第9話 出会いの縁
カルネが帰って来た日の翌日。
ぽかぽかと暖かな陽気の満ちる昼下がりの時間、ステラはいつもの昼食を食べたり稽古をしたりしている庭園……ではなく王宮のバルコニーにいた。
その場所は町の広場に面していて、見下ろせば行きかう人々の姿が見えてとれる場所だ。
つい最近エルランドの戴冠式を行った場所でもあり、新たな歴史の始まりを一目見ようと多くの人間が集まったのをよく覚えている。
今、そこにはステラとツェルト、レイダス、、リート、そしてカルネが立っていた。
「ええと、確かこの辺で……」
カルネはバルコニーをウロウロしながら辺りをキョロキョロしている。
王宮に帰って来たばかりの彼女がなぜこんな所にいるかというと、ある重大な理由があったからだ。
彼女は、行ったり来たりしながらバルコニーから見える眼下の景色……ではなく、上を見上げて王宮の外壁に目を凝らしている。
邪魔にならないように離れた所にいるステラは、隣でカルネのそんな様子を見るツェルトから話しかけられた。
「久しぶりに姿を見たけど、何か悩んでなかったか?」
「ツェルトも気づいたのね。それについては昨日話をしたから、大丈夫……だと思いたいわ」
ひょんな事から知り合ってステラの家に時々やって来るようになったカルネは、ツェルトとの付き合いも回数こそ少ないもののそれなりに長い。
着替え中にツェルトにいたずらされて涙ぐんでるステラを目撃したり、屋敷の外壁から落っこちたステラを受け止めて変なとこ触ってるツェルトを目撃したりと、訪ねる度に妙なタイミングで出くわしてごたごたしてしまう二人だが、ささいな変化が分かるくらいの仲ではあるのだ。
「会う度に殴られてる記憶しかないけどな」
「全部ツェルトが馬鹿な事してるからでしょう」
その時の事を思い出したのか、ツェルトが自分の頬をさするふりをしてステラの方をつついてきた。
ついでとばかりにむにむにしないで。ほっぺが伸びちゃったらどうしてくれるのよ。
ああ見えて、カルネってツェルトに対してだけは手が出るのが早いのよね。
しかも回数を重ねるうちに殴りなれてきたのか、良い角度で拳を決めるようになって……。
ちょっと参考にしたいくらいだ。
「うん、やっぱステラは人気者だな。早めに知り合えてよかった」
ツェルトがまたよく分からない結論に達したらしく、腕を組んで大仰に頷いている。
知り合わなかったら……か。
「貴方と会わなかったらどうなっていたのかしらね、私」
カルル村に住んでいる以上そんな事はありえないのだろうが、時々考える事ではある。
小さい頃に人質にされた事があるけれど、ツェルトが助けてくれなかったらどうなっていただろうか。
いや、その前に確か熱を出した時ぐらいに会ったのだったか。その時もステラはかなり危なかったらしい。
ツェルトが精霊と契約をしてくれなかったら分からなかったと聞いたぐらいだし。
それらで運よく死なかったとしても、学生時代も騎士団に入ってからも数多の苦境に立たされた。
自力で何とかした事もあれば、ツェルトに助けられなければどうにもならない事も多かった。
そう考えれば、いやそうでなくても、
「私、ツェルトと会えて良かったわ……」
常に傍にいてくれた彼がいない日常など考えられない。
巡り合える縁があって良かったとステラは心の底から思った。
たとえば、ツェルトとの出会いを引き換えに災厄の運命を失くせるのだとしても、ステラは彼との出会いを選びたい。
「嬉しい事言ってくれるよな、ステラ。俺もだぜ。むしろ出会いの縁なんかなくても俺、探すから!」
知り合ってもいないのにどうやってよ。
一歩距離を詰めてこちらの手を掴んで、ツェルトと見つめ合っていたりなどすれば、わりと近い距離から咳払いが聞こえた。
あと、ちょっと離れたところからも。
リートとカルネだった。
「イチャつくのは構わんが、そういうのは部屋でしろツェルト」
「そうですね。時と場所と場合を考えてもらいたいところです。ツェルト・ライダー」
「何で俺だけ注意されるんだよ!」
抗議の声が隣から上がれば、彼が最初に言葉を発したからだと、二者から返答が返って来る。
会ったばかりだというのに、彼女等のこの息の合い様はなんなのだろうか。
ツェルトがそんな空気を変えるように……、ではなく純粋に思った疑問をその場にいる猛獣に視線を向けながら口にした。
「なあ、リート先輩。あれ……じゃなくてレイダスなんか連れてきて大丈夫なのか?」
