03.予想外の訪問者
本日3話目です。
オルテシア修道院で暮らし始めて、1か月後。
爽やかな春風が心地良く頬をくすぐる、天気の良い朝。
裏庭の大きな木の下で、袖を捲り上げた3人の若いシスターが、大きなタライに向かって洗濯をしていた。
赤毛のヒルダと、眼鏡のエミリー、そしてソフィアだ。
ヒルダが、ゴシゴシと洗濯板にシーツをこすりつけながら、おかしそうに笑った。
「じゃあ、ソフィアは、牢獄みたいな場所だと思って来たってこと?」
「ええ。岩だらけの砦みたいな場所を想像していたわ」
エミリーが、タオルを洗いながら、くすくす笑った。
「だから、最初あんなにぎこちなかったのね」
「ええ、警戒していたの。最初に上げてから落とされるんじゃないかって」
「ははは、何それ、受ける!」
ヒルダが肩を揺すって大笑いする。
「でもまあ、そう思っても不思議はないよね。私たちが来る少し前は、そんな感じだったらしいし」
彼女たちの話によると、以前のオルテシア修道院は、噂通り戒律に超厳しい場所だったらしい。
しかし、1年前に修道院長が代わり、雰囲気が一変した。
「今の院長様はとてもお優しいし、ありがたいことに、すっごく緩いの」
街の大聖堂の司祭も兼ねている院長は、「信仰は楽しく」がモットーだ。
もちろん規律はあるが、朝夕のお祈りと労働の時間を除けば、自由に好きなことをして良いことになっている。
(もっと早く知りたかったわ……)
そばにある井戸から冷たい水を汲みながら、ソフィアはため息をついた。
王都からの道中の緊張感や、到着から2週間ほどの疑心暗鬼の日々を思い出し、思わず苦笑いする。
ちなみに、そんなガチガチに凝り固まっていたソフィアを気に掛けてくれたのが、このヒルダとエミリーだった。
この2人は、約半年前にこの修道院に来た地方貴族の娘だ。
地方貴族の中には、娘の貞淑さを証明するため、一定期間修道院に入れる者がおり、彼女たちはその一環で入れられたらしい。
その後、3人は協力して洗濯物を絞り始めた。
緑の芝生の上に立てられた物干しに、絞ったシーツやタオルをどんどん干して、大きなピンチでとめていく。
青空の下、白いシーツが風に乗ってはたはたとはためく。
ふと遠くに目をやると、山頂に白く雪をかぶった山々が連なっているのが見える。
(……なんだか夢でも見ているような気分だわ)
こうした光景を見ていると、王都であった辛い出来事がずっと昔のことのように思える。
けれど、すべてを綺麗さっぱり忘れられるかと言えば、そうでもなく。
ソフィアの心の奥には、ふとした拍子に浮かんでくるモヤモヤが、今も居座っていた。
夜、寝る前にふいにルパートとイザベラの顔が浮かんできて、モヤモヤする。
食事中、学食でルパートに無視された時の記憶がよみがえり、またモヤモヤする。
(このモヤモヤ……一体何なのかしら)
そんなことをボンヤリと考えながら、機械的にシーツを干していた、そのとき。
「ソフィア!」
裏口から、シスター長であるマーサが顔を覗かせた。
「あんたにお客様だよ!」
「お客様?」
干してあるシーツの皺を伸ばしながら、ソフィアは首をかしげた。
シスターへの訪問は、よほどの事情がない限り禁止されているはずだ。
「あの、お客様ってどういった方でしょうか」
「王都から来たっていう若い男の人だよ。門の外であんたを待ってる」
ソフィアが目を瞬かせた
(王都から若い男の人……?)
彼女は、ヒルダとエミリーに残りの仕事を頼むと、早足で歩き始めた。
建物に入って鏡の前で急いで身なりを整えると、深呼吸して門に向かって歩いて行く。
レンガ造りの門に近づくと、1人の長身の男性が立っているのが見えた。
後ろ向きで馬の手綱をつないでいるため顔は見えないが、髪の毛の色は紺色だ。
(…………誰かしら)
ソフィアは首をかしげつつ、苦笑した。
一瞬、殿下が来たかもしれないと思ってしまった自分に「そんなハズありませんわ」とツッコミを入れる。
彼女が近づいて行くと、男性がくるりと振り返った。
整った顔立ちに、クールな表情。
サファイヤのように澄んだ青い瞳が、ソフィアに向けられる。
彼女は思わず目を見開いた。
「まあ! ロイド様!」
それは、隣国ルミナート公国からの留学生――ロイドだった。
公国皇子の友人兼護衛としてやってきた男性で、学年はルパートと同じ3年生。
辺境伯家の次男で、剣術の達人とも名高い人物だ。
(なぜロイド様がこんなところに……?)
