついて、その場から離脱することを諦めた。
一定の作業をこなせば、(大体なんとなくだが)扱いのコツが掴めてきたのが幸いだろう。
包丁を包丁だと思って扱うよりは小さめの剣だと思って扱うのが楽だという事に気がついてからは、作業スピードが速くなった気がする。
近くで作業した人からまるで、修羅のごとく敵陣に突っ込んで切りかかる一人の剣士のようだと言われたがそれであってると思う。ステラはまさにそのような心境で作業していたからだ。
材料の刻みを終えた後は、調理している人達の手伝いで調味料を用意したり、道具を運んだりした。食器を並べて盛り付け作業をこなせば、一応一区切りがつく頃だ。
早めに仕事を終わらせて食堂にやって来た者達の声を聞きながら、ステラは余裕のできた中で後片付をこなす。
他の者達もそれぞれが追加の調理や片付け作業に従事している。
「ご飯一食つくるのも大変なのよね」
今日一日の作業を経験して、ステラは改めて思った。
いつも何気なく食べているご飯が多くの人の労力で作られている事を知る事ができた。
自分一人で生きているなんておこがましい事を考えていたわけではないが、それでも……自分に関係のない事については忘れてしまうのが人間だ。
これからご飯を食べる時は今日の事が頭をよぎるのだろうな、とそんなことを考えながら、シンクで洗い物をこなす。
皆それぞれの仕事があって、それらはつながっている。
ステラはたまたま一番危ない所に出て、得意な剣を振るっているだけ。
剣や防具などの備品を管理する人がいるから、生身で魔物に立ち向かわずに済んでいるのだし、馬の世話おをする人がいるから遠くまで任務に向かう事ができる。
ご飯を作る人がいるから、栄養を摂れるのだし。王宮を清掃する人がいるから、いつも快適に日常を過ごすことができる。
「巻き込まるのはいつもと変わらないけれど、今日は貴重な体験だったわ」
そういう当たり前が当たり前にある事の大切さは、
一度死んでしまった時に分かってたつもりだったのだけどね……。
良くも悪くもなれてしまう事へ苦笑しながら、自分の身の回りにある環境に改めて感謝をしているとふいに声をかけられた。
「剣を握る事は命がけの戦いだって言いはするけど、仕事が大変なのはどこも変わらないんだよ」
驚いて洗っている食器を取り落としそうになったステラは振り返す。
「それが分かればアンタはすぐに見習いを卒業できるね。良い事に気づけたじゃないか」
残念ながらステラは手伝いでも見習いでもはないのだが、訂正するとややこしい事になるのでやめておく。
何故か厨房の仕事を割り切って進んで手伝うようになってからその様に勘違いされているのだ。
「料理の腕も上がったよ。良い事づくめだ」
まるで我が事のようにステラの成長を喜び声を掛けてくるのは、今日一日、ステラの事をよく世話してくれた女性だ。
「頭の良い人はたまに、偉ぶっちゃってるからあたしみたいなもんは好かないね。得意分野が違うだけだって思うんだけど、それを言ったところで負け惜しみだって言われるだけだからさ」
「そんな事は……」
少なくともステラはそんな態度をとるつもりはないし、とった事はない。
騎士として堂々としている様に心がけてはいるが。
「でも、それに気づけたのなら手を取り合って生きて行かなくちゃならないよ。そうすれば、もっと世の中にある争い事が減らせるはずさ」
色々経験してきたステラとしてはそこまで簡単な世界ではないと思うが、あえて否定する事でもないし、そうであったらいいなと思っていることでもある。
「あんた確か恋人に料理を作ってあげたいんだったけね。ほらこれ」
さて、これまでの忙しい時間に自分はそんな事を言っただろうかと首を傾げるステラは、差し出された物を受け取る。
料理のレシピのようだ。
「恋する女ってのは見てれば分かるさ。これはアタシが若い頃に、今の亭主を捕まえた時のメモだよ。男の胃袋を掴めばこの先十年は安心だからね。仕事が忙しくてもさっさと家に帰ってくるようになる」
確かな実績のあるレシピらしい。
そして、どうやら効果は折り紙付き。
「もらってもいいのですか」
「良くなけりゃこうして渡したりしないよ」
今日一日働いただけのステラが受け取ってもいいのだろうかと思うが女性はニッコリ笑顔を浮かべてこちらの胸元へ押し付ける。
ニオに紙袋を押し付けられたときと全く同じだ。
「料理を作る時に一番大切な事は何だと思う? アタシたち毎日ここで実践してる事だよ」
何だろう。定番で言えばここは愛情、とでも言うのだろうか。
「食べてくれる人の事を考える、さ。腕が上手くなりたい、でもいいけど。結局は食べてくれる人について考える事が、一番の調味料になるんだよ。特にその相手が旦那さんだったら、効果はそれ以外の人間の比じゃない。頑張んなよ」
「あ、ありがとうございます」
礼を言えば、勢いよく背中を叩かれてせき込みそうになった
食べてくれる人の事。
やっぱりツェルトが美味しく食べてくれるように考えながら作るのが私にとって一番って、この人が言っているのはそういう事なのよね。
一人一人好みも違う。こういう食堂だったら誰もが好む味付けが求められるのだろうけど、私の場合はツェルトが好きな味を考えて作るって事が重要なのかもしれない。
今まで剣でも何でも、一番いい方法や最適な方法ばかり求めて来たけど、今の私が求めるのは違うものなのね。もちろんかといって、健康を害さないように一般的な方法からそれるつもりはないけど。
「あたしの娘もあんたみたいにさっさと相手を捕まえちゃえばいいものを、好きな相手に婚約者がいるからって悩んでるんだよ」
「そうなんですか」
だったらその娘の為にレシピを渡した方が良いのではと思うのだが、料理の腕はからっきしで、役に立たないようだ。それに加えて本人は花嫁修業よりも実力をつけるのが先だと言っているらしい。好きな相手を捕まえる実力なんて、花嫁修業以外に何があるのだろうかと思う。女子力、とかだろうか。いや同じか。
「あたしも娘も事情があるから普段はあまり話せないしね。大したアドバイスもできやしない。だからあんたはしっかりこのレシピを生かしておくれよ。努力を積み重ねればきっと自分流の一番の料理になるはずだからね」
女性はほんの少し寂しそうに言ったのち、ステラに応援の言葉をかけてくれる。
母親なのに子供と話せないなんて。ステラにはそういう事は分からないが辛くないわけはないだろう。
ステラで良ければ定期的にここにきて話をしにきてもいいかもしれない。
今日一日の経験とレシピの存在をありがたく思いながらステラは王宮の厨房を出ていった。
(※3/2 修正しました)