第1話 1章~不穏な響き~
「陽架ちゃん!」
この柔らかくて、お母さんのような重さがあるけれど、女性らしい高いトーンは瑞葉の声だ。横たわっている地面から振動が伝わってくるから、きっと走ってきてくれているのだろう。
「陽架ちゃん、大丈夫?」
足音が頭上で止まり、手を握られる感覚に絶望の音が和らいでいく。心配そうな表情でアタシの顔を覗き込む瑞葉の頭が青空を隠す。
「えへへ、大丈夫だよ!ちょっと転んじゃっただけなんだ。助けに来てくれてありがとう!」
瑞葉の手を掴みながら立ち上がる。心配してくれる友達の存在の嬉しさや自らの足に躓き、転んでしまったことの恥ずかしさから笑ってしまう。
「笑っている場合じゃない」
凛とした涼やかな音が耳に届く。やばい、里彩の声だ!彼女の声は、何者にも惑わされることのない情熱を持ちながらも、フルートの音色のような透明感がある。だからこそ、怒っている時の彼女の声は怖いんだよね。そんな力強い音に、学園の外に出たことによる高揚感が静かになっていく。学園にはない色や音に高鳴っていた鼓動が消えていく。
「私達が今考えなければならないことは、それについてだと思うよ」
里彩が指した方向でアタシの座り込んでいた場所を示す。落ち着いた鼓動がまた騒ぎ出す。忘れていた。そこには、先ほどまで見ていた祠の面影はなくなり、代わりに押しつぶされ折れたり、粉々になったりした木材が残されていた。祠だった物の無残な姿を見た途端、再び心臓が早鐘を撞くように騒ぎ出した。手にじんわりと汗が滲み始め、周りの音が消えていく。反射的に瑞葉の顔を見る。瑞葉の顔は今まで見たことないほどに青ざめ、言葉を失っている。
「・・・」
「・・・」
「・・・!」
「ど、どうしよう・・・・・・」
助けを求めて里彩を見る。里彩はため息を吐きながら頭を抱え、首を横に振った。
「どうしようも何も、ここの神主に申告するしかないでしょ?壊してしまった物を元あった通りに直すことは、現状況では不可能だよ」
里彩は落ち着き払った様子で告げる。彼女の現状分析を聞いたことで、より一層焦りが増す。どうしようもないことは分かってはいるが、居ても立っても居られない。何かしなければ、でも何をすれば良いのか分からない。
「そ、そうだよね。里彩ちゃんの言う通り、謝らないと・・・・・・。」
我に返った瑞葉が同意をする。そうだよね、大切な物を壊してしまったのだから謝らないとだめだよね。でも、絶対怒られるよね。怖いな。許してもらえなかったらどうしよう・・・・・・。
「うん、謝らないとだよね。・・・・・・だけどすごく怖くてね。・・・・・・一緒に謝ってくれる?」
子どもじみた言い訳だと自分でも思う。それでも、やっぱり怖いものは怖いんだよ・・・・・・。恐る恐る二人の反応を窺う。
「もちろん。陽架ちゃん一人に責任を負わせるなんてこと絶対にしないよ」
瑞葉はいつものように柔和な表情で応えてくれる。誰かが付いて来てくれると分かると、少しだけ鼓動が落ち着いてくる。
「それは陽架が壊したんでしょ。私にその責任はないはずでしょう?・・・・・・でも一緒に着いていくくらいの温情はかけてあげるよ」
里彩も付いて来てくれるんだ!よかった、里彩も付いて来てくれるのなら百人力だよ!勝ったも同然だ、勝利の女神は味方をしてくれた!!
どこからか湧き出てきた温かな感情が動かすままに二人の腕に抱きつく。
・・・・・・そして、何よりアタシは恵まれている。困っている時に助けてくれるような友達を持てたアタシは幸せ者だな、と心から思う。そんな幸せに浸っていると、里彩が冷静に言い放つ。
「喜んでいるところ悪いけど、さっさと神主探しを始めた方が良いんじゃないの?」
幸せに浸っていて、すっかり忘れてしまっていた。一つの事しか見えなくなるこの性格を恨めしく思う。神主さんを探して、謝らなければならない。
「よし!そうと決まれば急いで神主さんを見つけよう!!」
「その必要はない」
聞きなれない音に、振り返る。予期せぬ声に心臓が止まりそうになった。そこには、一人の老人が腕を後ろに組みながら立ちはだかっていた。逃げることは許さないというように、アタシたちを睨みつけている。謝らなければ!
