第8話 裏方の話
王宮 廊下 『ツェルト』
それは、ステラが勇者の後継者となった日の夜。
ツェルトは灯りに照らされた王宮の廊下を走っていた。
『この任務、俺達じゃなくても出来るだろ』
『上の人達が、こちらにまわしたようですよ』
『なんかあやしいな。ちょっとリートに聞いてくる。ダメだったらすぐ戻ってくるよ』
脳裏に思う浮かべるのは、つい先ほどの部下とのやりとり。
最近、自分達に回されるものとは思えない任務を受けた。
それは、言い方は悪いが方少し、実戦経験がなくて実力のない部隊にまわされるようなものだったのだ。
違和感を覚えたので、調べていたのだが。
まさか、本当に裏があったとは。
やけに時間のかかる任務を押し付けられたと思ったら、こういう事になっていたとは。
いつも肝心な時に後手に回ってしまう自分が恨めしかった。
ステラは勇者の剣を回収するために、魔物の巣へむかったらしい。
それは正式な任務ではない。
彼女の事を疎ましく思う物が団結し、罠に入れて貶め、本来ならなかった予定を無理矢理ねじこんだ末に発生した任務だった。
「くそ、ステラ。無茶だ、馬鹿だろ。あんな任務を受けるなんて」
目の前がまっくらになりそうな気持ちだった。
勇者ですら命を落とした危険な場所に向かうなど、無謀だとしか思えない。
勇者が命を落とすような重要な任務では、国王の決断が必要になる。
おそらく王都の民に同情するステラの事が王の耳に入ったのだろう。それで彼女は切り捨てられることになったのだ。
それでなくても、正義に溢れる彼女には敵が多い。
それが最悪の形で、牙をむいてしまっていた。
「何の為の約束だよ、肝心な時に傍にいられないで!」
ツェルトは、幼い頃に大切な少女に誓った思い出の光景を思い浮かべながら、心の底から嘆く。
しかし感情のままに焦るツェルトの目の前、曲がり角から女性が現れた。対魔騎士学校の先輩でもあったリートだ。
彼を養子にした家の者。リート・シルベールが。
彼女とツェルトの関係は、協力者のような間柄である。
「ツェルト、どこにいくつもりだ?」
卒業した後、彼女はこの王宮で一兵士として働いているのだが、必要な時はこうしてたまにツェルトの前にふらりと現れる。
「今さら行ったところで間に合いはしないぞ」
「だったら黙って待ってろって言うのか!?」
「そうは言わない。冷静になれと言っている。彼女の傍に行くにはもっと効率的な方法があるだろう」
「……? あ、あぁ……そっか。そうだった」
事情を知っているらしいリートに指摘され、初めは何のことか分からなかったが、徐々に理解が及び、落ち着きを取り戻す。
焦るあまり精霊の力を失念していたようだ。
自分の力を使えば、どんなに離れていても、一瞬で想い人のところまで飛んでいける。
だというのに、まるで頭に浮かびもしなかった。
「まったく、そういうところはフェイスの事件の時から変わらないな」
「悪い、助かった」
「助かった? 責められる方が納得できるな、今の状況を見れば」
「なんでだよ」
リートは皮肉気に表情を歪めてみせる。
「彼女の傍にいて守るつもりだったお前をこちら側に引き込んだのは我々……前王直属の特務騎士団だ。私達が関わったばかりにお前はやり方を変えなければならなくなったし、彼女の危機にすぐに駆けつけられなくなっただろう」
顔色を変えずに淡々と述べられるリートの言葉を受けて、ツェルトが浮かべるのは怒りの表情などではない。
「そんなの別に恨んでなんかないよ。あるとしたら自分の力の小ささくらいのもんだ」
「その言葉は真実か?」
「当たり前だろ、どうせ俺がやらなかったら絶対ステラなんかが巻き込まれてやってただろうし。やる人間が変わっただけだって思う」
「ふ、なるほど確かにそれはそうかもしれないな」
その可能性は確かにありえるかもと良い、笑い声をこぼし微笑するリート。
それはツェルトの記憶には存在しない珍しい顔で、軽く驚いた。
そんな反応を面白がるようにリートは顔をよせて、こちらの耳に囁きかける。
「だがそれでも言おう。お前が……いや、君が大切にしていた約束を蔑ろにする様なマネをしてすまない。ふぅ、これですっきりしたな。協力感謝する」
「結局自分の言いたい事、言うんだよなぁ」
誰もいないだろうにこんな内緒話をするみたいな姿勢をとって、と思いつつも念の為に周囲を見回してちゃんと誰もいないことを確認する。
「その行為は俗に言うフラグ立てというものだぞ。おそらく誰か邪魔者が来るな」
「フラグって何だ、嫌な予想すんなよ。でも、そろそろ本当に誰か来かねないし、さっさと行くか」
精霊の力を使う為にツェルトは目を閉じて外界の刺激を遮断、意識を集中する。
