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さんざめく者共<6>

 フィデリオは、見覚えのあるその場所に足を止めた。自分の領地からさほど遠くない場所を重点的に探索していたフィデリオは、雑草が生い茂る小道の先にある古い屋敷に視線を走らせた。

 俯き、暗い表情でフィデリオに従っているステムに顔を向け、短い溜息を吐く。

「もう、怒ってはいないから、いつまでもそんな顔をするのはやめないか?」

「ですが、さしでがましいことをしたのは事実ですから」

 ステムは視線を合わせようとはしない。

「確かにな──。しかしヴェロニカを預けたのは俺を追う為だったからなんだろう? その気持ちが理解できる以上、俺も、そう強いことは言えないよ。まあ──。まるっきり怒っていないというのは嘘だが……。ケリーを早く見つければ済む話だからな」

 フィデリオはもう一度小道の先に視線を戻した。その横顔を、盗み見するようにステムが見つめる。フィデリオに吐いた嘘に胸が痛んだ。

 カスケードに預けたとは言えるはずがない。少なからず、ステム自身もカスケードには良い印象を持っていなかったはずだった。そうであるのに、最近のカスケードの微妙な変化に気付くにつれ、ステムの中で大きくその印象が変わってきたのだ。

 つと見た草露に、回顧が浮かぶ。



「それはフィデリオも承知しているのか?」

 カスケードは目の前のステムに確かめずにはいられなかった。

 ヴェロニカを預かって貰いたいと、ステムがわざわざ足を運んで来たのだ。

「フィデリオさまは存じ上げてはおりません。──私の一存でございます。私もフィデリオさまのお供をさせて頂こうと思っておりますので、ヴェロニカを連れては行けませんから……。そこで是非ともカスケードさまにヴェロニカをお頼みしようと思い立ったわけでございます。やはり、ご迷惑でしたでしょうか?」

 ステムは爽やかな笑顔で伺いを立てた。

 カスケードは珍しく笑顔を見せながら、

「いや。ピレアに連れて行くから、たいした迷惑ではない。彼も喜ぶだろう」

 ふと安堵の表情を見せた。

「カスケードさま?」

 よもやカスケードがそのような顔を見せるなど、想像もしなかったステムは思わず訊き返していた。

「しかし、フィデリオの耳には入れない方が賢明だろうな」

 カスケードは、口の端を上げ、いつもの冷めた笑みを浮かべた。

「それでは、どうかヴェロニカのこと。よろしくお願い致します」

 ステムは深々と頭を下げた。なぜか、今のカスケードに頭を下げることに違和感を感じることはなかった。目の前の彼なら、ヴェロニカを任せてもいいと思えたのだ。

 顔を上げ、もう一度カスケードの表情を見る。

 彼は誰かに思いを馳せているのだろうか。カスケードの藍錆色の双眸は悲しげな色を湛え、遠くの空を眺めていた。



 ステムは、カスケードとのやり取りを思い出しながら、主を見やる。フィデリオはその視線に気付き、笑った。

「ぼんやりしている。なにを考えているんだ?」

「いいえ。なにも……」

 ステムも笑顔で答えた。その視界に数人の人影が飛び込んでくる。彼らは小道から外れ、森の奥へと向かっているようだ。──ステムは主にそれを告げた。

「この近くに人が住む場所はないはずだ。ガーデンで聞いた、タナソツームとやらかもしれないな。──後を追ってみよう」

 フィデリオは、小道の奥の屋敷に視線を一度移し、そしてステムと共に森へと入って行った。

 ガーデンで聞いたタナソツームと思われる人影は、動きがかなり緩慢で、意識していないとすぐさまその差が縮まり、二人が後を尾けていることがバレてしまいそうだった。

 フィデリオは、そう古くはない記憶を辿っていた。先程の屋敷が想像通りなら、この先には池が現れるはずだ。

 神々の一人だったウルマが封印された池である。

 あまり良くない考えを巡らせていると、ステムが小声で呼びかけてきた。

「フィデリオさま。なにやら囲まれているような気配がするのですが」

 そう言われて辺りを見回してみると、追い越した覚えのないタナソツームたちが、いつのまにか二人の背後に回っていた。

「あちらにも」とステムが右手の先を指差した。

 三、四人はいるだろう。背後には分かるだけで五人はいる。次いで左手に三人のタナソツームが現れた。

 二人は背中合わせになり、タナソツームからの攻撃に備えたが、彼らはフィデリオたちには目もくれず、なにかに惹かれるように森の奥へと進んでいるだけだった。

「これは一体」

「フィデリオさま。霧が濃くなってきたようですね」

 見ると、二人の足元に絡みつくような霧が流れるように発生していた。ねっとりと纏わりついてくる霧に嫌悪感が走る。足元から這い上がってくるような霧を払いながら、森の奥へと進む。

