第19話 額を集める
──手際がいい・・
成嬰は、辛国軍の機敏な動きに、己が後手に回ったのを自覚した。
早馬を出したとき、他の騎馬も一緒に出していれば、敵の騎馬を突破して援軍を呼べていたかもしれない。
──いや、駆け合いでは不利か。
上手く早馬が抜けられれば良いが、そうでない場合、足の遅い砦の騎馬では、敵を振り切ることは難しいだろう。
「くそっ・・」
済んだ事を悔いても仕方がないが、省察しようと顧みても、成嬰には何が正解だったかわからず、ただ自身の不甲斐なさを感じるばかりであった。
「任されたというのに・・」
成嬰の軍歴は二十年。軍曹になってからは、隊長不在時には仮の指揮者でもあった。
飾りのような将校を支える、実質的な砦のリーダーと、兵たちには認識されていた。
そこにあらわれた鮑謖という魔女。
崔弱の言葉から、魔女が密命を帯びている可能性は考えたし、丘で辛軍を発見したときは、兵略家がやって来たのだと確信した。
しかし、敵を前に門を開け放って対峙する姿は、それが援軍が来るまでの演出だとしても、まさしく将の背中であった。
その光景に、青年に読んだ物語の名将、英傑の顕現を見た思いで、成嬰の心は震えた。
曹長となり正式に副隊長となった今も、仕事は変わらない。砦での立場も変わらない。
変わらないが──。
──意味合いが違う。
鮑謖に託されたという事実は、成嬰の中で大きな意義を持った。
大音声による降伏勧告がなされ、明日の朝まで待つとされた。
成嬰も、本格的な防衛戦は始めてであるのは勿論、敵は三百はあろうという数に加え、砦攻めの準備も十分なようで、梯子や縄なども確認されていた。
「どうすればいい・・」
一日は何とか耐えられるかも知れないが、二日目はたぶん無理だ。それは兵力差という観点もあるが、敵も恂門の軍営に察知されることは避けたいはずで、到着してから三日目が締め切りになると思われた。敵の指揮官は、それまでに決着を付けに来るだろう。
逆に言えば、二日耐えればいいことになるが──。
明日耐えるのがやっとと思われる現状、運否天賦の奇跡でもなければ不可能な話だ。
──中尉に何と顔向けすれば・・
成嬰は、鮑謖を思い浮かべ、最後のやり取りを振り返った。
「心配させまいと、繰り返していたな・・」
──!
自身の言葉を聞いた成嬰は、ハッとした。
成嬰は必死に過去を思い起こそうとする。が、すぐに──。
「いや、俺一人じゃ整理がつかない」
成嬰は、鮑謖の言葉に道標を感じたが、疾く頭を回す崔弱ならいざ知らず、自分では却って混乱に陥ると判断。何人かの兵を呼んで、情報を共有した上で考えようとした。
その呼ばれた兵の中には、鮑謖が一目置いた、先越がいた。
「なんでもいい。気付いた事があるなら言ってくれ」
成嬰は、思い出せる限りの鮑謖の言葉を伝え、皆に意見を求めた。
しかるに沈黙の時が訪れ、その流れは酷く遅かった。
成嬰が、まずは自分が何かを言うべきかと、考え出したとき──。
「僭越ながら、中尉は匪賊討伐の感謝状というものに、何らかの策謀を感じていたのでは、と思います」
言ったのは先越だ。
「続けてくれ」
成嬰の言葉に先越は頷くと。
「中尉が後翼に向かわれたときに、辛国が侵攻してくるというのは、タイミングが良すぎます。諜報も考えられますが、中尉自身の判断であること、辛軍の規模が三百なこと、砦攻めの準備が万端なことなどから、二国は連携、共闘関係にあるのではないでしょうか」
聞いた一同は、それぞれに小さく頷く。
「中尉はそれを予見していた。つまり招聘が罠の可能性を考えた上で、それでも後翼に行くことを決めた。中尉が繰り返し自分の心配は不要としたのは、罠への対処をされていたのかと。崔弱伍長をお連れになったのも、その関連ではと」
「なるほど・・」
成嬰は大きく頷くと。
「では、俺たちの側はどうか? 当然、砦の状況も予測されたはずだ」
「はい。恂門には既に援軍の準備がなされているかと思います。ですが、今回の急襲による封じ込めと、三百という数、そこまでは想定できなかったかと・・」
聞いた成嬰は目を伏せた。
全体としての動きは理解した。鮑謖の布石も打たれている。だが、相手がそれを上回ったという事だろう。そして、現状、自分たちには手立てがないのも、わかってしまった。
成嬰は、やはり自分の対応が遅れたからだと、自身を責めた。
さはさりながら、兵たちの心境は少し違っていた。
鮑謖の先見にあらためて敬服し、援軍の準備もあることに希望を持った。彼らは、時間さえ稼げば、勝利という未来がくると感じ始めたのだ。その辺りは、成嬰との視点の違いで、兵たちは三百という数に圧倒され、最初から負けを覚悟していた。
成嬰にとっては減少した勝機でも、兵士たちにはゼロから増えた勝機だった。
そのような心胆が影響したか。
「曹長。狼煙を焚いてみてはどうでしょうか」
一人が言う。
「いや、お前、ここからだと遠すぎて恂門には届かないだろ」
隣の者が言う。
「あー、やっぱ駄目か。なんか訓練してる部隊とかが、見つけてくんないかと思ったんだけど。流石に遠いか」
兵は頭を掻くようにして返し、それで少し笑いが起きた。
成嬰も頬を緩めたが、同時に皆の笑顔を見て、名状しがたい疼きを感じた。
そんな中。
「狼煙はやってみる価値があるかも知れません」
先越が言った。
集まる一同の視線。
「我々は、狼煙が難しいと思えますが、敵はそれで援軍の可能性を考えるやも知れません。すぐに無いと判断されるかもですが、少しでも警戒してくれればと・・」
聞いた皆は。
「たしかに、勘違いしてくれるかも」
「本当に誰かが発見してくれる可能性もあるしな」
「なんなら、そのままビビって帰ってくれてもいいけど」
最後のには大きく笑いが起きた。
成嬰は、兵たちの前向きな姿勢に心を動かされた。そして──。
──やれるだけ、やってからだ。
悔悟する過去とするには、まだ早い。
成嬰は自身に気合いを入れ直し、その意気は、兵たちに自然と伝播した。




