#01
「202名の皆さん、入学おめでとうございます。そして保護者の皆様、この学園を代表しまして心からお子様のご入学をお祝い申し上げます。さて、入学に際し、まずはこの桜椿学園の歴史をお話ししていこうかと思います―――……」
壇上へと向けられる数多の視線。人の視線などもう慣れているはずの凛々子は、祝辞を述べる口はそのままに心の中でため息をつく。
きっと今、この壇上から音無凛々子へと向けられる視線の7割は嫌悪と侮辱、哀れみ、そして同情であろうか。
それもそのはず。不躾な視線の理由など凛々子自身ですら理解しているのだ。
サラサラの銀糸のような髪。キメ細やかな褐色の肌。長い睫毛と大きく開いた赤い瞳。すらりと通った鼻筋とぷっくりと口角の上がった桜色の唇。
張り裂けんばかりの胸の双丘と引き締まりくびれた腰に細く長い四肢。
彼女は時々思う。
もし仮に自分が普通の容姿であったら、今の自分のような醜い容姿をどういった目で見るのであろう。
――――哀れに思い同情するのか、それとも侮辱の視線と共に見下すのか。
凛々子の親しい友人達は次々に結婚していき、幸せな家庭を築いていっている。多妻一夫制度が推し進められているとはいえ、皆夫に等しく愛を注ぎ、そして等しく愛を受け取っているのだ。
結婚はせずともいい年である。恋人の一人や二人は皆いるだろう。いつかは結婚もし、家庭をもち、夫子を養いそれぞれの幸せを手にするはずである。
凛々子には地位もある。金もある。地位の上に胡座をかいたばかりのささやかな権力だってある。
世の男性諸君にしてみれば優良も優良、超優良物件だろう。
――――この醜い容姿さえなければの話だが。
「皆さんの学生生活が、多くの出会いと、発見と、実り多い体験に満ちることを願って今日の祝辞とさせていただきます。入学おめでとう」
一つ礼をし、拍手を背に壇上から降りた。
『以上、学園長からの挨拶でした。続きまして……』
指定の席へと戻った凛々子は、ふぅと一息付き椅子へと腰をかける。人前へ出るのも学園長としての仕事の内だ。如何に己の醜い容姿を理解していても、それは仕事としては避けられない。
「ふふふ……」
自らのネガティブさに思わず笑みが溢れる。恐らく周りからみれば気持ちの悪い、何を考えているかもわからないような笑みに映っているはずだ。
そんな仕草の一つも、今しがた壇上に上がったイケメン(イケテルウーメン)の教師がすればきっと絵になるのだろう。
(そういえば、入学生代表も豚人のかなりイケメンという噂だったな)
在校生達が入学試験の際に見かけた豚人を見て騒いでいるのを耳にしたことを思い出しながら凛々子は入学式が終わるのを待った。
★
長い一日の終わり。
食事をとってシャワーを浴び、さぁこれから憂鬱な気分を吹き飛ばそうかとブランデーをグラスに注ぎ、寛いでいる凛々子のところに突然自宅の電話が鳴り響く。
現代では自宅の電話が鳴るなどは珍しいことだ。全ての通信は携帯やスマートフォン、データ通信に置き換わり、あれほどあった公衆電話ボックスは既に姿を消し、固定回線電話もその役割を終えつつある現代では自宅の電話がコールを告げるとなれば大抵よからぬ勧誘が殆どだった。
「なんだこんな時間に……」
口につけようとしたグラスをテーブルに置き、多少不機嫌になりつつも足早に電話へと向かう凛々子。
細い指先が受話器を手に取る。
「もしもし、音無です」
『も、もしもし……音無さん……? そちらは美之頭というお宅ではありませんか?』
艶のある、少しだけしゃがれた声の男だった。ハスキーボイスとでもいうのだろうか。
凛々子はテレビやネット以外で、久方ぶりに聞いた男の生の声に一瞬だけ胸が跳ねた。
「い、いえ……。音無ですが」
『失礼ですが、そちらの番号は03-XXX5-XXX4ですよね』
「は、はいそうですが……」
声が上ずってしまうのを自覚しつつも、この怪しい電話に対しては警戒する。
(今度はなんだ? 壺か? 絵か? またイルカの絵を売りつけるつもりか?)
