4.虫の話
金曜日午前十一時、いつものように彼女はやってきた。そういう僕もいつものように準備が整うのを待っていた。既に僕のコーヒーは卓上に置かれている。これに彼女が手に付けたのは初めてあった最初の一度だけで、二回目にあった時には僕同様無視をした。
彼女が現れる法則は回数を重ねる毎に色々と分かってきて、例えばコーヒー、これを頼まなかったり違う飲み物に変えると彼女は現れなくなる。しかし、アイスコーヒーなら大丈夫だった。他はコーヒー以外に何かを頼んでしまうと現れなくなる。昼前のこの時間、どうしても小腹が空きサンドウィッチを頼んでしまったことがあるがその時には現れなかった。しかも二週連続でそれをしてしまい、次の機会が現れる間は自分を呪った。
それ以外ならばテーブルの上に何を広げようとも、時間前に来て、コーヒーを頼めば彼女に合うことができる。
自分で勝手に思っている法則。もしかしたら全てが偶然なのかもしれない、しかし、彼女にその偶然が存在しているのか『わからない』から僕はこうして毎週のように彼女に会いに来ている。
いつの間にか店主によって運ばれてきたコーヒーに口をつけた彼女はゆったりとした動作でそれを皿へと戻す。
そして僕の方を見ていつも通り笑いながら言った。
「さて、今日は何の話をしようか。」
・・・・・・
「今日は虫の話をしよう。この間とある所で知り合った人に相談された話だ。
君は虫を食べたことはある?」
早速回ってきた回答権だったが僕は素直に無いと答えた。食用の虫も存在しているのは知っているが今の御時世、そんなものを態々食べなくても食糧には困らないように出来ているので僕はそんなものを見た事も食べたこともない。
「本当にそうかな
今、私達の世代で虫を食べたことがない人は多分居ないよ。虫はそこら中に存在する。
出先で口を開いた時に虫が飛び込んできたことはないかな。その時はすぐに気づいて出したかもしれない。でもそれは気付ける程大きな虫だったからだ。虫のサイズは本当にいろいろで目に見えないサイズのものだっている。そんなものが口の中に入って気付いて取るなんて無理だろう。そして、自身が食べている物にだって虫がついていることがある、綺麗に洗ったつもりでも付いていることはあるだろう。そんなものを私達はいつも口に入れて咀嚼しているんだ。
それでも君は虫を食べたことがないというのかな。」
口の中に虫が入って嫌な気分になった事は僕にもある。誰かと喋りながら川沿いを歩いているときなど、その時の季節によって頻繁に起こる事態だ。そして、それが目に見えないほど小さいものならば僕は入ったことに気づかなかったかもしれない。
そう思った瞬間に背中に嫌な汗を書いた。食べたことがあるかの前に、第一に僕は虫がとても苦手なのだ。大きいものから小さいもの、外郭の作りと、足があったり無かったりの無揃いの生物。全て同じ『虫』と言われているのにその強調性のない生き物なんて本当は見るのも触るのも嫌なのだ。
そんなものを気付かないうちに食べていたなど寒気がする事態である。
「その顔は無い、から、あるかもしれない、に変わった顔だ」
彼女は本当に楽しそうに笑いながら言った。思い出しではあるが、嫌な気分に浸っている僕が面白そうに。
話を区切るように彼女はコーヒーを手に取り口に入れる。液体で尚且つ暖かいものとはいえ、食べているものにも虫がいるかもしれない、と今しがた話したばかりだと言うのに。僕はそんな気分になれず、自分のコーヒーを見つめる。 当たり前だが、毎週飲んでいる普通のコーヒーだ。
「今までの話である程度予測は出来ていると思うが、今回の話は『虫を食べてしまった』話だ。相談者の夫人が食べてしまったそうだよ。
それだけならば問題は無いだろう。虫は誰しもが食べる可能性がある、そして食べたところで体に以上はあまりでない、出たところで腹が下るくらいじゃないかな。
しかし、相談者が相談してきた相手は私だという事。これは問題だろう。私のところへと来るまでに色々とあっただろうが、私のところへと来なければならない事態にすでに陥ってしまったということだ。」
彼女が普通の人ではないと言うことは今までの話から僕は知っている。相談者がそれを知っていたかはわからないが、彼女への相談ということは普通じゃない事態が起っている
。
「相談者の夫人、彼女は無意識に虫を食べてしまった。私のところへと来たと言うことはその辺りにいるような普通の虫ではなく私の専門に属するものを彼女は食べた。
