第9話 帰路の道草
「ごめん、もう無理・・」
鮑謖は限界を迎えたことを表明した。
「えっ、あっ!?」
牽引役の兵はあわてて馬を止める。
鮑謖が鞍にしがみつくようにして、今にも馬から落ちそうだったからだ。
──やはり駄目だったか・・
来るときは早めに出て、ゆっくりの乗馬だったが、それでも恂門に到着する頃には、鮑謖は馬酔いによりグロッキー状態になっていた。
兵としては帰りも同様にと思っていたが、鮑謖が「頑張るから、少し走ってみて」と言うので馬を駆けさせたところ、この有様である。
「ホント、ごめん・・」
鮑謖としても、不甲斐ない自分を申し訳なく思っているようだ。
その姿は、まさしく醜態である。
さりとて、兵の男が白眼することはなかった。
彼も、鮑謖の開口一番の嘔吐を目撃した者であり、当初は失望と不安を禁じ得なかった。
しかし、辛国軍の動きを察知するばかりでなく、逆手に取って騎兵での奇襲の可能性を考えた先見性。砦に籠もっては、門を開け放つことで敵を釘付けにし、援軍が来るまでの時間稼ぎをした状況判断。それらを実際に体験したことで、鮑謖を指揮者として尊敬するのは勿論。
敵の魔法を防ぐどころか、はじき返して敵兵を混乱に陥れる実戦での実力を見せつけられ。兵として、戦士として、憧憬を抱くに至った。
斯くが故に、鮑謖の無様は、兵からしたら傑人が見せる『お茶目な一面』のように感じられ、可愛げがあって微笑ましくさえあったのだ。
兵は項垂れる鮑謖に。
「この近くに自分の実家の村があるのですが、よかったら、そこで一休みしませんか?」
と、休息を取る提案をした。
単に立ち止まっているより、横になったり、お茶でも飲んだ方が回復が早いのではとの考えだ。
「うん。そうする・・」
鮑謖は相変わらずの困憊振りで応えた。
「では、そのように──。あと、ちょっとなので、ご辛抱ください」
兵は言って、さっきより歩度を落として先導した。
──砦に戻るのではないのか?
諜報員の男は、不意に方向を変えた二騎を訝しんだ。
男は辛国の者で、先の恂門攻略失敗、その初動に当たる砦の騎兵に対する奇襲の空振り、別働隊の埋伏の露呈、それらの原因を調査していた。
彼が調べた限り、特に情報漏洩の痕跡も、汐径側が何かを掴んだという動きもなかった。
ひとえに砦の隊長の女が、たまたま騎兵たちに普段とは違うルートを指示し、森に隠れていた別働隊も、たまたま彼女自身が発見したから、という荒唐無稽な状況しか見えてこなかった。
──そんな訳あるまい。
思った諜報員は、件の隊長が恂門に来た際に誰かと接触するのではと考え、動きを監視することにした。しかるに女は、軍営を出た後は何処にも寄らず、ただ砦への帰路に就いたかに思われた。
──やはり、誰かと会う気か。
男は諦めきれずに後を付けたが、その甲斐はあったと思った。
二騎は方向を変えた後は速度を落としたため、諜報員の男は難無く追いつくことができた。
──これ以上は馬だと気付かれるか・・
男は下馬し、岩陰に馬を止め、己が足で走って行くことにした。彼は足には自信があり、この辺りなら馬を狙う野獣も出ないだろうと踏んで、後から取りに来ればよいとの判断だった。
──こんな所に村があるのか・・
諜報員といっても別段、地理に詳しいわけではない。主要な街や軍事施設以外の事柄は、その辺の一般人と何ら変わりがないのだ。
だから男の『こんな所』は場所の異常を指しているのではなく、此処にもあるのか程度の意味である。
ともあれ──。
彼が知らない村に、砦の隊長とその部下が入って行く。男としても後を追いたくはあったが、なにぶん小さな村で、余所者が用も無いのに訪れるのは流石に不審すぎた。
男は、件の隊長たちがどの家に入ったのだけ把握しようとした。誰が住んでるかなどの委細は、後からでも調べられる。そこから隊長との関係を、また別途探ればよい。
彼は周囲に気を配りながら、慎重に村に近づき、木陰から村内の様子を観察した。
しかしながら、諜報員の注意を払った動きは、思わぬ二つの誤解を生んだ。
一つは、仕事を終え帰宅しようとしていた猟師に見られた事だ。
猟師は目がよく、かなり遠くからでも村を窺う諜報員の男を捉えることができた。猟師は男の挙措から。
──賊徒の斥候では!