彼女の記憶によると、彼は付き添っていた皇子と共に、卒業式後に帰国する予定だった。
“ここに絶対に来ない人物”を3人挙げよと言われたら、必ずその1人に入る人物と言ってもいい。
ポカンとしているソフィアを見て、ロイドがクールな顔をわずかにほころばせた。
「お久し振りです。ソフィア様」
「お、お久し振りです、ロイド様。――ええっと、どうしてこちらに?」
「あなたの様子を見に来ました」
どうやら、王都側の誰かがソフィアの様子を確認しに来ることになっているらしい。
「来られた理由は分かりましたが、なぜロイド様が? 国に帰られたのでは?」
「春からこちらの大学の騎士科に通っておりまして、その授業の一環です」
ロイドによると、勉強の一環として、騎士団の仕事をしているらしい。
「その時に、あなたへの訪問の仕事があると聞きまして、立候補しました」
一瞬「立候補?」とは思ったものの、ソフィアは理解した。
つまり、修道院でちゃんと働いているか、確認に来たということだろう。
「分かりましたわ。それでは、どうぞこちらへ」
彼女は、ロイドを門のすぐ近くにある面会小屋に案内した。
中には椅子とテーブルが置かれ、外から中が見渡せるような大きな窓がついている。
テーブルに向かい合って座ると、ロイドが鞄から紙袋を取り出した。
「これを」
「……ありがとうございます。――開けてみても?」
「どうぞ」
紙袋を開けて、ソフィアは思わず目を見開いた。
中に入っていたのは、彼女が愛してやまない王都にある有名菓子店のお菓子の箱だった。
「まあ! もしかして、これはお母様からですわね」
「……」
言葉を詰まらせたロイドに気が付かず、ソフィアは嬉しそうに箱を見つめた。
「ありがとうございます、とても嬉しいですわ。……実を言うと、両親にすっかり見捨てられたかとばかり思っておりましたの」
「……そうでしたか」
(一応気にしてはもらえているのね)
ホッとして笑うソフィアを、ロイドが複雑そうな顔で見つめる。
その後、2人は会話を始めた。
「こちらの生活はどうですか?」
「結構いい感じですわ。わたくし、この前パンを焼くのをお手伝いしましたのよ」
どこか得意げなソフィアを見て、ロイドのクールな目元が緩んだ。
「食事の方はどうですか?」
「とても美味しいですわ。――そういえば、わたくし、こちらに来て初めて黒パンというものを食べたのですが、これが美味しくて」
微笑ながら話すソフィアに、ロイドが口角を上げた。
「実は、私も白いパンよりもむしろ黒パンの方が好きです」
「そうなのですね、あの香ばしい感じがクセになりますわよね」
その後も、ソフィアは色々な話をした。
黙って聞いてくれるのをいいことに、ここに来て初めて体験したことや驚いたことなどを、ロイドに話して聞かせる。
ロイドの方も相槌を打ちながら、どこか楽しげに話しに耳を傾ける。
そして、こんな感じの会話を40分ほどした後、ロイドがどこか名残惜しそうに腰を浮かせた。
「あまり長居してもご迷惑でしょうから、私はそろそろ失礼します」
「ええ、分かりましたわ」
「……次来るとき、何か欲しいものなどありませんか?」
ソフィアは目をパチクリさせた。
「ええっと……もしかして、持ってきてくださるということかしら?」
「はい」
そうね。と彼女は思案に暮れた。
「書きやすい万年筆かしら。こちらで使っているインクを付けるタイプは、どうも使い慣れなくて」
「承知しました」
ロイドは止めてある馬に歩み寄ると、ひらりと飛び乗った。
ソフィアの方を振り返る。
「それでは、私はこれで。どうぞ体にお気を付けください」
「ありがとうございます。ロイド様もお気を付けて」
ロイドが、軽く頭を下げると、街の方角へと馬を進めていく。
その背中を見送りながら、ソフィアは思った。
(……ロイド様とこんなに長く話をしたのは、初めてだわ)
ロイドというと、“常に隣国の皇子の後ろに黙って立っている”というイメージが強い。
いつも冷静で寡黙な印象だった。
(でも、こうしてみると、案外気さくな人なのかもしれないわね)
王都から様子を見に来る人物が、顔見知りの彼で良かった。と思う。
(次は……、きっと半年後くらいかしらね)
そんなことを思いながら、彼女は紙袋を胸に抱えると、青空の下、急ぎ足で修道院へと戻っていった。
あともう1話投稿します。