「やれやれ、まったく世話が焼ける後輩だ。だが、仕方あるまい。迷いの森で助けて貰った件もあることだしな。お前は覚えているか?」
苦笑とともに呟かれたリートの言葉は、ツェルトの耳に届いていない。
リートは、そんな事は承知の事とばかりに苦笑の声をもらし、周囲への警戒へと気を割く。だが、その場へ近づいてくる人間の足音が聞こえた。
「おい、さっそくフラグが回収されたようだぞ」
「いってっ」
リートはツェルトの耳を引っ張って、意識を戻した。
それと同時に、無視できない脅威が口を開いた。
「はっ、取り込み中だろうが邪魔させてもらうぜ!」
足音の主、それはレイダスだった。
レイダスとの因縁は長い。
学生生活をしていた頃、その入学式初日からの縁だ。
接した時間は短いし、その回数も決して多くはない。
けれど、誰よりも危険な人間だと感じていた。
純粋な力の面でも、その精神性の面でも。
目の前の男、レイダスは強い。
警戒心が一気に引き上げられる。
少しも目を話してはいけないと、本能がうったえかけてくるようだった。
視線の先、レイダスはどう猛な笑みを浮かべる。
「うまそうな獲物が転がってんじゃねーか。退屈してるとこに、向こうから相手がやってくるなんてよ」
「男連中からは、まずそうな男って評判だけどな」
引き合いに出すのは、同じ教室にいた男子生徒達からの評判。
ステラ関係で絡まれたらやばいだの、まずいだの本当に好き勝手いってくれた。
連中も一応王宮で働いているようだが、荒れた国の中で苦労しているようだ。
思考に少しばかりの余裕を取り戻して、剣を構える。
「だから、ちょっとどけよ」
「餌ぁ前にして、んな事するわけねぇだろが」
レイダスは、やはりひかない。
予想通り。
戦うしかないようだった。
焦れる心を落ち着かせながら、剣を握る手に力をこめた。
そして――
一瞬の間をおいて、剣撃が音となる。
「はっ、楽しませてみろよっ!」
反応が遅れたら、死ぬような攻撃がやってきた。
一度だけじゃない。
「そんな余裕、あるわけ……ないだろ!」
かんはついれずに、剣技がおそってくる。
洗練されたものでなく、自己流のその剣の技は予想もつかない場所からこちらに攻撃してこようとする。
回避に専念し、どうにか一、二撃叩き込むころには、もう何か所も切り傷をもらいうけていた。
しかしそれでも相手は全力でなく、手加減をしている状態。
人間性をさしおけば、どこまでも恐ろしい男だった。
会話をする余裕のあるレイダスが、時折ステラが死んだとか、今頃骨になってるとか、勘に触るような安い挑発をしてくる。
普段なら無視できるような言葉だが、今はその一つ一つが意識に引っかかってしまう。
そして、それが致命的な隙をうんでしまった。
「――がはっ」
もしかしたら、死ぬかもしれない。
そう思った。
よろけ、膝をつくツェルトを見逃す的ではない。レイダスが迫るが。
『ツェルト!』
誰よりも愛しい人の声が聞こえたような気がして、ツェルトは反射的に反撃していた。
眼前に迫っていたレイダスが、珍しく驚きに目を見張っていた。
「は? ……おいおい、冗談かよ」
辺境の町 宿屋の一室 『ステラ』
何とかその場を切り抜けて、魔物の巣一掃という予想外の成果を上げた帰り道。
立ち寄った町の宿で眠るステラは夢を見ていた。
ツェルトがレイダスと戦っている。
場所は王宮の廊下……らしき所だ。
他の部分、二人の周囲以外はぼんやりとしていてよく見えなかった。
レイダスは強い。
でもツェルトも強くなった。ステラよりも強いはずだ。
次第にレイダスを追い詰めていくツェルトだが、その様子が一変する。
レイダスがツェルトに対して何かを言う。
ツェルトはそれに対して、
「ステラが死んだ……?」
そう言う。彼の声だ。卒業してからはあまり聞くことがなくなってしまった声。
それが隙を作ってしまった。
ツェルトは攻撃を受けてしまう。
レイダスは彼に何か良くないことを話しているようだった。
言葉を聞く度にツェルトは表情を歪めていく。
……駄目、ツェルト。そんな言葉を信じないで。
ステラは一生懸命そう話しかけようとするが、声は音にならず。言葉は伝わらない。
やがてツェルトはレイダスに利き腕を切り裂かれてしまう。
飛び散った血の飛沫にステラは、叫んだ。
「ツェルト!」
追いうちをかけようとするレイダス。
だが何かに気付いて立ち止まる。
ツェルトの手には光り輝く剣が出現していた。
それは勇者の剣だった。
「ステラ、そっか。生きてるんだな」
ツェルトは勇者の剣をレイダスへと構える。
その顔は、先ほどまでとは変わっていた。
安堵、そして強い戦意をそこに浮かべる。
「なら、俺のやることは一つだ。俺は……」
ツェルトは言葉と共に剣を振り下ろす。そこでステラの見ていた夢は途切れた。