第7話 空城の魔女
砦内はものものしい雰囲気に包まれていた。
崔弱の指示のもと弓矢が倉庫から出され、鋸壁や矢狭間に配備されていく。
捕虜とした魔法使いの話から、辛国軍は騎兵を追い立てる格好で砦に迫ってくるはずで、本来なら味方が門内に逃げ込む混乱に乗じて別働隊が侵入する作戦だった。
その別働隊は、既に鮑謖により壊滅しているが、騎兵が攻撃され、生き残った者たちが必死の遁走を強いられている状態は、おそらく現実であろう。
崔弱は成嬰たちが戻って来たときに、追走する敵を牽制し、味方を引き入れ、そのまま防衛戦に移行できるよう準備しているのだ。
彼女の先走りがちな思考は、このような場合には良い方向の動きを見せた。
──やれることはやった。
崔弱は自分の仕事に充足を感じながらも、成嬰以下騎兵達の安否を思い、葛藤とまではゆかずとも名状しがたい複雑な心境を持った。
「私は中尉に報告してくる。軍曹たちが見えたらすぐに呼んで」
周りの兵に言って、彼女は鮑謖の元へ向かった。
「辛国軍百二十!?」
崔弱の報告に鮑謖も声を上げざるを得なかった。
「はい。ですので、ご指示の通り、恂門に援軍の要請を出しました」
崔弱は、不安を意思で抑え込んだような表情をして言った。
──ん?
大いなる誤解か、誤謬とも言うべき根本的齟齬を感じた鮑謖だったが、今は敵軍の存在と、それに追われていると思われる成嬰たちが大事なので、一旦置いておくことにした。
──あれ?
鮑謖は思い出し考えながら。
「う~んとね。軍曹たちには東回りに国境の方に移動するよう言ってあるんだ。だから、その待ち伏せってのが、辛国の思惑通りいったかどうかはわからないよ」
聞いた崔弱は目を見開き。
「まさか! 事前に想定されていたのですか!」
その小さな体躯を振るわせて言う。
それは慧眼、洞察を目の当たりにした事への感動が顕現したものだったが、鮑謖としては『わかってたのなら』という誤解から崔弱が怒りに震えているように見えた。
「いや、偶然。たまたま。ホント、それは偶然だから」
鮑謖の宥めるような言葉に。
「はい──」
崔弱は噛みしめるように頷いた。
その心中は『多くの内の一つが当たったに過ぎない』と、鮑謖が謙遜しているに違いないという尊敬と、成嬰たちの無事を期待する気持ちの両方で満ちていた。
──わかってくれたかな?
鮑謖は崔弱の様子を窺いながら。
「うん。で、現状はどうなってるのかな?」
崔弱に報告を促し、彼女の説明で、鮑謖は砦が陥っている状況をおおよそ理解した。
──えっ? 守備隊の指揮官って責任重くない?
無論それはわかりきったことなのだが──。
『のんびり辺境ライフ、地域の美味しいものを食べ尽くそう~』とか考えてた鮑謖としては、着任から早早と起きた有事に、気後れを禁じ得なかった。
そんな鮑謖の難しい表情は、崔弱には深淵たる思考をしているように見えた。
斯くの如く、思い違いが交錯しているところへ。
「隊長。成嬰軍曹以下、騎兵たちの姿を確認しました。その後方には、辛国軍とみられる一団が追走している模様です」
「軍曹・・」
崔弱が思わず口ずさむ。軍人としての矜恃で包んではいたが、それは歓喜の音であった。
「よし、すぐに行こう」
言うや否や鮑謖は杖を取り、ささっと小走りで外に向かう。報告に来た兵と崔弱は、それに続く形で行くわけだが──。
「いや、伍長──、隊長、速すぎませんか?」
「ちょ・・あ、足も速い。流石、中尉・・」
鮑謖は二人を置いてけぼりにする疾走を見せ、あっという間に広場に到着した。
「隊長、軍曹たちが!」
「うん。状況を確認する」
鮑謖は兵に応じつつも、駆け付けた勢いのままサッと鋸壁の所まで駆け上がると、一目し。
「開門!!!」
外にも聞こえるよう大喝し、続けて。
「弓、構え!」
と、号令し。
「遠くに、適当でいいからね~」
と、やわらかく言った。
そして、開かれた扉に、成嬰たち騎兵が走り込もうとする直前に。
「放て!!」
その一声で一斉に矢は射られた。
辛国軍は、山なりに飛ぶ軌道をよく理解し、余裕を持って降箭を回避した。
帰還した騎兵に、兵達が喜悦の声を上げた。
「軍曹、よくご無事で!」
「おう。心配掛けたか──、こっちは大丈夫だったか?」
成嬰、崔弱たちが声を掛け合っている。
「門を閉じますか?」
兵が聞いてくるが。
「いや、いいよ開けたままで」
鮑謖は返し、そのまま開扉された状態で両軍は睨み合う態勢となった。
──諦めて帰ってくんないかな・・
敵は、騎兵と共に別働隊が門内に雪崩れ込むのを想像していたはずである。鮑謖はそれを開けっ放しにする事で、作戦は頓挫したんだと知らしめ、相手に撤退を促そうとしたのだ。
鮑謖としては、ここまでの出来事に既に食傷気味で、成嬰たちも活命であったことから、ここいらで話が終わってくれるとありがたかった。
しかしながら、鮑謖は履き違えられの星の下に生まれたのか──。
「おのれ、門を開け放ち挑発するかっ!」
辛軍の指揮官、花質少佐は、これに怒りを爆発させた。
花質としては、これまでの鬱積が限界値に達しており、砦まで出向いたからには、先の不意打ちの恥を雪ぐ意味でも、何としても勝利が欲しかった。
だが、どうしたことか別働隊は姿を見せず、汐径の砦は門を開いて、いつでも来いと言わんばかり。
仮に、門を目指して駆けゆけば『残念でした』と閉じられ、弓矢の餌食にされるのは容易に想像が付く。
別働隊がいない以上、戦力的にも砦落とすには厳しい。
──そんな事は、わかってる!
