第17話 魔女の知嚢
御者は客に申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「うん。まったく問題ない。馬も生き物、体調の悪いときもある。私も酔いやすいから、むしろ助かったぐらいだ」
鮑謖は穏やかに返した。
鮑謖以下砦の一行は、後翼国東南の街、季酬に到着した。
道中、馬車が何度も止まり、その都度、休憩を強いられる移動となった。どうしてか、馬が早くバテてしまうのだ。
御者は車の心棒がおかしいのかと調べたりしたが、異常は見受けられず、油を差したりしたが改善はなかった。おそらく馬の調子が悪く、いつもより疲れが溜まりやすい状態と判断された。
ほとんど不可抗力で、誰の責任というものでもないが、御者は心苦しい感であった。
崔弱と護衛二名は、御者を咎めるどころか、感謝で応じる鮑謖の鷹揚とした姿に。
──流石は中尉。
と、そろって感銘を受けていた。
さはさりながら──、これには仕掛けがある。
馬が疲れるのは、別段、馬車や馬自身に問題があるわけではない。
原因は、鮑謖の持つ千鈞の杖である。かの杖は、名前がそうだからといって、本当に千鈞の重さはない。しかし重いのはその通りで、大人三人分は優にある。
馬車は一頭引きで、四人と少量の荷物までを想定しているが、千鈞の杖のせいで、実質七人以上が乗ってるような状態になっていた。
ならば端から二頭立ての馬車を用意すれば──、となるが、これこそ仕掛けで、鮑謖はわざと一頭のものを注文していた。
そして鮑謖の目論見通り、馬は疲れ、休憩が多くなった。
休憩では、持参した御嬶茶を飲んで酔いを消し、鮑謖は吐き気をもよおすことなく、無事目的地に到着することができた。
御者や、心振るわせた崔弱たちには申し訳ないが、全て鮑謖の打算の産物で、感謝の言葉も方便の類いである。マッチポンプとも言えなくない。
尤も、鮑謖にそこまでさせたのは、過去幾度も馬車を止め、御者を呆れさせ、ゲロまで吐いた苦い経験があるからだ。と、一応のフォローはしておく。
とまれ──。
季酬に着いたその足で、鮑謖たちは後翼の軍営を訪ねた。
──ものものしい・・
崔弱は後翼軍から、ただならぬ気配を感じ訝しんだ。
軍の施設である以上、ある程度の緊張感は常にあるのかも知れないし、国によって雰囲気が異なることもあろうかとは思う。指揮官によるところも大きいだろう。
しかし、それでも浮かぶのは。
──似ている。
という感覚。
崔弱が類比するのは、辛国軍との攻防を想定し弓矢を配備していた、あのとき。そして、隊長から賊徒の探索撃破が命じられ、出発の準備をしていた、そのとき、である。
それは他二人も同じだったようで、崔弱たちは互いに視線を交わした。
「ようこそ御出で下さいました。鮑謖中尉には、この度の招聘にお応え下さり、後翼軍の者として感謝の念に堪えません」
対応した男が腰を低くして笑顔で言う。
その慇懃たる振る舞いは、軍営を包んでいる空気の中で、極めて異質であると崔弱はみた。
男は鮑謖たちを広間まで案内しながら、中佐より感謝状と金一封が贈られる旨を説明した。
そして会場に着くと。
「杖は、こちらでお預かりしましょう」
と、言った。
これに鮑謖は。
「結構──」
短く返し、さっさと段取りの位置に行こうとした。
「お、お待ちを。感謝状を受け取るのに、杖は邪魔になるかと・・」
男は、相変わらずの笑顔で言うが、鮑謖は少し考えるようにしてから言った。
「いや──、たぶん、あぶないからね」
──!
崔弱は、鮑謖の言葉を聞いた瞬間の男の表情を見逃さなかった。同時に、広間にいる全員の気配、その変化も感じ取った。
これまでの様相に、先行を得意とする彼女の思考は、後翼軍が持つ敵意を洞察し。
──中尉を捕らえようとしている。
と、此度の招聘が、笑裏蔵刀の騙し討ちだと看破した。
加えて、崔弱は鮑謖の目的が感謝状にないことを知っている。鮑謖が高い裁量権を以て、敵意が渦巻く、ど真ん中にやってきた状況が、指し示すものは何か?
──罠に掛かったと思わせるため?
きっと鮑謖や、恂門の軍営は、後翼の敵対を見抜いていたのだろう。そして、その後翼が鮑謖を呼び出したということは、標的は砦になる。
しかし、そうなると少しおかしい。後翼からだと砦の位置は東に寄りすぎている。軍を動かすだけで恂門に察知され、背後を突かれる虞がある。
──辛国軍との共闘!?
崔弱は自得に至る。
おそらく敵の作戦は、後翼が鮑謖を呼び出し捕らえ、その隙に辛軍が砦を落とす算段だ。
そして、その策は、既に鮑謖の知るところに違いない。
──そういえば中尉は・・
『曹長は皆と共に、この砦の守りに集中して欲しい』と、鮑謖は言っていた。この事から、あらかじめ援軍の準備は整っているのかも知れない。
──じゃあ、私が指名されたのは?
鮑謖は罠と知った上で出向いた。彼女の実力は卓爾たるものなので、切り抜けることも可能なのかとは思うが、崔弱自身はそうもいかない。
荒事になれば足を引っ張りそうな自分、その役目は何か、崔弱は頭に血を回した。
──『たぶん、あぶないから』だと!?
後翼の将兵は、背中に冷たい汗を感じた。
それもそのはず、今この場で杖を手放さず、剰え『あぶないから』と言うからには、眼前の魔女は、自らの置かれた状況を理解し、その上で堂々とそれに対処しようとしている事になる。それはおそらく──。
『いつでも魔法を撃つ』
というメッセージであるだろう。
それはつまり。
──知った上で乗り込んできた!?
そう考えざるを得ない。
──どういうことか?
仮に目の前の若い魔女が自信過剰の豎子だったとしても、流石に罠とわかった所に、三人ばかりの供で乗り込んで来るとは思えない。
将兵たちは、魔女の得体の知れなさに、ただただ困惑した。
一方、魔女の方は、周りを気にした風もなく立ち位置につくと。
「どうぞ──」
さっさと始めろとばかりに催促した。
中佐たちは仕方なく、一応用意していた感謝状と金一封を渡し、魔女の様子を窺った。
魔女は、供の女に受け取った物を渡すと。
「私も何か言うべきかな?」
と、女に尋ねた。
「いえ、あとは私が──」
女はそう返した。魔女は頷くと中佐の方をむき直して頭を下げ、そのまま広間を出た。
必然、会場には供の女が残ったが、彼女は一度周囲を見回すと。
「友好国、汐径の軍人として、後翼の皆様にお伝えしておく事があります」
女はこう切り出すと。
「おそらく──、辛国軍は負けます」
──!?
「汐径は辛軍に対する備えを十分に行っています。次に砦が攻撃されたとしても、決して落ちることはないでしょう。我々は、その算段をした上で、あえて本日、ここに出向いた次第です。その意味を、友好国として確とご理解いただきますよう、切に願い、此度の招聘に対する感謝の言葉とさせていただきます」
なめらかに言って、頭を下げた。
女はそれで踵を返して広間を出たが、一同は、それを黙って見守る術しかなかった。