「あ、あの!」
「黙れ」
有無を言わさぬ厳しい声に喉が詰まる。息は通るのに、音が出ない。
「黙って儂の後を付いて来るのだ。逃げようなどと思うでないぞ、末代まで呪ってやるからな。」
そういうと、おじいさんは背を向け歩き出す。
呪われちゃうの⁉この人は、すごく怖い人だ!不安になり、里彩と瑞葉の顔を見ると里彩が頷き、顎でおじいさんに付いて行くように合図をする。アタシと瑞葉はそれに頷き、おじいさんの後を歩いていく。まるで死刑宣告を受けた罪人のように足取りが重い。それでも歩みを進めていくと建物が見えてきた。
「ここじゃ」
おじいさんに案内された建物は、結構年季が入った木造の平屋だった。入り口の立て札には、社務所と書いてあるから、事務所なんだろう。
おじいさんに案内されたのは、畳の部屋で真ん中に机が一つ置いてあるだけの簡素なものだった。おじいさんは、奥の座布団に座ろうとしていた。
「ごめんなさい!」
この沈黙に耐えられなくて、先に謝った。
「それで、どうしてあの祠が壊れとるんじゃ」
と言い、みんなを特に私の目を見て聞いてきた。
「ええと…」
なんで答えていいのか分からず、里彩や瑞葉の様子を見る。里彩と目が合ったが、自分でなんとかしろと顔にかいてあった。瑞葉は頑張ってという感じで、同情しているようだった。
そこで、覚悟を決めて、
「すみません!!祠を通り過ぎようとした時に、足が滑って祠を潰してしまったんです。弁償でも何でもするので許してください」
「ほお、何でもか」
「はい!何でもです!」
「お前ら二言はないな」
「はい!!」
とそこで、里彩が小突いてきた。
「陽架。私たちは関係ないでしょ」
「いんや、お前らはこいつの友達なんだろ。だったら、連帯責任じゃ」
「いや「はい!」、おい!」
「でも、里彩がいたら絶対上手くいくから。お願い!」
「はぁ。分かったよ。瑞葉はいいの?」
「うん。陽架ちゃんは大事な友達だから」
里彩と瑞葉が、協力してくれるようで一安心だ。
「3人でということじゃな。まず、神社の掃除でもしてもらうかの。3人で手分けして、本殿の外側、鳥居から本殿までの道、それとお前さんは壊した張本人じゃし、祠の後片付けをやってくれ」
おじいさんの指示で、私は祠、里彩と瑞葉はそれぞれ本殿と鳥居から本殿までの道を掃除することになった。
2人と別れて、また祠のところへ向かう。祠は、正面が潰された状態で、いくつか隙間ができていた。まずは、周りに落ちた木片を片付ける。次に、祠を見ると、かなり蔦が張っている状態で、さらに、祠の周りの地面の草もあまり手入れされていなかった。祠を綺麗にするには、周りもよくしないとね。
そう思い、ハサミと軍手を借りて、ずっと蔦を切ったり草むしりをしていた。
そうしていて、だいぶ時間が経った後に、里彩が呼びにきた。
「陽架、おじいさんがそろそろ終わりでいいから、昼食にしようって」
「うん、分かった。みて、みてだいぶ綺麗になったでしょ」
「そうだな。そういえば、陽架、祠を掃除する時
に」
「里彩ちゃん、陽架ちゃん、おじいさんが早く来いって」
「うん、分かった!里彩何?」
「いや、何でもない」
「そっか」
里彩はもう瑞葉のいる方へ向かっていた。私も2人についていく。
「昼食って何が出るのかな」
「お蕎麦だって言ってたよ」
「やった、ちょうどさっぱりしたものが食べたかったの」
社務所に戻ると、もうすでに、机には4人分の蕎麦が準備されていた。
「ありがとうございます」
「まあ、ついでじゃよ、はよ座れ」
「はい、いただきます」
お蕎麦はとてもおいしかった。里彩と瑞葉も美味しいと顔にかいてあった。