と、考えて、村の皆に伝えようと急ぎ足で戻った。
もう一つは、村に狙いを付けていた賊徒の偵察役の視界に入った事だ。
賊は村人の構成を粗方調べ上げていたが、軍人と思しき二名があらわれた事で、いったい何用なのかと、その動向を知らんとした。
その矢先、自分と同じように軍人たちを窺う諜報員の男を発見。
──別穴の狢か!
と、自分たちと同じように村を標的にした他の賊徒と考え、急ぎアジトへと戻った。
「あー、生き返る」
鮑謖は兵の実家で出されたお茶を飲んで、そう言葉にした。
「お口に合ったようでなによりです」
兵の母親は安堵しながら言ったが。
「いやいや、御嬶様の淹れたお茶は素晴らしい。生姜とカミツレに蜂蜜が入っているのか? それぞれに主張し過ぎず、いい塩梅で調和している。王都で出せば売り物になる水準です」
鮑謖は茶を舌で転がしながら、食通のように評した。
本人は至って真面目に言ってるのだろうが──、鮑謖の語り口や様相は、幼子が背伸びをして尤もらしく振る舞ってる風にも見え、一種の愛らしさを以て伝わった。
「フフフッ──。それはそれは、お粗末様です」
母親は笑顔で返し、このやり取りに兵の家族は、突然に来た息子の上官に対する緊張をやわらげた。
鮑謖もお茶の効能だけでなく、温かな家庭の雰囲気に心身を癒やした。
そんなひととき──。
平穏ならざる表情をした二人の客が、兵の実家を訪ねた。
来訪者の一人は村長で、もう一人は猟師をしている者だった。しかし彼らの目的は家の者ではなく、そこにいた兵と、同じく軍人である鮑謖にであった。
「賊が下見に来ていたのではと考えまして・・」
村長は鮑謖に対して恐縮しながら言葉を発した。
彼は猟師から話を聞いて、丁度よく戻っている村出身の兵に相談しようとやって来た。ところが、同僚かと思ったもう一人は砦の隊長で、中尉という話を聞いて、やや気後れするところがあった。
「賊か・・」
鮑謖は言いながら考える格好をした。
──ホントに賊なら私がやっちゃってもいいけど・・
彼女の頭には、先日の森にいた辛国の別働隊の記憶がある。あのとき鮑謖は只の賊だと思っていたが、後から敵軍だったと知り、大いに驚くこととなった。
──実は今回も、どっかの軍じゃないの?
「えー、出来ますれば、しばらく護衛の兵や見回りをお願いしたく・・」
考える風な鮑謖を前に村長は、やはり消極的な陳情を行った。対して猟師は。
「たぶん、あんたらの様子も見てたんじゃないか? それで警戒して今日、明日は何もないかも知れんが、賊がいなくなるわけじゃないんだから、何かしてもらわないと、この先どうなるかわからんぞ」
鮑謖に対しても怖めず臆せず言った。
鮑謖は数回頷くと。
「成嬰軍曹に伝令。全軍を率いて村の周囲に展開、武装集団の探索及び撃破、細かな部隊分けは軍曹に一任する」
兵に向かって軍人の音で下知した。
「はっ、直ちに砦に向かいます!」
兵も同じく軍人のそれで返し、不意に起きた寸劇に、兵の家族や村長たちは困惑した。
兵は家族に一度視線を向けると、脱兎の勢いで外に出て、騎乗するや否や駆け出した。
一同は呆然としていたが、鮑謖は。
「念のために、イイ感じの棒を何本か用意していただけますか?」
と、村長に言い、続けて。
「御嬶様。お茶をもう一杯、お願いしたい」
と、空のカップを差し出していた。




