第一話 の七
昼休みの突入と同時に天子は誰もいない科別職員室で悠々と調べ物に勤しんだ。
この殻はとても役に立つ。
「一人で静かに勉強したいんですがぁ〜」とシナを作って訴えたらば、男性ばかりの社会科教師は鼻の下をだらしなく伸ばして退出してくれた。
誰もいなくなった科別で、天子は徐に金のワッカを取り出した。頭に載せて「起動」、その後に幾つかのキーワードを続けて「検索」する。
天子の眼前、丁度一メートルほどのところに不可視のスクリーンでも出来たように文字が現れていく。
それを目で追いながら天子は不可解な唸り声を洩らした。
調べているのは白夜の言った過去の事故だ。
大型トラックが作業中のクレーンを薙ぎ倒し、そのアームでマンションが崩壊、火災まで出ている。白夜はクレーンに接触する前の大型ダンプに引っ掛けられ意識不明の大重態に見舞われたが、幸いにもそれほど大掛かりな事故に拘らず死者は一人も出なかったようだ。
合計30レベルを軽くいくはずの禍でただの一人も。
絶対神の者が関わった事件なら報告書として事細かに経緯が記載されるものだが、記録は端然としていてあくまでも自然災害の事例扱いだ。
「きな臭い。絶対神の匂いがプンプンすんやけどなぁ・・・」
天子は検索範囲を広めて、ぼやく。
その事故が起きる以前、その辺りは巨大な躁気圧に覆われ禍福ゲージが軒並みプラスを示す日々が続いている。
個々がそれほど高いポイントでなくとも、それが何万分、毎日続くとなるとその周囲ではかなり幸福濃度が高まる。些細な禍ごときでは「気にしな〜い。気にならな〜い。」状態で、加速的にプラスへ傾いていく躁スパイラル現象が起こる。
資料を見る限りその躁状態が人為的なものなのか自然発生的なものなのか判別しがたいが、それを禍福ゲージ±ゼロに戻すために絶対神が介入したと考えられなくはない。
そうだとしてもそれを隠そうとする意図はなんなのか。
授業の予鈴に天子はワッカを仕舞い科別を出た。
物思いに耽りながら渡り廊下まで来てギクッと足を止める。
日が燦然と降り込む渡り廊下とは対象に壁に阻まれた建物の中はうっそりと暗い。
その陰りの中に黒井音子が溶け込むようにして立っていた。
教室内ではまるで動かない唇が端然と言葉を紡ぐ。
「守護神が個人に情をかけるのは越権行為だ。オマエの内申にも響くと思うが?」
その言葉に天子はやっぱりか、と顔を強張らせる。だが、このままやられっぱなしも癪に障る。
「せやかて、なんの罪もないニンゲンをワシ等の都合で抹消するなんてあんまりや思わんか?アイツみとると気の毒でかなわんわ。」
気丈にも食って掛かってきた天子に黒井音子は口元を歪めた。
「情が移ったか。」
見る者を震撼させるような邪悪な笑みに天子も思わずたじろぐ。
「罪はない、・・・が、抹消も管理も絶対神ばかりの都合ではない。大きな力を野放しにすれば絶対神どころか三千世界が破滅の危機に晒される。それをオマエは知らないわけではあるまいよ。」
ぐるぐると喉で奇妙な音を奏でながら、黒井音子は長い髪をそよと揺らして踵を返した。
「ジェネラリィーエンジェルごとき下っ端が私の邪魔をしようなどと思い上がるな。」
鬱陶しい前髪の隙間に覗いた瞳は燃え立つような紅蓮。
その視線で容赦なくトドメを刺して黒井音子は廊下を遠ざかっていった。
姿が見えなくなって天子は「どひゃー」と詰めていた息を一気に吐き出す。
「くそう。小娘の分際でなんやあの威圧感はッ!しかも偉そうにッ!ワイが抹消されるかと思ったわっ!」
ヒールをガツガツと鳴らし、負け犬の遠吠えを轟かせる。
その時ピッピロリ〜♪と、マヌケな着信音が割り込んだ。
「なんや、こないな時に絶対神から・・・アカン。問題勃発や。」
ぶつくさ言いながら連絡を受け取った天子は表情を変えた。
コレを上手く処理せんことには来期の昇格も夢のまた夢。
天子は白夜のことをすっかり忘却ボックスに放り込み、目先の大事に駆け出した。