第26話 尽忠報国
──これは大発見をしてしまったかも知れない。
鮑謖は思った。
彼女は今、馬車に乗っているが、座席には座っていない。後部の荷物などを置くスペースに、立ち乗りする形で、掴まっていた。
勿論、それも想定される使い方の一つなので、そのこと自体は何の発見でもない。鮑謖も好き好んでという訳ではなく、戦闘での汚れが酷いため、馬車に配慮したのだ。
では何を発見したか?
──すごい。立っていると酔わない!
鮑謖は自身の気付きに、思いがけず、至境の一手に到達したかのような感慨を持った。
後翼から戻った鮑謖一行は、国境付近にいた軍と合流し、今、軍営に向かっている。
百の軍を率いていた大尉から、砦が攻撃された旨と、既に援軍を出したことが知らされた。現在、砦は防衛戦の真っ直中であると推測される。また、後翼との関連も疑われることから、軍営としても、実際に赴いた鮑謖の見解が気になるところであった。
これらの理由により、行き先は恂門へ変更されたのだ。
百軍の大尉は、鮑謖たちと恂門に戻る際に、先行して早馬を出していた。
鮑謖と賊の戦闘から、雁去病大佐率いる後翼軍があらわれ、そして引いたこと、斥候を残して帰還することなどを、前もって知らせた。
恂門の指揮官は連絡を受け、今すぐ後翼側がどうこうする可能性は低いと考え、一応の安堵をした。それでふと、戦ったという鮑謖の様子について、早馬の兵に聞いた。
「鮑謖中尉は、返り血なのか、全身血まみれでありました」
「なんと! 中尉自身は無事なのか?」
「自分にはわかりかねますが、足取りはしっかりしていたかと・・」
「うむむ・・」
指揮官は考えるようにした。
軍営では援軍を出した時点で、医療体制を整えてあった。だから、負傷兵が担ぎ込まれても、随時応対できる状態ではある。
さはさりながら、鮑謖は軍才の新星として、恂門でも今一番の名代の者。もしもがあれば、軍営の士気にも影響する。
また、戦闘後は大事ないと思えても、あとあと不調を来すこともある。戦いによる酔いとも言える、一種の高揚感が、体の感覚を麻痺させてしまう現象だ。
「念のためだ・・」
指揮官は、恂門より南にある街道近くの街、孚門に魔法使いを要請した。〈角端の法〉の使い手に、鮑謖を治療をしてもらう事を考えたからだ。
汐径国は東西に長く、本営のある王都は西寄りに存在した。軍では、東側のトラブルに迅速に対応するため、孚門の街を本営あずかりとして管理。公で特に定めてはないが、実質的な副都として機能していた。
当然、そこには魔法使いも所属している。
恂門に鮑謖たちが着き、すぐに指揮官との面談という流れになった。
ところが相対すると──。
「鮑謖中尉は激闘の疲れがあります。僭越ですが、一旦、私が代わって報告する形ではいけませんでしょうか。私は全てを見てきました。中尉のお考えも理解しているつもりです」
伍長の女は、恂門の指揮官に対して、怖めず臆せず言った。
およそ戦闘員ではないと判断できたが、女は静かなる覇気を持っていた。また、その瞳には知性の光も見えたことから。
──体のこともある。中尉に無理をさせても良くない。
──必要なら、あとから聞けばいいか。
と、考えて、指揮官は伍長の代行を認めた。
鮑謖は、諸々を崔弱たちのやる気にお任せして、自分は風呂に入った。
医者から念のために検査したいと言われたが。
──汗かいたし・・
と、人並みの羞恥心を持って延期を訴え、先に汚れを落とそうとしたのだ。
軍営のそれは、砦とは違い共同の風呂であったが、戦闘員は援軍と警戒中で出払っており、内務方もまだ動いていることで、人がいなくて快適な時間だった。
鮑謖は。
「みんな大丈夫かな」
と、つぶやきつつも。
──私、いなかったから。不可抗力だよね。
と、打算的なことも考えた。
周囲が猛烈勘違い中の鮑謖であるが、元来スローライフを夢想するような者で、軍人としての矜恃に燃えるようなタイプではないのだ。
それでも、同じ時を過ごした者たちに、少なからず心懸かりを持った。
洗い替えに用意された将校服を着て、こざっぱりとした鮑謖は、今度こそ医者の所へ行こうとしていると。