しばらくすると、おじいさんが祠について話し始めた。
「お前さん、祠の掃除をしていて、やけに草が生えていたと思わんかったか」
「はい、他のところはきれいに刈ってあるのにどうしてかなと思ってました」
「実はな、祠には結界がはられとったんじゃよ」
「結界!」
「ああ、実はあるものを封印しとってな。人間が近づけんようにしてたんじゃ」
「でも、私近づけましたよ」
「ああ、なぜか結界が上手く作動しなかったようじゃ。それに、祠が壊れたことで結界の効力もなくなってしまった」
「いや、結界弱すぎですよ。ちなみにあるものって何ですか」
里彩が聞くと、
「それを言うには、ここは、ちと悪い。本殿に場所を移すぞ」
おじいさんは、そう言って、食器を下げ、私たちについてくるように言った。
おじいさんの様子を見るに、もう怒ってはいないらしい。心の広い人でよかった。社務所から本殿は近く、すぐに目的の場所についた。
おじいさんは、階段を登り、お賽銭箱の後ろの戸を開けた。私たちも中へ入った。
おじいさんは、そのまま部屋の真ん中にあぐらをかき、私はおじいさんの前に、里彩と瑞葉は私の両隣に座る。最初に口を開いたのは、里彩だった。
「それでは、‘‘あるもの‘‘についてお話しいただけますか」
「そう急くでない、最近の若者は短気でいかんな。・・・・・・否、いつの世も若者は短気で軽挙妄動であるか」
神主は居住まいを正すと咳払いを一つした。その瞬間に、肌がピリつくような緊張感が場を支配した。
「余計なことを長々と言ってもお主らのような若輩は耳を貸さんだろうからな、単刀直入に言おう。・・・・・・お主らには悪魔どもを封印してもらう」
「あ、悪魔⁉」
悪魔って人間に取り憑いたりするっていうあの悪魔⁉
「無理です!アタシ霊感なんてないし、呪文とか噛んじゃうし」
「そうです。悪魔だなんて非科学的なものを信じられません。その悪魔とやらが存在した証明をしていただきたい。起源、生物としての特性、『ども』ということは一体ではないのでしょうから銘銘の害悪性などを示してください。そうでなければ到底信じられません」
「責任を逃れるつもりか!祠を壊したのはお主らであろう、自らの過ちを正すのが筋ってものではないのか!」
無音。一切の無音だった。神主の怒鳴り声によって空気が振動しているのが肌で分かるほどに静かだった。神主の声が耳を、頭を、心を飽和させた。瑞葉は固く握り締めているこぶしを見つめていて、里彩はその切れ長で美しい紫色の瞳を閉じ、神主の言葉を受け入れている。二人の様子から、アタシたち三人に弁解の余地も、拒否権もないことがわかった。
「・・・・・・無言は肯定と受け取ろう。では悪魔の封じ方じゃがのう」
神主が頷き、封じ方を説明しようとすると、里彩が小さく手をあげた。
「待ってください。悪魔の処理は、私達が責任を持って行います。しかし、まずは先程の質問に答えてもらいます。敵対するモノへの情報が全く無いのでは、対策の立てようもありません。・・・・・・それに、この話が確かなものであるのか、迷信や言い伝え程度のものであるのかも判断致しかねますので」
「ほう十六、七の小娘ごときが儂の言を疑うとな」
里彩の棘のある言葉に、神主も負けじと対抗する。どうしよう、喧嘩になっちゃうよ。そうだ!こんなとき瑞葉なら何とかしてくれるはずだ。そう思って瑞葉へ視線を向けると、オロオロとしていた・・・・・・。眉を下げて、行き場を探すように空中で左右に両手を動かしている。里彩と神主の顔を交互に見ては、何かを言いたそうに口を開いたり、閉じたりしていた。一触即発な雰囲気を醸し出す二人を何とかしなければ!
