#04
日本。
人口約1億3千万人を有し、GDP(国内総生産)は世界第三位の先進国である。
およその人口人種分布はその大半を締める獣種38.2%、有角種21.7%、妖精種13.1%、他種26.9%。
そして四郎と同じ、角も尾も羽も、長い耳すらない人間という種は、世界人口のたった0.0002%。つまり、日本国内で言えばたったの260人。
女男比は国家別平均で見ても3:1。性差の違いもより顕著なものとなり、妻は外で働き夫は家を守るのがいいという。多妻一夫制が当たり前のそんな世界。
(そして女の性欲は異常……、は別に説明しなくてもいいわね……)
余計な事は言わない。心のなかでつぶやくだけに留めておく。
「と、言う、か、か、感じが常識の範囲内の知識よ」
凛々子は四郎のことを記憶喪失か、もしくはそれに相当する病気を第一に推測していた。
彼はあまりにも世間一般のことを知らなすぎるのだ。
はたまた人生に疲れきり社会が嫌になってしまうほどの辛い出来事があったのか。これほど美しい男性だ。何かにつけてトラブルに巻き込まれる確率も高いだろう。
兎にも角にも四郎の背後に見え隠れする事情は只ならぬ雰囲気だ、ということは感覚的に理解できる。
一方で四郎は、この世界の基礎的な知識を話し終えた途端、眉間を指で強く押さえつつ、深く、深く息を吸い込む。
『世にも微妙な物語』というテレビ番組がある。
様々な主人公が、様々な不思議かつ微妙な体験に巻き込まれるという人気のテレビ番組だ。
ある主人公は未来視を得て家族との絆を微妙に取り戻す。
ある主人公は親友が同性愛者になったのは自分のせいだと知り微妙にそっち系へ目覚めてしまう。
そして、ある主人公は似ているようで似ていない微妙な別世界へと迷いこむ。
世の中の微妙な実話や創作を絶妙に織り混ぜた人気の番組。
四郎はまるで、自分がそんな『世にも微妙な物語』の世界に迷い込んでしまった主人公のような錯覚に陥っていた。
「凛々子さん、ありがとうございます。だいぶ理解できてきました」
「そ、それならよかったんだ。うん、よかったよかった」
この世界のことを聞く前に、改めて自己紹介を済ませた二人。実は凛々子のほうが年上と判明したこともあって、敬語を使うことはやめてもらっていた。凛々子たっての希望もあり、下の名前で呼び合うことも決まった。
凛々子の外見は、四郎の世界でいうなればダークエルフだ。笹のような長い耳とキメの細かな褐色の肌。
そんな彼女が日本語名というのに、未だ四郎は違和感を感じてしまう。
テーブルに置いたブランデー入りの2つのグラス。凛々子は緊張をほぐすため忙しなくグラスを口につけていたせいか酔いが回ってるように見受けられる。
カラン、と氷が溶ける音が部屋に響く。
「あの……、音無さん。実は私は……俺は……」
―――別の世界から来たんです。
言いかけた四郎の口が閉じる。
そんな突拍子もない事をいって信じてもらえるだろうか。
いや、彼女ならば信じてくれるかもしれない。
だがそれを伝えてどうする? このまま彼女に元の世界に戻る方法があるまで保護してもらうのか。
仕事はどうする? 両親や友人は? 帰る方法がなかったら?
一生このヘンテコな世界で生きていかねばならないのか?
ずぶり、ずぶり、と。
足元から泥沼の底へ沈んでいくような感覚。
抗えないほどの絶望感が四郎を包んでいく。
そんな四郎の様子を見て凛々子は、
「まあ、その、し、しっし、っしっし……四郎(小声)が言いにくいのなら言わなくていい。……人は誰しも人に言えないことはある。私にもある。必要なときになったら言ってくれればいい。辛いことがあった時は、辛かった分だけきっといつか幸せなことが起こるものだよ」
精一杯の笑顔で四郎にそう言った。凛々子とて教師の端くれである。人の悩みや迷いくらいアドバイスできる器量も持ち合わせていた。
ただその笑顔だけは、男性が落ち込んでいるとき、大人の女の包容力をアピールするために、優しい笑顔が効果的と雑誌に書いてあったものの受け売りである。慣れない作り笑いのせいで口元がヒクヒクし、口元からちょっとだけブランデーが垂れている。
そんなことを知る由もない四郎。
しかしそんな凛々子の言葉と笑顔は、驚くほどすんなりと四郎の心に入ってきた。
「そう……ですね。そうですよね。……ありがとうございます」
「言えないことがあるとしても気に病むことはない。そ、そうだ! シャワーでも浴びて気分をスッキリさせたらどうだろう」
「ああ、そうですね。実は汗べったりで浴びたかったんです、はは」
「そうだろう! すぐタオルを用意しよう! 洋服の替えは……わ、わ、私のでいいだろうか? サイズの大きいのがあるんだ! しっ、し、四郎(小声)お先にどうぞ」
