08.収穫祭、1日目
本日1話目です。
収穫祭当日。
澄み切った水色の空が、高く晴れ上がった、秋日和の朝。
修道院の厨房は、大忙しだった。
お祭りで売るお菓子を作るため、エプロン姿のシスターたちが、生地をこね、型に流し込み、焼き上がったお菓子を次々とオーブンから取り出していく。
厨房は、甘くて香ばしい匂いでいっぱいだ。
そんな中、ソフィアはヒルダとエミリーと共に、懺悔室クッキーを作っていた。
地下の氷室で寝かせておいたクッキー生地を、きれいな丸型に切り分けて、鉄板に並べていく。
その真ん中に、ひとつひとつハート型のくぼみを作る。
そして、温めたオーブンで焼くこと、15分。
クッキーがふっくらと焼き上がり、美味しそうな香りが厨房いっぱいに広がった。
「まあ! いい感じですわ!」
その後、3人はハート型のくぼみに赤いジャムを丁寧にのせていった。
ジャムはもちろん、ロイドと一緒に山で摘んできたリンゴベリーだ。
そして、更に焼くこと数分。
鉄板の上に、赤い可愛らしいハートがついたクッキーが焼き上がった。
「すごい! かわいい!」
「大成功ですわね」
ソフィア、ヒルダ、エミリーの3人が、手を取り合って喜ぶ。
そして、再び丸いクッキーを焼くと、3人は、食べられる花の押し花を、卵白で丁寧に貼り付け始めた。
ヒルダが、慎重に手を動かしながら口を開いた。
「本当によかったわよね。花がいっぱい咲いてくれて」
このクッキー作りの課題は、花。
花が咲かなければ、押し花が作れないからだ。
しかし、幸運なことに、今年は修道院の庭が例年にないほど花盛りとなり、たくさんの押し花を作ることができた。
エミリーが無邪気に笑った。
「きっと女神リュシア様が助けてくださったんだわ」
「……そうかもしれませんわね」
そう言いながら、ソフィアは内心苦笑した。
開運クッキー的に売るのは、どうも詐欺っぽい感じがしてならない。
(でも、花がいっぱい咲いたということは、女神様は怒っていないのかもしれないわね)
そんなことを考えながら作業を進めること、しばし。
厨房の作業台の上は、ハート形のかわいらしいクッキーと、美しい花びらが乗ったクッキーでいっぱいになった。
その枚数は、各100枚の、合計200枚。
「やった! 大成功ね!」
「本当に綺麗にできたわね」
2人と喜び合いながら、ソフィアは感無量でクッキーをながめた。
何度も試作を重ねてきたが、実際にこうやって並ぶと、感動する。
(でも、こんなにたくさん、1日で売れるかしら)
可愛いからきっと売れるだろうと、1日各100枚作ることにしたが、
こうやっていざ大量のクッキーを見ると、不安を覚える。
そんなソフィアの肩を、ヒルダがポンポンと叩いた。
「大丈夫よ。絶対に完売するわ。だって、すっごくかわいいもの!」
そのあと、ヒルダたちは手分けして、クッキーや他のシスターたちが作った焼き菓子を、大きな木箱に詰めはじめた。
ソフィアは、マーサに教わりながら、古いフライパンで大麦をたくさん炒った。
焼き菓子と一緒に木箱に入れておくと、この炒り大麦が湿気を吸って、お菓子がしけらないのだという。
そして、気づけば、作業台の上には、大きな木箱が10個ほど、きれいに積み上がっていた。
「もう11時ね。ヒルダ、エミリー、そろそろ準備しましょう」
3人はそれぞれ自室に戻り、外出用のシスター服に着替えた。
外に出ると、すでに荷馬車にはお菓子の箱が積み込まれている。
御者席のマーサが、にこやかに声をかけた。
「乗りな! 行くよ!」
3人が馬車に乗り込むと、車輪がゆっくりと動き出した。
ソフィアが、見送りに出てきたシスターたちに頭を下げた。
「ありがとうございます。行ってまいります」
シスターたちが「がんばってね!」と、にこにこと笑いながら手を振る
――そして、お昼の少し前。
馬車は大聖堂の裏口に到着した。
ソフィアは馬車を降りると、裏口を開けた。
ヒルダとエミリーと力を合わせて、お菓子の入った木箱を中に運び入れていく。
そして、ふと、正面口を見ると、そこには長蛇の列ができていた。
皆楽しそうに話をしながら並んでいる。
「あれは……何の行列かしら?」
不思議に思っていると、大聖堂のシスターの1人が、ソフィアを見つけて駆け寄って来た。
「大変です、ソフィアさん! 外の行列、見ました?」
「ええ。あれは何かしら……?」
「懺悔室クッキーの行列です!」
どうやら、口コミで噂が広まっていたらしく、懺悔室クッキーを求めて人々が行列を作っているという。
「え!」
ソフィアは大きく目を見開いた。
慌てて扉の隙間からのぞくと、20人以上は並んでいる。