「へ?」
「陽架ちゃん!」
大きな音と共に瑞葉の声が響く。痛い!二人を仲直りさせようと思い、立ち上がろうとして、転んだ。また、転んでしまった。どうして、今日はこんなに転んじゃうんだろう!今日の占いは12位だったのかな?自分でも、なぜ転んだのかさっぱりわからない。立とうとしたら、足の感覚がなくなっていた。転んだ拍子に強く打ったおでこがジンジンと痛む。もしかしたら、本当に今日は厄日かもしれない。足の感覚が戻ってくるのと同時に、気持ち悪さが足を襲う。ぞわぞわとしたその感覚に対抗するすべがない。
「正座をしているのに急に立とうとするから、こういうことになるんだよ。大方、正座をしていることを忘れていたんでしょ」
うっ、バレてる・・・・・・。図星を突かれてしまい、何も言えないため、素直に認める。だんだんと足の痺れが薄らいできた。
「修行が足りん。」
「修行って、どんな事すれば正座で足が痺れなくなるんですか!うら若き乙女にこんな苦行を強いるなんて、ムチャだよ!ねっ里彩!」
里彩ならばアタシの主張を難しい言葉でしっかりと説明してくれるはずだと思って、彼女の方へ顔を向ける。
「正座をしなければ良いんじゃない?」
正座じゃない、だと・・・・・・。全く考えもしなかった回答に放心する。里彩は、足を横に流して座るお姉さん座りをしていた。
「そうだよね、正座は慣れていないと辛いよね」
そう言う瑞葉はしっかりと正座をしていた。どうして座っていられるのかを問えば、正座をする機会が多くあったらしい。瑞葉の実家は和風の家だったのかな?
「もういいでしょう。さっさと話を聴いて帰らないと、三人とも反省文行きになるわよ」
「そ、そうだった!早くしないと。おじいちゃん、教えてください!アタシたち早く学校に戻らないと大変なことになっちゃうんです!」
「うむ、儂もこのような茶番に付き合っている程、暇ではないからな」
和やかになった空気が鳴りを潜めたところで、しっかりと座り直す。今度は里彩みたいにお姉さん座りをした。よし、これで足は痺れないはず!
「人間の七つの罪というものは、知っているな?お主らもどこかで一度は耳にしたことがあるであろう」
「はい」
「知りません!」
里彩と同時に答える。答えが違うことに気付き、お互いに顔を見合わせる。里彩の知らないのか、という視線に耐えられず、瑞葉を見る。
「わたしは少しだけ知ってたかな」
瑞葉は困ったように眉を下げながら言う。
「では一から説明するとしよう・・・・・・知らぬ者もいるようじゃからな」
神主の視線が痛い・・・・・・。
「どこから説明したものか・・・・・・うむ、様々な宗教などで人間の罪は分けられているが、この真朱教では『怠惰』、『強欲』、『嫉妬』、『色欲』、『傲慢』、『憤怒』、『悪食』の七つに分けられるという。この人間の悪しき感情や欲望は、七つの死に至る罪であり、現世を滅びへと導くであろうと伝えられている。かつて、現世にこの七つの罪を持った悪魔が悪魔界より突如として現れ、人の世を混乱で溢れさせたことがあった。働かずに怠けた人々により、牛や馬などの家畜は衰弱し、畑は荒れ果てた。そして、妬みや怒り、傲り、高ぶった者たちの私利私欲のために何千、何万もの人々が犠牲となった。秩序の乱れた現世を正そうとしたのが、この真朱教の開祖であるダル様であったのだ。ダル様は、盟友であり、弟子でもある六人の者達と共に七日七晩の激闘の末に、七つの罪と悪魔を封じ込めることに成功なされたのだ。悪魔の力は強く、それだけでは、いつまたこの世に解き放たれてもおかしくないとダル様は仰られた。より強固に封じ込め、二度と現世を混乱で溢れさせることのないように、と七人の聡明で傑出したかの偉人達は、その命を賭して成し遂げたのだ。これが、七つの罪の起源と経緯だ」
・・・・・・難しい!ど、どうしよう。わからないぞ、難しい単語が並びまくっていたなぁ。
「えーっと、つまり?」
神主は険しい表情を浮かべて、黙り込んでしまった。そんなに怒らなくてもいいじゃんか!だって、話が難しいんだもん!隣から里彩のため息が聞こえる。
「七つの罪と悪魔を七人の人間が封印したっていうよくある話。まぁ、この部分は、陽架君は覚えていなくても支障はないよ」
「そっか~里彩がそう言うなら無理して覚えなくていいね!」
あれ?また、里彩がため息をついている。神主の顔もさっきよりも怖くなっている!
