3話 兄弟喧嘩
「わぁー。すごい!地面ってこんなに柔らかいのね!」
「いちいちそんな事で驚かないでくだせぇ」
「あ!」
「どうされました!?」
「地面がふかふか。こんなに暖かいなんて……あ!虫よ!触っても大丈夫かしら」
「……え?」
「ねえ、あっちは全部空よ!お日様に包まれてみたいんだけど……いい?」
「……はあ、あんまり目立たねぇくだせぇ。頼みますぜ……」
馬車に乗るだけだというのに、このはしゃぎよう。ずっと一人で塔の中に幽閉されていたというから、野獣の様な娘を想像してたのだが……。
暴れられるよりはマシだが、先が思いやられるぜ。
退職を控えた御者は、連れである、任命されたての護衛騎士に視線を送った。その護衛騎士はというと、始めて見る禁忌の娘に早くも心を奪われている様子。
「これが化け物か?ミリア嬢とは大違いじゃないか」
ショールで顔の大半を覆ってはいるが、透ける様な白い肌に銀糸の髪、みずみずしい赤い唇までは隠せない。エルフの娘など目に入れる機会はないのだから仕方ないとは思うが……たまにやって来る踊り子に出会わない限りはな。
「しかし、こんな馬車で本当にいいのか?」
ボロボロの馬車に、慌てて色を加えただけ。一見豪華には見えるが、乗り心地は最低だろう。気の毒に思ったのか、護衛騎士がクッションをかき集めてきた。
◇◇◇
フィオラは初めての外出に心躍らせていた。
塔に人が入って来た時は、どんな酷い事をされるかと警戒していたけど、予想に反して扱いは悪くなかった。
温かいお風呂に、いい匂いのするオイル。髪を整えられたかと思うと、身体中を磨かれた。この世界にもプロのエステシャンがいたのね。
「みんないい人ね!私なんかの為にありがとう!」
「いえ……お気遣いなく……」
みんな目を合わせてくれなかったけどね。
さすが私!化け物は伊達じゃないわ!
それからミリアのドレスを合わせられ……全部大きすぎるって騒いでたけど、双子でそこまで体格差ある?
トランク1つ、全て詰め込んだ途端、思い出したかの様に、行先が告げられた。
聖国ルークで行われるパーティに参加してこいだ?
いきなりハードル高くない?
ふふっ、しかし原作を読んだフィオラは知ってるの。フィオラが、そのパーティに出席する事はないって事を!
原作の中のフィオラは自由を求めたんだろう、ルーク王国に入った途端、馬車から飛び降りると、あと先も考えずに逃亡したのだ。
だけど案の定というか……すぐに捕まってしまい、忌み子が送られてきた事に気が付いたルーク王国の聖騎士団によって、その場で処刑されてしまうんだよね。
その後、忌み子によって聖地が穢されたと、ルーク王国は激怒。
フィオラの死で全て帳消しだとした平和主義の第1王子ローランに対し、リーン王国に戦争を仕掛けたい第3王子ダミアンとの間で喧嘩となり、結果、第1王子が負けて、使い魔にされてしまうの。
まあ、その第1王子ローラン・ルークこそが、”ワタ彼”の彼で、主人公ミリアの使い魔となって彼女を支えるのだけど……。
問題は、フィオラが忌み子である限り生きていくのは難しいって事。塔から出られたとしても、すぐに殺されてしまう運命なの!
そこでフィオラは考えた。
まずは、闇雲に逃げたりせず、顔を隠してミリアを装い、生き延びる事。そして、喧嘩を始めた第1王子と第2王子の間に入って、第1王子の代わりにフィオラが使い魔になるの!これしかない!!
原作を知るフィオラが使い魔になれば、ミリアを助ける事もできるし、第1王子様が殺されなかった事で、戦争を企む第2王子を抑えられ、世界平和が保たれるんじゃないかしら?
ガッツリ原作を変えちゃうし、ミリアに恋は訪れないかもしれない。でもフィオラが生き延びるにはこれしかないのよ!