「そうよね。別に彼の手を借りなくても、何とかできるんだし」
それはステラも思った事だ。
イライラしながら手すりに背をもたれさせて、城の外壁を見つめるレイダス。
これからの事を考えると些細な手間に色々と危険な所がある彼を使うのはどうかと思うステラなのだが、リートはまったく表情を変えずに立つのみだ。
そんな彼女はむしろ自信をみなぎらせながら、あえてこちらに言葉を発してくる。
「便利だからだ。なに、お前たちが懸念しているような問題は起きないだろう。こいつはこれでも強さを求める事に関しては貪欲だ。鼻先にニンジンをぶら下げられた馬のように我々の為に働いてくれるだろう」
「それはそうかもしれないけどな」
「分かってても不安になるのが普通なのよ」
むしろどうして平然とレイダスの手綱を引けるのか、そちらの方が分からない。
ステラはツェルトと共に顔を見合わせると視線があった。不安の色が見える。たぶん顔に浮かべている表情も同じだろう。
リートの性格は少々勇ましすぎるような気がする。
「私はお前達の義理の姉だぞ。姉の言葉を疑うのか」
「こんなぶっきらぼうなお姉さんより、ステラみたいなのだったら可愛くてよかったんだけ……ぶごうっ」
ステラとリートを比較して発言したツェルトは、リートの剣の一撃(鞘付きの)を頭部に受けて悶絶している。
「その目は節穴か、どこをどう見ても私は完璧な姉ではないか。お前こそ弟らしくそろそろ素直にお姉ちゃんとでも呼んだらどうだ?」
「いてて、いやありえないって。リート先輩は先輩の方が……って、危ねっ。今の別に悪口でも何でもなかった事ね?」
チャンバラを始めた二人を横目にして、一応義理の姉に当たる人物を観察する。
自信満々で男勝りな性格の彼女は、姉となる前からもステラ達のことを良く助けてくれる。
それは世界の壁を越える前から変わらず、元は別の世界にいたステラの生命の危機を助けてようとしてくれたところから始まるのだが……。
時々思うのだ、どうして彼女もこの世界に転生してきてるのだろうと。
いるものはいるものなのだからなんらかの原因で死んでしまったということなのだろうが、その理由を知るのが怖かった。
まさか、ステラを殺した犯人が戻ってきて彼女を……。
最悪の事態。
そんな事を考えずにはいられない。
そうでなければいいと思うのだが。
「どうした? そんな風に穴が開くほど見つめられても何も出んぞ」
そんな視線に気づいたのか、義理の弟に制裁を加え終わった姉がこちらに気が付く。
「ええっと、何でもないの。ただ、どうしてあなたの方が年上なのかなと思っただけよ」
「む? 先に生まれてきたものは生まれてきたのだから仕方ないだろう」
少し狼狽してしまったせいか変な質問をしてしまったようだ。
そうやって時々ツェルトにいたずらされたり、それをリートやカルネが注意したりと時間を潰す事、数分。
やがてカルネが、頭上にある建物の壁の一点を指さし言葉を発した。
装飾の類いが付けられているでもない場所で、太陽の光を受けて輝く物があったのだ。
「ああ、ありました、あれです」
「なるほど、あそこね。良く気がついたわね、カルネ」
「偶然です、王宮へ帰ってくるときに懐かしさのあまり、つい見入ってしまって……。その時に気がついただけですから」
「それでも助かったわ。じゃあレイダス、お願いできるかしら」
いくらステラと言えども、遥か高所のそれも足場の少ない壁面を走るのはできなくはないが、容易ではない。なので容易にできるだろう人に、内心ではちょっと戦々恐々としつつもお願いする事にしたのだがその当人はというと、
「あぁ? 何で俺様がそんな面倒な事しなくちゃならねぇんだ」
しかめっ面で文句を言ってくる。
何の為に貴方みたいな猛獣がここに連れてこられたと思ってるのよ。
……ええと、詳しくは聞いてないけど、たぶんこれの為よね。
レイダスの発言に対してステラが言い返そうとするが、そこにリートが割り込んだ。
「黙れ、無駄口を叩くな。さっさと行け」
「誰がテメェの指図なんか」
「私の出世と評価向上の為に行け」
「ざけんな、言い直した意味あんのかよそれ。何でテメェの下らねぇ事情に労力使わなきゃならねぇ」
リートの言い直しに、ケンカ腰で言い合うレイダス。
いつ見ても心臓に悪い光景だ。
リートが監視でセットとして出現する度に、この二人はこんなやりとりをするものだから、ステラ達や他の者達はいつレイダスが切れて暴れ出すか気が気ではないのだ。
