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廻り出した環<6>

 久しく開けられたことのない門扉は、まるで侵入者を拒むかのように重く、なかなか開こうとはしなかった。力任せに開け放つと、赤茶けた錆がカスケードの掌にこびり付いた。

 ケリーを抱え直し、生い茂る、名すら思い出せない雑草たちの中をカスケードは突き進む。腕の中のケリーの息遣いがやや安定したかのような気配を見せ、任せきりだったその身に力が篭るのを感じた。それでもケリーの口唇は流れ出た血の多さから紫色に変色したままで、麗しい桜色のそれは微塵も見当たらなかった。

 屋敷の扉には大きな蝶番と何重にも括られた鎖で更に侵入者を拒んでいた。

 カスケードはこの扉を諦め、裏へと回る。

 裏庭にはサンルームがあり、ガラス張りのその部屋は当時の面影をそのままにひっそりと佇んでいた。サンルームの入り口にも蝶番が掛けてあったがさして厳重なものではなく、錆びて綻び始めていたそれは、カスケードが手を掛けただけで脆く壊れてしまった。

 容易に侵入できたサンルームの中へ入る。

 埃よけに掛けられたと思われる白いシーツを外し、人ひとり横になるのに足るソファへとケリーを寝かせる。ケリーはソファへと身体が沈むと、少しだけ安堵の溜息を吐き、口唇が僅かに痙攣した。

 現在は誰も住んでいないとは言え、当時のままに残されている屋敷には、当然救急用具のひとつくらいは残されているだろうと、カスケードは家捜しを始めた。程なくそれは発見され、カスケードは翼の治療を行う。

 カスケードが仕える神の一人。マウリーンは時と共にそれと関連するように癒しも司っていた。カスケードは見様見真似でケリーの翼を癒していく。それを手助けするように薬草も使った。

 それらは完璧とは言えなかったが、そうだとしてもケリーの翼からの出血を止めるには十分だった。

 大量の血を失い、体温も低下しているケリーを暖める為に隣室の暖炉に火を灯した。

 サンルームと言えど、どんよりと雲が空を覆い尽くしていては、その働きが充分とは言えないのだ。

 暖炉の火がぱちぱちと音を上げ、部屋の温度が充分に暖まったことを確認すると、カスケードはケリーをサンルームから移した。

 その時にはもうケリーの口唇には僅かばかりの色が戻りつつあった。

 暖炉の前に並べられた羽枕の上に、ケリーの細くてしなやかな身体が横たわる。池の水でぐっしょりと濡れていた黒髪も乾き始めていて、さらさらと床の上を流れるようにして黒髪も横たわる。

 傷ついた羽根は仕舞い込むことも出来ず、無防備にその悲惨な有り様を晒したままだ。

 ケリーが落ち着くとようやくカスケードも安堵の表情を見せた。漠然とした不安は変わらず胸の内を駆け巡ってはいるのだが。

 ケリーをガーデンへ連れ帰らなくて良かったのか。先程の判断は最良だったのか。考えるべくもなく、咄嗟に判断してしまった自分は浅はかではなかったか──カスケードは逡巡する。

 いつの間に降り出したのか、窓を雨が激しく叩いている。

 窓の外を見ていた視線をケリーへと移動させ、ぎくりとする。

 ケリーがじっと見ているのだ。

 虚ろだった彼の瞳にカスケードの姿がくっきりと映り込んでいた。大きな瞳を見開き、カスケードを凝視している。驚いているとも言えた。

「翼が折れていたぞ」

 ケリーにカスケードの言葉は通じているはずだったが、ケリーの表情は凍ったまま動かない。見開かれたままの双眸が、瞬きを忘れ凝視し続ける。

 ケリーの傍らに寄り添っているカスケードの月読の剣が甲高い音を出した。かたかたと鍔が鳴る。

 カスケードは月読を取り、その鍔鳴りの激しさに珍しく取り乱した。

 普段の彼からはけして想像がつかないほどの狼狽振りである。

 共鳴しているのか、とカスケードが呟く。

「いや。違う。これは……これは」

 カスケードの顔から血の気が引いていく。彼は口唇を一度強く噛み締めた後、独白のように呟いた。

「斬れと言っている」

 ケリーへ視線を走らせる。彼は凝視したままだった。

 月読の剣がケリーを斬れと鍔を鳴らせているのだ。

 カスケードは訳が分からない。翼が一対折れた程度で、処分しなければならないとは到底思えなかった。

 雨足が一層強くなり、明かりが暖炉だけのこの部屋は薄暗く、自分を見つめるケリーの深緑と山吹の瞳が嫌に目立つ気がする。

 カスケードは左手で剣を押さえた。右手が震えながら月読の柄へと伸びていく。

「ケリー。オルレカの運命から逃れたいか?」

 そう問うカスケードのこめかみを、一筋の汗が伝い落ちる。

 ケリーは変わらずじっと見ている。

「ケリー。自由になりたいか?」

 そう問うカスケードの声が僅かに震えている。

 ケリーはやはり凝視したままだ。

「ケリー。言わねば伝わるまいよ」

 堪えきれず、一旦は柄へと伸ばした手をケリーの頬へと宛がった。

 大きく見開かれたケリーの瞳から、ぽつりと涙が零れる。

 カスケードは苦痛に顔を歪ませる。唇を食むように強く噛み締め、絞り出すような低い声で、

「お前まで俺に託すのか。お前の真意など俺がわかるはずもないだろうに。言わねば伝わらん。俺にはわからん! 何故! そうまでして俺になにをさせたい。お前まで黙して死ぬのか。そうして俺に悔恨を刻み込むのか! 何故この場所なんだ。ウルマの池。ウルマの屋敷。マリーがいる月読。ケリーとその身の中の神苑。いや。正義を語るな。疑うな。俺が今成すべきことは──ケリーを斬ることだ」

 ケリーの頬から素早く手を離し、それは流れるように月読の柄へと向かう。

 ケリーの口唇がわななきなにかを紡いだ。


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