10.仮面の夜会②
本日1話目です。
街の喧騒とはうって変わって、運河のほとりはとても静かだった。
運河沿いには、ベンチが置かれており、
人々が水の流れる様を眺めながら、思い思いに過ごしている。
ソフィアは、夕闇を静かに流れる運河をながめた。
「……とても綺麗なところですわね」
「ええ、この街の名所の1つのようです」
ロイドは、空いているベンチを見つけると、ソフィアを先に座らせた。
少し離れた場所にある屋台に、飲み物を買いに行く。
その背中を見送ると、ソフィアは空を見上げた。
月が昇り、星が静かに瞬き始めている。
(……もう夜になってしまったわ)
彼女はため息をついた。
帰りたくないわ。と思う。
そこへ、ロイドが両手にコップを持って戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ソフィアはお礼を言って、コップに口をつけた。
口の中に、ほのかに甘いミルクティーの味が広がる。
少し間を空けて座ったロイドが、口を開いた。
「疲れていませんか?」
「ありがとうございます。大丈夫ですわ。ロイド様は?」
「私も大丈夫です」
運河のほとりはとても静かで、心地良く冷たい風が吹いている。
遠くから聞こえてくる祭りの音を聞きながら、他愛もない話に花を咲かせた。
暗いからと仮面を取り、また話をする。
しばらくして。
……ゴーン、ゴーン、ゴーン
風に乗って遠くの方から大聖堂の鐘の音が聞こえてきた。
8時の合図だ。
(……時間が経つのが本当に早いわね)
今日は9時半までに修道院に戻らなくてはならない。
(もっとお話をしたかったわ……)
足元を見つめながら、そんなことを考えていると、ロイドが静かに口を開いた。
「ソフィアさんは、見習い期間が終わったら、どうされるおつもりですか?」
見習い期間とは、修道院の制度だ。
修道女として正式に入る前に、1年半から2年の見習い期間が設けられている。
その間に、自分にこの生活が合っているかどうかを見極め、正式な修道女になるか決めることになる。
「そういえば……、ここに来てもう9ヶ月になりますのね」
夜空の星をながめながら、ソフィアは口を開いた。
「……ご存じの通り、わたくしがここに来た事情は、少し特殊ですから、おそらく、見習い期間が終わった後も、ここにいることになると思いますわ」
修道女にならないと決めた者は、実家に戻ったり、別の道を選んだりする。
しかし、ソフィアは、家から勘当され、王都からも追い出された身だ。
帰る場所は、どこにもない。
「……わたくしは、ここにいるしかないんだと思いますわ。案外ここの生活も悪くないですし」
話があまり重くならないようにと、ソフィアが笑いながら言う。
ロイドは、考えるように黙り込んだ。
ゆっくりと口を開く。
「……もしも良ければ、私の国に来ませんか」
「……え?」
ソフィアが目をぱちくりさせながら、横にいるロイドを見上げた。
「私は、ルミナート公国の辺境伯家の次男です。いずれは伯爵位を継ぎ、領地を持つことが決まっています。有事の時は国境の防衛で忙しくなると思いますが、それ以外は穏やかな暮らしができると思います」
「ですから――」と、ロイドが真摯な目でソフィアを見た。
「ソフィアさん、あなたさえ良ければ、私と一緒に来ませんか」
ソフィアは、思わず大きく目を見開いた。
これは――もしかすると、そういう意味だろうか。
驚きのあまり口がきけなくなっている彼女を見て、ロイドが申し訳なさそうな顔をした。
「気が早いのは分かっていますし、シスターのあなたに、こうした話をするのはあまり良くないということも分かっています。――ですが、少し考えていただければと思いまして、話をさせていただくことにしました」
ちなみに、ロイドの実家にはすでに話を通しており、問題ないらしい。
また、ソフィアの後見人であるアウグストにも話をしており、「ソフィアを幸せにする覚悟があるならいいよ」と言われたらしい。
(まあ、アウグスト様ったら、そんなこと一言も言っていなかったわ)
ソフィアが、小さな声で尋ねた。
「……あの、いつから……?」
ロイドは、静かに口を開いた。
「実を言うと、学園にいた頃から、あなたのことを好ましく思っていました。――だから、あの断罪は、正直、許せませんでした」
他国の政治的な問題のため、口が出せなかったが、歯がゆい思いをしていたという。
運河を見つめながら、ロイドは話を続けた。
「その後、あなたの様子を見に行く者が必要になったという話を聞いて、すぐに手を挙げました。……本当なら、半年に1度くらいでよかったのですが……」
ロイドは少しだけ照れくさそうに笑った。
「ご存知のとおり、あなたが心配だったのと、私が個人的に会いたくて、月1回のペースで、こちらに伺っていた、という次第です」
ソフィアはうつむいた。
いろいろなことが腑に落ちた。
きっと、母からの届け物だと思っていた品々も、ロイドが自分で探して持ってきてくれていたのだろう。
ロイドはソフィアを穏やかに見つめた。
「返事はすぐでなくてかまいません。どうか、ゆっくり考えていただけませんか」
「……はい」
ソフィアは、うつむいたまま、そっとうなずいた。
驚きと共に、これまでの感謝や喜び、今後に対する不安など、色々な感情で胸がいっぱいになる。
その後、2人は街の外れにある厩に向かった。
そこにいたロイドの馬に乗って、修道院に向かう。
ロイドに抱えられながら、ソフィアは頬がどんどん熱くなるのを感じた。
リンゴベリーを摘みに行った時と同じように抱えられているはずなのに、今は、心臓が壊れそうなほどドキドキしてしまう。
ランプの光を頼りに、馬が修道院に向かってゆっくりと歩く。
背後から聞こえてくる祭りの賑やかな音が、だんだんと遠くなっていく。
(続く)