とりあえず今は……。
フィオラは外に出る事は勿論、馬車の窓にもカーテンを引いて引きこもった。いつか生き延びる事が出来たら、思いっきりこの世界を堪能すればいい。だから、今は我慢……なんだけど。
これが見納めになるかもしれない。つい弱気になって、こっそり外を覗き見てしまうのは許して。
初めて自分の目で見る街の風景は、なんて言うんだろう……全てが大きくて瑞々しくて熱を帯びている気がした。活気って言うの?生な世界は、飲み込まれそうなくらい、音と匂いと彩に満ちていた。
やっぱり遠目で見るのとは全然違う。ストリートビューじゃ、この空気感は感じられない。
「みんな、キラキラしている……」
それがどうしようもなく羨ましくて。フィオラは今すぐ飛び出して行きたい気持ちを、必死に抑えなくてはいけなかった。
幾つもの街を通り抜け、夜は森の中で野営した。フィオラは殆どを馬車の中で過ごしたけど、食事を分けてくれた御者さんと騎士様には、ちゃんとお礼を言えたし、少しは仲良くなれたと思う。
フィオラは、このほんの少しの旅の間が、今まで生きていた中で1番、生きている!って感じていた。健康って素晴らしいわね!
それから数日後。フィオラ達は聖国ルークに到着していた。
リーン王国も、国と呼べる程大きくはないとは思っていたけど、半島ユグドラルの先端に位置する目的地ルーク王国はもっと小さな国だった。
ルーク王国の首都には、ユグドラルに人々を導いた冒険者の1人、魔法使いルークの築いた大神殿がある。
高い位置に見えるその大神殿の周りに都市が出来たって感じなのだけど、参拝者が後を絶たないせいか、国は潤い、人々は皆、幸せそうに見えた。中でも神殿に近い貴族街は素晴らしく、とっても洗練された印象の建物が多くて、こっそり眺めるだけでも十分楽しめた。
そして、フィオラの乗るボロ馬車は城門で止められ、案内役の聖騎士様によって誘導されることしばし。フィオラが連れられて来たのは、まさかのその大神殿だった。
「さあ!降りろ!!」
神殿に入って早々、馬車は何やら強面の神官に囲まれ、物騒な雰囲気に。フィオラは引きずり下ろされると、ショールを巻いたまま神殿の奥へと連行されて行った。
強面の神官によって差し出されたのは、美しい見姿の貴人の前。
傾国の美女っていうの?
スタイルがいいだけじゃない。綺麗な金髪をサラリと肩に流してて、振り向いたそのお顔も絶品!スッとした目元に、虹彩を散らした様な緑の瞳を持つ、絶世の美……男の前だった。
折しもそこは祭壇の前だ。その神々しさに神様が降臨しちゃったのかと思ったよ。
ああ。この人が、”ワタ彼”の彼である王子様に違いない。その名も、ローラン・ルーク第1王子様だ!
「これは……どういう事か説明してもらおうかな」
ローラン王子は、その星の散る緑の瞳で、神官を窘めるように見つめると、怪しいショール姿のフィオラにおっとりとした口調で話しかけてきた。
「えっと、確認だけど……。君はマックリーン家の娘で間違いないよね?でも、ミリア・マックリーン嬢ではないと?」
生き残る為には、私がミリアです!って言うべきなんだけど……。
神様の前で嘘をつけるほど、フィオラは厚かましくなれなかった。
「うん、ミリアじゃないよ」
「貴様!殿下にその様な口を聞くとは!」
速攻、神官さんに怒られた。ごめんなさい。まだ殺さないで下さい。
でも、目の前のローラン殿下は、スっと片手でそれを制した。
「ああ、いいんだ。噂が正しければ、彼女は15年間、
外に出た事がないはずだから」
フィオラは引きこもりを指摘され、ちょっと頬を赤らめた。
「お恥ずかしい事ですが……」
するとローラン殿下はふわりと笑った。右目の泣きぼくろがなんとも悩ましい。
「ふふっ、恥ずかしがる事はないよ。それよりまずはお礼を言わせてくれないかな。遠い所まで来てくれてありがとう。本来なら迎えを寄越すべきだったのだけど、あまり大仰にしたくなくて……本当に申し訳なかったね」
そう言い綺麗なお辞儀をした。美しい金髪が目の前にサラリと流れた。
ザ、王子様!!これぞファンタジー!
フィオラが塔から出る事が出来たのはこの人のおかげ。
おめでとう!あなたが白馬の王子様です!!
「それでどうだい?この国は好きになれそうかな?」
ローラン殿下は、優しくフィオラの手を取ると歩き出した。
え?いきなり感想?
目深にかぶったフードで、まだ言えるほど見れてない。現在進行中で殺されるかどうかの瀬戸際だし余裕もない。
でも、そうね……。フィオラはそっと辺りを見渡す。
天井から床まで豪華な装飾の施された神殿内に、表情のない彫刻と厳つい神官と厳しい表情の聖騎士様が一緒に並んでいた。
「めっちゃ綺麗だけど、ちょっと冷たい感じがするわ」
主にこの部屋にいる人達の視線がね。神官に聖騎士様まで、神殿の中だというのに慈愛の心が足りないんじゃない?
