第21話 冷徹の魔女(前半)
急に走り込んできた男に対して、衛兵は棒を向ける。
「止まれ! 何用だ、貴様!」
声だけで相手を押し伏せそうな、剛なる大喝が飛ぶ。
「あ、お、俺は・・」
衛兵の気合いに圧倒されたのか、男は、どもりながら。
「と、砦の、北の砦で、戦ってる! 軍が、すげー多い。百とか二百とか、もっとかも知れん。あんなの勝てねぇ。みんな殺されちまうぞ!」
そのように言った。
衛兵は、怪訝な顔を向けながら。
「お前は何者だ!」
尚も、圧する励声を放つ。
「俺は猟師で──」
男は言い掛けると、何かに気付いたように背負い袋を降ろし、中をまさぐった。そして木札を取り出して。
「なんか、これを見せればいいって、隊長さんが言ってた」
と、衛兵にそれを見せた。
猟師の男は、自分の名前、数字など勘定に関わるもの、それと幾つか街中で見かけるものぐらいしか、文字を知らなかった。
だから、木札の内容までは把握していなかったが、そこには──。
『この者、重要人物につき、最優先で取り次ぐように』
と、書かれており。
あとに汐径軍中尉、鮑謖の名が記され、守備隊隊長の印が押されたいた。
「なっ──!?」
衛兵はあわてた。
鮑謖と言えば、数で勝る辛国軍を退け、名代の匪賊を先手で討伐した守備隊隊長であり、今この辺りで最も名の知れた軍人であった。
また、衛兵自身も以前、馬に乗って来た彼女を見ており。そのどこか物憂い感じに、深い知性の影を見た思いがしていた。
木札を見た衛兵は、眼前の一見粗野な男のことを、鮑謖から密命を受けた連絡員に違いないと判断。大急ぎで上官に伝え、猟師の男は軍営の指揮官に、あらためて砦が陥っている状況について話すに至った。
ちなみに──。
木札は、鮑謖が御嬶茶を待ち望みすぎて大げさに、あくまで、砦の兵に見せる前提で書かれたものだ。軍営に持ち込むなど、微塵も考えてない。
衛兵が見た鮑謖は、馬酔いで気分が悪くなっていた状態である。痘痕も靨か、顰みに倣うか、わからないが、なんか良く見えちゃったって話であった。
ともあれ。
恂門の軍営は、砦を攻撃しているのは辛国軍であると推断。前回同様、騎馬を多く編制した二百の軍を向かわせた。
同時に、後翼軍がまた不審な動きをするのではと考え、百の軍を国境付近に配し。残る百は、各方面への連絡と、恂門の守備を固めた。
四頭立ての堅牢な馬車だった。
「えーと。女将さん、私は一頭引きでと注文したはずだけど・・」
前日、宿の者に馬車の手配を頼んでいた鮑謖は、用意されたそれを見て、こう尋ねた。
「ええ、大丈夫です。料金はそのままで、こちらを是非、ご利用下さい」
女将が笑顔で言う。
いや、彼女だけではない。宿の者や御者、何か知らん近所の人と思しき人物までもが、ニコニコとしながら「どうぞ」と勧めてくる。
「すみません。我々は困惑しています。どういうことなのか、ご説明いただけますか?」
崔弱が、鮑謖に先回りして聞く。
「いえね──、お客さんたちが、逃げた匪賊を討伐したって聞きましてね。軍から感謝状も出たそうじゃないですか。私らも連中には迷惑してましたから、なにか御礼をと思いまして。それで皆で話し合って、馬車を上等なものにって事になったんですよ」
女将の言葉に、一同がうんうんと頷いた。
この事態に鮑謖も断ることはできず、砦の一行は皆に頭を下げ、馬車に乗り込んだ。
こうして鮑謖が講じた、馬を疲れさせて休憩を増やそう作戦は、復路に於いては始まる前に失敗したのだった。
