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記憶の礎<7>

 まるで、つい先ほどまで誰かがいたような気配を残している。

 夜は冷え込むこの森の奥で、暖炉には消したばかりと思われる薪の燃えかすが残っていた。まだ少し燻っている。小さな煙が細く立ち昇る。

 二人掛けのソファには、きれいに畳まれた一枚の毛布が置かれてあり、触れれば温もりすら感じられそうだ。もちろん、カスケードにその温もりを感じることができるはずもないのだが。


「ここで過ごしているのか」


 ぽつりと漏らす。

 このウルマの屋敷で過ごしているのがケリーであるということに、すぐに気づく。

 ぐるりと部屋の中を見回すと、キャビネットの上に薬箱が見えた。自分と剣を交えたときにできた傷を治すためのものだろう。それを手に取り、蓋を開けてみると、中身は使われていてほとんど空っぽだった。

 ケリーの身体に月読が触れた感触が蘇る。深手を負わせたことはないはずだが、それでも、あのざくりとした重い感触を忘れることはできない。

 薬箱の蓋を閉め、振り返るとドアが半分ほど開いているのに気づき、ぎくりとする。その隙間に黒い影が見え、それはゆっくりとドアを開けた。

 ぎいと蝶番が軋み、薄暗い闇から姿を現したのはフィデリオだった。

 そのやつれた風貌から、ケリーの探索がはかどっていないことがわかる。しかし、ここを突き止めたことで、ケリーの探索は大きく転換することになるだろう。

 いつもは先に口を開いて食ってかかるフィデリオが、なせだか押し黙ったままでカスケードを睨んでいる。


「入ったらどうだ」


 キャビネットに薬箱を戻しながらカスケードが声をかける。

 フォデリオは黙ったまま後ろ手にドアを閉めた。

 カスケードは改めてフィデリオに向き直り、ケリーの探索の調子を伺うと、途端にフィデリオの眼光が鋭くなる。


「お前もケリーを探しているのか?」


「俺がか? 言いがかりだな」


「では何故ここに来たんだ。偶然だとでも言うつもりか?」


「そうだな。──偶然だ」


「そんな戯言を俺が信じるとでも思うのか。カスケード」


「戯言……か。なにをそんなに意地になっているのか知らないが……。たとえケリーが死んだとしても、次にまた新しい花を育てるだけのことだろう。オルレカの一人一人にいちいち感情移入などしていたら、身が持たんぞ」


「カスケード。お前はいつもそうだな。何かと言えば“オルレカに感情はいらん”の一点張りだ。だが、それを俺に押しつけるのはやめてくれないか。俺はお前とは違うんだ」


「ああ、わかっている」


 カスケードはキャビネットから離れ、一人掛け用ソファの肘掛けに腰を下ろした。


「フィデリオと俺が違うことくらい、わかっているさ。いちいち言うな」


「カスケード。いいか? 問題をすり替えるなよ。俺は、お前と俺の違いを話しているんじゃない。オルレカのことを話しているんだからな」


「ああ、それもわかっているさ。フィデリオはオルレカ一人一人に愛を注げと言いたいんだろう。だが、俺は同じセリフをお前に返してやるよ。──お前の理想を俺に押しつけるな」


 淡々としたカスケードの喋りに、次第にフィデリオが苛立ちを覚え始める。何を言っても撥ね返し、何度説明しても理解をしない。


「俺は押しつけた覚えはない! 提案しているだけだ。愛を注げば、それはいつか強い力と意思

を生む。痛みを伴う役目だからこそ必要なんだよ」


「では何故痛みが伴う? そんなものを植えつけるからじゃないのか? そもそも痛みを感じることがおかしいんだ。オルレカの職務は、ガーデンの環を円滑に回し、魂を繋ぐことだろう。その作業にどうして痛みが生じなければならん。フィデリオが提案している“愛を注ぐ”行為がオルレカに痛みを感じさせているとしか思えんな」


