記憶の礎<1>
あれは何という儀式だったろうか。命の無いものに魂を吹き込む。ああ。思い出せない。そんなにも時は過ぎていったのか……。
俺に命を吹き込んだ……あの儀式……我が主。
遠い記憶の彼方に去って行っても、未だ鮮明にあなたのことは覚えている。
花の香りが季節ごとに変わろうと、夜の月が満ち欠けを何度繰り返そうとも、記憶の中のあなたは今も昔のまま変わらない。
様変わりしてしまったこの国を、あなたは嘆かれるだろうか。
それとも、未だ、あなたの掛けた魔法が発動しないことを嘆かれているだろうか。
俺は、あなたの想いを知るために──あの時の判断が間違っていたことを確信するために──あなたから頂いたこの月読で、命を散らせている。
俺は間違っていたのだと。
この世に語る正義などないのだと。
大いなる罪は芽吹いたときに狩らねばならぬ。
そこに正義はなく、ただ、大儀があるのみ──。
だから、今の俺は間違ってなどいない。
平和を乱す者。環を崩す者。
あなたが嫌ったものすべてから、この地を守るために──。
汚れるのは月読だけでいい。
あなたの剣──神苑──を罪で汚すわけにはいかない。
たとえ──この行為を正義と呼ぶ者がいたとしても、俺はそうは思わない。俺はただ守りたいだけだ。
あなたが愛したこの地を──不用意に乱す者たちから。
見上げた空は少しも変わらない。どこまでも青く、どこまでも澄んでいて、手を伸ばせばあなたが──変わらない笑顔で現れてきそうで──痛いほどの青空である。
垂らした前髪を揺らす風に、顔を顰めながら溜息を吐いた。
大きな声で自分を呼ぶ女官の声に、鈍い反応ながらもカスケードが振り返る。どうやらぼんやりとしていたらしい。
彼女に向き直り、姿勢を正して「なにか?」と訊ねる。
女官は心配そうな目つきでカスケードを見上げながら、
「いえ、これといった用向きではないのですが……。カスケードさまが珍しくぼんやりとなさっておいでだったもので、どこかお加減でも悪いのかと」
「どこも悪くはないが」
「そうですか。それならよろしゅうございます」
彼女は安堵の笑みを浮かべると、それでは失礼しますと言って元来た道を戻って行った。
「俺がぼんやりすると具合が悪く見えるのか」
カスケードは自嘲気味に笑い、いつもの場所へと向かう。
小高い丘の上では、神殿にはなかった風が幾分強く吹いていた。
いつものように花を手向けたカスケードは、珍しくその場に腰を下ろし、眼下に広がる街並みとガーデンを眺める。
「ここはいつ来ても風がうっとうしいな」
カスケードは一人ごちて、軽く前髪を払った。
丘から見下ろすと、ガーデンは一つの砦のように見えた。頑強な塀で囲われ、唯一の出入り口は鉄の門扉で固く守られている。その中に、人々が所謂、神と呼んでいるオステオスたちが住んでいるのだ。
本来なら、あの場所には花々の咲き乱れる花壇がそこここにあり、花を愛でる我が主、エクセイシア=フェルフォーリアの少し高めの可愛らしい笑い声がよく響いていたものだ。
「争うことが正義か。争わず言われるがまま従うが正義か。──我が主よ。あなたを懐かしく思えば……嫌な記憶までも思い出してしまう。──100万の民を救うために千人殺せと言われれば、今の俺なら殺せる。過去に負った過ちを繰り返さんためにな。だがケリー。お前ならどうする? 犠牲なくしてこのガーデンは救えん──環が乱れれば──すべてが狂うぞ? ケリー」