廻り出した環<7>
4人の神々は重く口を噤んだまま、オルレカ失踪の対応策を考えていた。集まっているのはオステオスの神殿であり、謁見の間である。
ラケナリア殲滅は成功していた。だがその後のオルレカの行方が杳として掴めないのだ。
最後に赴き、そして最後の花狩りを行ったのはフィデリオの屋敷であることまではわかっていた。狩られた花がサムとルードであり、その衝撃にオルレカが行方を晦ましたのであろうことは否めなかった。
「屋敷には血痕が残っていたのでしょう? ならばケリーは怪我を負っているということ。早く探し出して手当てをしてあげなければならないでしょう」
パンディオンは深い溜息を吐きながら呟くように言った。
「私もそれには賛成です。怪我の大小に関わらず、一刻も早く探し出してあげなければ。彼の心の傷は血が流れ出ない分、最も深い痛手だと思いますから」
鈴の音のように澄んだ声で、マウリーンは悲しげに言う。
仮に、と重々しく口を開いたのはこの神殿の主であるオステオスだ。
「仮にケリーを探し出したとして、だ。彼はオルレカとして果たして使えるのだろうか?」
オステオスは伏目がちのままで続ける。
「我らが慮るべきはオルレカの処遇でもなければ生存の有無でもない。このガーデンに暮らす人々が、恙無く暮らせる平和ではないのか? 私としてもオルレカを秤にかけるような真似はしたくない。しかし熟慮してみればわかることだ。彼女を失っている今、このガーデンはひとつの環のように廻り繰り返す。だがそれが我らに齎したのは何だったか。平穏な日々ではなかったか。淘汰されることもなく、繰り返し訪れる安穏とした平和。ウルマを失ったことは確かにはガーデンにとってかなりの痛手ではあったが、意外にもそれは我らの求めていたものを齎してくれたではないか。輪廻する生命。不死とは何ぞや。永遠に繰り返し巡るひとつの環。──違うか?」
オステオスらしからぬ早い口調で、そう問うて言葉は終わった。誰もが互いの顔を見合い、だがけしてオステオスに反論をしない。正論だからだ。
窓の外の天気は芳しくなく、遠くの空で雷鳴が轟いている。重く垂れ込めた雲は、まるでガーデンを覆い尽くしている陰鬱な様を映しこんでいるようだった。
押し黙ったままだったムスカリが、重く口を開いた。
「では──探索の必要はないと?」
「そうは言っていない。探索はさせるつもりだ。無事であるならばオルレカの職務を続けさせるだけだ。だが──そうでなかった場合も含めて、策は講じなければならないだろう」
「そうでなかった場合とは……つまり」
オステオスはムスカリに一瞥をくれると、
「死んでいるか使えないか、だ」
マウリーンの薄紅色の口唇から小さな溜息が漏れた。
「ケリーの探索はパンディオンに任せる。フィデリオの花である限り、その責任の一端は君にもあると思いたまえ」
オステオスは両肘を付き、パンディオンを睨めつけるように見つめて言った。
パンディオンとマウリーンは場所をパンディオンの神殿へと移し、先程の会議での話を繰り返した。
マウリーンの顔色は優れず、心なしか身体が震え、怯えているように見えた。
「わたくしが知っているケリーは、表情がくるくると良く変わる、明るい心根の優しい子でした。あのような酷い仕打ちにあっても笑顔を絶やさない子でした。フィデリオが愛情を込めて─ああ。こういった言葉をオステオスは嫌っていましたね。とにかく。そのフィデリオのことも心配でなりません」
マウリーンの口唇は話している間であっても絶えず震えていた。
パンディオンは憂鬱そうに眉根を寄せ、
「フィデリオは同時に家族を二人も失っていますから……。今はずっとこの神殿の自室に篭っています。時折ステムが様子を窺いに出入りをしてはいるようですが……。探索を一任されても……果たしてそれをフィデリオが受け入れてくれるでしょうか」
ふう──とマウリーンは大きな溜息を吐き、それでも告げるつもりなのでしょうと言った。
パンディオンは苦笑いを浮かべながら、ええそうですと答えた。
「もうすぐこの部屋へ訪ねて来る頃です」
パンディオンが言うと、頃合を見計らったように扉が叩かれた。
扉の向こうから聞こえてくるのは件のフィデリオの、入室を請う声だった。パンディオンは「どうぞ、お入りなさい」と扉に答えた。
扉は大儀そうな音を立てゆっくりと開いた。
ゆらりと中に入って来たフィデリオは、ここ一日二日で見る影もないほどに目を落ち窪ませていた。部屋の中にマウリーンの姿を認めると、小さく会釈をして、すすす、とパンディオンの前に進んだ。パンディオンは覚悟を決めたように椅子から立ち上がると、小さく息を吸い込み、
