第15話 籠漁
「う~ん。もうちょいか・・」
鮑謖は言って蜂蜜をスプーンに三分の一ほど掬い、お茶に加える。
「うん。イイ感じになった」
少量を注ぎ、一口飲んで鮑謖は満足そうにすると、ポットのお茶を自分と他二つのカップに均等に分けた。
「さっ、どうぞ」
「ありがとうございます」
「いただきます」
成嬰と崔弱は軽く頭を下げると、それぞれカップを口に運んだ。
「御嬶様は一発で味を決めてたけど、私はまだ修練が必要だな・・」
鮑謖はお茶を堪能しつつも自らの手際を分析した。
成嬰と崔弱は、鮑謖に呼ばれて執務室まで来て、今、お茶を振る舞われている。
なんでも、先日賊騒ぎがあった村で馳走になったお茶が気に入ったらしく、鮑謖は、それを売ってもらう事にしたのだという。また、同じ村の猟師が砦近くまで来ることもあると知ると、彼に手間賃を払う形で、お茶やら何やら、届けてもらうようにしたらしい。
本日、その第一包とも言える最初の荷が届き、鮑謖はその喜びを共有せんとしたのだろう。成嬰たちは、そのように解釈していた。
しかしながら、鮑謖の用向きはそればかりではなかった。
「えーとね。突然なんだけど、私、後翼国に招待されて行くことになったんだ」
「招待! もしかして、匪賊を討伐した関係ですか?」
「うん。流石だね伍長」
崔弱は勘良く察し、その敏とした思考に鮑謖は感心する。
「なんか感謝状をくれるらしい。まぁ、そっちはあまり興味は無いんだけれど・・」
「行くのは軍営の指示ですか?」
成嬰が確認する。
「いや──。向こうがどうするか聞いてきたから、私が行くことにした」
鮑謖は茶を飲みながら答える。
ここで例の如く誤解が生じた。
成嬰、崔弱は感謝状に興味が無いとした鮑謖の言を『他に重要な任務がある』という風に受け取った。更に、軍営ではなく彼女自らの判断というところに『高い裁量権』を感じた。
無論。これらは前提として、鮑謖が傑出した指揮官であるという誤謬に基づいている。
また、本営では後翼国に対して強い警戒心を持っていたが、現時点に於いて、公式には汐径との関係は敵対とはされていなかった。
このため恂門の軍営は、正規の外交手続きによってなされた招聘を通常通り処理し、本人に参加の意思があるかどうかの確認を行ったのだ。
皮肉なことに、本音と建前の誤差が、中央と地方の認識に齟齬を生じ、歯車は思わぬ方向へ動き出す。
「で、その関係という訳ではないんだろうけど。成嬰軍曹は、曹長に昇任することになった」
鮑謖はそのままのトーンで言う。
「はっあッ、ありがとうございます。こ、今後も──」
唐突な人事発表に、さしもの成嬰も、動揺を抑えきれなかったようだ。
「ああ──、挨拶は皆の前でやってもらうから、なんかイイ感じの用意しておいて」
「はっ、了解しました!」
「おめでとうございます」
「ああ・・」
崔弱の祝意に、成嬰は照れたように頷く。
これはこれで、いい雰囲気であったが、鮑謖は特に余韻を与えることなく。
「うん。そういう訳で、辞令の交付に関しての段取りの相談をしたいんだ」
と、二人に本題を提示した。
雁去病が議場に入ると。
「大佐殿は、随分のんびりしてるな」
声が掛かる。
「臧超か?」
「なんだよ、俺がいちゃおかしいかよ。今や俺も少佐だ。会議ぐらいでるさ」
「いや──」
雁去病は臧超を相手にせず席に着いた。
臧超の言葉が正しい訳ではないが、事実として雁去病が最後の出席者であるのは違いない。
「早速だが、直近の事について話したい。先日、汐径より越境の件と匪賊討伐に関する書状が来たのは知っているかと思う。一部の者には事後報告という形になって、申し訳なく思うが──。この度、汐径北部の砦の指揮官を、匪賊討伐に感謝するとして招くことが決定した」
言ったのは准将の一人、臧勤。彼は臧超の父でもある。
「フッ──、一部ね・・」
雁去病は小さくつぶやく。
