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さんざめく者共<1>

 芳しくなくも辛うじて保っていた空模様も、夜半過ぎには崩れ、大きな雨粒を落とし始めた。 灯りを好まないカスケードは最小限の蝋燭で時間を過ごしていた。ゆらゆらと揺らめく炎の陰を読みふける蔵書の頁に映しながら、時折窓へと視線を走らせる。

 窓の向こうは漆黒の闇である。

 晴れていれば夜空に三日月が浮かんでいることだろう。

 漆黒の闇が、花狩りに行くケリーを連想させた。窓硝子にはフラッシュバックのように湖でのケリーやウルマの屋敷でのケリーの姿が浮かび上がる。

 本を閉じた。

 疲れたように目頭を押さえ、ソファに深く腰掛けると、雨音に混じって扉を叩く音が聞こえてくる。

 カスケードは耳を欹てた。─確かに誰かが扉を叩き、カスケードを呼びつけていた。

 ゆっくりとした所作で扉まで行き、少しだけ開けてみる。扉の隙間から漏れ出した明かりで浮かび上がったのは、ケリーの探索に行っている筈のフィデリオだった。彼の傍にステムは控えておらず、どこにも寄らないまま真っ直ぐここへ赴いて来たようだ。息は荒々しく乱れていて、吐く息の白さは止め処なくフィデリオの口元を覆っていて、ゆっくりとカスケードを見上げるフィデリオの瞳がぎらりと光った。

 ─まるで獣のそれのような双眸だ。

 外套もなにもすべてが濡れそぼり、額から真っ直ぐ流れ落ちてくる水滴はそのままフィデリオの鼻筋を辿ると、一気に顎先へと滑り落ちた。

「話がある」

 低く物々しい声音でフィデリオが言う。

 カスケードは無言で扉を開け、フィデリオを中へと迎え入れた。

「正面から入っては来れない用向きか?」

 フィデリオが叩いた扉は、カスケードが特別に誂えさせた、この部屋から直接外へ出られる扉だった。 

 翼人の部屋は比較的奥まった場所に誂えてある為に、正面玄関を回ると意外に時間が掛かるのだ。カスケードはそれを面倒がって直接出入り出来る扉を作らせていた。

「それで? 話というのは一体何だ」

 フィデリオは身じろぎ一つしないまま、ケリーのことだと答えた。

「ああ。それなら聞いたよ。行方を晦ましたのは狩り初めの日だったそうじゃないか。─なに。オルレカが心に痛手を受けるのは今に始まったことじゃない。落ち着けば戻って来るだろう。気に病むほどのことではないはずだ」

 カスケードは先程まで腰掛けていたソファへと歩み寄り、閉じた本を手に今度は本棚へと移動した。

 フィデリオは、室内を移動するカスケードを視線だけで追いながら、内なる激しさを押さえ込むように、苦しげに言葉を続ける。

「ケリーは怪我をしているんだ。屋敷に血痕が残っていた。急いで見つけてやらなければ命に関わるかもしれない」

「それならこんな所で油を売っていないで、とっとと探しに行けばいい」

 フィデリオは「俺は!」と一瞬声を荒げ、落ち着かせるために少しの間を取った後、

「俺はお前がどうしてそんなに落ち着き払っているのかが解せないんだよ。ガーデンに知らせが来る前に、すでにケリーの失踪を知っていたかのような……。つまり、お前はケリーの居所を知っているんじゃないかってね」

 カスケードは手にした本を凝視したまま、フィデリオの言葉に耳を傾けている。

 フィデリオは固く目を瞑り「ケリーがどうなったかもな」と呟いた。

 カスケードはようやく蔵書を本棚に差し戻し、ふうと軽く溜息を吐く。

「ケリーはお前の花で─オルレカだ。俺が関わることはまずない。それを承知で訊いているのか?」

 振り返り、斬り捨てるように言うとフィデリオを見据えた。

 先ほどから一歩も動いていないフィデリオの足元には水が溜まり、黒い大きな染みを黒光りするほど磨かれた床の上に作っていた。

「お前が関わることがひとつだけあるじゃないか。お前にしか出来ないことだ。──オルレカを処分する時だ」

 カスケードは一瞬表情を曇らせた。だがそれはほんの小さな一瞬の出来事で、頭に血が上っているフィデリオは気付なかった。

「マリールーの時もそうだった。お前は何の躊躇いもなく、自分が育ててきた花を一瞬で手折ったんだ。彼のあの悲しげな瞳を、俺は今でも忘れることが出来ない。お前を信じて真摯に見つめるマリールーに、お前は躊躇いも見せず、あの剣を振るった。──わからない。わからないよ、俺には……。お前には慈しむ心はないのか? 正義はないのか! マリールーのあの瞳の意味をお前はわかってやれているのか!」