「先程、オステオスから指示がありました。ケリーの探索をあなたに任せるということです」
思いがけずフィデリオの瞳に生気が宿った。
「それはまだケリーにオルレカとしての可能性が残されているということですね。望みはあるということですね?」
フィデリオの反応に驚いたパンディオンはマウリーンと顔を見合わせた。マウリーンもまた驚いた顔をしている。
私はてっきり──とフィデリオは言葉を続けた。
「てっきりケリーの探索はカスケードに任せ、そのまま処分するものだと思っていましたから。私に探索を任すということはケリーの命も救われるということでしょう。──ああ。良かった。これ以上家族を失うのはもう耐えられない……」
フィデリオは部屋に入って来た時とはまるで別人のように、生き生きとした表情でパンディオンとマウリーンを交互に見返した。
「一度屋敷に戻って来たいと思うのですが──よろしいですか?」
「ええ。それは構いません。フィデリオさえ良ければ探索に専念して貰って構いませんよ。私の方の仕事は、ケリーが見つかるまでは当分急ぐようなものはありませんからね」
パンディオンは胸を撫で下ろしたい気分だった。
それはマウリーンも同じ思いだったようで、彼女の震えていた口唇には色が戻り、いつもの薄紅色が濡れたように輝いていた。
フィデリオはパンディオンの返事を聞くなり、急くように部屋を飛び出して行った。
パンディオンの神殿の前で、残すステムに色々な指示をフィデリオがしていると、ステムが視線をフィデリオの背後に走らせ、会釈をするのに気付いたフィデリオもまた、視線を自分の背後へと向けた。
「カスケード」
鼓動が大きくぎくりと一つ打ち、それはフィデリオにとって嫌な感覚を思い浮かばせた。
「そういえば。最近ガーデンで見かけなかったが一体どこに行っていたんだ?」
「俺の領地の視察にフィデリオの許可がいるとは知らなかったな。それより──何をそんなに急いているんだ?」
領地の視察? ──フィデリオが訝しげに問う。
「ああ、そうだ。疑うのならムスカリさまでもマウリーンさまにでも訊けばよかろう。出かける前に一応の挨拶は済ませておいたからな」
「いつからガーデンを空けているんだ?」
「これは可笑しなことを聞く。それが一体どうしたというんだ。俺にはさっぱり訳がわからない」
カスケードは嫌味な笑みを口元に浮かべ、
「フィデリオくんの大切な大切なケリー殿の狩り初めの日からだよ。これでいいかい? フィデリオ」
「一度も戻って来ていないんだな?」
「くどいな。そんな暇があるものか。俺が視察に行っていたのはフォレ山脈のピレア村だ。そう何度も一晩かけて空を飛ぼうとは思わない」
カスケードは厳しくフィデリオを睨み据えた。
「そこまで言うのなら信じよう」
フィデリオは鞄を抱え、ステムに後を頼むと告げた。ステムは畏まりましたと答え、深々と頭を下げた。
「それでこの騒ぎは一体何なんだ? 随分とガーデンが騒がしいようだが」
カスケードは聞こえよがしにステムに声を掛けた。ステムは主の背中に視線を送りながら、
「ケリーさまが行方不明になられましたもので。フィデリオさまはオステオスさまの命によって、只今よりケリーさまの探索にお出かけになるところです」
そうか、とカスケードは人差し指を額に宛て、では─あの犬はと続けた。
「あの犬の世話は一体誰がやるんだ? 夜な夜な主人を恋しがって鳴かれても困るのだが」
ステムの顔に一層困惑の色が増していく。主の背中に答えを待った。主はくるりと向きを変え、
「あれはケリーの物だ。ケリーが戻るまでは誰にも触れさせはしないよ。特にカスケード。君にはね」
「俺が訊いているのは誰が世話をするのかってことだ。何故俺がそんなものに立候補せねばならん。もし世話をする者がいないのであれば、ちょうどピレアで子犬を亡くして寂しがっている子供がいたから、そこに貰えないだろうかと尋きたかったんだよ。それで──? 犬の世話をする者はいるのか」
フィデリオはすごい勢いでカスケードの胸倉を掴むと、
「ケリーの物は、例え絹糸ひとつたりとも渡さない。こればかりはけっして譲りはしない。絶対にな」
フィデリオの─ケリーへの思いがひしと伝わる。そんな強い瞳だった。しかしその瞳にカスケードは負けてしまう。
視線をフィデリオから外し、胸元の手を退かした。
「それならせいぜい夜鳴きさせないよう気を配ることだな」
踵を返し、カスケードはマウリーンの神殿へと入って行った。
フィデリオは相変わらず疑わしげな視線をカスケードに向け、
「お前になにがわかる」
と吐き捨てた。