novolunteer
献血に行ったので献血の話を書きたかったのです。
前の日の晩、10時には全てを終わらせて布団に入った為、その日私は朝6時に目を覚ます事が出来た。
気持ちのいい朝だった。カーテンを開いて見上げた空は程よくどん曇しており、ねずみ色だった。私はねずみ色の空が好きなのだ。携帯で確認するとどん雲りではあるが、雨は降らないらしかった。降水確率10パー。なんて理想的な天気だと思った。
それから私は「あー」って言って伸びをして、洗濯物を洗濯機に放り込み、トイレに行って、そしてお風呂に入った。
お風呂ではボディタオルを使って全身をくまなく、泡だらけになるまで洗った。マシュマロモンスターになるくらい洗った。
お風呂から上がると、洗濯物を干して、普段は食べない朝ごはんの準備をした。まあ準備と言ってもアボカドを剥くだけなのだけど。
前の晩、常温で置いておいたアボカドのあのアロサウルスの皮膚みたいな表面に包丁を入れ、種を軸にして刃を一周させる。スーパーボールの3等賞くらいの大きさの種を取り除き、それからアボカドカッターを使ってアボカドのあのメロンソーダみたいな色の実を綺麗に剥ぎ取る。それを皿に乗せて、そこにごま油と塩をかける。
「・・・」
それを一口食べると、自然と笑みが漏れた。
うんまい。
なんだこれ、うんまい。もし将来私が人を五十人とか六十人とか殺して、そんで死刑判決になって、死刑になったとしたら、最後の晩餐に私はそれを頼むかもしれない。そう思った。あとお酒が飲みたくなった。無性に飲みたくなった。きっと昨日の晩飲んでいないからだろう。それに今、この最高の酒の肴であるごま油と塩をかけたアボカドを食っているのに、それなのに、それにもかかわらず、お酒を飲んでいないからだろう。その為、冷蔵庫の横に置いてある飛良泉の一升瓶がすごく気になった。すごく気になり始めた。一升瓶の飛良泉がすごく魔力を放っているように感じた。しかし今、飲むわけにはいかないので、私は自分の頬をつねって、その感情を抑えた。
ごま油と塩をかけたアボカドを食べては笑みが漏れ、その度にお酒を飲みたくなり、そして頬をちぎるくらいつねった。
その後、使った食器を洗い、それから歯磨きをして、軽く薄く顔を作ると、私は家を出た。おニューの靴をはいて出た。
私は今日これから献血に行く。400ml抜きに行くのだ。まずは電車に乗って最寄の駅まで行く。私は駅に向かった。
献血会場に着くと、既にバスはあったものの、まだ自分以外誰も来ていなかった。
「あらー」
スマホで時間を確認すると確かに、多少早かった。ちょっと急ぎすぎたみたいだった。一端駅前まで戻って、駅ビルのスタバに入りventiを頼んで飲めるくらい時間があった。とはいえ、私は無闇にその場を動かずにdヒッツで『東へ西へ』をリピートで聴きながら待つことにした。過去私はこういう時に動いた為に何度も失敗しているのだ。その場に仁王立ちしたままdヒッツを起こしてマイヒッツをすごいスクロールする。もう少しいい方法は無いのか?と思えるくらいスクロールした先にやっと見つけると、靴紐みたいなイヤフォンを取り出してバスに背を預けて私は『東へ西へ』を聴いた。始めは何度聴けるのだろうか?という事を考えていたはずなのに、何度も聴いているうちに陽水さんのことや、紅白に出たモックンさんのことが頭の中を占拠してしまい、何度聴いていたのかはすぐに忘れてしまった。
受付で紙を書くと、スポーツドリンクを手渡された。そして係りの人が「献血の前には飲んでくださいね」といったのを合図に私はそれを飲み始めた。なんとなくなんだけど、係りの人が言う前に飲むと怒られるような気がするのだ。だから何時も言われるまでは飲まない。
その後、問診を行い、タッチパネルを行い、血圧検査をされてから、採血をされた。
「ご気分、大丈夫ですか?」
と看護師のお姉さんが私の腕をバンドで締め付けながら言ってきたので、私は「ちゃんと赤い血が出るかどうか心配です」と答えた。
私は何時もそう答えることにしている。いつもそうだ。それ以上に優れた事は私には言えないから。
その後、血管を浮き上がらせる為に手をグーパーグーパーして、その結果採血は左手、献血は右手と言う事になった。
「分かりました」
私は頷いた。その間も看護師さんは手際よくねるねるねーるねみたいな容器に黄色い汁と青い汁をつけて、そこに私から抜いた血を混ぜて大きな綿棒みたいなもので練っていた。私はその作業をずっとガン見していた。何度見てもその光景は興味深かった。黄色いのも青いのもどっちも焼肉のタレみたいな感じになった。それは何時も通りの光景だった。