「もう、良いわ。私が行くから」
「待て女、勝手に決めんじゃねぇ」
ここで、決闘でもされたらたまらないとステラがそう言うのだが、気に食わないとでもいいたげな表情をされる。
行くのか行かないのか、どっちよ。
そんな感じでうんざりしているとカルネが口を開く。
「レイダス、そうやってゴネていても悪戯に時間を消費するだけですよ。貴方は最初から請け負うつもりだったのではありませんか?」
「え、そうなの?」
「ちっ。どいつもこいつも……」
苦虫を噛み潰したような表情をしたままレイダスはさっさと壁を上っていく。
「私があの光を発見した直後、彼は光の方を見つめて、それから足場となりそうな場所がないか視線を動かして探しているようでした。ですが、貴方達の言う事を素直に聞くのは彼のプライドが許さなかったのでしょう」
「そうだったの、すごいわねカルネ」
探し物を見つけた直後だというのに、よく気づいたなとステラは感心する。
観察眼が非常に優れているどころではない話に聞こえるのだが、彼女にかかれば、レイダスの意図などお見通しらしい。
ステラ自身も何度正確に内心を当てられたことか。
ほとんどがツェルトに関しての事だったのが少し不思議だが。
「ほらよ、こんな面倒な事で呼び出すんじゃねぇ」
しばらくして光の元を確かめてきたレイダスが降りてきて、取り外してきたその物体をこちらへと放り投げる。
太陽の光を受けて反射していたらしいそれは、剣だった。
受け取ったステラの手の中にあるそれを眺めながらリートが口を開く。
「紋が彫られているな……、これは元王グレイアンの手下の部隊のものだ」
「グレイアンの……」
カルネに視線を向ければ、肯定の頷きが返ってくる。
政治家になるべく勉強している彼女はそういう事についても詳しい。
彼女がそう判断するのなら間違いではないだろう。
つい最近起きた戴冠式では、式の最中に国王の命を狙おうとした賊たちの襲撃があった。
この剣がもし、その時のものならば、それは……。
現在捉えられているはずのグレイアンをまた王にしようとしている輩がいるわけで……。
「良くない事になりそうね」
またこの国を揺るがすような問題が起きる事となるだろう。
顔を突き合わせてそろって深刻な表情となっているステラ達に、レイダスが小馬鹿にしたような声音で言葉をぶつけた。
「はっ、これだから平和ボケした人間は。望むところじゃねぇか、上等だ。人間の数だけ死体を積み上げてやらぁ」
久しぶりに生き生きとした表情を見た。
彼にとってはその方が良い時代なのだろう。
レイダスみたいに思えたら楽だろうという気持ちはあるが、まったく羨ましくない上にステラの価値観は正反対の方を向いている為、同意できない。
「また貴様は、そういう発言を。誰が聞いているか分からない場所では控えろと言っただろう」
「何でテメェなんかの命令を聞かなきゃならねぇ」
いつものようにレイダスの迂闊な言動にリートが眉を顰め手を出したりしている間、カルネが話しかけてきた。
ちょっと横で国の行方を揺るがしかねない狂暴生物が暴れそうになっているのだが、カルネは気にならないのだろうか。
「そういえば、言ってませんでしたね。おめでとうございます。友人として嬉しいですよ」
「えっと、何かあったかしら」
つい最近起こった事と言えば彼女の身に起きた身内の不幸くらいしか思い当たる節がないのだと首を傾げるステラにカルネは述べた。
「添い遂げる相手を選んだのでしょう、彼を」
視線をツェルトの方に向けて。
恋人の件についてだったか。
「え、えっとまあ、そうね」
「お、おおありがとうな。そういう事をカルネから言われるのはすごい珍しい。ほんと珍しい」
ステラは、ツェルトの方を見てカルネへと視線を戻す。
改めてそう祝福されると照れてしまうし、反応に困る。
「予想通りと言えば予想通りですが、少し悔しいですね」
「そうなの?」
予想されていたのは分からなくはない事だが、悔しいという事はどういう事だろうか。
「私はとうとうツェルト・ライダーという悪影響を駆除できなかったようです。彼の様な悪い意味で適当な性格が今後もステラにうつらないか心配でたまりません」
「まるで害虫みたいな扱いだよな! 俺、お前に何かしたか!?」
あんまりな言いぐさにツェルトは声を荒げた。
ステラとカルネの関係は多少変わったというのに、そちらの方はまるで昔から変わらないままなのがちょっと不思議だった。