「え……でも……」
「先に浴びてきなさいよ!」
そうさせてもらいます。ありがとう、と、四郎ははにかむ。彼女のような美人の服を借りるのは心苦しいが仕方ない。外には出さずとも内面で照れた表情を見せる。
(やっちゃったあぁぁぁ……! 今の言い方だと絶対に変な風に思われそう! 『えなりかずこ』の先にシャワー浴びてこいよ、みたいな言い方をしてしまった……)
男慣れしていないせいで、言い回し一つ変に気にしてしまうのは処女の宿命である。
★
(まずいなー……、凛々子さんみたいな物凄い美人の家でシャワー浴びると思うとこう……来るものがある)
シャワーを浴び終え、凛々子が置いてくれたであろう代わりの服を着る。サイズは大きめと言ってはいたが、さすがに男性である四郎が着るとキツく、裾が足りない。
脱衣所を出てリビングへ戻る。
「スハー! スハー!」
今まで四郎が座っていたソファーに顔をめり込ませ、大きく深呼吸している凛々子が目に入った。
ちょうどお尻の当たる場所に前傾姿勢で顔を突っ込み、尻を左右に大きく振りながら一心不乱にむしゃぶりついている。
「スーハー! スーハー! マイルド! ンゴゴゴズハー!」
これにはさすがにドン引きの四郎だったが、ここは四郎の元いた世界ではないのだ。常識だって違う。
元の世界でもあるように聖地の方向に向かって三度礼拝を行う宗教的な儀式かもしれない、という好意的解釈に無理やりもっていく。
「スッハー! ッスーハー! スッスッスッスハー! フワァー!」
しかし一向に儀式は終わる気配を見せない。より激しく、より情熱的に凛々子の尻が荒ぶる。
荒尻神がそこにはいた。
(えっ……、これはどうしたら……)
声を掛けてもいいものなのかどうなのか。
この行動が個人的な趣味であれば、声を掛けても怒りはしまい。だが間違いなく、気まずい。
もし仮に、宗教的儀式であるならば意図的に邪魔をしては悪い。これもまた、気まずい。
しばらく考えた上で四郎は、足音を立てないように、一度脱衣所に戻り、リビングまで聞こえるような大きな足音を出し今一度リビングへ戻ることにした。
スパーッンと、いい音を出しながら脱衣所の扉を開け、ペッタンペッタンとこれまたいい音を出しながら廊下を歩く。
「凛々子さん、お先にシャワー頂きましたー!」
さらに敢えて大きな声を出してシャワーを浴びた終えたことを告げリビングへ戻った。
「お、お湯加減はどうだったかしら? ハァ……ハァ……、熱くなかった? ハァ……ハァ……」
そこには息も絶え絶えな凛々子が、まるで何事もなかったかのように足を組みグラスを傾けていた。
「ええ、ちょうどよかったです。ありがとうございます」
(ああ、やっぱり宗教的な儀式だったのか……? 邪魔しないでよかった)
実際、先ほどの行為にどんな目的があったのかは凛々子本人にしかわからない。出来た社会人である四郎は、好意的に解釈しておくに越したことはない、という結論に落ち着く。
満足そうな凛々子の顔を見れば、きっとそれで正解なのだと確信した四郎だった。
交代で脱衣所に入った音を確認してから、温まった身体をソファーに預け、スマホを見る。
留守番電話は0件。新着メール0件。LIENもおなじく新着はなし。
件の『阿部コベ不動産』以外の電話番号に掛けても全て使われていないか通話不可。メールを送ってみても返ってくるのはエラーのみ。LIENに至っては言わずもがな。
「本当に……、別世界なんだな……」
実感する。
四郎が今まで築いてきたものが全て無に帰す。
これからの不安が重みを増す。
元の世界に帰れる保証をしてくれる人間は誰もいない。
だが、
『辛いことがあった時は、辛かった分だけきっといつか幸せなことが起こるものだよ』
凛々子の言葉がリフレインし、ほんの僅かばかり、四郎の心を軽くした。
「あー、ダメだ……眠い」
シャワーの水音を遠く聞きながら、四郎のまぶたはゆっくりと閉じていく。
まだたったの一日。だが激流のような一日。
彼の人生の中で、決して忘れられない出来事と出会いはまだ始まったばかり。
世界は主観でその有り様を変える。
見る角度が変われば全てが変わるのだ。
人が語る陳腐な言葉では決して言い表せないほどに、世界は広く大きく、そして重なりあっている。
もしも神という存在がいるのならば、人々が藻掻くさまを見て笑うのか。それとも慈しむのか。
それはやはり、神のみぞ知るということなのだろう。
一応、これにて物語の導入部は終わりです。
シリアスっぽい書き方もしてたりしますが、シリアス展開は基本しません。
拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。
またブックマーク、感想、評価いただき本当にありがたいです。