それは擬態がとても得意で見た目は虫と何一つ変わらない、そして普通の虫と混じっていることが多い。しかしながらそれは人間には手の届かない場所にいる。通常ならば無害だ、普通に生きているならば出会う事もしないのだから。しかし、彼女はそれと出会い食べてしまった。
結果、彼女は虫を食べてしまうようになった。
相談者の彼は妻の気が狂ったのではないかと思い精神病院へと連れていったそうだ。それはそうだ、人間で尚且つ日本の女性、そんな人が虫を、しかも生きている虫を食べているだなんて正気の沙汰じゃないからな。
精神病院はすぐに入院を強く勧めたが、それを彼女が断った。そう、彼女には意識があったんだ。生活する上で必要な知能全てを持ったままだったんだよ。食が虫に変わってしまっただけなんだ。」
台詞と不釣合いすぎる不釣り合いな清楚な笑み。僕は僕で彼女の言葉によって催眠術に掛かったようにその光景が頭に浮かんでいた。
年配の女性、彼女は台所のテーブルへと腰掛けている、彼女の手にはナイフとフォーク、目の前には皿、そして皿の上には大きく羽を広げた大きな蝶。ゆっくりとナイフをその蝶へとたてる彼女、二つに別れた胴体に皿を彩っていくその身から溢れた体液。フォークに刺さった半身を彼女は自らの口へと運ぶ、そしてまるで光悦したような顔して咀嚼する。
想像の域でしかないのだが、僕はその頭の中に浮かんだ光景に身震いをした。吐き気がする。常軌を逸した行動だが、夫人はきっとそれを平然と正気と変わらない行動としてしているのだろう。
「なぜ、彼女は食べてしまったのか。それは簡単だ。偶然と偶然とが重なりたまたま口に入ってしまったんだろう、もはや必然的に。
その虫は人を嫌う、彼女が願ってそれを口にしない限り食べる事が出来ないものだ。もしかしたら願ったかもしれない、しかし既にその答えは必要がない。食べてしまった事実しか残らないからだ。
じゃあなぜ、彼女は虫を食べるようになってしまったのか。
彼女が食べた虫の主食は実のところ魂なんだよ。だが、人間の魂なんて虫には毒があって食べれない。綺麗な魂を持った者なんていやしないからね。虫は清やかなものだ。そしてその虫も清らかな魂を好む。
答えが見えてきたと思う。彼女が食べた虫は『彼女の中で自らの捕食作業』をしているだけなんだよ。」
生きるために食べる、当たり前のことだ。
それは人間も虫も同じで食べなければ死んでしまうのだ。しかし虫は食べられてしまった、このままでは死んでしまうので自らを食した物を通し自分はいつも通りの捕食をしているだけ。
彼女はなんでそんな虫を食べる事が出来たのか僕にはわからない。偶然かもしれない、しかし彼女に相談された時点で僕はその全てが自身によって招かれたものではないのかと疑ってしまう。だってその方が『面白い』じゃないか。
「実のところ彼女の中から虫を消すことは出来るんだよ。取り出すではない、消す。無理矢理もできることは出来るのだが、それはあまり宜しくなくてね。虫は自らの意思を反映させる程に彼女の中枢へと入り込んでいる。入るためにはスペースが必要、その虫はそのスペースを彼女を食べることによって作っている。無理矢理取り出したりしたら穴が空いてしまうから彼女は壊れる。虫が暴れたらそれこそ死にも繋がるだろうね。
じゃあどうすれば虫が消えるのか。簡単だ、虫が死ぬのを待てばいい。しかし断食は駄目、空腹に暴れてしまう、それより彼女の正気が保たれないだろう。彼女は虫を食べることが当たり前で、その当たり前を壊されることを恐怖に思っているようだから。
じゃあどうすればいいのか、簡単だ、虫を大往生させればいい。望むがままに捕食をさせ、寿命尽きるまで彼女の中で育てればいいんだ。」
食べてしまったから食べられた。そして1人無理矢理抜けることのできない因果へと足を踏み入れてしまった。
「私は全てを相談者に話したよ。相談者はすべてを聞いてある決断を下した。なんだと思う?」
僕は正直にわからないと言った。妻といえ自分ではない他人がそうなった所で自分自身には何もできる事などないと思ったからだ。それは僕の知らない世界、知らないから惹かれていて、知らないから足を踏み入れることが怖い場所なんだ。
「彼は妻と一緒に森へと引っ越していったよ。虫に困ることがないところへと」
彼女は面白そうに笑う。清楚な雰囲気に毒と無邪気さを混ぜて。
その決断は誰しもができるわけじゃない『面白い』ものだった。
四話目読んでいただきありがとうございます
この話は少しグロテスクを意識した作品です
私は虫は苦手です
次の話もよろしくお願いします、すすすす