第一話 の二
ホームルームが差し迫った教室で、早々と自席に着いていた白夜はくわっと堪えきれない欠伸を零した。
ソレを目ざとく見つけた隣のクラスメートが茶々を入れる。
「昨日もお盛んか?コノッ羨ましいヤツ。」
「え〜・・・そんなんじゃないよ。ちょっと夢見が悪かっ―――」
「だよな。昨日、隣のクラスの女子連れ込んだら別高校の彼女と鉢合わせして修羅場ったんだって?」
前席のクラスメートがひょこっと話に入ってくる。
からかう気満々の黒い笑みに白夜は顔を顰める。
「なんでそんなこと知ってんの?」
「その他校に知り合いがいて筒抜け。どころか隣クラスで大々的に武勇伝が語られていた。」
「あーそー」
ハアっと白夜は溜息を吐き、机に突っ伏した。
「まあ確かに戦場の後片付けは大変だったねぇ・・・。帰宅早々、見ず知らず女子二人の取っ組み合いを止めた母さんには説教食らわされるし、ソレを見ていた妹には馬鹿にされるし・・・」
だがそれも身から出た錆と思えば甘受できる。
しかし、いきなり降って沸いた自称天使の『三千世界の核爆弾的存在』なる宣言は納得しがたい。
そんな荒唐無稽な言いがかりで抹消されようとしているなんて理不尽にも程がある。
ぶつけどころのない憤りと自称天使の残した数多の疑問を抱えて眠りについた所為で熟睡叶わず夢多きレム睡眠だった。
花咲き乱れる天国で美少女天使たちを侍らせたイッツ、ハーレム。
金髪碧眼、ブルネット、亜麻栗色と美女は選り取り見取り。石膏像のように均衡の取れたナイスバディーに奔放な性格。美女たちは白夜の寵愛を得るべく競って色気を振り撒きあれやこれやと迫ってきた。
これぞパラダイス。
苦悩の最中にそんな夢を満喫できることこそがアッパーといわれる所以だが、その辺りに自覚はない。
ともかく夢といえども絶頂ウハウハな世界は、突然降って沸いたチビデブアフロのオッサンが根こそぎ美女を掻っ攫っていったところで終ったので夢見が悪いことといったらこの上ない。
チャイムが鳴り生徒が軒並み席に着いたところでタイミングよく教室のドアが開け放たれた。
「オッハ――――――ァ!」
はて?
担任は人生達観の域に到達したジイサンで、渋みを通り越し出がらしのような声だったはずだが?
一様にぎょっとし、教壇に顔を向けた生徒は思わず声を洩らした。
ほおう、わぁおという好意的なものは概ね男子で、ケッ、チッという声ともつかない擬音は概ね女子だ。白夜もご他聞に漏れず前者だ。
白いブラウスがはちきれんばかりの豊満なバスト。黒いタイトスカートを盛り上げるヒップに肉感的な二の足。整った顔立ちは真っ赤なルージュが官能的で、思わずそのヒールで踏みつけて下さいとお願いしたくなるような美女だ。
「え〜いきなり今日からこのクラスの担任を受け持つことになりました天子です。今まで担任をしていらした根岸先生は、先生は・・・・うう。」
え、何かよからぬことでも?
と最悪な事態を思い描いて青くなる生徒に、天子はけろっとして
「唐突に第二の人生を求めてセミリタイヤしてしまいました。あの歳で今更第二の人生もネーだろ、セミっつーよりミディアムじゃん、と内心で突っ込んだアナタ、人生の砂時計はそれぞれ進み方が違うものよ。」
説教染みた説明で安心させた。
「というわけで、根岸先生が担当をしていた社会科も私がそっくり受け継ぐことになりましたので、みなさんよろしくねん。」
バッチンっと睫の音が聞こえてきそうなウインクに男子生徒は桃色吐息、女子生徒は怒気を吐き捨てる。
他の男子生徒同様、うっとりと見蕩れていた白夜はその矢先に教壇から向けられた視線にドキッとした。
だが、制御の余地もなく赤らんだ顔は次の瞬間青くなる。
「ふンぎゃああああああああ――――――」
黒板を割るような奇声に教室内の視線が集中する。
白夜は腰を中途半端に浮かした状態でアワアワと戦慄いた。
「どうしたの?東郷白夜クン?」
妖艶な瞳が魅力的だった顔が見覚えのあるアフロのものに挿げ変わっている。顔だけ。
しかし、そう見えているのは白夜だけらしく、生徒の怪訝な視線はうろたえる白夜のみに向けられている。
「え〜?ナニナニ?白夜と知り合いなのセンセ?」
教室内のどこそこから上がった質問にナイスバディーの上に乗った男の顔はにんまりと笑った。
「東郷クンとは一足先に昨日会ったわね。高校生の分際で繁華街にいるなんて悪い子ちゃん。だけど安心して。私はそんな悪い子ちゃんを救うために教師になったのだわ。」
天子の力説を褒め称えるものはいない。
寧ろ嫉妬や妄想、敵意や憎悪といった負の感情が異常発生して渦巻く。
ちなみに前者は概ね男子で後者は概ね女子の感情だ。
笑った拍子にパーツが全て肉に埋もれた顔に白夜はアウアウ呻きながら教室の後ろへ後退した。
それを見て、ちょび髭アフロは肉感的な腰をぷりぷり振って近づいてくる。
「あらあら。どうしたのかしらボウヤ。ひょっとして昨日と雰囲気が違うから驚いているのかしら?・・・女はね状況によって変身する生き物なのよ。そう、まさにカメレオン。」
雰囲気どころか骨格から変わっています。
昨夜のことは全て電波系インチキマジシャンの戯言と一蹴したのだが、そういうわけにも行かなくなった。
とすると自称天使を名乗るこの男は自分に不幸を齎す悪者以外のなんでもなく、抹殺するも何もかんもコイツの所為のような錯覚に陥る。
ともかく、ナイスバディーのオッサン顔というミスマッチが殺人的に気持ち悪い。
ただでさえ女運が悪いのにこれ以上トラウマなんぞ抱えていられない。
女郎蜘蛛は追い詰めた獲物に無慈悲に手を伸ばしかけ、次の瞬間弾かれたように振り返った。
視線の先は廊下側の一番後ろの席。
黒井音子だ。
日本人形を思わせる真っ直ぐな長く黒い髪。顔の半分が前髪に覆われまるで表情が読めない。
はしゃいでいる姿どころかクラスメートと会話しているだけで天変地異の前触れと揶揄され、常に自席に着いて何事かノートに書き続けている。
周囲の奴等はカリカリカリカリと続く音にいつ黒魔術の魔方陣が完成するのかと気が気ではない日々にノイローゼ気味だ。
血色良いちょび髭顔が見る間に青褪めていく。
いきなり踵を返したかと思いきや生徒に向けて宣言した。
「ホームルームはコレにてお仕舞いッ!一時間目の授業も自習〜。」
状況についていけない生徒のことなどお構いナシに、天子はスッタカタッタと教室を飛び出していった。