婚約破棄された『魔力ゼロ』の聖女ですが、国の結界を維持していたのは私です ~暴虐公爵様に「もう手遅れだ」と溺愛されても、今さら国が滅びそうと言われても知りません~
「アイラ・フォン・ベルン。貴様のような『魔力ゼロ』の無能女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
王立学園の卒業記念舞踏会。
シャンデリアの輝きがかき消されるほどの大声で、この国の王太子ロイド殿下がそう宣言した。
音楽が止まる。
数百人の貴族たちの視線が、ホールの中央に立つ私――アイラと、ロイド殿下、そして彼の腕にべったりと張り付く桃色の髪の少女に向けられる。
「ロイド様ぁ、凄いですぅ! ついに言ってくださいましたのね!」
「ああ、ミミー。待たせてすまなかったね。これからは君のような『真の聖女』こそが、未来の王妃にふさわしい」
ロイド殿下は、勝ち誇った顔で私を見下ろしている。
隣のミミー様と呼ばれた男爵令嬢は、扇子で口元を隠しながらも、その瞳は嘲笑で歪んでいた。
……ああ、やっと終わるのですね。
私は、怒りも悲しみもなく、ただ静かな安堵を覚えていた。
幼い頃から「魔力なしの面汚し」と実家で虐げられ、王家との契約結婚のためだけに生かされてきた日々。
私が毎日、血を吐くような思いで何をしていたかも知らずに。
「聞こえているのか、無能女! 貴様は王家からの支援を食い潰すだけの穀潰しだ。直ちに国外へ追放する!」
「――承知いたしました」
私はカーテシーのために膝を折らず、真っ直ぐに殿下を見据えた。
これまでは王命に従い、頭を下げ続けてきた。けれど、もうその必要はない。
「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。……ただし」
「なんだ、往生際の悪い!」
「私が国外へ追放されるということは、王家と我が家の『契約』も白紙に戻るということでよろしいですね?」
「当たり前だ! 貴様のような無能と結ぶ契約などない!」
言質は取った。
私は左手の薬指にはめていた、古びた銀の指輪に手をかけた。
亡き母から受け継いだ、魔力制御のためのリミッター。
これを着けている間、私の膨大な魔力はすべて、この国の国境を守る『大結界』へと自動供給されている。だからこそ、手元の魔力測定器では常に「ゼロ」と表示されていたのだ。
「では、本日をもちまして――国境の結界維持も、解約させていただきます」
私は、指輪を引き抜いた。
カラン、と乾いた音が床に響く。
その瞬間だった。
――バギィィィィィィッ!!
雷が落ちたような轟音が、夜空を引き裂いた。
ホールの窓ガラスが一斉に振動し、貴族たちの悲鳴が上がる。
「な、なんだ!? 地震か!?」
「空を見ろ! 空が……割れている!?」
窓の外、美しい星空に、どす黒い亀裂が走っていた。
まるで卵の殻が割れるように、国を守っていた見えざる盾が崩れ落ちていく。
同時に、私の体から溢れ出した魔力が、黄金の光となってホールを埋め尽くした。
「な……っ!? なんだこの光は!?」
「眩しい! 目が焼ける!」
「まさか、これがあの無能女の魔力だというのか……!?」
ミミー様の小さな灯火のような光魔法とは比べ物にならない、圧倒的な光の奔流。
ロイド殿下は腰を抜かし、パクパクと口を開閉させている。
「ひ、光が……ま、待て、アイラ! 話を聞け! これはどういう……」
殿下が私にすがりつこうと手を伸ばした、その時。
ドォン!