他にも人はいたけど、皆、身なりのいい貴族っぽい人達ばかりで、たびれた格好のフィオラは場違いもいいとこ、完全にアウェイだった。
「神殿って、もっと人々に寄り添うものだと思ってたよ。花が飾ってあったり、果物がそなえられていたりして……誰にでも開かれていて、いつでも助けを求められる場所だって思ってた」
ここは確かに素晴らしい神殿だ。でも、癒しに関しては、フィオラの塔から見えた、小さな教会の方が素晴らしい。
「殿下、今すぐ締め出しましょう!」
聖騎士様に怒られた。調子に乗りました!ごめんなさい。
「ふふ、素敵な意見じゃないか。今すぐに開放は難しいかもしれないが、花はいいね。……皆の者!聞いたか?早速取り入れるように!」
速攻指示。王子様は仕事も早い。
「……はい」
聖騎士様は渋々腰を折った。申し訳ないです。
不服そうな部下達を他所に、ローラン殿下はニコニコしながらフィオラの顔を覗き込んできた。……ヤバい。そんなに見ないで。化けの顔がバレるから。
「誤魔化しのない真っ直ぐな瞳に、物怖じしない強かな心。とても15年も幽閉されていたとは思えないな。……気に入ったよ。是非とも君を迎えさせてくれ」
「……ん?」
迎える?何処に?
……なんて、聞いてる暇はなかった!
ここで突然、ドタドタと完全武装集団が乱入してきたからだ。
教会の中に物々しい装備の騎士様が数十人、剣を抜きつつ入ってきた。その中心に立つのは、傾国の美女とは真反対なガッチリ系ボンボン。ボンボンって感じがするのは、その男の人が、金で人を黙らせるタイプだと分かる格好をしていたからだ。
この人が第2王子に違いない!その名も暴虐王子ダミアン・ルークだ!
「うわぁ……派手ですな。眩しくて目がやられそう」
思わず出た感想にも、ローラン殿下は素直に反応してくれる。
「ふふっ。その通りだね。でも、ゴメン。君を巻き込んでしまうかもしれない……」
私と王子様って、意外に気が合うね!
なんて言っている場合じゃない。これが”ワタ彼”の重要なイベントの始まりだからだ。
原作では、死んだフィオラの頭がここで登場!王子様の前に投げ捨てられるという、なんともグロいシーンが繰り広げられるのだけど。
見てください!フィオラはまだ生きてますよ!
「兄上!まさか、その娘がリーン王国から送られて来たのか!?」
ボンボンはフィオラのショールを無理やり剥ぎ取ると、驚愕の表情。いや、そんなに驚かなくても……まだついてますって。
「可愛い子じゃないか。どうだい?ダミアン。僕のお嫁さんにピッタリじゃないかな?」
……え?ローラン殿下?目、腐ってない?
「ローラン兄様は知っているのか?その娘は双子の片割れ、禁忌の娘だぞ!」
「禁忌の娘という言い方は良くないし、双子の片割れと言うなら、ミリア嬢もそうじゃないかな?」
「屁理屈を!いいか?今入った情報だと、マックリーン王は、愛娘の方をダインに送ったらしいぞ!これはリーンがダインと手を結んだと言うことに他ならない。今すぐ、その娘の頭を送り返し、抗議してやる!」
問題は、その頭を見たリーン王国の人達が、え?この子、誰?ってなるかも知れないって事よ。そう思ったのは殿下も同じだったらしい。
「僕のお嫁さんは、頭の付いた状態の方が、より魅力的だと思うんだ」
「嫁だと?この忌み子が?」
「ダミアン、その言い方は失礼だ。彼女に謝ってくれないかな?」
挑発はだめよ!ローラン殿下。このままじゃ原作通り、貴方が斬られちゃうから!
しかも、その喧嘩の原因がフィオラだなんて……!なんか申し訳なさ過ぎるっ!
「二人とも!私のせいで争わないで!」
ここでフィオ、頑張って2人の間に割って入ってみたけど……。
ごめん。イケ女を取り合うラブイベントっぽくなっちゃった!