わかっているから、わかった上でだから、尚のこと腹が立つ。
「手玉に取ったつもりかぁ!!」
花質は、敵の指揮官に対して激しく憎悪を抱いた。そんなとき、部下が──。
「少佐、鋸壁の所、左の方です。あれは汐径の将校服だと見受けられます。おそらく、あの女が砦の指揮官ではないでしょうか」
そのように言った。当然、指を差したりはしない。敵に気付いた事を気付かれるからだ。
「まだ若いな。才気張った豎子が、調子に乗りおって。目にもの見せてくれる!」
花質は吠えるように言うと、自軍の魔法使いを呼び。
「鋸壁の者に向かって撃てるか?」
「自分のだと、もう少し近づかないと難しいかと」
「たしか、燃え広がるのだな」
「はい着弾すれば、そうなります」
「丁度良い。弓兵もまとめて倒せるな」
言って花質は、早早と、ほくそ笑んだ。
「よし! これより砦に向かって攻め掛ける。だが最初は振りだけだ。敵の弓を誘って踏みとどまる。その後、魔法で敵が混乱してからが本番だ」
花質は各隊長たちに下知を出し。
「いくぞぉぉぉ!!」
鉤鎌槍を高く掲げ、進撃の合図とした。
「た、隊長! 敵が!」
「うん。攻めてきてるね・・」
兵の、やや上擦った声に、落ち着いて応える鮑謖だったが。
──なんでだよ???
わかり易く作戦失敗を教えてるのにと、彼女としては、かなり困惑していた。
しかし、兵は、砦の皆は、鮑謖のそれを泰然とした見切りの境地の如く解釈した。
「えーと。とりあえず射掛けてみようか」
兵達が矢をつがえ、次々に放つが、辛国兵の歩武は止まらない。
「じゃあ、門を・・」
鮑謖が言ったとき──。
〈炎駒の法、類焼熾〉
敵軍の中央から、一塊の火球が尾を引き、一条の光のように鮑謖に向かって来た。
その速度は、前に彼女が打ち払った魔法より遅い。故に身のこなしが素早い者ならば、魔法とはいえ避けられてしまうだろう。
──よけても無駄だ。
花質は知っている。この魔法が周囲を炎で満たすことを。
「死ね!」
花質も呪詛を飛ばした。
だがしかし。
鮑謖は、シュッと鋸壁のくぼみに登ると、火球に対して疾く杖を叩きつけた。
バンッと弾けるような音と共に、分裂した火球が下方に降り注いだ。
「ぎゃぁー!!」
悲鳴を上げたのは辛国兵だ。彼らは打ち返された魔法の直撃を受けたようなもので、それにより一気に混乱状態に陥った。
「馬鹿な!?」
花質が言ったとき、激しい馬蹄の響きが伝わってきた。
恂門からの援軍、その先行した騎馬隊であった。
彼らは急ぎつつも馬の体力を温存し、ある程度の速度で砦の近くまで来ていたが、先程の魔法の光と音を感じ、今が力の出し時と判断。全力での迅走にて辛国軍を捕捉するに至った。
既に混乱した辛軍は迎撃態勢も取れぬままに騎馬隊の突撃を受け、今更ながらの撤収をはかるが、騎馬隊に退路を塞がれ逃げ場をなくした。
加えて、砦から成嬰率いる騎兵、並びに砦内の歩兵も打って出て辛軍に強く当たった。
ほどなくして辛軍は潰走に転じたが、元より道はなく、兵達の多くは討たれるか降伏するかの選択を強いられた。
その後、残りの援軍も到着し、日が落ちるまでの間、逃げた敵の探索がなされた。
この一戦を境にして、汐径国を取り巻く情勢に変化が生じた。
また、砦の隊長、鮑謖の存在が世に知られていくことにもなった。
軍略の才を携えた魔女として──。