おそらく臧勤の言葉は、部分に焦点を当てた方ではなく、全部ではないという意味であろう。極論、九割でも一部と言えば一部。言わずもがな、雁去病もその一部に入る。
「無論、只の謝辞ではない。砦の隊長を誘き出し、その間に辛国が砦を攻め落とす算段になっている。今度は何かの誘導を狙ったものではなく、砦自体を確実に、そして完全に占拠する。辛軍は、そこを最前線の拠点とし南進の構えを取る。我等は、恂門が即奪還に動くなら恂門を。援軍を待って砦を攻めるなら、その背後を突く。いずれにしても、辛軍が砦を占拠した時点で、後翼と汐径の関係は戦争状態に移行する」
臧勤はそのように言い、多少のざわめきが起きた。
──彼らも一部にされた者か。
雁去病は思ったが、彼自身は特にリアクションは取らなかった。
それは雁去病が、どの派閥にも属さぬ者であったのも理由の一つだ。
後翼軍は将軍を頂点とし、三人の准将がその下にいる。
三准将の下には、望むと望まざるに関わらず派閥があり、その影響力が、次期将軍という立場に直結している。
現在、将軍は実質的に勇退したような状態で、三勢力は自陣営の拡大に躍起になっている。
此度の臧勤准将による専行は、ここで戦争への流れと、そこに至る作戦を先導することで、次期将軍レースに先行する意図があった。
今し方のざわめきは、単なる驚き以上のものを含んでいたのだ。
雁去病は、それらの一員と見做されることを避けた。
「たかが守備隊の指揮官に、大仰するぎるのではないか? 作戦とはいえ騙し討ち、笑裏蔵刀か口蜜腹剣の卑怯者と謗りを受けることになろう。それを甘んじてまで実行するに値するのか。甚だ疑問だ」
他の派閥の者かどうか定かでないが、斯様な異議も飛んだ。
これに臧勤は。
「汐径で匪賊が討たれたのと同じ時分、件の隊長を調査していた辛国の諜報員が消息を絶った。幸い、その方面からの情報漏洩は無く、おおかた隊長に殺されたか、捕らえられそうになって自決したと見られている。先の戦闘では、こちらの作戦を頓挫させ、その上で辛国軍を壊滅させる働きをした者だ。目端が利く、優れた指揮者であるのは勿論。自身は魔法使いで、辛軍の放った魔法を跳ね返したことなどから、かなり上位に位置する者と考えられる──。今、たかがとあったが、二十人相当を越える戦力と、卓越した指揮能力、両方を兼ね備えている者だ。少し大げさなぐらいで丁度良い」
と、朗朗と返した。
「しかし、またぞろ辛国を出端とするのはどうであろう。命運を人任せにするみたいではないか」
「ハハッ──。それを言っては共闘など成り立たぬわ」
別の指摘には、臧勤派の者が応じたようだ。
この後も、幾つか異論は出たが、決め手となるような意見もなかったことから、臧勤准将たちが推し進める作戦は追認された。
雁去病は、作戦に関して、特に賛成も反対もなかった。彼としては単に──。
──私の趣味ではない。
と、思い。良くも悪くも作戦への興味を失っていた。
しかるに雁去病は、臧勤の語る砦の指揮官について考えた。彼も前回の作戦には参加していただけに、その因果については関心があった。
当初は敵に動きが洩れたかと考えたが、実際は、その手の話ではなく。砦の指揮官が、何らかの方法で辛軍を察知し、適宜先手を打って対応した結果であった。一つ二つ幸運が重なったとしても、容易に出せぬ戦果でもある。
また、三十数名に減ったとはいえ、後翼軍が五百の兵で殲滅できなかった匪賊を、一網打尽にした手腕も見事である。後翼が四倍の戦力を以て、賊の三割を取り逃がしたのに対し、汐径の砦は、二倍にも届かない戦力差で賊を全て倒した。
──本当に来るのか?
臧勤の口ぶりだと確定事項であったが、あらためて件の隊長を考えると、感謝状をもらいに、のこのこと出てくる人物には思えなかった。
そういう意味でも──。
雁去病には、やはり作戦のありようが趣味に合わず、彼は嫌気を感じ、それ以上考えるのをやめた。