黒い軍靴が、私と殿下の間に踏み込まれた。
床石がひび割れるほどの衝撃と共に、凍てつくような殺気がホールを支配する。
「――触れるな」
地獄の底から響くような低音。
漆黒のマントを翻し、私の前に立ちはだかったのは、現国王の弟であり、国最強の魔導師と恐れられる『暴虐公爵』――ゼクス様だった。
「ゼ、ゼクス叔父上……?」
「ロイド。貴様、今なんと言った? アイラを追放する、と」
ゼクス様は私を背に庇いながら、ゴミを見るような目で殿下を見下ろした。
その背中は広くて、温かい。
今まで誰にも守られたことのなかった私が、初めて感じる「守護」の壁。
「け、契約は成立したぞ。アイラはもう、この国の人間ではない」
「っ、しかし叔父上! この魔力があれば国が……!」
「黙れ」
一言で、殿下の言葉が封殺される。
ゼクス様はゆっくりと振り返り、震える私を見つめた。
その瞳は、先ほどの冷酷さが嘘のように、甘く、熱く、溶けるような情熱を湛えていた。
「アイラ。……やっと、手に入った」
「え……?」
「ずっと待っていた。貴様らがこの宝石の価値に気づかず、自らドブに捨てる瞬間をな」
大きな手が、私の頬を包み込む。
「俺が貰い受ける。文句のある奴は――俺が消す」
ゼクス様の腕に抱かれたまま、私は王城を後にした。
待機していた公爵家の馬車に乗り込んでも、彼は私を膝の上から降ろそうとしない。
「あ、あの……ゼクス様。もう追手はいませんし、降ろしていただいても……」
「断る」
「え?」
「俺は十年待ったのだ。一秒たりとも離すつもりはない」
ゼクス様は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、私の左手を取った。
指輪を外したばかりの薬指には、長年の締め付けによる白い跡が残っている。
彼はその跡を、愛おしそうに、そしてどこか痛ましげに親指で撫でた。
「……痩せたな。それに、この手はなんだ」
彼が視線を落としたのは、私の指先だ。
ペンだこや、紙で切った無数の細かい傷。魔力制御の特訓でできた火傷の痕。
伯爵令嬢の手とは思えないほど荒れている。
「汚い手で申し訳ありま――」
「誰が謝れと言った」
ゼクス様が低い声で唸り、私の言葉を遮る。
そして、あろうことか、その荒れた指先に唇を落とした。
「っ!?」
「よく耐えた。……辛かったろう」
その声の響きがあまりに優しくて、私は息を飲んだ。
魔力がないから。無能だから。
そう言われて、地下の資料室や結界の制御室に閉じ込められ、来る日も来る日も国のために魔力を絞り出し続けてきた。
誰も見ていなかった。誰も褒めてくれなかった。
なのに、この人は。
「……ゼクス様は、知っていらしたのですか?」
「俺の魔眼は、本物しか映さない。あの城で輝いていたのは、貴様だけだった」
熱いものがこみ上げてきて、視界が潤む。
彼はハンカチを取り出すと、乱暴ながらも丁寧に私の涙を拭った。
「泣くな。これからは俺が全て与える。ドレスも、宝石も、自由も、愛も。貴様が望むもの全てだ」
「……私は……」
「言ってみろ」
私は、震える声で紡いだ。
「……眠りたいです。泥のように、何も心配せずに」
「ああ。任せておけ」
馬車が公爵邸に着く頃には、私は長年の緊張が糸切れたように、彼の胸の中で深い眠りに落ちていた。
◆
目が覚めたのは、ふかふかの天蓋付きベッドの上だった。
窓の外を見ると、空の色がおかしい。
かつて青かった空は、毒々しい紫色に淀み、遠くで雷鳴のような音が響いている。
結界が消えた影響だ。
「起きたか」
部屋の扉が開き、ゼクス様が入ってきた。
手には湯気の立つカップを持っている。甘いホットミルクの香りがした。
「状況はどうなっていますか?」
「最悪だ。国境付近の魔物が活性化し、王都へ向かって進軍を始めている。空の亀裂からは瘴気が降り注ぎ、弱い者は立っているのもやっとだそうだ」
ゼクス様はこともなげに言い、私のベッドサイドに腰掛けた。
カップを私の手に握らせ、冷えた指先を包み込む。
「ロイドと王家はパニックだ。偽聖女ミミーに結界を張らせようとしたらしいが、当然無理だ。あいつの魔力など、懐中電灯にもなりはしない」
「……そうですか」
「戻りたいか?」
試すような瞳が、私を覗き込む。
私は首を横に振った。
「いいえ。契約は終わりました。国がどうなろうと、私を捨てた彼らの責任です」
「いい答えだ」
ゼクス様が満足げに笑った、その時だ。
屋敷の外から、拡声魔法を使った下品な怒号が響いてきた。
『出てこいゼクス! アイラを返せ! これは王命だ!!』
ロイド殿下の声だ。
窓から下を覗くと、王室騎士団を引き連れた殿下が、公爵邸の門をこじ開けようとしているのが見えた。
「……チッ。害虫が」
ゼクス様の瞳から温度が消え、絶対零度の殺気が部屋を満たす。
彼は立ち上がり、私の肩に黒いマントをかけた。
「行くぞ、アイラ。最後の清算だ」
◆
公爵邸の前庭。
対峙したのは、豪華な鎧を着ていても顔面蒼白のロイド殿下と、その後ろで震えるミミー様。
そして、悠然と腕を組んで立つゼクス様と、彼に寄り添う私。
「やっと出てきたか! さあアイラ、今すぐ指輪をはめろ! 結界を張り直すんだ!」
ロイド殿下は開口一番、謝罪もなくそう叫んだ。
空にはすでに、ワイバーンの群れが黒い点となって現れ始めている。
「お断りします」
「は……?」
