第3話 そら耳
「これは中尉殿。馬が御入り用でしょうか?」
「いや、ちょっと確認したくてね」
鮑謖は厩舎の者に応えながら辺りを観察し、一頭だけいる馬に目をやった。
「あの馬は痩せてるけど、なんか病気なの?」
「いえ、あれが普通の体格ですが・・」
係の者は不思議なという顔つきで答えた。
「うん。そうだよね。だと、騎馬の馬たちは何であんなに太ってるの?」
鮑謖は眉を寄せて問う。
係は納得したように大きく息を吸うと。
「あれは、ああいう種類なんです。重種って呼ばれるもので、力のあるタイプです。この辺りは冬に雪が降るんで、その中でもしっかり走れるようにって選ばれてるんです」
そのように説明した。
「えっ、そうなの!?」
鮑謖は驚くと共に。
──あー、運動不足と思って遠回りさせちゃったよ・・
自らが発した命令を思い出して頭を抱えた。
──騎馬の皆は、イキナリわけわからん事いわれて困っただろうな・・
実際、砦の指揮官としての初命令で、のっけからやらかした感であった。尤も鮑謖の場合は、開口一番、嘔吐だったわけだから、既に味噌が付いてるとも言える。
「どうされました?」
ひとり悶える鮑謖を不審に思い、係が声を掛ける。
「いや──、こっちの話だから気にしないで・・」
「はぁ・・」
──悪いことしちゃたな。何かで埋め合わせしたいけど・・
鮑謖は思って、本をペラペラとめくり。
「この辺りで、団栗のできる木が多いところってある?」
係に聞いた。
「えーと、たぶん裏の森とか、時期になれば一杯落ちてますけど。今は、なにもないかと」
係は、再び不審を見る顔で答える。
「うん。それだけわかれば十分。ありがと」
鮑謖は言って、そそくさとその場を後にした。見送った係の者は、しばらくの間、わけがわからぬといった表情を続けることとなった。
成嬰たち騎兵は、鮑謖の指示通り東回りに丘を登り、頂に至ろうとしていた。
「いったい何の意味があるんでしょうね」
「さあな──」
疑義を呈する部下に、成嬰は曖昧に返す。
意図のわからぬ事ゆえ肯定するつもりはないが、かといって直に下った上官の命令を否定するのは、軍人の矜恃として憚られた。
しかし部下達は、その辺りの機微を察しなかったのか。
「自分。ホウレン草取ってきてとか言われましたもん。わけわかないですよ」
「なんだよそれ?」
謎の下知をネタにして笑い合っていた。
──一応、釘は刺しておくか。
部下達が中尉に聞かれそうな場所で余計なことを言わないよう、先輩として注意しておこう。
成嬰がそんな風に考えたときだった。
──!
「止まれ。全員下馬しろ!」
成嬰は言うや否や馬から下り、部下達も戸惑いながらもそれに倣う。
「軍曹・・」
「馬をこれ以上前に出すな。いいな、絶対だぞ」
成嬰はそう指示し、自身は軍帽を脱いで丘の頂点に向かって数歩進み、止まった。
部下達は、その彼の後ろ姿に、異質な空気を感じていた。
「おい──。さっきホウレン草って言ってたが、それ間違いないか?」
振り向きもせずに成嬰は問う。
部下のひとりは困惑しながらも。
「は、はい。丘の上で、花が咲いてるホウレン草みたいなのを見つけたら取ってきてと・・」
「なぁそれ、鉤鎌槍の聞き違いって可能性はねーか?」
成嬰は前を向いたままだ。
「こ、こうれん!?」
部下は何が何だかという表情だ。
「まぁいい──。一人ずつ此処に立って見てみろ。あー、帽子は脱いどけよ」
成嬰は言いながら後ろに下がる。
部下達は恐る恐る成嬰の立っていた場所まで足を進めた。
「なっ!?」
その視線の先には、百人ぐらいだろうか、他国の軍と思しき者たちの姿があった。
「連中の武器を見てみろ」
成嬰が言う。
謎の軍勢が所持しているのは、片鎌の槍をひっくり返したような、フック状の突起が付いた異形の槍だ。
「あれが鉤鎌槍だ。で──、その鉤鎌槍を好んで使うのが、辛国の花質少佐の部隊だって話だ」
成嬰の言葉に。
──ホウレン草じゃなくて鉤鎌槍!?
──花って花質少佐のこと!?
──中尉は、予測していた!?
──伍長の言う極秘任務か!?
鮑謖が発した一連の指示は、眼下の状況を想定したものなのではないか。部下達は蓋然性をもって、この事態をとらえた。
それは成嬰も同じであり、一同の心胆は互いが互いに伝播し、彼らに確信という形の結論を与えた。
「ぐ、軍曹。見つけたら取ってこいっていうのは・・」
部下が慎重に尋ねる。
「軍勢を前に取ってくる物といったら、首だろ」
成嬰は色のない声で言った。
「いや、でも、相手は三倍はいますよ!」
「ああ──、だが、アイツらは何をやってるんだと思う?」
やや動揺した感の部隊に対して、泰然として成嬰は問うた。その様に、部下達も浮き足を降ろして、冷静に状況を考える。そして一人が──。
「国境に向かう自分たちを、待ち伏せてるんじゃないでしょうか」
と、答えた。
「俺も同じ意見だ」
成嬰が言ったことで、全員が小さく頷いた。彼は続けて。
「アイツらの意識は国境への道の辺りに向いている。そして今は、いつでも戦えるよう臨戦態勢ってところだろう。だからこっから仕掛けても、少し動揺させるぐらいで、上手くいく公算は低いと思う」
部下達は成嬰の言葉を黙って聞いている。
「だが俺たちを待ち伏せてるんなら、今日は来ないと思ったとき、奴らの警戒心は消えるんじゃねーか。あと幾分かすれば、いつもは国境に着いてる頃合いだ。そっからしばらく待って俺たちが現れないってなったら、連中はこっちの予定が変わったと判断して、何か動きを見せるかも知れない。俺は、そこに勝ち筋があるように思う」
騎兵一同は互いに頷き合い、成嬰の言に理を見出した。
成嬰以下二十七騎は静かに丘を降り、件の軍勢の背後に回り込むように移動した。