(もしかして、これは足りないんじゃないかしら……)
その後、大急ぎで売り場の準備を進めながら、ソフィアたちは緊急会議をした。
なるべく多くの人が買えるようにと、1人各1枚の購入制限をかけようと決める。
そして、大聖堂が開く10分前。
女神リュシア像の前に、臨時のお菓子売り場が設置されていた。
ガラスケースの中にはクッキーや焼き菓子が並べられ、その隣にはお金のやり取りを行う小さなテーブルが置かれている。
ソフィアは、ヒルダ、エミリー、大聖堂のシスターたちと最後の確認をした。
「じゃあ、3人で注文を受けて、お菓子を紙に包む。それをわたくしとエミリーが会計するという流れでいきましょう。他の方は品出しを」
「はい、わかりました!」
全員が真剣な顔でうなずく。
「ヒルダは行列の整理を、お願いしますわ」
「了解!」
ヒルダが『最後尾はこちら』と書かれたプラカードを掲げ、元気よく手を挙げる。
ソフィアが気合の入った声を出した。
「それでは皆様、がんばりますわよ!」
「「がんばりますわよ!」」
みんな力強く返事をする。
――そして。
ゴーン、ゴーン
大聖堂の鐘の音が鳴り響いた。
シスターたちが、正面扉をゆっくりと開いた――その瞬間。
「あそこよ!」
という声と共に、人々がまるで洪水のように、わっと中になだれ込んできた。
「懺悔室クッキーって、これじゃないか?」
「わあ! 花柄かわいい!」
「こっちはハートだ!」
怒涛の勢いで押し寄せる客たちに、ソフィアの頭の中が一瞬真っ白になった。
すぐに正気に戻るも、気付けば陳列台の前は人でいっぱいだ。
「次の方、花柄1つとフィナンシェ3つですね!」
「ええっと、紙袋……紙袋がなくなりました!」
「会計お願いしまーす!」
シスターたちの声が飛び交い、
ソフィアも「ありがとうございます」と言いながら、高速で計算して、お金を受け取り、お釣りを返す。
あまりの早さに、もう目が回りそうだ。
行列は絶えることなく外の通りまで伸び、
ヒルダの、
「最後尾はこちらでーす! 先に注文を決めておいてくださーい!」
という大声が聞こえてくるが、気にする余裕もなく、ひたすら動く。
――そして、必死に働くこと、約2時間――。
「懺悔室クッキー、花柄、売り切れました!」
大聖堂にヒルダの声が響いた。
「ええー!」
「もう売り切れなの!?」
という人々の声が響く。
すぐ後に、ハート型クッキーも売り切れ、ついに
「売り切れました! すべて売り切れです!」
なんと、持ってきたお菓子がすべて完売してしまった。
買えなかった人々が、「また明日来ます」と残念そうに帰っていく。
人々が立ち去ったあと、大聖堂内は元の静けさを取り戻した。
ソフィア、ヒルダ、エミリー、そして教会のシスターたちは、ぐったりとベンチに座り込んだ。
「まさかの完売でしたわね……」
「あっという間でしたね……」
半ば惚けながら、そんな会話を交わす。
ソフィアは大きく息を吐いた。
とんでもない忙しさだった。
(本気で目が回るかと思ったわ)
そこへ――。
「やあ、聞きましたよ。あっという間に完売したそうですね」
目を糸のように細めたアウグストが、ニコニコとやってきた。
「いやいや、素晴らしい。宣伝した甲斐がありました」
「宣伝……?」
ソフィアが目をパチクリさせると、アウグストがニコニコした。
「ええ、あちこちで言い回ったんです。 “懺悔室の聖女が作った、運が良くなるかもしれないクッキー”を売る、とね」
ソフィアはジト目でアウグストを見た。
“懺悔室の聖女が作った運が良くなるかもしれないクッキー”って、売り文句としては最高だけど、さすがにギリギリ過ぎな気がする。
アウグストがにっこり笑った。
「さて。大盛況のお祝いに、これから皆さんで何か食べに行きましょうか。もちろん、私がおごりますよ」
「わあ!」
シスターたちが嬉しそうに顔を見合わせた。
「では、4時に教会を閉めて、それから行きましょう」
皆が嬉しそうに片づけを始めた。
ソフィアもその輪に加わる。
やがて、
ゴーン、ゴーン
教会の鐘が4時を告げた。
シスターたちが、居残りの助祭の男性に別れを告げて、楽しそうに外へと出ていく。
ソフィアも、皆と一緒に大聖堂を出ようとして、ふと足を止めて後ろを振り返った。
視線の先には、女神リュシア像が静かに微笑んでいる。
「ありがとうございます、リュシア様」
そう小さくつぶやくと、彼女は扉を開けて外に出た。
バタン
扉が閉まる。
そして、誰もいない大聖堂内で、女神リュシア像が、ほんのりと優しい光を放った。
今夜21:10に続きを投稿します。