「あ、あの。わたしも気になることがあるのですが・・・・・・」
微妙な雰囲気の中、瑞葉が弱々しく言う。
「なんだ、まさかお主も理解しておらぬのではないだろうな」
「いいえ、そういう事ではなくて・・・・・・その悪魔さ、ん?というのはどのような力を持っていたのかなと思いまして・・・・・・」
「確かに悪魔とやらの力には、私も興味があります」
「アタシも知りたい!すっごーく、わかりやすくお願いします!」
三人それぞれの反応に、神主はため息を吐くと巻物を開き話し始めた。
「悪魔については、この古文書に事細かに書き残されておるのだ。悪魔の持っておった罪の重さと悪魔の階級は比例しておってのう。重い罪を持った悪魔ほど、強大な能力を有している。そして、各々の悪魔によって使役する能力も全く異なっている。そうさな、この四番目に重い罪を持つ怠惰の悪魔なんかは、先見の明があると書かれておるのう。」
せんけんのめい?・・・・・・千件のメイ、千件の羊?
「先見の明って、どういう意味ですか!」
沈黙。またもや沈黙。やばい、またアタシだけわかっていないやつかも。いや、逆になんで皆その何とかってやつを知っているの⁉
「簡単に言うと、未来を見ることができる力のことだったと思うよ」
瑞葉が小声で耳打ちをしてくれる。なるほど!それならそうと、わざわざ難しい言葉を使わないで、教えてよ!
「へぇ〜すごいね!他には、どんな力があるの?」
「里彩、瑞葉・・・・・・後ほど此奴にも、わかるように説明しておけ。儂には手に負えん」
神主の言葉に、しっかりと頷く二人。もう、人のことバカ呼ばわりして!ちょっと難しい言葉が苦手なだけだから!
「他の奴なんかじゃと、実在するものであれば何にでも化けることができる悪魔もおった。姿、形だけでなく、声も仕草も本物と全く変わらないそうだ」
「それじゃあ、アタシたちに勝ち目なんて無いじゃん!」
「それがそうでもないんじゃよ」
アタシの言葉に、神主は人の悪い笑みを浮かべて答える。待ってました!と言わんばかりの表情に何となく敗北感がする。
「悪魔の力が最大限に発揮されるかは、契約者次第だと書かれておる」
「契約者?」
「うむ。契約者とは、悪魔ではなく生きている人間だ。奴らは、その罪と最も波長の合う人間を見つけ、その感情を肥大化させ、契約を持ちかける。罪を体内に取り入れることで契約は成立され、契約した者は悪魔の力となるものを提供する供給源となり、悪魔の拠点となる代わりに、悪魔の能力を使役できるようになる」
「つまり悪魔と契約者は共生関係にある、ということですね。・・・・・・!そうだとしたら、」
「そうだ。悪魔と契約者は共同体となり、利害を共にしなければならないのだ。どれ程、悪魔の元の力が強かろうとも、人間が並の者であれば異能を使える程度の者になるのが精々だろうさ。だが、何事にも例外が現れるのが世の常よ。この嫉妬の悪魔は、契約者の能力を強化させることができるのだ」
神主の言葉に、明るくなっていた空間が再び緊張感をまとい始めた。沈黙が場を支配する。先が見えない暗さとは、こういう事を言うのかもしれない。しかし、その沈黙を破ったのは里彩だった。
「しかし、契約者によって悪魔の力が制御を受けるのであれば、その強化能力にも適応されるのでは?」
「もちろん、適応されるだろう。だが、悪魔によって契約者に求めるものが異なるのだ。そして、嫉妬の悪魔は人の精気まで貪り喰うとある」
唾を飲む音が響く。それは、アタシのものだったのか、他の人のものだったのかはわからない。
「そんなことをしてしまったら、その人は死んでしまう・・・・・・」
「ああ、魂を喰われ、息絶えてしまうだろう。だが、悪魔とて簡単に死ぬような者を契約者にはせんだろうて。最も自らと共鳴し、罪の玉を体内に取り入れた際に拒絶反応の少ない者を好むだろう。もうわかっただろうが、悪魔の特性は千差万別、今この場で話したところで混乱するだけであろう。この古文書は主らに預けてやるから必ず読んでおけ」