「隊長さん。あんたこっちにいたのか?」
猟師の男に声を掛けられた。
男は砦の状況を伝えた後も、軍営に留め置かれていた。万が一、何かの工作員の可能性を考えたか、単に鮑謖の関係者としてか、理由は不明だ。
「うん、いや──、ちょっと余所に行ってたんだよ。それよりも、砦のこと伝えてもらったみたいで、悪かったね。結構距離あるから、大変だったでしょ」
「まぁな。でも俺は、森ん中、突っ切って行けるから、道なりに行くよりかは短くて済む」
「あー。獣道的なやつ?」
「そんな感じだ」
「いやでも、助かったよ。ありがとう」
「いいさ。それにヤバイのは変わらんだろ」
猟師は、どこか物悲しげな音で言った。彼としても鮑謖と砦の皆を、多少は気遣ったのかも知れない。
そんな男の機微を知ってか知らずか。
「ところで、何で砦の近くに? もしかして、獲物を持ってきてくれるとこだった?」
鮑謖は期待を込めて聞いた。
猟師はそれを『心配ない』と、鮑謖が言外に語っているのだと解釈。彼女にあわせて。
「ああ──。鳥が二羽あるぞ」
取引モードに切り替えて、袋から獲物を見せ、自慢気に返した。
「よし、二つとも買おう」
鮑謖は言って財布を取り出し。
「ここまでの手間賃に色を付けたいが、手持ちが少なくてね、こんなもんでどうだろうか」
「ああ、いいぜ」
猟師は十分だと思いつつも、譲歩してやったという雰囲気を出して応えた。
実際、仲買人に売るよりも高い小売価格での取引だ。手渡された金額の重さに、猟師の男も『おっ』という気分になった。わかっていても手応えは、また別の趣だ。
「うん。また頼むよ」
鮑謖も満足そうにして、無事、取引は終わった。
話を聞いた指揮官は当惑した。
──私は罠など知らないぞ・・
崔弱伍長は、鮑謖中尉と恂門の軍営が、後翼の罠を看破した上で乗り込んだと考えている。だが、そのような事実はどこにもない。
さりとて──。
中尉が覚悟を以て乗り込んだのは、客観すれば明らかであり、それは罠を知り得ていたからに他ならないだろう。
──その上、後翼に対して翻意を促すとは。
しかもそれは、相手の情味に縋ったものではなく。作戦の失敗という現実的未来を突きつけながらの、恫喝である。
──それでいて、最後まで両国関係の維持を図る。
後翼はおそらく、賊を装った襲撃のつもりだったのだろう。しかし、鮑謖中尉は、その設定を逆用し、全て無かったことにした。
──私ですら、盤上の駒か。
そして、なにより驚くべき事は、援軍と同時に国境へ配した百軍の存在を、鮑謖は最初からわかっていた点だ。彼女はタイミング良く杖を振ることで、さも百軍が自分の意思であらわれたように装った。それは指揮官の対応すら予測しなければ不可能だろう。
──さぞ、胆が冷えただろう。
国境の軍を見た後翼の将兵は、崔弱に対して驚きを隠せなかったという。
──全て偶然と言われた方が、まだ納得できる。
指揮官は、鮑謖の泰然とした姿からは想像できない深謀に、恐怖すら感じた。
崔弱との話で、やや打ちのめされた感のあった指揮官だったが、鮑謖の体調の事も気になり、彼も医者の所へ行こうと足を向けた。
すると、道中で鮑謖と、砦の危機を知らせた猟師の男が何やら話をしていた。
そして──。
──!?
鮑謖は、男に、結構な額の金を渡していた。
──そうか! 中尉は、ああやって情報を得ていたのだな。
指揮官は、鮑謖が独自の情報網を元に様々な思考をしていると判断した。同時に。
──なんという報国心か!!
指揮官は感動した。
今日日、軍人となっても、志なくダラダラと任務をこなす者もいる中、鮑謖は国のために、己が能力を駆使するだけはなく、身銭を切ってまで報いようとしている。
──まるで、古の賢臣ではないか!!
指揮官は鮑謖に、古典の中に登場する、私財を投じて君主を助けた名臣の風骨を見た。
──斯様な者が埋もれて良いか? 否!
指揮官は、鮑謖は名誉と、経済的な恵沢を受けるべきと考え、彼女の昇進を本営に上申することを心に決めた。
斯くして、鮑謖を取り巻く誤謬の渦は、ますます広がりを見せるのだった。