2人は固まってフィオラを見ている……いたたまれない。
「ふふ、僕は争う気なんてないんだよ、ダミアン。廃太子だとはいえ、僕は王子だ。その僕が彼女を受け入れたとなれば、三国の関係も保たれる。君もそれを望んでいたはずだし、問題はないはずだよね?なのに、今、君が抗議するのには、何か他に理由があるんじゃないかな?」
あ、受け入れちゃうんだ。懐深いね。
すると弟君は、恐ろしく顔を歪めた。
「……くっ!兄上がその様な姿勢だから他国に舐められるんだよ!このままでは、ルーク王国の未来が危ぶまれる!」
そう言うと、おもむろに剣を抜いたのだ!
――白銀の柄に繊細な細い刀身がキラリ。
これが聖剣ルークセイバー。原作で、”ワタ彼”の彼を使い魔にした剣だ。
これに斬られればフィオラも晴れて使い魔になれる!って訳なんだけど。
ゴクリ……。
本当に大丈夫!?フィオ、死んじゃわない?
「ダミアン、何度も言うけどね。聖剣ルークセイバーは魔法使いルークの剣。その持ち主は癒しの力を得ることができる。故に、それは人を殺す剣ではなく、生かす剣なんだよ」
「ああ、何度も聞いて知っているさ。エルフの国ユグドの王リジルは、自ら鍛えた三本の剣を、仲間に贈ったんだ。リーンとダイン……そして、ルーク。このユグドラル三国の建国者にね」
ボンボン……改、弟ダミアンは、剣を片手に何故か不適な笑みを浮かべている。猟奇的な笑みだ。まるでドラマのワンシーンね。間に立ってるというのに、2人の視界にも入れない小さなフィオラ以外は!!
「戦士ダインの魔剣ダインスレイブは、魔物しか斬れない剣だ。リジルの双剣リーンリジルは双剣なのに1本しか残ってない。だが、魔法使いルークの聖剣ルークセイバーは違う。兄上も触れば分かるはずだ。この剣は善人には癒しを与えるが、罪人を斬れば、魂さえも残さず消し去る事が出来る。この剣は裁きを与える剣なのだ!」
「それは違うよ、ダミアン。その剣は人を斬る為のものではないのだから。王族にしか扱えないよう、魔法がかけられているのはその所為であり、王族である我々はそれを正しく使う義務があるんだよ。ただ長い年月の間に、我々人間は愚かにも、正しい使い方を忘れてしまっただけで……」
でも、ローラン殿下の声は、興奮したダミアンの耳に届かなかった。
「ははっ!兄上の研究など、根拠のないただの妄想に過ぎない。聖剣ルークセイバーの事なら持ち主である俺がいちばんよく知っていると思わないか?」
ここでダミアンは振り返り、集まった人々に向かって声を上げた。
「皆の者、よく聞け!聖剣ルークセイバーに斬られた罪人は、死体も残らない。魔剣ダインスレイブに斬られた魔物がそうである様にな!罪人は、かつてこの国をつくった王たちの力によって消される!!……さあ、その目でしっかりと見るがいい。その娘が罪人かどうか、俺が裁いてみせよう!!」
ダミアンが剣を横に引いた。野球の素振りみたいにね。でもそれだと空振りね。フィオの首の位置にはピッタリだけど。
さあ、覚悟を決めるのよ、フィオラ!これに斬られれば使い魔になれるんだから!
「護衛!!」
ローラン殿下が叫ぶけど、前に出る者は誰もいなかった。残念です。殿下、逃げて下さい!
すると、いきなり殿下がフィオラを抱き上げた。意外に筋肉質!
「失礼!」
こんな時まで紳士なんだね。なんて言っている場合じゃない!
「待って!!このままだと貴方まで斬られちゃう!」
斬られるのは、フィオラ一人で十分。ローラン殿下までは斬られる必要はないの!
「この状況で僕の心配をしてくれるとは、君は優しいね」
いやいや、フィオはこの先の展開を知っているからであって、決して親切心では……!
「離して!!逃げて!!」
フィオラは殿下の胸を叩いて抵抗した。しかしローラン殿下の腕はビクともしない。
そうこうしているうちにも、ダミアンはどんどん迫ってくる。フィオラ達は徐々に神殿の隅に追いやられ……。
庇われるのを諦めたフィオラは、必死でローラン殿下の頭を守ろうとしがみついた。
「ダミアン。後悔するふぉ。今すぐ剣を引ふぇ」
お陰でローラン殿下の素敵な台詞も、もごもごと。……すいません、我慢してください。
「全てその娘が悪いんだぞ……」
ローラン殿下の説得虚しく、ダミアンは苦々しげにそう言うと……。
剣を振りきった。