神主はそう言って綺麗に巻いた巻物を渡してくる、里彩に。目の前にいるアタシをチラッと見て、里彩に渡していた。そんなに信用できないってこと⁉しかも、いつの間に巻物巻いてたの!さっき見た時は広げてあったはずだったのに!いや、待って、そんなに色んな力を使える悪魔と戦うなんて、
「絶っ対に勝てるわけないよ!」
つい大声で言っちゃった!でも、そうでしょ!だって、アタシには霊感とか全然ないもん。
「そうだよね。わたし達は、不思議な力なんて持っていないから、対抗する術が見つからない気がするかも・・・・・・」
瑞葉の言葉に、雰囲気が完全にお通夜モードのそれになる。
「何を言っておる。いくら儂でも十六、七の小娘共に、そのような無理難題を押し付ける分けがなかろうて」
「じゃあ、どうやって倒すんですか?」
間髪入れずに質問をすると、神主にそう憤るでないと言われた。別に、怒っているわけじゃないもん。ただ、難しい問題を前にすると考えるのが、嫌になっちゃうだけだもん・・・・・・。
「そうさな、順序立てて話すとしよう。悪魔と契約者は、行動を起こす時には必ず時空を歪ませ、自らの空間を創り出すのだ」
「なんで、そんな空間を創る必要があるんですか?」
「陽架、君が楽器を演奏する時に演奏しやすい空間というものはある?」
「あるよ!楽器の音が反響するようなコンサートホールは賑やかな感じがして、演奏していて凄く楽しいんだよ!」
「それだよ。自らのポテンシャルを引き出すためには、それ相応の空間や環境が必要になる。悪魔もそうなんだろうさ」
なるほど、そういう事か。里彩の説明は、回りくどいけど凄くわかりやすいから不思議なんだよね。
「誠に聡い小娘だのう。そうだ、罪は契約者の体内にある故に契約者の心象世界が悪魔のための空間となり現れるのだ」
へぇ〜、悪魔のための空間なんだ。なんだか怖そうだな。あ!良いことを思いついた。
「悪魔のための空間だから、悪魔空間って呼ぼうよ!」
全員の視線が突き刺さる。また、やらかしちゃったかも・・・・・・。
「だ、だってさ、呼び方が無いと言いにくいし、悪魔空間って言った方が何となく怖くなくなる気がするから、いいかなって思ったの」
「そうだね、『悪魔空間』だと言いやすいし、わたしは良いと思うよ」
瑞葉が同意を示してくれたことで、自信が湧いてくる。そして、恐る恐る里彩の方を見る。
「確かに、呼称をつけることは便宜上必要なことではあるし、古来より人は未知なるものに命名することで、既知の概念や存在に落とし込み恐怖心を軽減させてきたからね。何を指しているのかも理解しやすいし・・・・・・『悪魔空間』で良いんじゃない」
「じゃあ、決定~!」
アタシだって、やる時はやるんだから!珍しく、意見が通ったことにガッツポーズしちゃった!すると、神主が咳払いをして話を続ける。
「その空間は、契約者と悪魔の心象世界であり、本質が現れる場でもある。それ故に、現実世界では掴むことのできない悪魔の実体が、その空間では顕現される」
ん?えっーと、つまりは?でも、里彩に聴くと怒られそうだからな・・・・・・。そうだ!瑞葉に聴けば絶対に怒られないじゃん!そっと瑞葉の顔を見ると、眉を下げながら笑顔を浮かべていた。
「普通の状態だと悪魔を見たり、触ったりすることはできないけど、悪魔空間の中だとそれができるようになるって事みたいだよ」
「そっか!ありがとう、瑞葉!」
「陽架ちゃん、分からない事があったら後で教えてあげるから、最後まで神主さんのお話を聴いてみよう?最後まで聞けば分かることもあるかもしれないから、ね?」
「瑞葉、ありがとう!最後まで聞いてみるよ!」
長い話は、あんまり得意じゃないけど頑張ってみよう!何事もチャレンジだよね。始める前から諦めてたら、ダメだもんね!よし、と気を引き締めながら神主の方を向くと、神主と里彩が目を細めながらアタシを見ていた。2人ともどうしたんだろう?