その後私は、バスに乗り込んだ。先ほどまで無人だったバスはいつの間にか暖房が効いていて、電気もついていた。私は何時ものように指示に従って専用の台に横になった。献血車内にはFMナックファイブが流れていた。献血車両内で聴いた音楽をマイヒッツ登録した事が今までたくさんあった。
「ご気分、大丈夫ですか?」
と、看護師さんに聞かれた。私は「大丈夫です」と答えた。大丈夫じゃなかったらきっと私はすぐに泣き出してしまうだろう。
「では確認の為に、ご自身のお名前と生年月日をおっしゃってください」
看護師さんは針の準備等をしながら画面を見て言った。今日、このラストステージ献血バスにたどり着くまでに私は何度自分の名前と生年月日を言っただろうか?学校を卒業して依頼、これほど自分の名前を名乗る機会は他に無かったかもしれない。バスの天井に張られているレッグクロスの張り紙を見ながら私はそんな事を思った。
献血が終わって、数日が立ったある日、家のポストに献血の結果についての書類が届いていた。リビングのテーブルの上に一端置いて祈りを捧げてから、開封した。何時もこの時は少し緊張する。針を刺すときよりも私にはこの時のほうがよほど緊張する。何度やっても慣れない。
「・・・ふう・・・」
献血の結果は今まで同様特に異常も無く、問題なかった。
「・・・ん?」
ただ、その日は献血結果の紙意外に、また別の紙も入っていた。何だろう?取り出して見てみると、
『日本赤十字社銀色有功章の贈与について』
という紙が出てきた。
その紙面の内容は、一回400mlで年二回の献血を70回行ったため、私に某かの章と杯を送りたいという内容のものであった。
「・・・」
後日、私はその辞退をする旨を記した手紙を日本赤十字社に送った。
そのような章をいただけるのは私にとって大変光栄だが、私が献血を行っていたのはボランティアの為ではなく、あくまでも自分の為である。その為、私にはそのような章をいただく必要は無く、いただいたとしても身に余る。そのお気持ちだけで十分であるため、大変に申し訳ないが、その章の贈与に関しては辞退させていただきたい。これからも一人の献血者として貴社の活動に参加させていただけたらそれだけで十分である。
その手紙をポストに入れる時、私は何度も何度もごめんなさいと心の中で祈った。
私が18歳になって献血を始めた理由は、恐怖からだった。
私の両親は共に癌で死んだ。
二人とも50歳まで生きることが出来なかった。そしてそれは二人の死後そのまま私に乗り移った。恐怖だった。とても明確な分かりやすい恐怖心。だから私は当然自分もそうなるのだと思った。
それから、私は献血を始めた。
半年に一回、自分の中にチェックポイントを作りたかった。
カレンダーの決まった日にマーカーで印をつけるように、決まった部分にピンを刺すように、クリスマスやバレンタインデーにハートマークを描くように。
私は自分の人生を半年に一回という枠で細切れにして、そうして生きていく事に決めたのだ。
半年に一回の献血、それに向けて自身の体調を整えて、何もない様に気をつけながら日々の生活を送る。一回が終わればそれまでの半年間大丈夫だったという証拠になる。それを糧に、また次の半年を生きていく。半年ごとに、私は自分の人生を更新していく。それは私が死ぬまで続く。
私がやってきたのはそういうことだった。
それはボランティアの精神ではない。私は献血という行為をセーブポイントにしてただ自分のためにやっていただけだ。
全部自分のためだった。
そうして私の両親が到達しなかったところまで、気がついたら私は来ていた。18歳から年二回ずつで、35年。
それだけだ。
家族も誰もいない。
私は一人だ。
両親が私のために残してくれた遺産も全く使うことなく、私はただ、病気に怯えて音を立てないように生きてきただけだった。
ああ、
そうか、
それで、
気がついたらとっくに両親よりも生きていたんだ。
そうか、
そうか・・・、
献血70回、考えてみたらそれは一つのポイントが出来たということだ。
年齢制限を考えると、私はもう献血100回には届かないし、それに何よりも、
私はもう両親よりも長く生きることが出来た。
気がついた瞬間、壊れることがある。
それに気がついた瞬間、明日からもう立つこともできなくなる様なことがある。
それはつまり、
つまり、
私が死んだら、残った遺産のほとんどは日本赤十字社に寄付させてほしい。
それから、造血の為に、死ぬ前に、最後に、
生レバーを食べたい。
ごま油と塩をかけたアボカドではなくて、やはりごま油と塩で生レバーを食べたい。
それを食べれたら、最後に食べれたら、もう、
私はもう・・・。
とりあえず、これで。なんか薄暗いですけど。




