04.懺悔室への誘い
本日1話目です。
やや長めです。(約4000文字)
オルテシア修道院に来て、3カ月目。
色とりどりの花々が咲き乱れる、春の盛りの午後。
修道院の石造りの厨房で、ソフィアが真剣な顔でリンゴの皮を剝いていた。
「ゆっくり、ゆっくり……、もうちょっと……」
そして、最後まで剥き終わり、彼女は得意満面で、細長く繋がった皮を高く掲げた。
(遂にやりましたわ!)
彼女は惚れ惚れとリンゴの皮をながめた。
修道院に来たばかりの頃は、ナイフの持ち方すら分からなかった。
けれど今では、こんなこともできる。
(我ながら素晴らしい進歩ですわ!)
満足げに自画自賛をしていた、そのとき。
「ソフィアさん、ちょっといいかな」
後ろから男性の声が聞こえてきた。
振り返ると、厨房の入口に、修道院長のアウグストが、糸目でニコニコしながら立っていた。
(仕事中に呼ばれるなんて、初めてだわ)
彼女は包丁を置いた。
「はい。何か御用でしょうか」
「すまないね、仕事中に。ちょっと話があってね」
2人は、ひんやりとした廊下を歩いて、小さな応接室に入った。
中央にある古いソファに、向かい合って座る。
(何の用かしら……?)
不思議に思っていると、正面に座ったアウグストが、笑顔で口を開いた。
「ソフィアさんは、懺悔室をご存知かな?」
「……はい、王都の大聖堂で見かけたことがあります」
懺悔室とは、大きな教会の片隅にある小さな部屋のことだ。
迷いを抱えた人々が訪れ、自分の罪を打ち明けて、女神リュシアの赦しを求める場所――とされている。
アウグストが穏やかに話を続けた。
「実は、街の大聖堂にも懺悔室があってね」
街の大聖堂とは、修道院から馬車で15分ほどの場所にある、オルテシアの街中にある大聖堂のことだ。
アウグストは、この大聖堂の司祭と修道院長を兼任している。
彼によると、大聖堂の懺悔室は、田舎のせいもあって、ちょっとした相談室のようになっているらしい。
「話を聞いたり相談に乗ったりしているんだが、なかなか評判がよくてね。良い収入源になっている」
「収入源」
なんか聖職者から聞いちゃいけない言葉を聞いた気もしたが、気のせいだと思うことにするソフィア。
アウグストによると、最近、この懺悔室に大きな問題が起きたらしい。
「実は、懺悔室の相談役をしていたシスターが、急に辞めてしまってね。懺悔室を開けられないでいるのですよ」
「まあ、そうなのですね」
「ええ、とても困っておりまして。それでなんですが――」
アウグストが、ニコニコしながらソフィアを見た。
「ソフィアさん、懺悔室の相談役になりませんか?」
「…………は?」
ソフィアは、思わず大きく目を見開いた。
「わ、わたくしが……?」
はい。とアウグストが笑顔でうなずく。
彼女は、ポカンと口を開けた。
(懺悔室の相談役……? それ、わたくしに最も合わない役割では……?)
王都を追い出されてから2か月も経っているのに、彼女は未だに心の中にモヤモヤを抱えていた。
小さくなるどころか、大きくなっている気すらする。
(むしろ、わたくしが懺悔室で話を聞いてもらいたいくらいですわ)
ソフィアの戸惑うような表情を見て、アウグストが「ふむ」という顔をした。
立ち上がると、彼女に微笑みかける。
「では、実際に見に行くとしようか」
「……え?」
「こういうのは実際に見た方がいいからね」
アウグストが、有無を言わさぬ迫力でニコニコ笑う。
――そして、20分後。
修道院から1台の馬車が出発した。
中に乗っているのは、笑顔のアウグストと、困り顔のソフィアだ。
彼女は、膝の上で揃えた両手を見つめながら、頭を悩ませた。
(……どうやって断ればいいのかしら)
断り切れずに馬車に乗ってしまったが、どう考えても相談役なんて無理だ。
引き受けたら、却って迷惑をかけてしまう。
(何とか角が立たないように断らないと……)
思い悩むソフィアを見て、斜め前に座ったアウグストがニコニコする。
そんな2人を乗せた馬車が、畑の間を通るまっすぐな並木道を進んでいく。
しばらくして、ソフィアがふと顔を上げると、前方に街の姿が見えてきた。
「……あれがオルテシアの街ですか?」
「そうだね。今は人が減ってしまったが、100年ほど前までは大きな都だったらしい」
ちなみに、彼女はまだ街に出たことがない。
禁止されている訳ではないのだが、シスターは基本的に修道院の中で暮らすことになっているからだ。
(どんな街なのかしら)
ほんの少し胸を躍らせながら馬車が街に入ると、“古都”という言葉がぴったりな景色が目に飛び込んできた。
石畳の路地、レンガ色の屋根、歴史を感じる噴水や像など、まるで時間が止まったかのような街並みだ。
人々はどこかのんびりしており、街のあちこちに色とりどりの花の鉢が並べられている。
(まあ……オルテシアの街って、こんなに素敵な場所だったのね)