街で声をかけられたと思えば、イルカの絵を展示しているギャラリーへと連れて行かれたり、幸せを呼びこむ壺やスキューバーダイビングセットなどを売りつけられそうになった記憶が生々しく凛々子の脳内に蘇る。
いくらブサイクに対してだろうと、やっていいことと悪いことがあるのだ。と、怒りに震え、枕を濡らす夜。
あまりにも凛々子の容姿が常軌を逸している為、エウリアン(色香で惑わし絵を売りつける男性、または会社)すら直接的な接触はしてこなかった。
だが直接的な接触はないとはいえ、男性に近づかれ、雄の香りを嗅ぐことを思い出せば枕だけでなく股ですら濡らしてしまう。
女の性とは辛いものなのだ。
しかし今はそういった悪徳な客引き好意は行政指導が入ったはずである。
『あの、大変申し訳ないんですがそちらのご住所は東京都◯◯区◯◯で間違いないですよね』
「へ? ええ……そうですけど……」
『ですよね……。うーん……』
少し困ったような男の声が受話器を伝い凛々子の耳を打つ。
電話番号の確認と住所の確認。行政指導が入ったとはいえ、既にあちらには凛々子の個人情報は握られている。これから察するに、以前断りきれなくて泣く泣く買った星空とイルカの絵の購入者リストなどの個人情報が漏れて、別の品物を売りつけようとしてるのでは、と不安が胸に湧きだってくる。
「じゃ、じゃあもう切りますね。番号と住所はともかく美之頭という家ではありませんので……」
『あっ! 婦警さんちょっとまっ……! 『もしもし?もしもーし?』
不安感から受話器を置こうとした凛々子の耳に、今度は男ではなく女の声が届いた。男の会話では要領がつかめず、担当者が変わったのだろうと確信する。
しかし、
『もしもし音無サン? こちら◯◯交番の犬飼と申しますが』
「はい? 警察ですか?」
『ええそうです。今ちょーっと困ったことになってお伺いしたいことがあるんですけどいいですかね? お時間はそんなにとらせませんノデー』
エウリアン一味かと思ったら警察だった。そんなちょっとだけ唐突な展開に凛々子は思わず「はい」と返事をしてしまう。
『えーっとですネ。何から話したらいいかな。えー、最初にえーっと。美之頭サンという名前にお心当たりはありませんカー?』
「いえ……ちょっとないですが」
『今ネー、美之頭サンって方をネー。保護してるんですよ。夜に男性が一人でウロウロしてたんで。危ないでしょ? だから保護してネー。でね、話を聞くと美之頭サンの自宅の住所が音無サンと一緒の住所みたいなんですよネ。自宅の電話番号も音無サンところと一緒でネ、こっちもちょっと困ってるんですよネ。美之頭サンとは恋人とかじゃないノ?』
「い、いやそういった関係の方は"今は"いませんので……」
"今は"いない。のではなく、正確にいえば生まれてこのかた28年ずっといない。
処女を拗らせつつあるといっても過言ではない。
思わず"今は"などと言ってしまった凛々子だが、見栄とか虚勢とかではないのだ。断じてない。きっとない。
ちょっとだけ口が滑ってしまったのである。
『美之頭サンの、えー、身分証なんかみてもその住所なんですよネ。なもんで、できれば音無サンにちょーっとお時間頂いて交番までご足労いただけないかナーって思うんですけどネ』
警察特有の強引な誘い方である。
質問をちょっとさせて欲しい、時間は取らせないと言いつつも強引にお誘いし、自分たちの良いように仕事を進めるこのやり方は決してスマートではない。