「埒が明かないので、陽架の事は気にせず進めてください。私と瑞葉が理解していれば対応は可能ですので。」
「承知した。では、話を戻すとするか。」
神主と里彩が、2人でコソコソッと話したかと思うと、頷き合って話を再開した。なんか、馬鹿にされた気がするんだよなー。まぁ、いっか。そう思っているうちに神主は話し始めていた。わわ、しっかり聞かないと!
「その空間は、」
「悪魔空間ですよ!」
「・・・・・・その悪魔空間では、悪魔の実体が顕現され、お主らが悪魔に干渉をすることができるようになる。それ故に、その空間の中で悪魔及び契約者に勝負を挑み、勝利を手にしなければならない。」
「悪魔への勝利の条件は?」
里彩の声が少し変わった気がする。緊張してるのかな?声が少し震えたような、でも音には力強さがあったから、その中心には強い気持ちがあるような?里彩は、負けず嫌いだから、勝負事になると緊張するのかも!
「お主らが、悪魔及び契約者が提示してくるであろう勝負で、勝利を収め、そして――悪魔が己の罪を、敗北を認める事だ。」
すーっと、肩の力が抜けていくようだった。なんだ、簡単な事じゃん!そう思っていた矢先に、その希望は打ち砕かれた。
「悪魔に敗北を認めさせなければならないのだが、奴らは決して自ら敗北を認めることは無いだろう」
「絶対に負けを認めない敵にどうやって勝てばいいの?」
どうしようもないじゃん!こんなの壊れて音が出ないピアノを弾けって言ってるのと同じじゃんか!そういえば、さっきから里彩が何も話してない気がする・・・・・・。どうしたんだろう?不安になって里彩を見ると、顎に手をあてながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。切れ長の目が、鋭さが増していて声がかけづらい雰囲気だった。
「勝利条件は悪魔が敗北を認める事、悪魔空間内でのみ悪魔に干渉できる・・・・・・それらの条件を満たすのは、悪魔の消滅?」
里彩の呟いた結論に、まるで指揮者が演奏を止めた時のように空間が止まる。本当に、この場にいる誰もが思考を止めたと思う。考えても、考えても答えの出ない問題の答えを知った時って、すぐには受け止められないものなんだなと頭の片隅で自分が呟いている。ようやく頭が回り出してきた。
「それだよ!すっごーい!さすが、里彩!悪魔を消しちゃえば、全部解決するもんね!」
「ああ、そうなるだろうな。悪魔の消失は、悪魔の存在をこの世から消すことであり、悪魔の能力も根絶させることができるだろう。しかし、悪魔の消失には、生命力の枯渇が必要となる、つまりは、」
「待ってください。先程、言っていた契約者は悪魔と利害を共にしなければならないということは、まさか」
里彩の表情から、いつもの冷静さが消え、らしくもなく声に焦りが浮かんでいる。その様子から、只事ではないことを感じ、自然と汗が滲み、鼓動が速くなる。
「ああ、契約状態にある悪魔の死は、契約者の死でもある。」
そんな。神主の言葉に、さっきよりも深いお通夜ムードが場を染める。じゃあ、どうしようもないじゃん!悪魔は絶対に負けを認めないし、悪魔を倒しても契約者も死んじゃうなら、何もできないじゃん!契約者の人を見殺しになんてできないし、そんなの絶対に後悔しちゃうもん!
「そんなの絶対に嫌!悪魔を倒すために、何の罪も無い人が死んじゃうなんて絶対にダメだよ!他に方法は無いんですか!」
「陽架ちゃん、落ち着いて。その方法は、きっと無いわけではないはずだから、一緒に考えてみよう?」
前のめりになったアタシの肩をそっと押さえた瑞葉の顔を見て、ハッとした。瑞葉の表情は、声とは裏腹にとても辛そうだった。そっか、誰かを犠牲にするのが嫌なのはアタシだけじゃなかったんだ。そうだよね、誰かの犠牲で幸せを勝ち取るなんて間違ってるもんね。でも、どうすれば良いんだろう?瑞葉も、困った表情をして俯いている。きっと、里彩なら良い作戦を思いついてくれるかも!
「里彩、なにか――」
「それは、必要な死なのでは?」