「先ほど申し上げた通り、契約は破棄されました。私はもう、王家の道具ではありません」
「ふざけるな! 国が滅びるんだぞ!? お前には慈愛の心がないのか!」
「慈愛?」
私は思わず笑ってしまった。
乾いた、冷たい笑い声が喉から漏れる。
「私の魔力を搾り取り、食事も与えず、地下室で酷使し続けた方々が、『慈愛』を口になさるのですか? ミミー様を真の聖女と崇め、私を無能と罵って追放したのは、他ならぬ殿下ではありませんか」
「そ、それは……ミミーが聖女だと思っていたからで……! 間違いだったんだ! お前が本物なら、やり直してやる!」
「『やり直してやる』、か」
隣で聞いていたゼクス様が、一歩前に出た。
ただの一歩。それだけで、騎士団の馬がいななき、数人が恐怖で腰を抜かす。
「ロイド。貴様は勘違いをしている」
「な、なんだ!」
「アイラを追放したのは貴様だ。つまり、国の守りを破壊したのは貴様だ。貴様こそが、国家反逆罪の首謀者なのだよ」
「ひっ……!?」
「その責任を棚に上げ、私の婚約者に触れようとするならば――この場で灰にする」
ゼクス様の掌に、漆黒の魔力球が浮かび上がる。
本気だ。この人は、王族相手でも容赦なく消し飛ばす。
「ひ、ひぃぃっ! ま、待ってくれ! だが魔物が! ワイバーンが来るんだ! このままでは王都が……!」
殿下の指差す空。
黒い影が急降下してくる。王都の防衛結界はすでにない。このままでは、市民に甚大な被害が出る。
ロイド殿下たちはどうなってもいい。けれど、街の人々に罪はない。
私は、ゼクス様の袖をきゅっと掴んだ。
彼はすぐに私の意図を察し、視線を合わせてくれる。
「どうしたい、アイラ。お前が決めることだ」
「……国のためには、使いません」
私は殿下ではなく、ゼクス様を見て言った。
「でも、あなたの領地が、あなたの屋敷が傷つくのは嫌です。……ここを、私の新しい家にしてもいいのなら」
「許すも何も。ここは最初から、お前の帰る場所だ」
その言葉だけで十分だった。
私は一歩前に出ると、両手を空に掲げた。
指輪はない。リミッターはない。
体中の魔力回路が歓喜の歌を歌っている。
「――『聖域展開』」
カッッッ!!
私の体から放たれたのは、細い光線などではない。
視界を白く染め上げる、爆発的な黄金のオーラ。
それは巨大なドーム状となって公爵邸を中心に広がり、王都全体を飲み込んでいく。
迫っていたワイバーンの群れが、光に触れた瞬間に浄化され、塵となって消滅した。
淀んだ紫色の空が、一瞬にして澄み渡る青空へと塗り替えられていく。
「な……な、なんだこれは……」
「すげぇ……」
「女神様だ……」
騎士たちが武器を取り落とし、呆然と私を見上げている。
ロイド殿下とミミー様は、あまりの光量に目がくらみ、地面にへたり込んでいた。
私は魔力を放出しきり、ふらりと体が傾いた。
「っと」
倒れる前に、たくましい腕が私を抱き止める。
ゼクス様だ。
彼は衆人環視の中、私を横抱きに抱え上げると、ロイド殿下たちを見下ろして告げた。
「見たか。これが、貴様らが捨てた『無能』の正体だ」
「あ、あぁ……アイラ……戻ってきてくれ、頼む……!」
ロイド殿下が地面を這いずり、手を伸ばしてくる。
だが、ゼクス様は私を高く抱き上げたまま、鼻で笑った。
「残念だが、手遅れだ。この聖女の守護対象は、たった今『俺個人』に書き換えられた」
「そんな……っ!」
「二度と俺の妻に近づくな。――失せろ」
ゼクス様が風圧だけで殿下たちを門の外へ吹き飛ばすと、公爵家の鉄門が重々しい音を立てて閉ざされた。
◆
その後、王都はどうなったか。
私の張った『個人用聖域』のおかげで、街は平和を取り戻した。
しかし、その功績はすべて「ゼクス公爵とその婚約者」のものとなり、ロイド殿下は「聖女を追放して国を危機に晒した愚王太子」として、廃嫡が決まったらしい。
ミミー様も経歴詐称がバレて、どこかの修道院へ送られたとか。
けれど、そんなことはもうどうでもいい。
今の私にとって一番の重大事は、目の前の状況だ。
「ゼクス様、あの……近いです」
「遠いくらいだ」
日当たりの良いテラス。
私はゼクス様の膝の上に収まり、あろうことか「あーん」をされている。
使用人たちが微笑ましそう(生温かい目)に見守る中、国最強の魔導師様は、とろけるような甘い顔で私にクッキーを差し出してくるのだ。
「ほら、口を開けろ。もっと太らせないと、ドレスが似合わん」
「もう十分頂きました……!」
「なら、口直しだ」
クッキーの代わりに、彼の唇が落ちてくる。
深くて、甘くて、長い口づけ。
息が続かなくて私が彼の胸を叩くまで、それは終わらない。
「はぁ……っ、ゼクス様……」
「愛している、アイラ。お前が俺を見る以外のことなど、もう二度と許さないからな」
その瞳は、独占欲という名の檻のように私を閉じ込めている。
けれど不思議と、その檻はとても心地よかった。
魔力ゼロの無能聖女はもういない。
ここには、世界一愛が重い公爵様に溺愛される、幸せな花嫁がいるだけだ。
お読みいただきありがとうございました!
「ざまぁ!」「スッキリした!」「公爵様の溺愛最高!」と思っていただけたら、
下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆の励みになります!
アイラちゃんの幸せな新婚生活、もっと書きたくなってしまうかも……?