ないにしても、交渉の進め方としては参考になるな、と頭の隅で凛々子は思う。
――――さて、どうしようか。
◯◯交番といえば、ここからそう遠くない場所にある。車で行けばせいぜい5分程度でついてしまう距離だ。
酒を飲む前だったので車で行っても飲酒運転にはならないし、家に居てもどうせ晩酌をしベッドに潜り込んだら一人情欲を慰めて眠りにつくだけなのだ。
そこまで考え、数秒の後、凛々子は受話器に向かって口を開いた。
「わかりました、その……美之頭さんという方を確認すればいいだけなんですよね?」
『そうですそうです。いやーすいませんネー。美之頭サンの身分証が偽造でもないようなんでこっちも困ってたんですよネー。いやいやほんとに助かりますヨー。あ、◯◯交番の場所わかります? ほら、ネコネコスーパーの角曲がったところの……』
一通り事務的な会話をしたあと、凛々子は受話器を置き、寝間着から着替えはじめた。
グラスに入れたブランデーはそのままに、上着を羽織り財布と車のキーを握りしめ玄関へと向かった。
★
◯◯交番の、申し訳程度にある駐車場に車を停め、凛々子はチラリと交番の中の様子を伺う。
夜も更けてきた時間。辺りが暗い分、煌々と明かりのついた交番の室内は外から見やすい。交番の奥にはおそらく電話をしてきたであろう犬飼という警官の姿が見えた。名前の通り犬人の警官だ。
白いふさふさな耳の間に警官の帽子をかぶっている。容姿は普通。可もなく不可もなく、どこにでもいるような中年の女だ。顔が少しだけ赤みがかっているのは照明のせいなのだろうか。
凛々子は警官から視線をずらす。犬飼と机を挟んで、こちら側に背を向けている男性が例の"美之頭"という男なのだろうという予想はついた。
スーツを着て机に肘をあて両手で顔を覆っており、その表情は伺えないが背中から漂う焦燥感が見て取れる。
バタン、という車のドアを閉める音が閑静な住宅街に響く。凛々子はそのまま歩を進め、横開きの交番のドアを開けた。
犬飼と思われる警官が凛々子へと視線を投げ、少しだけ顔を引くつかせた。
常軌を逸した容姿を見る表情。
もはや凛々子には慣れ親しんだ、相手のその反応。
きっと、今両手で顔を覆っている男も、振り返って凛々子を見れば同じような反応をするに違いない。
やはり来なければよかった。などと考えてしまい、少しだけ気分の沈む凛々子。
「あー、ほら! ほら美之頭サン! えーっと音無サンがきたよ。すいませんネー、音無サン。夜分に時間とらせちゃって。あ、私が担当の犬飼デスんで。ほら、美之頭サンも顔あげて」
のっそりと両手を机の上に投げ出し、顔を上げる美之頭と呼ばれる男。
「あ、はい……」
その艶を含んだしゃがれた声は、凛々子が受話器越しに聞いたまさにあの声で。
「ほら、美之頭サン。音無サンがきてくれたから、ちょーっと確認させてもらおうネー。あ、音無サン、お茶でいい? すぐ出すネー、こっちの椅子にかけててヨ」
ゆっくりと凛々子のほうへと振り返ったその男は。
「あ、その……、お、音無さんですか? 美之頭と申します。すいません、お手数おかけしてしまいまして……」
まるで。
神話やお伽話の中に登場するかのような。
「ひあ……ひゃ、ひゃい! わ、わわわわ私が音無ででですすす」
どんなに褒め称え、賛美するような言葉ですらも、陳腐に思えてしまうような――――。
そんな美しい男(この世界視点)だった。
#02から四郎視点です
調べてみたら三点リーダーの使い方が間違っていたようなので修正しました