ソフィアは、悩んでいたことを忘れて、窓の外の景色に夢中になった。
馬車は大通りを走り抜け、大聖堂の前に止まった。
「着いたね」
アウグストが先に降り、ソフィアが続いて降りると、そこには小ぢんまりとした大聖堂が建っていた。
かなり古くてあちこち傷んではいるものの、どこか親しみやすく可愛らしい。
「さあ、行こうか」
扉をくぐると、内部は想像以上に広くて荘厳な雰囲気だった。
整然と並んだベンチ、高い天井、はめ込まれたステンドグラス。
壁際には女神リュシアの像が置かれ、数人が静かに祈りを捧げている。
(なんだか落ち着くわ)
ソフィアが周囲を見回していると、アウグストが手招きした。
端の方にあるカーテンのかかった箱型の部屋を指差す。
「あれが懺悔室だよ」
カーテンをめくると、中は小さな部屋だった。
机と椅子がひとつずつ置かれ、机の正面には木で細かく編まれた目隠しがはめられている。
机の上には、小さなハンドベルが置かれていた。
「懺悔したい者がここに座って鐘を鳴らすんだ。――では、反対側に行ってみよう」
部屋の裏手に回ると、そこは書庫のような空間になっていた。
本棚が並び、目隠し付きの窓の前に、机と椅子が設けられている。
「ここに座って、話を聞くんだ」
アウグストによると、この懺悔室が開かれるのは週に2回、午後の時間帯のみ。
開く曜日は決まっておらず、女神の導きによって訪れた者の話を聞く――という形をとっているそうだ。
ソフィアは、ホッと胸を撫でおろした。
(毎日ではなく、週2回、半日程度ですのね)
思ったよりもずっと回数と時間が少ない。
(でも、とてもわたくしに務まるとは……)
そんなことを考えるソフィアに、アウグストがニコニコしながら1冊の薄い冊子を差し出した。
「実はね、こんなものがあるんだ」
表紙に書かれたタイトルを見て、ソフィアは目を見開いた。
「まあ! 懺悔室の指南書ですのね!」
「ああ。これを読めば、懺悔室で何をすればいいのか大体分かる。前任のシスターもこれを見てできるようになったんだ」
ページをめくると、「最初に言うべき言葉」や「心得」、「こういう場合はどう対応するか」「よくある相談」といった内容が書いてある。
(こんなものがありましたのね)
ソフィアの顔が少し明るくなったのを見ながら、アウグストが諭すように言った。
「懺悔室の良いところはね、話を聞いているつもりが、いつの間にか自分の心を見つめ直していることなんだ。……今の君には、そういう時間が必要なんじゃないかな」
なるほど。とソフィアは思案した。
ものすごく丸め込まれているような気はする。でも、なぜか妙に説得力がある。
(……確かに、今のわたくしには、そういう時間が必要な気がするわ)
今でも、ふとした拍子に王都での出来事を思い出し、モヤモヤしている。
いい加減何とかしたいと思いつつ、どうにもできないでいる。
この懺悔室の仕事は、これを何とかするきっかけになるかもしれない。
それに、来週からスタートなら、準備する時間はたっぷりある。
(指南書を読み込んで、想定問答を準備しましょう)
万全の準備を整えれば、きっとなんとかなるはずだと、ソフィアは覚悟を決めてうなずいた。
「……分かりました。懺悔室のお話、お引き受けさせていただきます」
アウグストが満面の笑みを浮かべた。
「そうか。決心してくれて嬉しいよ」
その後、帰りの馬車が用意できるまで、ソフィアは教会のベンチに座って指南書に目を通した。
薄い冊子ながらも内容は充実しており、色々なことを親切に解説してくれている。
(……これをしっかり暗記すれば、何とかなりそうね)
少しホッとしたところに、教会の手伝いの少年が、馬車の準備ができたと呼びにきた。
外に出て馬車に乗り込むと、アウグストが見送りに現れる。
窓を開けると、彼は笑顔で折った紙を差し出した。
「これは今後の懺悔室の予定だから、後で目を通しておいて」
「はい、分かりました」
ソフィアは紙を受け取り、そっと膝の上に置く。
ヒヒーン――
馬の嘶きとともに、馬車はゆっくりと走り出した。
アウグストが、これ以上ないほどニコニコと手を振る。
その笑顔を見て、ソフィアは思った。
なんか、ちょっと怪しい気がする、と。
(……何かしら、とても嫌な予感がするわ)
彼女は視線を落とした。
膝の上にある紙をゆっくりと開く。
そして――、
「…………え?」
思わずピシリと固まった。
紙に書いてあったのは、懺悔室が開く日程で、直近の日は――――なんと明日だ!
(ちょ、ちょっと待――!)
ソフィアはガバッと窓から顔を出した。
しかし、大聖堂ははるか遠く、アウグストの姿はもう見えない。
(……やられましたわ)
ソフィアは、ぐったりと馬車の背もたれに、もたれかかった。
(明日からなんて無理ですわ!)
と、頭を抱える。
――その日、彼女は夜更けまで必死に指南書を読み込んだ。
本日は、たぶんあと4話投稿します。