「違うぞ! それは違う!」


「なにが違うんだ。そうやってすぐに感情的になるところがお前の悪い癖だ」


 顔を赤らめ、感情的に声を荒げるフィデリオとは対照的に、カスケードは専ら落ち着いた様子で、話す声色も淡々としている。

 足を組みかえると月読がソファに当たり、小さな金属音がした。

 フィデリオはぎくりとした顔で、カスケードのコートの合わせの隙間から覗いている月読に目を遣る。

 カスケードに名前を呼ばれると、慌ててフィデリオは視線を戻した。その様子はうろたえている様にも見える。

 与えすぎれば、とカスケードは投げかけるように言い、


「与えすぎれば、いずれ欲するようになる。与えられることに慣れ、それが当然になる。その結果が──マリールーとウルマの悲劇を生んだと俺は思っているんだがな」


「マリールー?」


「ああ、そうだ。俺はマリールーに愛だなどというものを与えたつもりはない。それがどうだ。ウルマに会い、そんなものを植えつけられた所為であいつはどうなった。──ん? 消滅する破目になった。これが真実だ」


「これが真実だと、お前が言うのか。マリールーが元々欲していたのはカスケードの心だったはずだ。お前の愛が欲しくてやったことだろう」


 カスケードの顔が僅かに歪みを見せ始めた。


「俺のなにが欲しかっただと……?」


「お前の“愛”だ……!」


 カスケードは堪らず立ち上がった。月読が派手な音を立ててソファにぶつかる。


「求められれば与えなければならないのか! そんなものを持ち合わせていないというのにか! 傲慢だな……」


 カスケードは吐き捨てるように言った。


「そんなものの為に、マリールーは己の腕を腐らせたのか? 挙句、俺にその身を斬らせたのか……?」


 あの瞳は、と言いかけてカスケードは口を噤んだ。


「それでも彼はお前の為に精一杯働いたじゃないか」


 フィデリオの声が震え始める。生きていた頃のマリールーを思い出したのか、それともただの感傷に浸っているのか。フィデリオの瞳にじわりと涙が浮かぶ。

 カスケードはふいと顔を逸らした。


「俺の為だとか言うのはやめてくれないか。あれはオルレカとしての職務を全うしていたに過ぎないんだからな」


「辛い職務を全うできたのは、カスケードの喜ぶ顔が見たいからじゃないか。それ以外になにがある! いつまでもお前がそうだと、死んだマリールーが不幸せに思えてならない」


「マリールーはウルマと愛し合ったじゃないか。そして逃げて……」


「カスケードが月読で斬ったんだ」


 カスケードの脳裏にウルマが沈められている池の風景が浮かぶ。水辺に腰を下ろし、珍しく感傷的にマリールーへ語りかけた。──お前は幸福だったか、と。

 善悪が付けられないでいるのに、この上愛がどうだとか言う。

 誰がいったい答えを知っているというのだろうか────?


「マリールーが求めたのが愛だとしても、それを与えることができたのはウルマだったわけだ。求められれば与えなければならないのか? その先に破滅が待っていても……か?」


「待っているものが必ずしも破滅だとは限らないだろう。お前が何に対してそんな恐れを抱いているのか知らないが、それすらも覆す力を持っていると俺は信じているんだ。だから俺は──ケリーに愛を注いだんだ」


「……ケリー」


 そのケリーもカスケードに求めてきた。何を求められているのか理解できないカスケードに、ひたすら求めてきたケリー。

 翼の扱いを教えてくれと言ってきた。救いを求めるように血まみれでウルマの池に現れた。タナソツームを斬らないでと懇願もしてきた。

 求められてばかりだ。何一つ。与えることなどできもしないのに──。


「争わない方法がきっとあるはずだよ」


 ケリーの言葉が頭をよぎる。

 泣きそうな顔で、それでも泣くまいとして。

 ケリーのあの強さがフィデリオの言う“愛”だとかの所為なのだろうか。

 視線をフィデリオへ向けた。だがそこにはすでにフィデリオの姿はなく、蝶番が軋み、ドアに目を遣ると部屋から出て行こうとするフィデリオの横顔がちらりと見えた。

 何を言うでもなく、ただ一瞬だけ視線をカスケードに向けた後、フィデリオはドアを閉めた。

 堪えていたように大きく息を吐く。

 癖のようになった胸を押さえる仕草。痛みが少しずつ酷くなっているような気がしてならなかった。

 それがいったいどんな意味を示しているのか。


「泥人形に感情はいらない。造られたものに感情はいらないんだ。ただ戦場でのみ死するだけ……。そうなのでしょう? ──ハブランさま」


 ではこの泥人形わたしはいつ死ねばよいのでしょう。

「その答えも──ケリーが持っているのだろうか」


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