 ふとフィデリオの足が止まった。なにかに釘付けになっている。ステムも立ち止まり、フィデリオの視線の先を目で追う。

 その先には、鈴蘭の群生が広がっている。その上を先程の霧が覆っていた。

 霧の一部が盛り上がっていく。それは人型へと形を変え、足を踏み出した。それらは動き始めると徐々に男性、女性と更なる変化を遂げていく。

「ここが、彼らの発生源か。待てよ。自然発生なわけがないんだ。なにか原因があるはずだ」

 フィデリオは独り言を呟き、彼らの後を追うことにした。

 森を抜けるとフィデリオの予感は的中した。

 池の上に浮かんでいるのは、封印されたはずのウルマで、そして彼女の信奉者のように多くのタナソツームたちが集まっていた。

「彼女が元凶だったのか」

「すぐにガーデンへ引き返しましょう」

「いや、俺はこのままケリーを捜す。だからステム。君がこのことをガーデンへ報告に行ってくれないか」

 ステムは、フィデリオがそう言うとわかっていたようで、口元を少し緩め、承知しました、と答えると、すぐさまガーデンへと引き返した。



「こんな夜遅くに帰られてしまうんですか? 私、しばらく滞在されると思っていました。ケリーだって……」

 アントニエッタはそう言って屋敷の窓を見やる。ケリーがそれに気付くと、すぐに部屋の奥に姿を消した。

「ほら! あんなに拗ねてる」

「ケリーは別のことで腹を立てているんだよ。気にしないでいい」

 カスケードは顔色ひとつ変えず、言った。

 アントニエッタは、そうですか? と訝しげに答える。

 カスケードはゆっくりと翼を広げ、ああ、そうだと顔を歪ませて笑い、そして空へと飛び立った。

 アントニエッタは両手を腰に当て、飛び立っていくカシケードに口を尖らせてみたが、軽く溜息を吐くと屋敷の中へ戻って行った。

 ケリーはカーテンを握り締め、今しがたカスケードが飛び立った夜空を、思い詰めた顔で見つめていた。

 下唇をきゅっと噛み締め、意を決したように屋敷を飛び出す。

 驚いたアントニエッタがケリーの後を追いかけ、続いて庭へと飛び出してきた。

 ケリーはくるりと向き直り、小首を傾げて笑顔を見せた。

──黙っていてごめんね。

 アントニエッタの顔に困惑の色が浮かぶ。その彼女の前で、ケリーは初めて二対の翼を広げて見せた。

「その姿は……」

 アントニエッタは驚きの余り、言葉を失った。フラッシュバックのように蘇るラケナリアの悲劇─。そして美しいオルレカの姿が脳裏をよぎる。

──カスケードを止めなくちゃいけないんだ。もう、ここには戻って来れないかもしれない。それでも俺は行くよ。

 アントニエッタは口をぽかんと開けたまま、宙に浮かぶケリーを見つめていた。

 ケリーは、ただ驚いて言葉を失っているだけのアントニエッタを見て、許しては貰えないのだと思い込んでしまった。

 悲しげにアントニエッタを見つめていたが、つと口角を上げ、自虐的な笑みを浮かべた後、さよなら、と告げた。

 ケリーは振り返らずに、カスケードの後を追う。

 ウルマの存在を知って尚、狩りを止める意志はないと断言したカスケードを止めるには、もはや実力行使に訴えるほかなかった。そしてそれが可能なのはきっと──自分だけなのだとも思った。

 久方ぶりの飛行にも関わらず、ケリーの翼は美しく空を切る。

 空に浮かぶ下弦の月。真っ白なケリーの羽は、遠く、小さな点のようになっても、輝いて見えた。


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