 フィデリオは思わず感情のままに叫んでいた。

 カスケードは冷めた目でその様子を眺めているだけである。それがまたフィデリオの癇に障ったようで、お前には情がないと吐き捨てるように言った。

 カスケードは何も答えないでいる。

「処分が下される寸前まで、ステムは必死になって撤回を陳情していた。そのステムの思いも一緒にお前は斬り捨てたんだよ。お前もオステオスさまも──」

「そこまでにしておくんだな」

 カスケードはフィデリオの言葉を強引に遮った。

「そこまでにしておいた方がいい。幾ら気が動転しているとはいえ、言葉は慎め。ここはガーデンだ。それに──お前が幾ら俺に愛や正義を説いても無駄だ。俺には効かん」

「ケリーを殺していないと言い張るのなら、それならどこかに隠しているんだろう」

「根拠は?」

 フィデリオはぎらついた目でカスケードを睨み上げ、突然家捜しを始めた。それは誰かを探しているというよりも、思いに任せて暴れていると言った方が相応しい所業に見えた。

 カスケードはそれを止めるでもなく、したいようにさせていた。

ソファというソファはその大きさに関係なく引っくり返され、整然と並べられていた数々の蔵書は引き剥がされるように本棚から取り出され、床へと放り投げられていく。

 フィデリオが腕を振り上げるたびに、衣服に染み込んだ水滴が部屋中に撒き散らかされた。

 フィデリオは一通り暴れ終わると途端に落ち着きを取り戻したが、それでも口から付いて出るのはカスケードを罵る言葉ばかりだった。

「お前はオルレカにそんなものは必要ないといつも言うが、オルレカの職務は過酷なんだ。俺たちの物とは比較にならないくらいにな。だからこそ、俺はオルレカに──ケリーに帰れる場所を作ってやりたかったんだ。──お前は一人じゃない。お前の苦しみを俺も分かち合うんだと教えてやりたかったんだよ。だがカスケード……。お前はどうだ? オルレカは言われた通りのことさえしていればいいだけの人形だと言っているよな。そうして創り上げたマリールーはどうなった! 結局は愛を知って……お前に殺されたんだ。──俺は許さない。ケリーにもその剣を向けるというのなら。俺は──」

「いい加減にしろ、フィデリオ。ケリーの行方がわからずにいて動揺しているのは理解った。だがさっきも言っただろう。ここはガーデンだ。言葉を慎め。お前の言う愛も正義も俺にはわからん。──それだけだ。俺に命令出来るのは──……。──ともかく。今夜のことは聞かなかったことにしておいてやるから、早くケリーを探しに屋敷へ戻るがいい」

 フィデリオは憤懣やるかたない様子で部屋を後にした。

 今夜のフィデリオは尋常ではない。カスケードは場合によっては真実を話そうと思っていたが、あの様子ではなにを話したところで聞く耳は持つまい。

「人形──か。花で作られたものならば美しくもあろう。だが俺は──」

 カスケードはそこで言葉を切り、足元に散らばっている蔵書を拾い上げ、本棚へと戻した。

 雨足は一層強くなり、闇もまたその深さを増していった。


 フィデリオがケリーの探索に出かけてから、すでに一週間を過ぎようとしていた。

 あの雨の夜──。フィデリオが去った後、共も連れずにマウリーンが部屋を訪ねてきた。フィデリオが一暴れした後のその部屋を見たマウリーンは、言葉を詰まらせていたが、大切な話だからとカスケードに懇願し、中へ入った。そこでカスケードは、彼女の口からケリーの狩り初めの晩、忘却の儀式が準備されていたことを知った。

「その儀式はマリールーの時に失敗しているはずだ。何故今更そのような儀式を行う必要があるんだ」

 カスケードは呆れた。だが結局はケリーの失踪でその儀式は行われないまま済んでしまった。

「ケリーがもし見つかれば、そしてオルレカとしてまた花狩りを始めてしまえばこの儀式は行われてしまいます。オステオスは本気なのです」

 マウリーンは祈りを捧げるように両手を組み、俯いたまま黙り込んでしまった。


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