馬車の座席は六人仕様、振動も少なめで、座り心地も良いものだった。
崔弱と兵二人は、それらに軽く興奮していた。危険と思われる季酬の地から、帰還できるという安心感も、いくらか影響したかも知れない。
さはさりながら──。
鮑謖にとっては、お尻の快適さなど気休めでしかない。少なかろうと振動は存在し、そのダメージは刻々と鮑謖の体内に蓄積される。
──朝食、お代わりするんじゃなかった・・
消化が先か、吐き気が先か。絶対に負けられない戦いが、密かに起きていた。
「少佐、見つけました。この先を下った所にいます」
先行させていた騎馬が駆け戻り言う。
「やっとか──。ハッ、随分と手間掛けさせる」
当初の予想に反して、なかなか追い付けず、かなり国境に近付いてしまった。その事で、臧超は焦りと苛立ちにさいなまれていたが、それが漸く解放された感であった。
「仕方ありません。相手は四頭引きでした」
「はぁ? 客は四人だろ? 汐径はそんな贅沢も経費で落ちるのかよ。それとも向こうの中尉ってのは、そんなに給料がいいのか。どっちにしても、むかつく話だ」
臧超は、また別の苛立ちを持ったようだ。
上行下効。普段から臧超に接する彼の部下たちは、知らず知らずのうちに剽悍な性情に感化され、より攻撃的で急激なものを好むようになっていた。
「少佐。捕らえるなんて微温いことを言わずに、さっさと討ち取りましょうよ」
部下の一人が言う。彼女も、贅沢してそうな奴は気に入らんといったところだ。
「そうです。よく考えたら俺たち、縄とかも持ってないじゃないですか。こんな所から戻るのも大変なのに、魔法使い捕まえるのなんてキツいっす」
同調する者もあらわれた。
聞いた臧超はニヤリとすると。
「そうだな。もう面倒くせえから、死ななかったら捕らえるって事でいく」
言って、彼らは動き出した。
馬車は止められた。
鮑謖が。
「緊急事態だ──」
と、言ったからだ。
崔弱たちは、例によって勝手に緊張して、今回は鮑謖も誤解が発生したことを悟った。
さりとて。もうそれを訂正する時間もおしい。一刻の猶予もないのだ。
直前、通り過ぎたときに、木が見えた。
──せめて、木の所へ。
鮑謖が如何に無様な女でも、なにもない所でダイレクトリバースするわけにはいかない。
「中尉?」
崔弱たちが追ってきてしまう。
「来るな!!」
鮑謖が、心からの叫びを発したときだった──。
〈炎駒の法、焦熱榾〉
速い炎の小塊が鮑謖に肉薄した。
──!
ヂィィン──、バンッ!
鮑謖は咄嗟に杖をあわせ、炎は斜め後方へ往なされ、そこで爆ぜた。
「情報通りだ。〈聳孤の法〉で風の壁を作ったな」
「少佐。ほとんど溜がなかったように思います。こちらを発見して十歩か、そこいらです。かなりの使い手です」
臧超の言葉に、魔法使いが返す。
「ああ。だが、こっちも同じだ。いいか、風は間合いが狭い。相手の射程外から一気に迫る。お前は、味方が間合いに入りそうになる寸前を狙って、撃て。相手は溜めた魔力を防御に使う。で、次が溜まる前に接近戦に持ち込めば終わりだ」
臧超は自らの作戦を説示すると。
スゥーと大きく息を吸い、フーとゆっくり吐いた。
〈索冥の法、皓剛力〉
臧超を中心に、彼の麾下三十名が白く淡い光に包まれた。光は、彼らの体に吸い込まれるように小さくなり、そして見えなくなった。
臧超もまた魔法使いであった。それも、杖なしで行使可能な、上位のそれだ。
「よし、準備はいいな。いくぞ!」
臧超の合図で一団は、風の魔女目指して駆け出した。
(後半へつづく──)




